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久しぶりにログインです。名前を変えてみたのですが「シンシア70」から「ななまる♪」に、です。「ななまる」で登録したところ、「使用されています」となりましたので「♪」を付けたのです。久しぶりにログインです。だからといって日記らしいものを書くわけではないのです。久しぶりにログインです。やってみただけです。。。あっと、前の日記が消えてしまいました。コメントも消えてしまいました。。ゴメンナサイ。******************さてさて。。。
2005.09.26
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アトリエの屋根裏部屋で手紙を読んだキャンドルの消えそうな明かり震わせる風もう忘れたいあのときめきが壊れた古い時計を寂しく刻んでいるカナリアが来たのは9月あなたは知らないオルゴール錆びついたまま埃に隠れピアニシモ弾く人の無い懐かしき夢いま会いに行くこの恋人はあなたに似ているけどそうあなたではないベルベット雨音のように誰もいなくなる*****************なんとなく引き続き安全地帯の耳コピ相変わらず題名はわからないのですが。。。読めばメロディを思い出すって良いですねその頃の記憶も甦りますアートとは記憶で、記憶は愛だ。。。(笑:過去日記参照誰の曲でもなく、自分だけの曲になります
2005.01.16
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なにも言わないで今だけは唇にあずけて傍にいて欲しいこのままで大事な人になるからあなたの心あなたの全て伝えて欲しいto meいつも会いたくて泣かせてた寂しい夜は忘れてあなたがいればあなたのためにいられるようにいつまでも変わらない愛を消えない愛を教えて欲しいto meなにも言わないでこのままで一つの夢に眠ろう************************玉置浩司のコンサートがあるみたいだ。大分で。。安全地帯は中学生の頃に聞いていた。聞き返すようになったのは、2年ほど前から。聞き飽きるということは2度とないだろう。そういう点では「吉田拓郎」なども聞き飽きない。どちらとも全てのアルバムが永久保存板なのだ。
2005.01.14
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安岡正篤の「六中観(りくちゅうかん)」忙中閑有り(ぼうちゅうかんあり) どんなに忙しいときでも、瞑想する時間を持つ。苦中楽有り(くちゅうらくあり) 楽ばかりせず、苦しみながら学ぶところに真の楽しみがある。死中活有り(しちゅうかつあり) どうしようもなくなったときに、初めて道は開かれる。意中人有り(いちゅうひとあり) いつも、尊敬できる人を心の中に持つ。壺中天有り(こちゅうてんあり) 内面的に深い生活をもて。腹中書有り(ふくちゅうしょあり) いつも、座右に書を持つべきである。*********************意訳としての意味は、万人が共感し、納得する内容である。そして、6つの説は語感の響きから、魂に共鳴するといわれる。**************
2005.01.11
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月の夜よ月の夜よ一夜の歌を やさしき歌を暗黒の夜に響かしむはかなき光でさよならさよなら今日よああ皆が眠りし月の夜にも少し遊ぼうか太陽照りし真昼には俺に狂えや働けや強き光もて俺をあざ笑う人の働く真昼には俺は家にて寝て暮らしてる月の夜よ月の夜よ今日も我と遊ぼうか弱くやさしき光もて我をつつみたまえ(エレファント・カシマシ)アルバム「生活」より1990のアルバムで、この頃の歌詞は最高に好い。個人的には「エレカシ」はココがピーク。なぜかというとこれ以後は(TVでしか)聞いていないから。(笑**********ということで過去日記の再アップです。(日記じゃないけど)なぜかというとトップの画像に月?を貼り付けましたから。。。過去日記の整理が終わりませんがノンビリやります。。。************いまのところ、楽天には3つ、CGIBOYに2つ、ライブドアに1つ、その他があるのですが、それらをまとめるHPを作っています。完成の際はお寄りくださいませ。
2005.01.08
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ある有名な科学者が天文学について講演をおこなった。地球は丸く、太陽の周りを回っており、その太陽も銀河の中心を軸としてまわっている云々・・・講演が終わると、ある老人が言った。「あなたの話はばかげている。世界は平らな板のようなもので、大きなカメの背中に乗っているんだ!」科学者はたずね返した。「では、そのカメは何の上にのっているのですか?」老人は当たり前のように答えた。「そのカメよりも大きなカメだ。その下もおなじく大きなカメが重なっている!そして、一番下には想像を超える大きさの象がいるんだ」科学者を支持する知識人は苦笑した。****************しかし、歴史を学ぶということはこういう事かもしれない。****************そして、今も、老人は訴え続ける。人間の存在する宇宙はマザーユニバース(親宇宙)から数えて孫の曾孫、そのまた玄孫、それ以上の位置に存在する。無限に続く鼠算式ヒエラルキーの平面状に存在しているのだ。その平面は円弧を描き、閉ざされた宇宙として存在し、亀の背中に乗っかっているのだよ。その下には大きな亀が、一番下には想像を絶する像がいる。そんなこと、あたりまえじゃないか!*****************
2005.01.04
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感情は感情の中にあって感情の中にない。感情とは心を理解するための道具であると思う。喜びは人の愛、情を理解するためにある。怒りは人の苦しみ、恐怖を理解するためにある。哀しさは人の悲しみ、辛さを理解するためにある。楽しさは人の人の喜び、幸せを理解するためにある。感情の湧き出る源流に帰れ。そこには愛があるのだから、君の感情に間違いはない。************今年もよろしくお願いします。
2005.01.01
