秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美 の町田珠実です。
昭和11年、山頭火のみちのく日記 続きです。
~山頭火の日記~(昭和11年)
六月廿七日 晴。
ーーー妙な夢を見た。
青衣子が方々を案内して下さる。しづかな日だった。
政岡の墓、伽羅樹一もと。
躑躅ヶ岡、枝垂桜の老木並木。
乳房の木。萩。
宮城野をよこぎる。蝶々。
Sさんから芳醇一壜頂戴。
夕方、K君わざわざ来訪。
熱い湯からあがってうまい酒をよばれる。
主人心づくしの鯉の手料理!
手紙二つ書く、ーーー澄太君へ、緑平老へ、ーーーこれは悲しい手紙だ、私の全心全身をぶちまけた手紙だ(或いは遺書といってもよからう!)、懺悔告白だ。
良寛遺墨を鑑賞する、羨ましい、そして達しがたい境地の芸術である。
多々楼君、都影君、江畔老、緑平老、・・・・・感謝々々。
~日記ここまで~
澄太君は言うまでもありませんが、大山澄太。緑平老は、木村緑平。内科医で、「層雲」同人。山頭火を物心両面で支えた人。
緑平メモによると、六月二十六日、抱壷居山頭火宛に、七円電送しているとの事。
では、この時山頭火が、木村緑平に送った手紙をご紹介しておきましょう。
~山頭火 書簡集より~
六月三十日 宮城県鳴子にて(封書)木村緑平へ
これと同じ手紙を澄太兄へも送りました、おたよりを下さいますならば、福井郵便局留め置き。
緑平兄
かういふ手紙は自他共に不快を与へられるだけでありませう。しかし、私は書かねばなりません、そしてあなたに読んでいたゞかなければなりません、此手紙は私の懺悔告白であります、私はあなたを欺いてゐたとは思ひませんけれど、或いは買ひいかぶられてゐるのではあるまいかと思ひます、それで私は私自身が観た私を暴露して、そして少しでも心身安らかになりたいのです、私の中には二つの私が生きてをります、「或る時は澄み、或る時は濁る」と書いたのはそのためです、そして澄んだ時には真実生一本の生活を志して句も出来ますが、濁った時にはすっかり虚無的になり自棄的になり、道徳的麻痺症とでもいふやうな状態に陥ります。
私は長年此矛盾に苦しんで来ました。そしてその原因は無論私が変質者であるためでありますが、それを助長するものはアルコールであると信じます、といって私とアルコールとはとうてい絶縁することが出来ません、絶縁すれば私はもっといけなくなるのです、此矛盾の苦悶に堪へかねて、幾度か自殺を企てました、昨年の卒倒も実は自殺未遂だったのです。此旅行だって死場所を見つけるためでした。
私は今また引返しつゝあります、そしてこれだけのことを申上げておかないと死んでも死にきれません、ましてお目にかゝることは出来ません、これだけしか書けません、私の衷情を御推読下さい。ーーー
~手紙ここまで~
これだけしか書けません・・・・・私からみると、すごく書いていると思うんですけが。同じ手紙を澄太さんにも書いているのですから、本当にすごいエネルギーです。
さて、みちのくの旅も、鳴子温泉を残すのみとなりました。では。
◆~俳人・種田山頭火 70回忌によせて~◆
平成21年 10月9日(金)~13日(火) 10時~18時
会場:秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美
秋山巌の山頭火の世界を、お楽しみに!
山頭火 みちのくまで その6 2009.10.07
山頭火 みちのくまで その4 2009.10.05
山頭火 みちのくまで その3 2009.10.04
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