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伊豆山神社から来宮神社へ。熱海から来宮までの電車の本数が意外と少ない。熱海駅9:40発の電車に乗り、9:42に来宮駅に到着。1駅なので近いです。駅から少し歩きますが、案内看板があるので迷わず到着することができました。行く歩道は人一人通れるくらいの狭さなので歩きづらかった💦道路対面から撮影しました。緑が沢山あって癒されます。入って左側に手水舎があります。そのまま進むと來宮稲荷社があります。來宮稲荷社運がいいことに誰もいなかったので、赤い鳥居をくぐって参拝。左右にはキツネさんが。口に何かを加えています。加えているものは4種類あるそうで【稲穂】五穀豊穣や豊作の象徴【巻物】知恵の象徴【玉】お稲荷さんの霊徳の象徴【鍵】お稲荷さんの霊徳を身につけようとする象徴写真をUPにしてみたけど、何を加えているのか分からず。稲荷神社に鎮座しているキツネというのは、「神の使い」という意味。神サマの言葉や意思を人間に伝える際に、こういったキツネのような動物を通訳にして疎通を図るということのようです。でもなぜキツネなのか?と調べたら以下の理由がありました。■穀物や食物を司る神サマのことを、古くから「御饌津神(みけつがみ」と呼び、それが変じて「三狐神」となったもの。 ■キツネは害獣であるネズミを駆除してくれる。だから穀物の神サマの使いとしてぴったりだった。 ■日本では古来、オオカミが神サマの使いとされてきたが、稲作の定着とともに、里近くに住むキツネのほうに愛着が湧いたから。 ちなみに、神サマの使いのキツネは、キツネ色ではなく、透明または白色だそうです。白狐(びゃっこ)とも言われています。京都伏見稲荷大社より※勧請されたものだそうです。※勧請とは 勧め 請う ことで、 至誠 の心で仏の 化導 を 請願 することだが、 転じて 仏神 を祭ることをもいう。稲荷大神はご神名を宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と称し、「ウカ」とは「貴い食物」を意味します。つまり宇迦之御魂神とは、「稲に宿る神秘的な精霊」を表し、五穀をはじめ一切の食物を司る神さま、生命の根源を司る「いのち」の根の神さまです。現在は、「五穀豊穣」、「家内安全」、「商売繁盛」、「諸願成就」の神様だそうです。右側には三峰神社があります。もしやこれは秩父にある三峰神社と関係があるのでは?と思ったらやはりありました。来宮神社のHPに「昭和初期来宮神社の境内に末社として埼玉県の三峰神社より祀られました。」って書いてありました。実は数年前に1日限定の「気」守りを貰いにバスツアーに参加したのですが、あまりの道路渋滞で三峰神社にたどり着くことが出来なかったという苦い経験が。しかもお守りは頂けたのですが郵送・・・直接お参りすることが出来ていなかったのでやっとこちらで参拝することが叶いました。第二大楠幹の中身が落雷によってほとんどなく、はりぼてのような状態になっており、幹の裏側に回り服などが触るといまだに黒く汚れてしまいます。そのような状態でも、この大楠はしっかりと生きており、青々とした葉を生い繁させています。(来宮神社HPより)忠魂碑忠魂碑の横には実弾が置かれています。お水取り竹筒から注がれる、神域に湧く神聖な御神水(ごじんすい)。初穂料を納めていただきます。お水取り 初穂料1回1,000円本殿沢山の緑に囲まれ、素敵です。そしてなんだか心が癒される・・・落ち葉で作られたハートハートではなく猪目(いのめ)と言って、古来から魔よけとして使われている日本伝統文様の一つだそうです。本殿でお参りをして、右側に行くと弁財天があります。弁財天大久保将監ゆかりの隠れたパワースポットとなっている開運出世の弁財天があります。楠への小路を通て国指定天然記念物「大楠」へ。天然記念物『大楠』日本屈指のパワースポットということをこのブログを書いていて知った私。予習しておかないと駄目ですね。●健康長寿・心願成就●幹を1周廻ると寿命が1年延命する伝説●心に願いを秘めながら1周すると願い事が叶う伝説後ろに行くと川が流れています。水の音がこれまた癒されるぅ!今回いただいた御朱印は夏詣にしてみました。手書きは「熱海」のみ。ちょっと残念な御朱印でした。
2021.06.28
今日は友人と日帰り温泉。その前に単独で御朱印巡りに行くことにしました。品川発6:26の東海道線にて熱海へ。もう1時間くらい遅めの出発が本当は良かったのですが平日でラッシュに合うのを避けるため早めの出発を。空いているだろうとは思ったけど、人の乗り降りがストレスになるのでグリーン車で急遽行くことに。平日1,000円。新幹線とそんなに変わらなくなっちゃうけどまぁ仕方ない。グリーン車はやっぱり快適。熱海には8:14到着。はやっ(笑)バスにて伊豆山神社へ。4番線乗り場「A41:熱海駅~七尾原~熱海駅」8:25に乗車 190円。乗車時間は約7分。前乗り、前から降ります。suica・PASMOも利用でき、乗車時にタッチ、降車時にもタッチします。現金も利用できますが、おつりがでないので事前に車内で両替をして払います。道は山道を登っていくので結構カーブがきついです。伊豆山神社に到着したのは8時半過ぎ。