2014年夏・欧州遠征(ドイツ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、イタリア、バチカン)(2)
欧州レポート(5)、17日(日)はドブロブニクから日帰りでボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルまでのツアーの日。
テラスに出てみました。朝は爽やかな風が吹き、涼しくて嬉しいです。
モスタル日帰りツアーには、5月末ごろに日本からネットで探したサイトから予約。往復のバスとモスタルでの一部ガイドツアー(英語)とフリータイムという内容で、日本円で6000円程度ととてもお得。ネットのおかげで本当に便利になったものです。8時すぎにロープウェイ乗り場前に迎えの車が来て、他の客(20人くらいいたでしょうか)とともに別のホテル前から大型バスで出発。写真はその近くのドブロブニク新港。
バス右側の席をとってしまったのが失敗でしたが、途中まで左側にアドリア海にたくさん浮かぶ島や半島を観ながら西方向へ走ります。万里の長城みたいな遺跡がみえます。
クロアチアの飛び地であるドブロブニクからボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに行くには、2回国境を越えます。ボスニアがアドリア海に接する唯一の街ネウムの手前で1回目の国境を越えます。
国境の検問所。ここは比較的車もすいていて、高速の料金所みたいな感じ。国境越えはいつも感動しますが、陸路の国境は特に嬉しいです。
ネウムで最初のトイレタイムになったドライブインからの景色。ネウムのある海岸線20km部分がボスニア唯一の海岸線。
ここはボスニアが港を作るために海岸線を要求したからというわけでなく、歴史的にはオスマン帝国とかオーストリア=ハンガリー帝国の勢力範囲を分けるための緩衝地帯として設けられたらしいです。
建物の階下にスーパーがありましたが、何故かこれらの国旗が。ここはクロアチアの通貨クナがそのまま使えます(ボスニアは「兌換マルク」というかつてのドイツマルクと固定レートになっている通貨を使っています)。
アドリア海方向をアップ。このあとネウムを出発、再びクロアチア領内を走ります。
再びボスニアとの国境のすぐ手前に来ました。この小屋は国境警備関係者の小屋の模様。通過中の道路は、ボスニアのサラエボ方向への幹線道路のようなので、国境手前で長蛇の渋滞になっていました。
ボスニア・ヘルツェゴビナの看板。ボスニア語はラテン文字とキリル文字の両方を使います。ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴビナというのが国全体の名称で、かつてムスリム人といったボスニャック人とクロアチア人で構成される「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人の「スルプスカ共和国」の二つから成り立っているという複雑さ。前者がラテン文字を使い、後者がキリル文字を使っています。この地域の難しさが改めてよくわかります。
その先にボスニア側の検問所。ここで同乗のガイドがツアー客のパスポートをまとめて手続きを行っています。ツアー客だからなのか、パスポートにはスタンプは押されませんでした(ボスニアはシェンゲン協定非加盟かと)。
田舎の景色ではありますが、家はみんな結構立派です。
モスタルの前にトイレタイムでポテチリという遺跡のある小さな町で停車。
これはモスクっぽいですね。モスタルはイスラムとキリスト教の接点の街ですが、ここもそんな感じのようです。続く。。
欧州レポート(6)、17日(日)のボスニア日帰りツアーの続き。あと30分くらいでモスタルという位置にあるポテチリのトイレタイム。
旧市街近くにあるこの教会そばの駐車場でバスを下ります。ここからはローカルのガイドが30分ほど旧市街中まで案内し、そのあと自由時間になります。15時にこのランドマークの塔の下に集合。
左に行くとモスタルの観光の中心、旧市街とスターリモスト。左の建物は内戦時の銃弾跡が多数残ったまま。。
真ん中にたなびくのはボスニア・ヘルツェゴビナ国旗。ガイドから「スリに気を付けて」と言われました。
来ました。眼鏡橋のような急峻なこの橋がスターリモスト。「古い橋」という意味です。この橋はオスマン帝国時代の建設でしたが、ユーゴ内戦で破壊され、戦後ユネスコ等の支援により2005年に復建されました。世界遺産です。
このあたりの山はどこも急峻でごつごつとした岩山が多いですね。
