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今日は、マーキと一緒に保育所の解放保育に出かけた。週に一度の解放保育、今回が最後!!次からは、4月新しい仲間ではじまる。先生が、「4月から幼稚園に行く人?」と尋ねると・・元ちゃんは私のほうを見て・・・「僕は幼稚園かな?」って聞いてくる「違うよ」先生が、「4月から保育所に行く人?」と尋ねると・・またまた元ちゃんこっちを向いて「元ちゃんは保育所だったね!!」ニコニコで手を挙げる。「ふむ・・・・・ 保育所でもないんだけど・・・ ま~~ことしも解放保育行きながら 保育所の枠があくのまつわけで・・・」そんなこと思いながら、にこっと笑顔を元気に送った。園長先生と、5月の枠が開いて受け入れてもらえるようになったらを想定して今日は少し話をした。初めのうちは午前中ママつきで・・元気に何が必要か、保育士が感じ整えていく・・ひらがな、カタカナ、読めます。字を書けます。文章を書きます。言葉が出にくい元気は自分で何が必要か分かっているのでしょうか・・誰が教えよと思ったわけではありませんが伝える手段を身につけて行きます。指文字、手話、も使います。保育所が元気のために必要と思えば指文字を使ってくれるでしょう。文字盤を使って指さしでコミュニケーションとってくれるでしょう。でも、同じ年の子供たちの中で、言葉を使うことを少しでも元気が楽しむようになったら、元気は不明瞭でそして気管切開しているコトで出しにくい言葉をもっと出そうとしてくれるでしょう。気管切開に対する知識も少しずつ一緒に過ごしながら取得していってくれるそうです。そして最終的には親と離れる時間を持って行こうと前向きに考えてくれているようです。市が4月にどう答えを出してくれるか・・・5月からの元気の進路は市の答え一つです。僕元ちゃん、道は自分で開いていこう。僕は僕!!色んなところに遊びに行くぞ!!僕と過ごして感じてくれたらいい!!どうにか今年から3年保育でお友達の中でと考えて3つの私立の幼稚園に元気のことをお願いしてみた。4月の保育所の入所がだめになったので急に3月に入って起こした行動。時期的に仕方ないと思ったが・・・それでも来年に向けて何かを得ることが出来たら・・そう思っても・・・・・気管切開をしていると聞いただけで心ない言葉と対応に情けなくなった。その中で唯一元気とあって話をしてくれた幼稚園があった。今日電話で、3歳児の受け入れは無理だが月一回の遊ぼう会にママと一緒に参加して、来年に向けて様子を見ていきましょうと・・5月の保育所の受け入れがだめになったとき、来年に向けて確実に受け入れてくれた、一緒に考えてくれる場所になるかどうか・・・・保育所に入れるかな??だめなら今年一年色んなところでもう一度親子楽しく過ごすのもよい。来年に向けて、元気の未来に向けて・・・すべてがきっと素敵に変わるよう。今を思いっきり楽しもう。ケセラセラ・・なるようになる・・僕元ちゃん!!僕の道は僕が開く!!
