バックマンの思考と試行

バックマンの思考と試行

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ハク1980

ハク1980

コメント新着

実践哲学者 倉本圭造 @ 生きてるかなあ。 希望を失わないようにね。
バックマン@ 続き 漫画にある「何かを背負った者同士の戦い…
バックマン@ あっと こんにちは、本物のバックマンです。 …
実践哲学者 倉本圭造 @ なんつーか。 なんとかしてあげたいけど、他人になんと…
実践哲学者 倉本圭造 @ ふーむ。 今ひさびさに発見したんだけど・・・・ま…

フリーページ

2006年05月06日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
また今日も同じ様なことを書くことになると思いますが、改めて実感したんで書いちゃいます。

僕は小さい頃から、いてもいなくてもいいようなどうでもいい、もしくは害を与えているような存在で、生きていることが苦痛だったんだけれども

それは必要とされてないと感じていたからだと思う。

そりゃ、俺の息子だから必要とか、みんなと仲良くしなきゃいけないから必要とか、労働力として必要とか、色々あるわけだけど、僕のパーソナルな部分が必要とされているということはあまりなかった。

僕もパーソナルな部分を表現してこなかった、というか言っちゃいけないような気がしていたし、そういうことは世の中からズレていて、そんなことを感じる自分がダメなような気がしていた。

そしてなんだか自分がよく分からなくなっていったような気がする。

自分が何を思っているのか分からない、言われてきた身の程に合わせながら苦しんでいた。

生きている理由に悩んだりもした、でもいつも風化していった、苦しいんだけどなんとなく生きてこれた

「誰かが僕のパーソナルな部分を本当に必要」であったならばそれだけで生きていける理由になる。



だからこそ、自分のパーソナルな部分を表現しないといけない、それは受け入れられないかも知れない、だからといって人当たりのいい自分を演じ続けても、それは自分じゃない。

自分の個人の思いを表現し、自分であり続け、それが周りに必要とされる。

それが僕の理想でもある。

僕は人に対して必要なんだということ感じていてもは言わなかったし、素振りも見せないようにしていた。

その人が僕を必要としてくれなかったら凄く傷つくし、僕が他人から必要とされているとは思えるだけの自身が無かった

多分僕のその態度が多くの人を傷つけてきたんだと思う。

個人として生きていくには、他人の隠された欲求を埋めていくだけの演技力が必要でそこで僕の存在は許されるのかもしれない

演技、難しい















お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年05月06日 17時08分01秒
コメント(1) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


ハルジオン  
バックマンさん過去のブログで、「ハルジオン」に心打たれてるって書いてましたよね。

あの歌って「僕には僕が必要」って歌なんじゃないかなって思うんだよね、確かに誰かに必要とされなくて、僕のパーソナルな部分は枯れそうになってしまったのかもしれないけど、それは僕が必要なんだ!

>「誰かが僕のパーソナルな部分を本当に必要」で
>あったならばそれだけで生きていける理由になる。

僕は僕が必要だ。本当に誰かと繋がっていこうと思ったら、そこから始まるんじゃないかなって思うな。

バックマンさんのこのブログで改めてそう思わされたな。 (2006年05月06日 17時40分18秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: