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■ 内宮から外宮へ参拝するのは間違い?
「正式な参拝ルートは外宮から内宮」
とネットなどでよく書かれています
ですが、地元の方に聞いたところ
「特に決まりはないですよ。
伊勢に来る人は伊勢市駅や宇治山田から
来る人が多かったので、自然と外宮が
先になっただけです」
だそう
公式でなく
“攻略Wikiでよく見る推奨ルート”
な訳ですね
実際、江戸時代に書かれた人気旅行記
「東海道中膝栗毛」では弥次さん喜多さん
一行は内宮から先に参拝しています
なおやじきた学園道中記とは関係ありません(誰もそういう風に思ってないよ)
■ 外宮と内宮のガチバトル
現在は「伊勢神宮」として一体ですが江戸時代までは
- 外宮:渡会(わたらい)氏
- 内宮:荒木田氏
という別々の神職家が管理していました
そしてこの二家、仲が悪かったのです
● 対立の理由は「お金」
前述のように外宮→内宮の順で参拝する人
が多かったのですが、参拝者はお供え物
(当時は銭や酒などで重い)を外宮にだけ
納めてしまうことが多かったのです
参拝者は管理が別だなんて知らないので、
「とりあえず最初の神社に納めておこう」
となるのは自然な流れ。
結果、内宮の収入が外宮より
少ないという事態に
● 外宮は「内宮より格上」を主張した時代も
また外宮は外宮で、内宮の方が外宮より格上
とされるのが気に入りませんでした
鎌倉時代には外宮側が
「本当は外宮の方が上なんだ」
と主張したこともあり
両者の対立はさらに深まります
● ついには武力衝突へ
室町〜戦国期には、なんと外宮と内宮が
武器を取って戦うという事態にまで発展
その戦乱で両正宮が焼かれるほどまでに
伊勢神宮の公式では費用の徴収が困難になり
約120年中断されたとありますが
裏設定ではこの戦乱が主な原因だそう
世の中が落ち着いてくると戦いは
収束しますが両家の対立は続き
明治の神宮国有化まで完全には
収まりませんでした
※似たような争いは諏訪大社の上社・下社でも起きています
■ 江戸の伊勢参宮を支えた「御師(おんし)」
というツアーガイド
江戸時代、伊勢参宮は大ブームとなり、
一時期は日本人の6人に1人が参拝したとも言われています
背景には
- 農業技術の発達で生活が豊かになった
- 旅行は制限されていたが寺社参拝はOK
などの事情がありました江戸から伊勢までは約2週間かかったそう
(意外に早いと思うのは私だけ?)
地元を離れる事も少なかった当時としては
新しい景色を眺める道中も楽しかったのではないでしょうか
● 旅費は「講」という積立方式
往復1か月以上になる旅の費用を支えたのは
「講」というシステムで、仲間同士で普段からお金を積み立て、貯まったらくじ引きで
当たった人が旅に出る
これを繰り返すことで、庶民でも
伊勢参りが可能になりました
また伊勢参りに行くというと
現在の四国八十八か所めぐりのように
沿道の人が便宜を図ってくれる
事も多かったようです
● 旅を支えたのが御師(おんし)
こうした伊勢ブームの仕掛け人が
御師という存在
御師とは、神宮の下級神官であり、
- 全国を回って神宮のお札を配り参拝を勧誘
- 伊勢に来た参拝者を自分の館に泊める
- ガイド役を務める
という、今でいうツアーガイド兼旅行代理店のような存在
宿泊料は安くはなかったそうですが
神官なので普段は入れない場所を案内したり宿で神楽を奉納するなど特典サービスも提供
顧客満足度は高かったみたい
なお、中世ヨーロッパではベネチア商人が
エルサレム巡礼ツアーを運営企画したのと
似ており、巡礼ビジネスは世界共通
というのが面白いところです
■ 伊勢参りには他にも面白い逸話がたくさん
-犬が主人の代わりに参拝した
「犬のおかげ参り」
- 仕事を抜け出して参拝する「抜け参り」と秘密アイテム「ひしゃく」
など、伊勢神宮にはユニークなエピソードが数多く残っています
旅行前に少し調べておくと、参拝がもっと楽しくなることでしょう
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