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すっかり日記を書かなくなりましたが、シンシア70のHPを整理したいと思っています。「漢字変換」に書きこみを頂きましたjun2ちゃんとタコラビさんへ。この日記も削除の対象となっています。書きこみも消えてしまうわけですが、申しわけございません。・・・・・・・・そのほかの方も深くお詫び申し上げますです。(汗汗)
2004.12.23
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知恵はごくゆっくりとしか身につかない。なぜならば、短期間で簡単に得られる知的な知識が“感覚的”あるいは潜在意識のレベルへの知識へと変えられなければならないからだ。一度この変化が起これば、この知識は永遠のものとして刻み込まれる。この変化のためには触媒として行動が必要である。行動が無ければ、単なる言葉だけの知識は枯れて色あせて行く。実際に応用されなければ理論的知識は何の役にも立たない。「前世療法(ブライアン・L・ワイス)」*****************
2004.12.08
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久しぶりに小説を読んでいる。古本屋に寄り、7冊買う。合計700円+消費税めっきり新書は買わなくなったが、こんなに安く買えるなら文句は無い。そのなかの久しぶりに小説は「海峡の光(辻仁成)」バンド「エコーズ」の辻ちゃんである。帯書き:少年刑務所で看守として働く私の前に現れた一人の受刑者。彼は子供のころ私を標的にして執拗に繰り返されたいじめの煽動者だった___辻ヒトナリの小説を読むのはハジメテで、読み馴れない分だけ面倒だったがやはり芥川賞受賞作だけあって独特の空気感があるなと感じた。小説は少なからず雰囲気が無ければ面白くないが、映像が浮かばなければ誰も小説など読まないだろう。まだ1/3までしか読んでいないが・・・いじめの煽動者でだった「花井」の性悪な行動を探ると同時に、「私」のなかにも同じ「魔性」があることに気がついていない。といったところである。展開としては、そのことに気がつき「私」は愕然とする?のであろうが予想に反した展開を望みたい。さてさて、今晩か明日中には読んでしまおう。楽しみだ。
2004.11.25
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以前、「子供を子供扱いするのではなく、人格(一人の人間)として付き合うほうが、子供の自信につながり無駄に甘えない子供になる。」と日記に書いた記憶がある。随分昔から言われていることだろうし、多分正しいんだろうと思う。ところが言葉とは実に曖昧なものだから、そのままの意味を受け止めれば「大人と対等」という意味になるのだがココが落とし穴があるのだろう。大人として扱われた子供は、子供らしく振舞うことができず、幼心に無理が祟り、見えない抑圧の呪縛から抜けられないようになる。辛いことがあっても何故か笑っていたり、自分の感情を押さえることでしか自分を表現できなかったり、自分でも自分自身が理解できず、その所為で過剰なストレスを感じてしまうのだ。**********アダルト・チルドレンの定義とは、(辞書による)幼少期から過度の責任を負わされ、子供らしい幼少期を体験しなかったことにより、精神的不安定や人間関係の問題を引き起こしやすい性格が形成された人のことをいう。************「子供と正しく付き合う法」とは、子供に向けて発するのではなく、子供に媚びず、依存するでなく、大人として自立することなのだと思う。アダルトチルドレン・インナーチャイルドなど、自分自身も気になるところが多いので日記に書くことで解決の方法を探ろうと思う。さてさて。。。
2004.11.19
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このHPの存在の意味を、以前「自分への刷り込み」ということで注釈を加えたのだが、文の言い回しは何故か押し付けがましく、親が子に指図するような表現が自分でもイヤになることがある。人には、少なからず支配欲があり、その方法として高圧的な物言いになったり云々あるのだが、その根源というか深層心理に隠れる本音は何だろうと考えることがあった。それは、他人からの誤解を恐れるがあまりにでる自己防衛であり、実体の伴わない理想ばかりが高い所為にあった。誤解を解くための更なる演技をこなしたり、自分や人を騙すためにパラドックス的思考を巡らせたりと。。。そんなときに読んだ本が、「眠れぬ夜の壁(佳里冨美)」なんとなく前置きが重苦しいのだが、面白い本であります。このHPには特定の女性しか寄って来ませんので云わせてもらえれば、「おすすめ」です。女性と母親だけに見られる特殊な関係であったり、夢の話など、アダルトチルドレンを克服した作者の、自己分析を織り交ぜた感動秘話です。
2004.11.11
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どんなに言葉を吟味して、一言一言に魂を込めようと、それは読む人に全て任せるしかないのです。反対に思いつきで書いた文章に、深く広い意味として捉えてくれる人もいてくださるということです。人は独りで生きては行けないという定説もありますが、一般にいわれる「社会の評価・他人の評価」を重んじるばかりに自分が自分で無くなってしまうということも多分にあります。その原因は「自分」にあったりします。社会や他人を意識しているように見えて、本当は自分を基準に全て考えている場合が多いのです。生まれてこの方、自分しか演じてきたことが無いわけであるので、自分が自分だけしか意識していないことには気がつき難いものです。「自分」を意識しすぎた結果、「自分で無くなる」という矛盾が生じるわけです。その所為で人は苦しみます。ここでまた「自分探し」という矛盾を持ちこもうとします。新しい趣味にチャレンジしたり、いろいろなことを試みます。よって、疲れたり、休んだ拍子に気が抜けたりするわけです。本当は、もっと簡単な自分探しがあります。自分探しとは、自分を捨てることにあったりします。人からものを頼まれたり、嫌味を言われたり、解ってもらえなかったり、誤解をされたりと、生きていくうちには多くの苦労が存在します。その時に出る想いは大概の場合、不満・愚痴です。その想いこそが「自分」なのです。自分を見つけることが出来たなら、まずは捨てることからはじめましょう。そして、その想いをさせてくれた人に言いましょう。「お陰で自分探しが出来ました」
2004.11.08
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「人は学ばなければならないことを教える」 (ヘレン・シュクマン「奇跡のコース」)