怪談は837段あるみたいなのですが、バス停からなのでそれでも急な階段がありますが、これくらいなら頑張れます。境内の案内図がありました。階段を上ると最初にあったのが祖霊社伊豆山神統会の祖霊及び家族の御霊をお祀りするお社です。足立権現社古くから足の病に悩める者、足腰弱き者、祈願いたさば神護を亨けて強足になるという信仰があるそうです。結明神社(むすぶみょうじんじゃ)御祭神 結明神(日精・月精)走湯山縁起によれば景行天皇の三十一年、日金山の大杉の中より男女二人の赤ん坊が生まれた。初島の初木神社の御祭神である初木姫が二子を引き取り育てたが、時を経ずしてたちまち成長し、一女を日精、一男を月精と号した。後に二人は夫婦となり、日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと云います。日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記され、後の人たちより結明神として仰がれ祀られたと伝られています。ご祭神は男女の縁結びを叶えてくれる神様で古くは一名恋祭りという神事があり、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたことが伝えられています。(伊豆山神社HPより抜粋)ここら辺までん来ると見晴らしが綺麗です。振り返ると階段は結構急です。伊豆山神社を調べてよく目にするのがこちらの赤白二龍。手水舎赤龍は火、白龍は水の力を掌り、二龍の力を合わせて温泉を生み出すという最強の守護神だそうです。ある意味これを見たくて来ているといってもいいかも。生で見れて感動です。境内には、ハート型や星型のおみくじを結ぶところがあります。写真を撮る用のカメラスタンドも設置されています。ハート型はこころむすびと書かれている鳥居に設置されています。頼朝・政子腰掛け石伊豆の蛭ヶ小島に配流されていた源頼朝候は、当伊豆山神社を崇敬した。当時、頼朝と政子が恋を語らったのがこの境内であり、当社で二人はむすばれ、伊豆山の神様の力により鎌倉に幕府を開き篤い崇敬を当社に寄せました。(看板より)ご自由にお座りくださいと記載があったので座ってみました(笑)向かい側には光り石があります。光り石走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山(高来神社)道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに来た光の石です。神様の愛を受けて良き事がありますように光のパワーを沢山賜って光り石にさわったり座ったりして楽しくお参りしてください。(お知らせ看板より)こちらも座らせていただきました。左右に小さいけど狛犬茅の輪近くにはくぐり方などの詳細が書かれた看板がありました。備後風土記逸文に次のような話があります。貧しい兄の蘇民将来(そみんしょうらい)と、富んだ弟の巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟が居ました。ある日、武搭神(むとうのかみ)【一説にはスサノオの命の別名】がみすぼらしい旅人の格好でこの地に訪れ、一夜の宿を求めたところ、裕福な弟はそのみすぼらしい姿を見て宿を貸すのを断りましたが、兄は貧しいながらも精一杯のもてなしをしてあげました。翌日武搭神は蘇民将来に茅の輪を作り与え腰に着けさせこう言いました。「これからこの村に疫病を振るう災いが押し寄せて来るが、お前はその茅の輪を腰に下げている限り災いに遭う事は無い。お前の誠意に報い今後もお前の子孫に至るまで守るから、災いが近づくときには茅の輪を腰に下げて『蘇民将来子孫なり』と唱えるように。」と告げて旅立ち、やがてお告げの通り災いが押し寄せて来て、巨旦将来をはじめ全ての人々は疫病に罹り(かかり)死んでしまいましたが、蘇民将来の一族だけは難を逃れたと言うことです。くぐる時の唱えことば水無月の 夏越し(なごし)の祓(はらえ)する人は 千歳の命 延ぶと云うなり蘇民将来子孫也くぐろうかな?と迷ったのですが、唱えことばを覚えられず・・・やめました💦今思えば写真撮ったのだから見ながらやればよかった・・・本殿色鮮やかな本殿。綺麗だったので近くで撮りました。昭和天皇 御手植(おてうえ)の松大正三年一月、当時皇太子であられた昭和天皇が御参拝の折、お手植えになられた松は見事な大木に成長しましたが、松くい虫の被害により残念ながら伐採されました。 しかし、後にその松の種子が奇跡的に芽を吹き今に至ります。(写真右脇にある看板より)本宮までは行かないけれど、どんな感じなのか?ということでちょっと見に行ってみました。伊豆山郷土資料館9時からなのでまだ空いておらず。横を通り過ぎると白山神社遥拝所(ようはいじょ)遥拝所とは、遠く離れた所から神仏を拝むために設けられた場所のことをいうそうです。本宮に行けない人が拝むための場所ということですね。紫陽花がまだ咲いていました。見られてラッキーです。しかも意外と綺麗に咲いてる。この道を行くと本宮です。本宮までの参拝路が!片道1時間もかかるので今回はやめました。本当は本宮まで行かないと意味がない感じがしましたが。Uターンをして本殿に戻りました。雷電社創立年代は不詳ですが、吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興し、その後暦応4年に足利氏が、慶長17年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和10年に内務省によって改築。政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が厚く、室町時代には多数の社領を有しておりました。事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など、強いご神威をお持ちの神様です。(看板より)海に見える手前の島は初島その奥に見えるのは伊豆大島と看板に書いてありました。景色がいい!癒されます。9時を過ぎたので社務所で御朱印をいただきに。階段を登ってくる途中に見たこちらが気になり買ってしまった。強運ステッカー。災いや不幸を跳ね返し持ち主を守る何事にも優れて強い力を持った強運の御守りのステッカータイプ仕事の事で悩み、緑が見たいということでこちらに来ました。神にもすがりたい気持ちだったので・・・さーて何に貼ろうかな。持ち歩くものがいいなと思って考えていますが意外と思いつかず。この階段を下ります。何回見ても急だなぁ。行きには気づかなかったけど、階段脇には綺麗な紫陽花が。階段を降りたところで気づいてしまった。小泉今日子が奉納したという鳥居を見に行くのを忘れていたことを。階段をまた登るか迷ったけど、せっかく来たのだからこの目で見たい!ということで階段の左脇の道路を歩いていくことに。これが想像以上に急で・・・階段を登った方がもしかしたら良かったかも?と後悔。道路から鳥居を取ってみたけど、遠すぎてダメ。結局登りきることに。駐車場の入り口には大きな鳥居があります。「奉納 小泉今日子」の文字が。この左脇の階段から登ったのですが、登るのもきつかったけど、下りが急すぎて駆け降りることはちょっと無理でした。9:17の熱海行きのバスに乗り、伊豆山神社を後にしました。
2021.06.28
むうやの近くに墨田区隅田公園があるのですが、その中に牛嶋神社があるので行ってみることに。前回来たときは予習をしていなかったので神社があることを知らず立ち寄りませんでした。今思えばなんてもったいないことをしてしまったのか。朝から雲行きが怪しかったのですがついにここで雨が降ってきてしまいました。行くのを躊躇しましたが、ここまで来たのだからと公園の中を突き進みました。大きな社号碑が見え、奥には鳥居が。ずっと奥にも三ツ目通り沿い東向きに大鳥居があります。東京スカイツリーの氏神様でもあります。鳥居をくぐると左側に手水舎。正面には境内があります。全国的にも珍しい※三ツ鳥居(みつとりい)。三輪鳥居(みわとりい)ともいうそうです。※1つの明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたもの。東京だと中央区ギンザコマツ西館屋上にある三輪神社と牛嶋神社のみ。★全国の三ツ鳥居の神社★三峯神社(埼玉県秩父市)和納三社神社(新潟県新潟市西蒲区)神明宮(新潟県長岡市)美和神社(長野県長野市)三輪神社(岐阜県揖斐郡揖斐川町)愛宕神社(静岡県静岡市)神神社(静岡県藤枝市)三輪神社(愛知県名古屋市中区)伊香具神社(滋賀県長浜市)今宮戎神社(大阪府大阪市浪速区)坐摩神社(大阪府大阪市中央区)大神神社(奈良県桜井市) 長浜神社(島根県出雲市)赤嵜神社(山口県山陽小野田市)白峰宮(香川県坂出市) 加麻良神社(香川県観音寺市)八幡古表神社(福岡県築上郡吉富町)宝満神宮寺(福岡県糟屋郡須恵町大字上須恵) -八天神社(佐賀県嬉野市) (ウィキペディアより)境内からはスカイツリーも見えます。こちらの神社は緑が多くて都心ということを忘れさせてくれます。御朱印は拝殿右横の授与所にて。コロナになってから書置きが多いので御朱印帳を持ち歩いていなかったのですが、そういう時に限って手書きもできると言われショック。あぁ・・・なんで持ってこなかったんだろうと後悔ですよ。こういうこともあるのだから御朱印帳は持ち歩くべきですね。
2021.06.25
2021年5月8日放送のぶらり途中下車の旅を見ていてかわいい神社を紹介していたので思い立ち行くことに。都営浅草線 押上駅から徒歩7分くらい。HPに駅からの行き方動画があるので、それを見てから行くと迷わずスムーズに行けました。◆龍の口◆清子内親王殿下のご成婚を記念し、平成17年、氏子中より奉納。◆水鉢◆平面を丸く掘り抜き貯水部とした。正面に「奉納」、左面には「安政四丁巳年九月吉日氏子中」と刻まれている。参拝したのち、境内の石でおにぎりっぽい形を選び顔を書いて置いてみた。こどもの日限定の御朱印が5月いっぱいだったのでギリギリいただきに。こどもの日限定の御朱印神社は、広くはないのであっという間に見終わってしまいます。ベンチがありますが、座って待つにはちょっと狭い・・・💦歩いていると東京スカツリーが色々なところから見えます。
2021.05.29