2006.03.28
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元気が産まれたときから、元気の学校の文字がいつもちらついていた。この子学校に行けるかな??みんなが当たり前のことを、一つ一つ頑張って手に入れた。息すること・・生きること・・気管切開をして手に入れた。家族と暮らせるようになったのは4ヶ月の頃。その後入退院を繰り返した。夜カニューレが抜けないかと寝れなかった。食べること、どれだけ頑張ったか・・・口蓋列があるだけでも、気管切開があるだけでも食べるのに訓練がいる。2つの障害がある元気。どれだけ頑張っただろう。鼻から食べ物が出てくる。誤飲する、気管支炎、肺炎、月に1度は39度の熱が出る。すべて少しずつ少しずつあきらめないで・・元気を信じて、一緒に取り組んできた。1年1年食べることが上手になった。でも同じ年の子達のようには食べれない。それでも元気なりに楽しく食べている。お耳が小さい。みんなと少し顔が違う。ぱっと見て違いが分かる。怖いとか、変とか言われるのは日常的。補聴器気にならない。補聴器があって聞こえる。今、元気は3歳7ヶ月。去年一年市と保育所に出向き交渉した「どうして保育所にしたの?」聞かれることがある。幼稚園は人数が多い。音が補聴器でとれる元気でもまずは少人数から・・そして、おばあちゃんの介護を・・・選んだには選んだだけの理由がある。簡単に出した答えではない。1年本当に悩んだ結果受け入れ先の保育所を選んで市の言う通り書類を出した。何もしないでふんずりかえって臨んだ保育所ではなかった。でも結果はだめだった。「入れてくれないなら、無理に保育所で無くっていいじゃない」てこえもある。上の3人ならそれでいい。普通に楽しく家で一緒に過ごせばいい。でも元気の成長に必要と考えたから・・・周りの人に慣れてもらわないといけない・・来年に向けて、私立の幼稚園に電話してみた。気管切開していると・・たくさんの心ない言葉にふれる。今すぐに入れてくれてとは言ってない。少しずつ考えてほしいと願っても・・気持ちは伝わらない。人の色んな気持ちに触れたり、自分の気がつかなかった気持ちに触れて、3人の子供を育てていたとき以上に、人の本質に出会うことがある。「お宅のお子さんは、ピアニカが弾けますか?組み体操が出来ますか?」そんな言葉を平気で言う人が園長さんです。「他の子に影響しますので・・」そんな、こんな書ききれない言葉をかけられても・・・「しかたないじゃない」で、すませないといけませんか??「あってこれからを話し合いましょう」せめて、この言葉をほしいと思ってはいけませんか???「市にお願いはしていますか??市に相談されたら??」幼稚園からでる最終的言葉です。元気はみんなとふれあって育ってはいけませんか??市は元気を「親が働いていないから」を理由に受け入れず。私立の園長先生は「市にお願いしては」と言い放つそれでも笑って仕方ないと思わないといけませんか??この子は生きているだけでいいのですか??みんな違ってそれでいて安心して育てられるそんな社会を臨むことがそんなに甘いことですか??側で出来ることは何でもしたい・でも私たち家族だけで解決できないことはいっぱいなのです。この子は社会に出て行くんです。今年は、保育園の一時保育や解放保育、近所の子供たちとふれあって、来年に向けて、そして3年後の小学校に向けて動きます。笑顔で、楽しく、でもこの子を授かった以上「仕方ない」で過ごすことは出来ません。市や、社会に、働きかける努力をしていきます。だって、仕方のないことでは無いのですから・・・元気の時には間に合わないかもしれません。でも同じように産まれてくる子供たちのために少しでも社会に理解してほしいのです。声を上げないと,今までに症例少ない元気のような子供たちはどう進んでいってよいのか常に迷って、出口がみえない迷路の入り込んでしまうから・・一歩を踏み出さないと、はじまらないのです。気管切開を怖がっているだけでは前に進まないのです。経験して、関わってもらって、初めて分かる障害だってあるのです。抱える障碍や悩みは違うけど少しでも社会がバリヤフリーになるよう今からも声を上げていきます。
2006.03.23
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市が出した結果は・・・元ちゃんの保育所生活は夢に終わりました。だめでした。去年の6月から、保育所に元ちゃんの受け入れをお願いして、3つの保育所に足を運び・・市が下した結果は・・保育所が出してくれた答えより厳しかった。気管切開して、生きて、活かして、ね・・・僕に関わってごらんよ・・僕はただみんなと関わりたいんだ・・命の尊さはみんなと同じだよ・・去年の夏、小学校で子供たちに囲まれた元ちゃん。一人の子が元ちゃんを見て「関わらない方がいい」と言った・私は「関わってごらんよ!!」と言った。市の出した答えは、責任のかかること、気管切開した、補聴器をした元ちゃんに関わることをさけた・・・こんな社会で育った子供達に・・どんな気持ちが育つのだろう・・・・・・・・・・・悔し涙が止まらない・受け入れ先を見つけて申し込むように言った市の要求。その通り保育所巡りをし、お願いし、考え悩み出した第一希望、第二希望・・・・最初から市は元ちゃんと関わる気がなかったのか??はっきりと、去年の夏に答えは出していたのだろうな・・あの電話の時には・・元気の活かせる世界を1つでも多く増やしてあげること泣いてる暇はない・・・今日だけは目を腫らしてないて・・明日からは又1日1日進んでいこう。前をしっかり向いて。
2006.03.02
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