2004.11.05
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知らなくても良いことはたくさんある。どちらかといえば、知らないほうが良かったことの方が多い気もする。それでも人は知りたがる。知るにはそれなりの覚悟が必要だ。まだ、知らないということは、覚悟が必要だということも知らない。新しい知識は古い知識につながり、古い知識も新しい知識になる。だから、「1つ知る」ということは「多くを知る」ということになる。多くを知れば、多くの覚悟が必要になる。しかし、まだ、1つも知らないわけだから、多くの覚悟が必要だということも知らない。1つを知り、多くの新しい知識が生まれない場合は、その1つの知識を理解していないことなのである。そうなると、必要な覚悟をすることさえできない。知ることの目的は、覚悟を知ることでもある。知らないことが多い割に、そんな覚悟はないわけだから、知るということは辛いのだ。
2004.10.24
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昔、インドに若者がいた。彼は数学を勉強した事がなかった。にもかかわらず、有名な数学者でさえ出せなかった方程式の答えを幾つも解いてみせた。解いたのは良いが、彼は公式を書かなかった。公式はなく、答えだけを書くのだった。数学者はその答えを元に公式を当てはめ、答えが正しいことを理解した。愛にも方程式があるようだが、公式は必要ない。答えは愛なのだ。**********100************1つの言葉には100の意味がある。100とは実際の数としての100であり、象徴としての100であり、100以上という事であって、統一すれば1ということである。詳細に数としてわけるならば、1であり、2であり3であり4である。実際に数として表現するならば、1でなく、2でなく3でなく4でない。100でなく、100以上でなく、100以下でない。実在でもなく、象徴でもなく、言葉そのものでもない。************言葉を噛み砕き、シャーレに流し込み、観察し、分析し、最良な物を選び抜く。それは、言葉であるとは限らない。無言と言う言葉かもしれない。無言にも100の意味がある。「沈黙は金」という言葉がある。言葉通りに金の価値がある。沈黙を守る人が金に値するのではなく、沈黙を守る人にとって金の価値があるということ。沈黙は言葉に100の意味を与える。100の意味を理解できれば、人は優しくなれる。
2004.10.20
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コップの水を飲む。水は水蒸気になり空へ帰る。また雨になり海へとそそぐ。日本海の海と太平洋の海は違う。地中海と大西洋の海も違う。ところが海はつながっている。それは空気にもいえる事。ハワイの空気と喫煙ルームの空気沖縄の空気と北海道の空気窓を閉めても空気には変わりがない。変わりはないが、僕の部屋の空気はたばこ臭い。君の部屋の空気はいい香りがするだろう。部屋の空気は自分だけの空気ではない。独り占めできるわけもない。自分の呼吸する分しか吸い込む事はできない。それもまた、吐かなければならない。「魂」もそんなものらしい。
2004.10.19
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「言葉は軽薄である」「言葉って重く深い」それが言葉なのだと思う。「深い」という言葉は、とても浅い。限りなく浅いのだ。「浅い」という言葉は「宏い」と感じる。遠浅の海のようだ。「宏い」とは、宇宙を意味する。宇宙は真空であるが、ゆえに軽く、軽やかである。軽やかに振舞うには、長い経験と深い理解が必要不可欠である。長い経験とは、今一瞬のことである。瞬間の理解は長い経験に勝る。古い知識は長い経験とは違うもので、古い知識は長い体験を強いる。強いれば強いられ、言葉は重く閉ざす。言葉は重いと無言になる。無言は軽薄である。無言は言葉である。
2004.10.18
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宇宙には4つの物理法則があるらしい。重力と電磁気力と強い力と弱い力この4つの力が宇宙の全てなのだ。重力と電磁気力は聞き慣れているが、強い力・弱い力というのはあまり聞かない。強い力というのは原子核を繋ぐ力で、原子爆弾や核反応の力弱い力というのは、中性子が崩壊し陽子と電子、ニュートリノになるときの力だということだ。(弱い力・・・よく解らない。)物理化学の研究では、この4つの力を統合することが最終目的であるらしい。4つの力をまとめていくごとに、統一理論・大統一理論・超大統一理論!と、名前がついていく。(最後は凄いことになってるなァ…)量子力学の世界ではなくとも、世の中の力?を3つ、または4つ、5つと当て嵌めることができる。時間・空間・距離だったり、+速度だったり。魂・精神・肉体・思考・感情とでも云おうか…男と女と鍋と釜くうねるあそぶ+仕事?呑む打つ買う+落ちる???まぁ、諸々を超大統一してみれば、「愛」だということになるのだけれど、やはりその過程というか、方程式が必要なのだ!いわゆる「愛の方程式」・・・なんかベタなタイトルではあるが。物理学なら数式のみでよいけれど、「愛の方程式」なら、とりあえず体験しなきゃァネ…
2004.10.14
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************平等というのは機会の平等であって、事実上の平等ではない。事実上の平等は決して達成されないだろうし、それでよい。原始的な社会の一番の特徴は、自分たちが進歩していると思っていること原始的な意識の一番の特徴は、当人は悟っているつもりでいること************最低な人間像を思い浮かべる。不平・不満・愚痴・悪口・嘘吐き・不誠実・・・人を傷つけ、騙し、犯し、逃げる身近な誰かを思い出すかもしれない。そんな最低なヤツが、人として人間としてレベルアップしたとする。経済的に成功したとする。至福を感じているとする。あなたはどう感じるだろうか?「世の中は不公平だ」と思うことだろう。ごもっともである。世の中は平等にはできてはいない。だとすれば、あなたは叫ぶだろう。吼えるだろう。あいつは人として認められるべきではない!と噛みつくだろう。しかし、それはあなたのやるべき事ではない。憧れと嫉妬は別物である。人を基準に自己顕示欲を満たす事はやめよう。正義と悪の基準を人に押し付けるものではない。自分の人生を生きよう!
2004.10.11
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前日記「アートの後に」は全肯定的な、何でもありの世界であるので、あくまでも「あーとねいちゃ論」であり誤魔化しである。誤魔化しが悪いわけではないが、「すべてアート・アートは愛」もなっとくの要素の1つとしてココはひとつ置いといて・・・考察の整理として「あえて」今日の日記に挑むのである。漠然とした答えほど答えにナット欄のであり、それは考えるためのアートという言葉であり、何でもありであれば言葉など必要ないのだ。ぎこちなくも言葉を使う我ら?であるからこそ、言葉遊びができるのであり、レベルの低い「言葉」しか使えない人類の永遠のテーマである。ならば、如何様にアートとアートで無い物を分類するかといえば、やはり消去法しかないのかな?わかりやすい所で言えば・・・ウケねらい・奇を衒ったものはアートであると言えない。理解されないのはおかしいと思うことも同義である。それらは純粋ではないからだ。また、古さから来る郷愁などもアートではない。懐かしいアートなどあってたまるか!自然の造形、当然これはアートである。しかし、これを範疇に入れてしまえば取り止めのないものになってしまう。あえてココでは除外する。有名調理師の創る料理なども「食」が前提にあるということで除外。究極の芸術とされる建築も、暴挙ではあるが除外。前記をもって遂行すれば、全ての主義主張は該当するものではなくなってしまうかな?自然主義浪漫主義懐古主義点描主義造形主義写実主義超越主義新流主義etc…当然、アンチ・アートである「ダダ」など問題外である。傲慢自己満自信満万、すべて排除したときに出てくるものとはなんだろう?全てがアートで、全てがアートで無くなったとき、それは「無」であるか、「虚」であるか?宇宙に広がる真空でさえ、じつは「無」ではないらしい。そこには分子を構成する原子の片割れ「電子」が密集している。電子は4つの粒子のいずれから構成されている。粒子は互いに引き合い、衝突・分離をくりかえし、波となり粒となり消える。実際は消えるのではなく「虚数」になるのだ。そして、無理矢理にアートに当てはめてみるならば、「虚」を表現したものがアートであるのではないか?ここで除外してきた物は「言葉」であり実体ではない。実体とは「虚」ではなく、「実」「有」である。「実・有」はそのうちに壊れ、腐れ、分割され、「無」となりどこまでも分割され、分子のレベルになってまでも分割され、いずれ「虚」となる。そこではじめて「アート」になるのだ。結論:アートとは記憶である。そして、記憶を支えるものこそ愛であり、記憶は愛であると言える。(※言葉遊びです)
2004.10.09
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引き続きアートについて書いていますが、初書きこみをしてくださいました中川佐三郎さんが面白いコメントを残されました。「そこらへんのおばちゃんに聞くと面白い答え~」まさにそうでした。アートの定義は人それぞれに異なり、我が娘の落書きがアート以外の何物でもないと思えるとき、個人個人に感動を呼び起こすものがアートであり、その感動とはときには涙を誘い・笑いを誘い・怒りを誘い・生きる喜びを集約した、人生の縮図であるがごとく、物語のようにどこまでも深く、素直に愛であると恥ずかしげもなく言える触媒であると思うのだ。いかに浅く、短く、軽いアートであろうとも、人が存在するゆえにアートは存在し得るのである。
2004.10.05
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アートとグラフィックの差とは如何なるものかと、ある話題からウスラボンヤリと考えるのでありました。職人技であるグラ(グラフィック)の頂点たる呼称がアルチザンアートの語源でもある。その点で言えばオリジナル性の高いグラはアートと呼んでも支障はないのだが、オリジナルの模倣はアートではないというのも無理がある。あくまでも純粋に「アートについて」であって、アーチストを指すものではない。ほぼ素人の拙が定義するまでもなく、資料を探しさえすれば専門家の意見が読めるのであろうが…おっと、こんな壁に突き当たっては逝けないのだ…ココで、ひとつ判断基準を観察者レベルで語るならば、個人の体験により感動のギャップというものがあれば、それは不偏ではないのであるから絶対的であるとは言えまい。先入観でアートとするのもおかしな話ではある。また、個人の理解度によってもその差は現れる。こころの琴線というものがあるとするならば、それは和音を奏でているのだろうか?和音と単音、音の奥行き・表現レベルは歴然である。それでもあえて、個人差はあったとしても人とは一定の法則に基づき感動する。それが、すべてOKでよろしいか?・・・やはり、感情を抜きにして呼びかけてくるものをアートと呼ぶべきか?とりあえず、続く!にしよう・・・
2004.10.04
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理想について考えてみる。例えば、子供のころに想う理想の大人の像を思い出してみる。パーフェクトな大人像があったはずである。ここでは「完全完璧な人間などいない」という一般論は存在しない。ストイックなまでに絞り込むのだ。あくまでも理想であるので現実とのギャップは考えない。理想の大人になるべく行動をしようとおもう。運の良いことに自分には祖父という手本があった。自分の中の「内なる子供」は自分の事を観察している。
2004.09.28
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れんげ草で作った首飾り四つ葉のクローバーはお守りだったわけもなく手をつなげた水しぶきを上げて川を渉ったシャツの下はこんがりとやけた肌太陽がいつも友達だった空を仰いでこんな素直な気持ちでいられるのは愛する人たちがいたから今、二人がこうしていられるのは太陽になるときが来たからどんなときも離れないでいようって森を抜けて風を追いかけたオレンジ色の帰り道星を見つめていつか自然に涙が流れたなら信じてきたものがあるんだ今僕らが優しくなれるなら太陽になれる日が来たんだいつか自然に涙が流れたなら信じてきたものがあるんだ今、僕らが優しくなれるなら太陽になれるときが来たんだ**********玉置浩司の曲、題名はわからない…曲を聴きながらキーボードを打ってみた。テンポのゆるい曲なので、何とか曲に間に合う感じ。ケッコウ、面白かったりして。ついでにコード譜もつけてみようかな…
2004.09.22
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人は、自分が何者であるかを思い出すために、それだけのために生まれてきたのだと言う。そのことを確認するために感情があり、嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり、泣いたり、喜んだりする。誰のものでもなく、自分だけの感情なのだ。感情をひた隠しにするものでもない。悲しみを知っているから喜びが理解できるのであって、多くの苦労を知っている者のみ、多くの幸せが理解できる。当たり前のようなこの事実も、奥行きがあることを知っておかなければならない。まだ、30年とちょっとしか体験していないのだから。そして、体験したことは2度と忘れてはならない。
2004.09.16
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恋愛とは商行為だ。少なくとも結婚という取引をする現代人にとっては。たいていの人は間違った理由から恋愛に走る。寂しさから逃れるため心の隙間を埋めるため生活の安定のため中には、過去を忘れるためというものもある。こうした要求は満たされるはずが無い。「愛しています」と言う前に「あなたと取引をしたい」というべきだ。・・・・と、誰がそんないってるんだ?
2004.09.15
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今、目の前で起きていることは現実で無いとする。早い話、今はすでに過去であり、本物の今は光となって目前にある。まだ、目の中に入ってきていないということだ。その今でさえ、瞬間に過去となり残像だけが脳に残るのだ。例えて言えば、空の星の光が何年も掛けて目に飛び込んでくる。その光は過去であり、本当の星の姿ではない。目に入る光はパルス信号となり脳に届く。脳は勝手な判断で像を結合する。その「像」が本当に物体そのものであるとは誰にもわからない。もしかすると、あなただけ人とは違う「像」を見ているのかもしれない。見ていると言う表現も実は適切でなく、脳が作り出すイメージを「見ている」と思いこんでいるだけである。よって、世の中の現象すべてはイメージであり、想像なのだ。想像とは精神の機能であり、時間という幻想に縛られるものではないはずだ。イメージしよう。
2004.09.12
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「ゆうのん♪」さんの日記を読んでいたら、4葉クローバーの作り方を書き込みされている方がいた。読んで見ると「春先、若葉のうちに傷をつける」と言うことだった。なるほど~~傷のつかなかったクローバーは3葉傷のついたクローバーは4葉植物本来の目的の1つに「光合成」があるのだが、葉の数の多いほうが光合成も盛んなのだろう。おもわず、人間にも同じことが言えるのだろう…と自然の摂理を感じずには居れなかった。そのことを考えてみれば、クローバーを傷つけた原因(人)は、クローバー(または人)の成長に必要不可欠な者なのであり、大切な存在だと言える。その場で感謝はできないにしても、必ず自分自身の実になるのだ。「苦痛・困難は幸せへの近道」と言われるように、クローバーのような態度で接していかなければとおもう。それ以前に、腐り、立ち枯れることのないように!******ゆうのん♪へ事後報告・・・日記、パクらせてもらいました。
2004.09.09
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人はある年齢に達すると「常識」という言葉に縛られるようになる。他人から、「そんなこと常識だ」などと言われると、「常識は時代により変化するし、不変のものなど無いわけだから常識を振りかざすことは非常識だ」などとノタマウ。自由意思を持っているように見えるが実のところ、この手の輩が最も石頭で不自由なのだ。そして、そのような輩が次に吐く言葉は、「自由には責任がついており、責任を負うことができる者のみ、自由を行使できる」などと、イカニモな定説を雄弁に語りだす。「自由を語るな!不自由な顔で!」世の中の矛盾、全てが常識であり自由なのだ。非常識なことなど何も無く、不自由なものなど何も無い。石頭で不自由なシンシア70の弁であった。
2004.09.06
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親だから子を育てなくてはいけないという決まりは無い。そんなことを聞けば、普通は「育児放棄・親失格」などと思われてしまうだろう。そう考えるのは、子供の部分の自分なのである。独立した人間として親を想うとき、親とは偶然という必然の中で親という立場を取らされているに過ぎない。あなたが親の子であれば、何かの縁があって親子としてめぐり合っただけであり、お互いに何も責任は無いのだ。ただ単純に「自分が生んだ」ということのみで「育てなければならない」という一つの強迫観念に過ぎない。それ以上にシアワセを感じているので、負わされた義務を責任として無条件に受け入れられているのである。そのことを当たり前だと錯覚しているといっても良い。そのときあなたは、親の無知たる愛をどのように受け止められるであろうか。あなたはあなたを演じ、あなたの親はあなたの親を演じさせられているのである。誰のためでもなく、あなたのために。************ちょっと逆説的ではあるが、上の考え方により「育ててもらうことが当たり前」でないことが理解できるのである。親への感謝の1つの方法である。ある意味、感謝とは強制しなければならない。
2004.09.05