前回は行けなかったこちらへ。大聖院は806年、空海(弘法大師)が開いた宮島最古のお寺です。皇室との結びつきが強く、明治天皇が宮島に来られた際には大聖院に宿泊されるほどの格式の高い寺院です。行く途中に景色にはまってよく見ないとわからないくらい自然に鹿が座っていてびっくり。大聖院の入り口付近の景色。お寺の横を流れている白糸川かな。仁王門この門を通ると階段が待っています。真ん中の金の手摺のようなものは大般若経筒(六百巻)というもの。三蔵法師がインドより持ち帰った経で、さわって参れば無量の福が得られるそうです。ねがい玉ねがい玉は、願いを込め、階段の途中の御幣がつけてある手すりから壺に向かって投げます。御成門をくぐっていよいよ大聖院の中へ。門をくぐって左側に受付がありますので御朱印帳を預けて参拝に行きました。御成門からまっすぐのところにある勅願堂。大聖院の本堂とされている場所です。ここまで来て、超パワースポットの「一願大師」に行っていないという・・・これはまた宮島に行きなさいということね。ということで機会を使って再訪しないと。こちらは大聖院本坊最古の建物「大師堂」に安置されている、お願いごと一つだけを念じることによって叶えて頂ける尊いお大師さまです。あぁーーなんていうことでしょう。勉強不足って最悪だぁぁ( ノД`)シクシク…観音堂行基菩薩の御作と伝えられる十一面観世音菩薩が安置され、先祖供養等を行なっています。仏足跡(スリランカ)お釈迦様の足の裏を見てこれを敬えば、生身の仏を拝むのと同じく身体・諸願の罪障を滅するといわれている。御真言(ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク)7回唱えて仏足跡をさわりご利益をいただいて下さい。と説明にあったので頑張って7回唱えました。あなたの愚痴をお聞きします愚痴聞き地蔵なんか可愛くて撮っちゃいました。エンマ大王地獄の法廷を司る仏様です。ご利益としては、除病・息災・延寿・安産等があります。ちょと怖いけど・・・なんとなく撮影。ご利益もちょっと意外でした。帰りに御朱印をいただきました。初穂料を払ったつもりで御朱印を持ち帰ろうとしてしまい、払ったと思ったら肝心の御朱印帳を忘れそうになり・・・(;'∀')力強い字体でお気に入りです。
2020.02.10
広島城を目指して来たらたどり着いた廣島護国神社。地元プロ野球球団である広島東洋カープがキャンプ前にチームで必勝祈願に参拝する神社としても有名だそうです。全然知らなかった・・・導かれるように神社へ。広島城跡地に鎮座した400年あまり歴史のある神社。まさか神社があるとは思わず、御朱印帳は廣島から預けてしまった荷物の中に。せっかく持ってきていたのにぃ~!!まぁ、仕方ないので記入済みの御朱印を買いました。鯉城鎮座とあるので調べてみました。原爆の投下によって広島城跡に新たに造宮した廣島護国神社。その場所一帯は、昔、「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれており、さらに平安時代の法令集で地名がこのように呼ばれるまでになる前までにさかのぼると、「鯉」という字を使って呼ばれていたことから、広島城は別名「鯉城」と呼ばれていることが一説にあります。こちらから引用
2020.02.09
江の島へ行ったことはあるけれど、こちらの神社に行ったのは初めて?かもしれません。(記憶にないだけかも)とにかく階段がきつくて辛かった~エスカーなるものがあるみたいだけど、使わずに頑張りました。江島神社が日本三大弁財天だったとは知らなかったです。残り2つは・宝厳寺・竹生島神社(滋賀県 竹生島)・大願寺・厳島神社 (広島県 厳島)実は厳島には5月末に行ったので残りは滋賀県の宝厳寺・竹生島神社をもらえば完璧なんですが、難しそうです。ご祭神は、天照大神あまてらすおおみかみが須佐之男命すさのおのみことと誓約された時に生まれた神で、三姉妹の女神様です。・奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)・中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)・辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと) 御朱印は2種類いただきました。残念ながら既に書いてあるものを付与する形でしたが。令和元年限定 御即位奉祝 御印と江島神社の御朱印
2019.05.18
銭洗い弁天、駅から歩くので最近は敬遠してなかなか行かず久々です。正式名は、銭洗弁財天宇賀福神社。ここにたどり着く最後の坂道は結構きつかった!!社務所に100円奉納し、ざる、ろうそく、線香をいただきます。太いローソクの炎で火をつけて、お線香をあげて煙で邪気祓いしてからお参りします。その後、ざるの中にお金を入れて、柄杓で水かけて浄めます。洗ったお金はお守り代わりにしてお財布の中に入れたりするのですが、浄めたお金を世に出すことで金のめぐりをよくするので、すぐに使う方がいいという説もあるので今度からはそうしてみようと思いました。そして御朱印もいただきました。
2019.05.18
浜松町のこんなところにあったなんて!!とびっくり。増上寺が有名なのはしっていたけど、神社ではなくお寺ですものね。。。御朱印をもらおうと思ったのですが、書いてあるもののみということでやめました。そんなわけで東京十社めぐりの絵馬のみ購入。あとは品川神社、亀戸天神社、一度行ったけど絵馬がなくてもう一度行かなくてはいけない白山神社と根津神社。あと4つだ。あと1回で全部制覇できるか・・・な?