旧市街の中を散策。途中何回かガイドから説明がありましたが、このモスタルはかつてオスマン帝国が西に張り出してきたときに最も西側の中心地にあたるところ。なので、アジア風の雰囲気が味わえるというのが売り。ただし、この土地の統治者は数百年の間で何度も変わり、住民はそれに翻弄され、その結果いろいろな宗教、民族がモザイク状になる結果となったということで、それが痛ましい内戦につながったわけです。改めてバルカン半島の歴史を勉強させてもらいました。
こんなところが戦場になったとは、俄かに信じがたいのですが。。
要塞から降りる階段。まだまだ続く。。
欧州レポート(7)、17日(日)のモスタルの続きから。
旧市街のバザールと要塞などを散策し、再び橋を渡って戻ります。また橋の上から。
橋の真ん中から川へダイビングしようとしている人がいます。ここでダイビングコンテストも行われるとのこと。ただ、なかなか飛び込もうとしません。。
川のほとりのレストランで昼食をとることに。まずは地元のビールSarajevsko。サラエボビールというような名前なんでしょうね。
Japlakという地元料理。挽肉をホウレンソウの葉っぱで包み。ヨーグルトを添えて食べる素朴な料理ですが結構私の好みでした。なんとなく、去年行ったトルコの料理とやはり通じるところがあります。
旧市街を抜けて、集合場所近くまで戻ってきましたが、まだ時間があるのでその辺を適当に散策。旧市街と打って変わってその外側はとても近代的な建物ばかり。
行きにも見えた銃弾跡の残る放置された建物。とはいうものの、上に看板が乗っているので、戦争の傷跡を残すためにそのままにしているようです。
少し歩くとここにも半分廃墟になった建物。今の復興されている部分の街並みととても対照的ですが、わずか20年前に本当にここで銃撃戦や空爆があったとは信じられないです。
早めに集合場所に戻ったので、しばしオープンカフェで一服。軒下から霧のようなものが出ていますが、今回行った国では多くの店でこのようなミストを強力に噴射させているところが多かったのが印象的でした。最近仕事でデータセンターの冷却にミストを使うのが主流になりつつあるということを知りましたが、同じ流れの話ですね。首都高の山手トンネルでもミスト冷却してますし。
車窓から見えたブドウ畑。このあたりは温暖な気候なのでワインの産地です。
往路で通過したクロアチアへの国境は渋滞が予想されたため、山の中の別のルートを通りました。ボスニア~クロアチア国境の検問所。ここは渋滞なくすっと通りました。
この先、再びボスニア領のネウムに入ります。青い建物が検問所。
ビーチが混雑しているのがよく見えます。海もきれいですね。ドブロブニクまではあと1時間くらいの距離。。
欧州レポート(8)、17日(日)のボスニア・モスタルツアーからの復路。ボスニアのネウムからクロアチアのドブロブニクの途上。
ここからは再びクロアチア領内。復路は右側座席が海側になるので、綺麗な景色にシャッター連射。。
この橋のあたりで数名のツアー客が下車。このあと何か所かホテルを回り、私は最後から二番目でロープウェイ乗り場近くで下車。ボスニア・ヘルツェゴビナ日帰りツアー、大満足でした。モスタルも良かったですが、二度の国境越えもとても感動しました。。
さて、ドブロブニク旧市街へ戻ったので、そのまま夕食の場所を物色。ゲストハウスへ帰るためには長くて急な階段を上らないといけないので、なるべくその回数を減らすために直行。
日課となりつつある広場前に来たら、サッカーのサポーターのような団体が大声でエールを上げていました。
この日の晩飯はカルボナーラ。ここはイタリアとはアドリア海を挟んで対岸になるので、パスタとかピザとかイタリア料理も豊富。
食事も終え、少し旧市街を散歩したり、飲み物などを買物したりして俄か住民気分を味わいます。このような現地化が最近の海外遠征のテーマです。。
ゲストハウスに戻り、アドリア海と城壁を観ながら一服。至福のひとときです。。
さて、ここからは18日(月)。この日は東側の隣国モンテネグロへの一日ツアーです。モンテネグロへも前日のボスニアツアーと同じ会社の一日ツアーを前もって日本から予約していました。やはり同じようにロープウェイ乗り場前に8時少し前の約束した時間にバスがやって来ました。前日のボスニアツアーより一回り小さい、マイクロバスくらいの大きさ。人数も10数名と平日のためなのか少人数でした。
この日も右側の座席でしたが、東へ向かう道なので往路に素晴らしい景色が連続。こちらの島はドブロブニクから簡単に船で行けるロクルム島。
助手席の同行ガイドの真後ろに座ったので、ドライブ気分で一枚。
山側はこんな感じ。ここで運転手がまとめて我々ツアー客のパスポートを持って行って何か手続きをしていましたが、ここもボスニアと同様、パスポートにスタンプは押されませんでした。
モンテネグロに入国。陸路の国境越えは楽しいです。緊張感は全くありません。ここでの主な目的地はコトルという古都。フィヨルドのような入り組んだ海岸線を通っていくので、かなり大回りをしていきます。続く。。