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「人の心の寂しさ、つらさ、痛みについて日頃どれだけ考えてあげているだろうか。」取引先である社長の息子は,年のころは24~5歳どうやら父親をあまり尊敬していないようだ。エクセルでの書類の不備で、社長の自宅まで伺った。息子は社長である父親にそっけない態度を取り、父親は息子の顔色をうかがう。父は息子にお茶を出し、息子は一蹴する。何が息子をそうさせるのか、原因は親にあるにしても、取り返しのつかない関係にお互い辛いはずである。馴れ合いとはいい難い生活を続けるには寂しすぎる。息子は大変に頭が良いようで√式を暗算でこなす。しかし、それは彼の実力であるにしろ、ある意味、遺伝であり家庭環境なのである。彼の努力もさることながら、親の能力であり家系の底力なのだ。人の良し悪しは頭の良さでは決まらないように、彼はやせっぽちである。骨格を維持する筋肉を着けなければ。背筋を伸ばし、親の姿を見ることをすすめる。帰りの車の中でそう思った。死んだ祖父が好きだった言葉「たくましくあれ」
2004.09.02
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九州に上陸したはずである台風の影響はさほどなく、空は曇っていたものの雨は降っていなかった。その日の夕方、ふと、外を見ると空一面が真っ赤に染まっていた。そして、まるで目がおかしくなったかのような、見るもの全て、薄い赤なのだ。黄色や、青の要素など微塵もない。可視光線の波長の違いによって現れる現象であるのだが、手で払いたくても払えない赤色に軽いストレスを感じてしまった。赤色以外の残像を探すのだが、まさしく、他の色は消えてしまったのだ。そして、世の中には、色は存在しないのだ…と思う。色とは、ただの可視光線であり、光なのだ。物体そのものではない。物体とは、ただ、光を反射しているのみであり、物体のモノではないのだ。その光を物体そのものだと勘違いしているだけである。赤いりんごなど存在しない。光が赤いだけだ。絵の具の赤も、赤ではない。赤を反射しているだけだ。そして、光には実体がない。質量もなければ体積もない。よって、このHPも実体のないものである。存在していながら、存在していない。あなたは幻想を見ている。
2004.08.30
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彼女はポケベルを持っていたがこちらのコールに返事が無い。彼女の店に電話をした。「**ちゃんなら、3日前に辞めたよ~。え、聞いてない?」そのまま半年が過ぎる。新しい女の子と付き合っても、三ヶ月もたなくなった。*******************消息が経ってから半年ぶりに、彼女から電話がかかってきた。憶えてる~?なんて言うもんだから、昨日までね~。と答えておいた。久しぶりに居酒屋へ行く約束をし、電話を切った。会ってみると、ちょっと痩せていて、ちょっと派手になっていた。どこにいたのか聞いてみると、友達と名古屋へ行ってたらしい…「名古屋が終わったのなら、オレと組もうか!」ふざけてた。。。彼女は、「また、いつ行くかわからないけど。」と、条件をつけた。こちらも返事はせずに、フザケタ話に終始した。翌日、彼女の家に電話をかけた。大事な話があるので、会いたいことを伝えた。待ち合わせ場所に、彼女はやって来なかった。
2004.08.29
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恋から始まる恋愛は、あまり経験が無い。何は無くとも恋愛は、途切れることなく存在したが、こちらから先に「惚れ」ることは無かった。思い返せば、釣れないタイプに惹かれることが多く、そのくせフザケたラブコールを送るのだ。釣れるはずが無いのである。ある日、会社の忘年会でスナックを梯子した。ラベ*ダーという名前の店に彼女は居た。花開かなかったアイドルに似た彼女をターゲットにしてデーツに誘う。あえなく玉砕・・・当時、クロ服をバイトにしていたので、結構、頻繁に通い、電話番号を聞き出した。そのうちにデ-ツもしてくれるようになり、人から見れば仲の好いカップルのように見えるとも言われた。*********かなり親しくもなったけど、ある日彼女は、突然に姿を消す。☆つづく☆
2004.08.26
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実写版があるらしい。TVで紹介されていたそうだ。見たかったな・・・アニメは、最後、ネロの死んでしまうシーンで終わるが、実写版は死なないみたい。ハリウッドなので、ハッピーエンドで終わらせたそうだ・・・ああ、なぜに死なせてあげないのだ…みんな、アニメ版は、ネロが可愛そうだというが、反対だ。ネロは幸せに死んだのだ。現に、天使が迎えに来て、ネロも笑っていたではないか。そこがわからなければ、あのアニメの半分も理解していないことになる。死なせろ、死なせろ!死なせてあげろ~~~*********僕らはがんばって生きるのだ・・・
2004.08.22
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「人を殺すことは、悪いこととされているが、「死」と呼ぶものが人間にとって最高の出来事だとしたら、人を殺すということは「悪」ではない。」という考え方がある。人は死の瞬間、かつて味わったことのない自由、平安、喜び、最大の愛を感じるという。かつて、何百万と人を殺したヒトラーは天国へ行ったらしい。なぜなら、地獄というものは存在しないから。悪も善も存在するものでなく、すべて現象であると思えるようになると幸せなのではないか?*************ワールドオーダー300人委員会というユダヤ人の会がある。国連・王族・CIA/モサドを操り、フリーメーソン・宗教団体・テロ組織・世界企業すべてを傘下に入れる支配者である。いうなれば、善と悪を手玉に取っているのだ。金融を操り、物価をコントロールし、当時のドイツ経済を破綻させた張本人である。そのこともあり、ドイツ人は金融を牛耳るユダヤ人を恨んでいた。その300人委員会は、今後訪れる環境問題・人口爆発などを危惧し、世界の人口を1/5以下に減らす計画を立てていた。実行前夜、ヒトラーはその情報を察知し、ユダヤ人虐殺を実行した。ヒトラーの実行がなければ、そのとき世界の人口はユダヤ人とゴイムと呼ばれる奴隷(他民族)だけになっていた可能性がある。嘘か本当かなんてわからない。事実は二次大戦で多くの人間が死に、いまだ戦争は終わらず、黒人解放運動で純潔白人の数は減り、ユダヤ傘下の企業の売り出す商品(科学薬品・日用品)で人は病気になる。そして、酒と風俗と映画で奈落のそこまで落ちて行く・・・・・・というお話しでした。
2004.08.19
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今日は今日とて日記がすすまぬ。それはなぜかと考えてみれば、独り言であるはずの日記が、いつのまにやら訪問していただく方々へのメッセージとなってしまっている。そこまでの気概はないものの・・・そしてやはり読んでもらうことを期待しているのだ。あらためて確認してみれば、「自分に向けて日記を書く」がテーマであった。そして、制約は何もない。**************余計なことは考えるな!*シンプル イズ ナチュラル*認識:誠実:責任*「何かをしよう」とすることをやめよう。すぐしなさい。*もらうことより、与えることをしなさい。なぜなら、持っていなければ与えることはできないから。*他人のルールの従っていては成長はない。*自分にとって何が最善であるかを考えていると選択が慎重になる。すると、いつまでも決断ができないまま期待という海に向かって船出することとなる。気をつけないとあなたは期待の海で溺れてしまう。**********感謝感謝
2004.08.18
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夜目夜目と方々繰り歩けば吾が踏みそめし跡跡におのずからなる電子の路知れる人無くありやなしやと問いたもうこと声にならずけふもおわらんと独り想へば
2004.08.16
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兎は涙を流さないけど泣いている兎は声を出さないけど泣いている兎は騙されたわけじゃないけれど兎は騙されていたほうが幸せだと思った憂いのなかに優しさを探していた穏やかで楽しい日常を望んでいたそれでも、白い兎は傷ついていた黒い兎がやってきて声をかける「傷ついているようだけど心配することはない」「白い兎が居るから、黒い兎が居るんだ」「白い兎が居なければ、黒い兎は居ない」どういう意味なのかと兎は尋ねた黒い兎は言った「世の中の全ての意味は、君が白い兎であることを確認する機会に過ぎない。」「白い皮をはがされ、海水を刷りこまれようとも、君が白い兎であることに変わりはない。」「すぐに白い毛も生えてくる。」黒い兎が消えてすぐ、大黒主のみことが通りかかり言いました。「真水でその身を洗い、蒲の穂をつけなさい。」・・・・・・・因幡の白兎??
2004.08.14
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あるページの日記を消してしまったが、本当は、日記は読み返すことに意味がある。それは、書いているときには気が付かないことが書いているから。気が付かないということは、頭に血が上っている場合か、自分でない誰かに書かされている時であると思う。ちょっと、あちら系の話しではあるが、それはご自身の過去日記を読見返してみるとわかると思う。解らないときは、まだ頭に血が上っているのだと思えば良い。頭を冷やそう!************また、読み返すことで過去の記憶がよみがえる。それを繰り返すことで、記憶力が活性化される。思い出すことが増えるのだ。大切なことを思い出そう!思い出したらご一報を
2004.08.13
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もうすぐ、お盆休みです。涼しげな顔で過ごしましょう。************チャット部屋をつけてみました。パスワードは「447256」です。タイミング良く、出会えることを期待しています。
2004.08.12
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人の心が読めたと思う人間の傲慢果てしなく続く心理分析と裏さがし万有引力は心境にも影響を与えるもの自分程度と気が付くのが手遅れにならぬよう祈る**********「本を読むな」と言われたことがある本に振り回されるのはおまえだろ!と思ったが、振り回されなければ本を読んだ意味はない。興味をもち、読んだものなら影響を受けるのは当然だ漫画でさえ人に影響を与えることができるが、「漫画」として読めばそこから何も学べないのと同じだ振り回されることが悪いことではない振り回され疲れるなら、止めろと言うことだそれが本を書いた人のためである
2004.08.11
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猫がなくにゃーとなくわんとなくもーとなくそれは犬であるそれは牛である彼女がわらううふふとわらうがくがくわらうにゃーとわらうそれは膝であるそれは猫であるそれは笑い話しではないそれは例え話ではないそれは創り話ではい君の想う猫と僕の想う猫は違う勝手な判断はやめようと思う
2004.08.09
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慣れていない仕事をやると時間がかかるもの。一時間で終わる所が段取りの悪さと行程の取り違いで半日費やしてしまった。もともと,器用ではないのだから仕方ありません。今日のようなミスの連発は何年振りだろうか。失敗をしなければ憶えない性格のようだ。とほほのほ・・・まぁ、とりあえず納品完了。********日本よろず屋ネットワークについて考えていた。なにしろ、仕事が発生している以上、今の事業とは別経理にしなければならない・・・のが、面倒なのだ。独立した集合体にしようと思ったが、とりあえずは今の事業(本業)の傘下に入れようかと思う。経理をまとめても、税金には、あまり影響がないようだ。ていうのも寂しい話しであるが・・・そして、今の事務所を法人化し、市町村の仕事を受け入れやすくしようとおもう。応援よろしくお願いします。ありがとう!
2004.08.08
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世の中には献身と犠牲の精神を概ね美談とする傾向があり、事実か否かの確認も無いままに物語の中だけの道徳心を賛美し、同調し、仮想の中でのみ満足を得て時間の経過とともに忘れ去ってしまう。そして流行のテレビドラマのように何度も刷り込まれ、気が付けば言葉尻のみの口先案内人となり、人間的成長を遂げたかのような気になっている。結局は、社会性のあるものや倫理道徳的主観を前面に押し出すことで、偽善的スタンスを持って保身するエゴをバックボーンに持ちたいのである。実際の生活の中で人間の基本的な欲求というものは、自己犠牲の精神と相反するポジションを持つものであって、苦痛・苦行はできれば避けてとおりたい凡人の我われが釈迦キリストではないように、欲をむさぼり食い散らかし、そのことを幸せというのならば阿鼻叫喚の中で落ちていくだけなのだ。
2004.08.07
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幸せを感じる瞬間として、「食べる悦び」を挙げることができる。50年前の日本なら、必要最低限の体を維持できる範囲の食事ができれば幸せだったのであろうが、そんな中でもより良い食生活を求めた先人の努力があってからこその今があるのだと感謝の念に絶えないのである。要するに今あるよりも、「よりよいもの」を探すことのみが、幸せに近づける方法であるが、絶対だの、究極といった幸福があるはずはない。幸福とは虹のようなもので、そこへ辿り着くために山を上り谷を下り、時には棘の道も歩かなければならないときもあり、決して一足飛びで超えられるようなものではなく、誰が見ようと苦痛以外のなにものでもない。(観念であり、心境ではない)フウフウノテイで辿り着いたとしても、そこに虹などは無く、水蒸気が立ち昇っている位のものだろう。そしてふと顔をあげると、遥かなたに、虹が出ており、行く手を阻むしがらみが待っているのだ。さあ、どうする?話がそれた観があるが、「食べる悦び」とは、その道程に成る木の実であったり、岩清水であったりするのではないか。留まっていては、決して手にすることはできず、行動することでしか、味わえないのである。食べる悦びというのは、「人生を食べる幸せ」の疑似体験であるからこそ快楽を伴っているのではないかと感じる。あくまでも、言葉遊びのなにものでもない。
2004.08.06
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長い付き合いだMr.K僕はうそつきだけどもう取り返しがつかないたよりにしたっていいぜ言いたいこともあろうけど君を退屈させないからこのまま付き合ってもらうよ2時間もすれば朝も来る出来ないことは何も無いと信じていた時代急ぎすぎるぐらいに答えを求めてた懐かしいけど笑えないよね言葉が途切れて寂しかったよね酔いつぶれる前に忍び足で今日もこの町をすり抜けようここまで来たぜMr.K意地っ張りだったね今朝の新聞を見たかいなにもかもが同じだよ喜びに胸を躍らせせつなさにいまを諦めもう少し付き合ってもらいたいけど考え直してみるかいこんなやり方が正しいだなんて思っちゃいない比べれば僕なんかちっぽけな生き物だけど許してもらえれば心を込めて君のワガママに礼さえいいたいよ日本はどこへ行くんだろう子どもは何を見るんだろうもう少し生きていようかMr.K「Mr.K(吉田拓郎)」
2004.08.05
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人の本性を見抜く方法がある。それは、その人の吐く言葉が、全てその人自身だということだ。善しにつけ悪しきにつけ、人は常に独り言を言っている。子供のころ・・・「馬鹿って言うやつが馬鹿!」と、人を罵ったものである。というよりも、馬鹿と言われて言い返すセリフ。これが誠に芯をついている。というよりも、真理なのだ。人の悪口を言うことは、自分のアホさ加減を公表していることと同じだ。また反対に自分の自慢話をする人がいるが、これもその人の本性・実力ではない。まず、それとは正反対の人間だと思って間違いは無い。そしてなによりも、前者も後者も自分自身のことだということを忘れてはならない。
2004.08.04
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後悔は人並みにしているとおもう。もともと口の悪い人間なので、他人をどん底に突き落とす「悪口」は得意中の得意だ。最近はその悪癖も随分と収まり、包丁を持って追いかけられるようなことも無くなった。はるさんの日記を読むと、「懺悔」について書いてあった。「己の行為が許せず苦しい思いをしている・懺悔は後悔を軽減してくれる」とのことだった。(ニュアンスは本文を確認してください)自分が許せないとは、どういうことだろうと考えたとき、人が許せないからだろうな~・・・と、ボンヤリと思った。自分自身がそうだから。おっと、仕事やっつけなきゃ・・・続く
2004.07.25
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