2019.01.26
今日は東京十社めぐりの1つ王子神社へ。JR京浜東北線で「王子駅」下車。駅員の方に聞いたので迷わず到着することができました。王子の地名の由来となっていて、中世には熊野信仰の拠点となっていた神社です。王子権現の名称で江戸名所ともなっていました。非常に高い格式を持ち、最盛期には飛鳥山も支配していました。東京の北方守護として東京十社に選ばれています。(Wikipediaより)御朱印をいただき、東京十社めぐりの絵馬を購入。このあと南北線で飯田橋へでてランチのため、神楽坂 翔山亭 黒毛和牛贅沢重専門店 神楽坂本店へ向かいます。東京十社めぐりで唯一遠い神社を制覇し、少しホッとしました。
2019.01.26
本覚寺を出て歩いていたら八雲神社の看板があったので行ってみることにしました。源義家の弟である新羅三郎義光に所縁のある厄除けで知られる神社だそうです。地元では「八雲さん」や「お天王さん」などと呼ばれ親しまれているんですって。ご朱印はないのかなぁ?と周りを散策していたら右奥に社務所がありました。人が並んでいたので分かりましたがそうじゃなかったら気付かなかったかも。一人で対応しているので知らぬ間に結構な列ができてしまった。私はそれでもタイミングよくすぐ書いてもらえたのですが、友達がなかなか戻ってこず。書いてはもらっているようなのですが、御朱印でない方を先に対応し始めてしまったようで・・・こちらも待っているわけですから「どうなんだろう?」と思いながら結構待ちましたよ。時間的にも遅くなりましたので、鎌倉でのご朱印めぐりはこちらで終了です。
2019.01.05
入口が派手ですぐ分かりました。こちらは拝観料はありませんでした。こちらのお寺は鎌倉七福神の恵比寿様です。ちょっとした休憩所があったのですが、狭そうだったので入る勇気がなくやめました(>_
2019.01.05
鶴岡八幡宮を目指し行ったのですが、半端ない行列に悩むことなくアッサリ御朱印を諦めました。それくらい凄い人でびっくりです。そして次に向かったのが宝戒寺、のつもりが妙隆寺へたどり着いてしまった(笑)。しかしこちらは七福神(じゅろうじん様)の御朱印のみしかなかったのでスルーです。そして気を取り直して向かったのが宝戒寺です。花の名所、特に萩の花で有名なお寺なんですね。拝観料は200円です。通り過ぎそうになってしまうくらい道に同化してました。えー近くに居るのにどこにあるんだろう?と横を向いて発見!みたいな(^_^;)1333年の北条氏滅亡後その霊を弔うため、後醍醐(ごだいご)天皇の命をうけた足利尊氏公によって、当時小町邸と呼ばれ北条氏歴代執権屋敷跡であるこの地に建立されました。本堂御朱印は靴を脱ぎ、こちらの本堂でいただきます。本尊の地蔵尊の御朱印
2019.01.05
けんちん汁発祥の地である建長寺へ。本当はお昼はけんちん汁のお蕎麦を食べるつもりでいたんですが、全く違うものになってしまいまいた(笑)「天下禅林(てんかぜんりん)」人材を広く天下に求め育成する禅寺との意。西の外門(北鎌倉側門)に掲げ我が国最初の※禅宗寺院で(※日本の伝統的な寺院建築の様式の一つ)鎌倉五山第一位の建長寺を象徴する語。拝観料のチケットの後ろに書いてありました。ちなみに拝観料がちょっとお高めで500円です。境内が広いのでじっくり見て回りました。拝観料を払ってすぐのところに「さざれ石」があります。この石は国歌「君が代」に歌われる〈さざれ石〉です。石灰岩が長い年月をかけ溶解し、小石を凝結してこのような形状の石となりました。という説明の札がありました。「君が代」君が代は 千代に八千代に さざれ石のいわおとなりて 苔のむすまで三門(国重要文化財)この門をくぐることによってあらゆる執着心から解き放たれることを意味しているそうです。木を組み合わせた建築の細部も見れます。ただただ圧巻。すごいですね。梵鐘(ぼんしょう)三門に向かって右側にある茅葺の鐘楼に吊るされた高さ約2mの巨大な鐘(国宝)。この鐘は、北条時頼公の発願により広く施主をつのり、開山大覚禅師(蘭渓道隆)の銘文、関東鋳物師の筆頭である物部重光によって建長7年(1255)に鋳造されました。重さは2.7t。「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」この俳句は明治28年(1895年)9月、夏目漱石によって作られました。親友の正岡子規は、この句を参考に「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」を作りました。と木札に説明が書かれていました。ビャクシンの古木仏殿建長寺の本尊・地蔵菩薩(天国から地獄に至るまで、すべての生物を救い、成仏させると誓う菩薩)を安置。北条時頼と蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の、迷いの中から救い悟りを得るという願いが込められています。方丈(龍王殿)方丈とは本来住持(じゅうじ=住職)が居住する場所です。現在は法要・坐禅・研修の場所として使われています。この建物も、総門と同じく京都・般舟三昧院より昭和15年に移築されました。建物は享保17年(1732年)の建立で、元は皇室のお位牌を安置するためのものでした。得月楼仏殿の中を見学していたら素敵なお庭がありました。「得月」とは月の景趣を十分に眺めるという意味だそうです。唐門(国重要文化財)この唐門は、桃山風向唐※破風(むかいからはふ)〈屋根の端の山形をなす所が、反曲した曲線状になっている破風〉で漆塗りの四脚門です。透彫金具が各所に使用され、仏殿の装飾技法とよく似ています。 寛永5年(1628年)、東京・芝・増上寺で徳川二代将軍 秀忠公夫人(お江の方・家光の母)の霊屋の門として建立。その後、正保4年(1647年)、仏殿・西来門と共に建長寺に寄附され、方丈(龍王殿)の正門として使用。 平成23年(2011年)、解体修理がほどこされ、輝きをとりもどしました。※破風(はふ)は、東アジアに広く分布する屋根の妻側の造形のこと本派専門道場「これより奥は修業道場につき拝観お断り」的な看板が入口左側にありました。ここは修業するところなんですね。境内をゆっくり見て回り、最後に御朱印帳を受け取りました。いただいた御朱印は「南無地蔵尊」建長寺の本尊・地蔵菩薩の御朱印です。地蔵菩薩像は、仏殿で祀られている大きな蔵です。
