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現代短歌は、古典である和歌の流れをくんで、いわゆる五・七・五・七・七の形式をとっているけれど、そこに破調という要素を含んで、変化に富んだ表現を見せている。そうはいっても、この七五調というのは、日本語の座りがとてもいいので、口触りがなめらかであることも間違いない。記紀歌謡の例をあげるまでもなく、歌謡の分野との繋がりも深い。音楽としても、非常に効果的な音の並びといえよう。和歌の世界では、三十一文字が一般的だと思われがちであるが、これがけっこう破調の詩でもあることに、和歌に慣れ親しんでくると肌でわかってくる。どの分野のどれと統計を取るのは、非常に困難でそれだけで論文が書けそうなくらいの分量になりそうなので、そういう一般受けしない話題は専門家の中で暖めてもらうことにして、わかりやすい例を挙げて説明してみよう。和歌と言えば?普通、学校の古文・古典・小説などの中に出てくる程度で、たいして親しみのある分野ではないから、わかりやすい例といっても出しにくいのだが。比較的、世間に流布している和歌といえば、定家撰とされる小倉百人一首である。これを例にとって考えてみよう。五・七・五・七・七一口に簡単にいってしまうと、上の句と下の句という分類もちょっと眉唾なのだ。和歌には「句またがり」というものがあって、この五・七・五・七・七という形式にきっちり分けて読むと意味が通じないものが、これまた多くある。今回は、ただ単に音の数ということで、「句またがり」は無視し、「三十一音で収まっているか、いないか」を見てみることにする。もちろん、和歌形式の三十一音に収まっているものが大半であろうことは見えているので、収まっていない例を挙げる方が簡単である。以下にそれを挙げる。尚、表記等は適宜読みやすくし、句切れは機械的にスペースを空けている。<青字部分が破調・詠み人は略する>秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまにわたの原 八十島かけて 漕ぎ出でんと 人にはつげよ 海士の釣り船君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ立ち分かれ 稲葉の山の 峰に生ふる まつとしきかば 今帰りこむわびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はんとぞ思ふ今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかなこのたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな小倉山 峰の紅葉葉 心あらば 今一度の 行幸またなむ山里は 冬ぞ寂しさ 勝りける 人目も草も 枯れぬと思へば心あてに おらばやおらむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に 降れる白雪忍れど 色に出でにけり 我が恋は ものや思ふと 人の問ふまで風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ 砕けてものを 思ふころかな御垣守 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれめぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな寂しさに 宿を立ちいでて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ うかりける 人を初瀬の 山颪よ 激しかれとは 祈らぬものを契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめりわたの原 こぎいでてみれば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波秋風に たなびく雲の 絶え間より もれいづる月の 影のさやけさ長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ夜もすがら ものを思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけりわが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は以上二十八首(ざっと書いてみたので、抜けている歌もあるかもしれません)。つまり28%も字余りである。だいたい四分の一が字余りであるということは、和歌=三十一文字ともいいきれないのではなかろうか。
2006.03.05
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「去年、人に教えてもろて、年越しの晩に『ヨバシ麦』売ったらエエちゅうんで、やったん」「ああ、年越しはどこの家でも皆ヨバシ麦を入れてご飯を炊くさかいな」「それで、一升の麦をヨバシて、年越しのヨバシ麦~♪ちゅうて売ったら四倍ほどになったん。こらエエわとその金で、次の日もまた一晩かけてヨバシた麦を年越しのヨバシ麦~♪ちゅうて売りに回ったら、みんなもういらん。ゆうて売れへんねん。」「そらそや、次の日には売れるかい。」(中略)「そやさかい三升の麦、もちになってしもうて、捨てるのもったいないし、それからしばらく麦ばっかり喰てて、屁が出て……」年末に体調不良でblogをお休みしていたのですが、実はこのお噺を取り上げたかったんです。これは上方落語の中にある『厄払い』という演目の中の一節。厄払いというのは、一年の終わり大晦日に、その一年の厄をはらって新年に備えるという民間の行事みたいなモノでした。つまり大晦日のツキモノ、『あかしろ歌合戦』や『某格闘技』みたいなもので、皆がこぞって厄を払いました。現在この風習が残っている地域があるのかどうかは知りませんが、pgが生きている間の何年間は、全く見たことがないので、失せてしまった風習なのでしょうか。それより、この厄払いをする男が失敗したという「年越しのヨバシ麦売り」の方が謎です。この料理も同じく、pgは全く見たことがないし、聞いたこともないです。昔、節分と年越しが重なっていた時代、大晦日の晩ご飯は「ヨバシ麦」ご飯と、赤鰯を食べる風習があったようです。赤鰯の目に柊を刺す。これは今もありますよね。節分の時に鰯を食べる風習。現在ではなぜか巻きずしを恵方に向かって食べる、なんてバージョンもありますが。さて、この落語が何の抵抗もなく受け入れられていた時代。大晦日には「年越しのヨバシ麦」をご飯に混ぜて、赤鰯に柊を刺したものを食し、その夜に厄払いと称する人が街を「厄払いまひょ、めでたいのんで払いまひょ」と良いながらブラブラ歩いて、家々からお声がかかるのを待っていたという時代のお噺です。厄払いというのは、家の門口に立って、その家の中の厄を面白い口上で払ってしまう、という芸能です。専門にやっている人もいるのですが、「今年一年何も良いことがなかった」人がゲン担ぎで回ることもあったラシイ。いわゆる素人の参入もオッケーだったわけです。小遣いにも困っている主人公の男に、兄貴分は厄払いをしたら、ちょっとしたご祝儀がもらえるので、それを小遣いにしたらどうだ?と声をかけられます。それが、上の会話の発端です。このお噺では、その男が子どもでも知っているという有名な厄払いの口上を知らない、という部分が始めに出てきます。つまり、大晦日の恒例行事なので、子どもでもその口上を自然と覚えてしまうらしく、「100人いたら99人までが知っている」とまでいわれる厄払いの口上を、この主人公の男は知りません。で、世話焼きの兄貴分に教えてもらう。でも、主人公の男は覚えもせずに、家で大きな祝儀入れ(がめついですね)を作るのに必死で、夜更けてしいます。気の利いた厄払いなら、もう家に帰って寝てしまうくらいの時間になって、やっと兄貴分のところにやってきますが、当然もう他の厄払いに厄を払わせてしまっていて、使い物になりません。その後、イロイロあって、まだ厄払いを済ませていなかった一軒の商家で、覚えてもいない厄払いの口上を書いたモノを見ながら、つっかえつっかえ払う、という滑稽噺です。面白味があるのは、厄払いをするところに至るまでの経緯であって、聞かせ所もそのあたりにあります。大ネタではなく、割合とこじんまりとした小品で軽めに仕上がっている演目です。さて、厄払いの口上というのは、めでたいモノづくしになっています。今では全くわからないモノも入っていますが、所々はおめでたさがほのかにします。その実態は……あぁら、めでたやな、めでたやな。めでたいのンで払おうなら、鶴は千年亀は万年、浦島太郎は八千歳、東方朔(とうぼうさく)は九千歳、三浦の大助百六つ。かかるめでたき折からに、いかなる悪魔がこようともこの厄払いがひっとらえ、西の海へさらり。厄払いまひょ。これが、年越しの厄払いの口上(スタンダードバージョン)です。他にもいろんなパターンがあったようですが、それは割愛。確かに面白く、めでたいモノづくしです。節分に、鬼には外~とマメを投げる時に、ちょっと唱えてみても良いんじゃないか?と思えるような、縁起モノですね。
2005.01.12
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