2019.01.05
東慶寺の次に行ったのが浄智寺です。こちらは鎌倉七福神の布袋様です。拝観料200円。池をよく見ると錦鯉が泳いでいました。「曇華殿」(どんげでん)の額を掲げている本堂。中心には三体の仏像が祀られています。木札には「鎌倉三十三観音 三十一番木造観音菩薩立像 南北朝時代造」と書いてありました。藁葺き屋根の家がなんともホッとする景色だったので写真を撮ってみました。「やぐら」を通り抜けると布袋様がいます。布袋様を触ると元気がもらえます、という札があったのでお参りしてお腹を触らせてもらいました。この布袋様。歯を見せてなんともいい表情をしていて愛くるしい。最後に御朱印所でご本尊の御朱印をいただきました。鎌倉七福神に入っているので、御朱印所には列が出来ていまいた。
2019.01.05
正月太り解消をすべく鎌倉七福神巡りをする予定で北鎌倉駅を降りました。が、予想通りとっても混んでいたので七福神にとらわれず、普通にご朱印を巡ることに変更。浄智寺へ向かう途中にある東慶寺によりました。こちらは駆け込み寺として有名ですね。拝観料 200円。鎌倉のお寺はほとんどが拝観料をとりますね。そんなわけでご朱印欲しさに、ホイホイ行くと大変な出費になりますので考えて行かないと。山門は結構な階段。これを見て友人は悲鳴をあげる(笑)なだらか階段ですので、見た目ほど辛くはなかったです。境内を歩いていたら井戸がありました。桶が置いてあるのでお墓参りに行く方用のようです。この赤い花はどうやら木瓜(ボケ)のようです。本尊 釈迦如来のご朱印
2019.01.05
ここ数年、七福神巡りで御朱印をもらうことはなかったのですが、「天皇陛下御即位三十年」という今年だけの御朱印が出ていたので記念に購入して、後日御朱印帳に貼りました。
2019.01.04
織姫神社からすぐのところにあります。「美人弁天」は、厳島神社の御祭神、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の分身です。なで弁天木の札には「手をんでると心身が癒されます人の手には不思議な力があります」と書いてありました。<美人証明100円で購入できる美人証明。ちょっと棟方志功っぽい絵だなぁというのが第一印象。私はご朱印のみでこちらは購入しませんでした。いただいた御朱印は残念ながらスタンプでしたね。
2018.11.24
四季の旅バスツアー「宝徳寺とわたらせ渓谷鉄道ツアー」参加。新宿駅8:30集合、8:45出発。途中、事故渋滞があったものの意外とスムーズに。最初の神社は織姫神社。配られたパンフでは滞在時間は45分でしたが、30分に短縮。(10:50~11:20)一の鳥居(男坂)229段の石段をのぼると縁が叶う・・・らしい。膝が悪い人や太っている人は結構辛いと思う。しかも時間短縮されちゃってるから余計。こういうとき個人旅行の方がいいな、って思ってしまう。時間に自由がないから。足利の産業の守護神とされ、平成16年6月に国の登録有形文化財に認定された足利織姫神社は機織を司る「天八千々姫命(アメノヤチチヒメノミコト)」「天御鉾命(アメノミホコノミコト)」の二神を勧請し、お祀りしている神社。社殿朱が鮮やかな社殿。階段を上りきった時にこの社殿が見えたときはあまりの綺麗さに疲れも吹っ飛びました。御朱印は残念なことに紙に書いてもらったものをあとで添乗員さんからもらいました。本来なら自分のご朱印帳に書いてもらるものだと思っていたのに人数が多いのでダメとのことでした。だったらツアー詳細の部分に事前に書いておけよ!とむかつきました。(添乗員にも伝えた)あとで貼り付けました。本当に嫌だ。やっぱり個人で行ったほうがいいなと思いました。紅葉も部分的にしてましたね。
2018.11.24
ランチしたラ・プラージュから歩いてすぐのところにある森戸大明神へ。葉山の総鎮守として800年以上の歴史を持っています。現存する源頼朝創建の数少ない神社の一つだそうです。この日は七五三のお参りをしている人が多かったです。社務所にご朱印帳を預け、時間がかかるとのことでしたので散策。「参拝記念」と書かれた記念撮影用の場所があったのでとりあえず写真を撮ってみるも、富士山や海が綺麗で絶景なのですが逆光で人物写真は綺麗に撮れず(>_
2018.11.17
鳥藤でごはんを食べたあと、なんとなーく築地散策。しかし、観光客が多くてお店をゆっくり見ることができず。築地の奥まで行くと波除神社があるのでご朱印をいただきに寄りました。御本社衣食住 殖産工業 商業の守り神である「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」をお祀りし、波除様と尊称されます。現在の社殿は昭和20年にできたもので、御祭神の繋がりがある伊勢の神宮(外宮)と同じ唯一神明造で作られており、国産の檜が使用され、戦前では東日本で最後に御造営された神社の御社殿。(HPより)天井大獅子江戸末期に焼失したものを、平成2年に神社の御鎮座330年を記念し、樹齢約3千年の黒檜(ねず)の原木を用いいて再興されました。高さ2.4m 幅3.3m 重さ1tと間近で見るとかなりの迫力があります。雌の大獅子「弁財天 お歯黒獅子」~学芸の才能と豊かな財をなす福徳の神~牝のお歯黒獅子の雌を表す宝珠の角の内に江戸期の神社御創建と時同じくして境内社にお奉りされていました。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)いわゆる弁財天の御神像をこの慶事に古い習い紫水晶を御霊として抱く姿の木彫座像で新調されて収められました。御神木の枝垂れ銀杏紅葉の時期になったら綺麗だろうな。神社から築地市場を撮ってみました。境内には活魚塚、鮟鱇塚、海老塚、すし塚、玉子塚など築地に関係するいろいろな塚がありました。参拝をして最後にご朱印をいただきました。スタンプだったので迷ったのですが、記念にもらうことにしました。季節によっていろいろなご朱印があるようです。
2018.09.20
イチリンハナレを出ると近くに浄光明寺がありますので御朱印をいただきに。入口の説明には鎌倉幕府六代執権・北条長時が、開山に真阿を迎えて建立しました。北条氏の帰依が篤く、また、鎌倉公方(鎌倉府の長)の保護も受けました。本尊の阿弥陀三尊像(国重文)は栄(現在の中国)の影響を受けた美しい造形です。中央の阿弥陀如来像の衣の装飾には、「土紋」と言われる鎌倉地方特有の技法が使われています。裏山には歌人藤原定家の孫で、歌道の名門冷泉家の始祖為相の墓があります。母の阿仏尼は、京から鎌倉への紀行文「十六夜日記」の作者です。山門を通り階段を登ります。ここからは拝観料200円払います。一度はやめようと思ったのですが、お寺の方が「こちらは天候など条件があった時にしか、みられないんですよ」という説明を聞き、これも「縁」だなということで入ることにしました。お寺の方が説明をしてくれるというので阿弥陀三尊像がある収蔵庫前へ。こちらが見られるのは晴れてる木・土・日の3日間だけ。お寺なのでお墓があるのは当たり前ですが、壇家さんのではなく平らな所にあるのは江戸時代のお墓、奥のやぐらの中にあるものは鎌倉時代のものだそう。現在の壇家さんのお墓は他の所にあるそうです。左:勢至(せいし)菩薩 中央:阿弥陀如来 右:観音菩薩三体とも桧の寄せ木で作られている木像。阿弥陀如来は鎌倉の仏像(木像)の中では大仏にはかないませんが、2番目か3番目に大きいそうです。出来たのは720年前、1299年にこのお寺で作られ、それから700年以上ここから動かしていない。このお寺の宝物であると仰っていました。阿弥陀如来に普通、「宝冠」や「光背」はつけていない。これは江戸時代の人が後からつけたもの。そんなわけでこれだかは歴史が新しく350年前のもので鎌倉時代に出来たときにはなかった。玉眼と言って目には大きな水晶が入っています。関東大震災があった約100年前に目の中側に古文書が入っているのがみつかり、1299年に北条久時が作った文章が今も残っています。これにより国宝になった。阿弥陀如来には特長が3つあり、①宝冠をかぶっている②胸前に両手を挙げる説法印を結んでいる③着ている衣に花柄の模様が入っています。これは粘土で型を取り乾かしたものを張り付けてあります。これを「土紋」といい、鎌倉時代のもの。鎌倉には7体あるけど、その中で1番古いそうです。因に来迎寺・覚園寺・宝戒寺・浄智寺・東慶寺・伝宗庵。両脇のものは阿弥陀如来よりも古く750年前のもの。三体一緒に作られたわけではなく、阿弥陀如来が火事で燃えています。その代わりに今のものが作られたので三尊といいつつ時代が違うのだそう。右側の観音菩薩は首をかしげています。後期鎌倉時代の代表的な仏像。北鎌倉にある東慶寺にあるものより古い。運慶、快慶が終わった後期鎌倉は中国の影響を受けた仏像かわ多いとのこと。三尊像がある収蔵庫、左奥には「矢拾(やひろい)地蔵」(鎌倉二十四持続の一つ)があり、これは足利直義(ただよし)の自仏。彼がある戦で矢がなくなった時に子供が現れて矢を拾い集めてくれたので「やひろい様」という言い方をしているそう。ここから結構な山道を登りました。次に向かったのは有形文化財である網引地蔵。ちょっと急な山道を登ることに。こんなことを想定しておらずヒールの高いサンダルでしたがクリア。話は戻り、由比ヶ浜の漁師の網にかかって引き揚げられたことから「網引地蔵」と名付けられた。鎌倉二十四地蔵の1つに数えられています。薄暗い洞窟のなかにあり、同じところにずっと座っており、由比ヶ浜を見ています。さらに登るとそこには冷泉為相のお墓がありました。「十六夜日記」の作者、阿仏尼の息子で、藤原定家の孫。母である阿仏尼のお墓は向かいの英勝寺にある。結構、山を登りましたので、冷泉為相のお墓から見た景色は綺麗でした。この日は曇でしたので晴れていたらもっと綺麗だったのでは?と思います。全てを見終わりゆっくりともときた道を戻ります。イヌマキの大木阿弥陀堂前の前には市指定文化財になっているイヌマキの立派な大木があります。この大木は創建時に植えられたものとされ、推定樹齢は750年。建長寺と同じ時期に植えられたそうです。思わぬ歴史の勉強ができ、なんだかとても充実した時間を過ごすことができました。最後に御朱印をいただきました。
2018.09.01
ひみつ堂→寛永寺→竹隆庵 岡埜 鶯谷北口店→上野公園で御朱印巡り→牛かつもと村 上野店でお昼を食べ、テクテク歩いて秋葉原へ。秋葉原で2K540でいろいろなお店を見ながら神田明神へ向かいます。約1.4Km 徒歩18分。通勤、通学で近くまで来ていたものの、実は初めて?(私の記憶の中では)の参拝です。周りはビル。こんなところに神社があるんだぁ、と感心。最近、マンションやビルの合間にあるという神社は少なくないですが、なんとも近代的な印象を受けました。隨神門昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念として再建されました。(総檜・入母屋造)なんとも華やかな建物です。写真を見て気づいたのですが、手水舎が入口右側にあると看板があったのに、見逃してしまい手も洗わずに参拝してしまった・・・。神様失礼(^_^;)御神殿昭和9年に竣功。権現造。鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。昭和初期の神社建築では新しい形式。入口入って左側は創建1300年記念事業で文化交流館建立中。平成30年12月にオープン予定だそうです。御由緒当社は天平二年、出雲族真神田臣が祖神大己貴命を現在の皇居大手門付近に祀ったのを創祀とし、後、時宗真教上人により平将門公が合わせ祀られ以来江戸総鎮守神田明神として広く庶衆の信仰を集めた。徳川将軍の江戸城拡張に際し、元和二年艮(うしとら)の鬼門の守護神として現在地に遷座され、歴代将軍家の尊崇篤く、神田祭は天下祭と呼ばれた。その後明治天皇の御親拝を仰ぎ、現在は東京の中心108町の氏神として崇められている。(東京十社めぐりHPより)御祭神一之宮大己貴命(おおなむちのみこと)だいこく様。縁結びの神様。天平2年(730)ご鎮座。二之宮少彦名命(すくなひこなのみこと)えびす様。商売繁昌の神様。商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様三之宮平将門命(たいらのまさかどのみこと)まさかど様。除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。御朱印を並んで待っていたら、スタンプだということが発覚。スタンプならいらない・・・と思っていたら、見開きの御朱印。神田明神の写真と手書きの御朱印が印刷されたものを1面に、2面に神紋を押してくれるというのが前の方のでわかりましたので、だったらもらおうということでいただきました。神田明神はアニメとコラボしているみたいで、私的にはなんだかなぁ・・・という感じでした。あまり神妙な気持ちにはなれませんでした。なんというか今どきというか。
2018.08.18
ひみつ堂→寛永寺→竹隆庵 岡埜 鶯谷北口店で大福を購入後、喉が渇いたので駅前のドトールでお茶をし、上野公園へ。上野公園は何度も行っているけど、御朱印をもらえるところが結構あるんですねぇ。上野東照宮は1627年創建。東照宮とは徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光東照宮が有名ですよね。出世、勝利、健康長寿に御利益があるそうです。この豪華な金色殿は国の重要文化財に指定されているそうです。海外の観光客の方が結構来てました。「東照」という言葉は「東の国のアマテラスオオミカミ」という意味がこめられているそうです。御朱印は500円。「ぼたん苑開苑」や桜の時期限定の御朱印などもあるみたい。さて、次は上野大仏へ。ここが、地図で検索してもイマイチ場所がわからなかったのですがなんとか到着。こんなところに大仏があったとは!!かつて大仏殿があった場所に、昭和47年(1972)建立されたパゴタ(仏塔)があります。上野大仏は、現在の東京都台東区上野恩賜公園内にあった大仏で像高約6メートルの釈迦如来坐像だったそうです。度重なる罹災により損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存され今のお姿に。最初に見たときは圧巻でしたね。このお姿。「これ以上は落ちない」として、テレビなどで合格祈願のスポットとして紹介されて、受験シーズンはもちろん、年中合格祈願にやってくる人が急増したそうです。私は今回、上野大仏について調べてこのことを初めて知りました。上野大仏の御朱印次に清水観音堂へ。向かう途中で石の上で気持ちよさそうに日向ぼっこをしているネコちゃんを発見。癒されますね~清水観音堂の写真はないのですが、見た目に清水寺を思い出します。高くはないけど、清水の舞台から・・・を思い浮かべる作りだ、なんて友人に話していたら、清水寺に似せて?作られたようなので私が行ったことはまんざら遠くもなかったようです。こちらで上野大仏とパゴタの御朱印もいただけます。今思えば、パゴタの御朱印もいただけば良かったと後悔。また、東照宮の期間限定の御朱印をいただきに行くときにでももらいに行こうと思います。最後に友人が上野の西郷さん像を見たことがないというので。大河ドラマの西郷どんも私としては珍しくハマって見ております。
2018.08.18
ひみつ堂でかき氷を食べたあと、歩いて寛永寺まで。徒歩15分、1.2km。時代小説に結構出てくる寛永寺。名前は知っていたけど一度も行ったことがなかったので行ってみることに。この界隈は御朱印をいただけるお寺や神社がありますのでご朱印帳持参です。この日は暑かったけど湿度がなかったせいか汗はかかなかったですね。ただやっぱり日射しが強くて日傘を忘れた私は辛かったですが。徳川家のお墓(※徳川将軍御霊廟)があるというのをテレビで知りましたが、特別拝観日しかも事前申し込みをしないと見られないため、この日はもちろん、見られませんでしたが。※徳川将軍御霊廟・ 常憲院殿 (五代綱吉公)・ 有徳院殿 (八代吉宗公)・ 温恭院殿 (十三代家定公)・ 天璋院殿 (十三代御正室)根本中堂徳川幕府により創建された、幕府の安泰と天下泰平を祈る祈願寺である寛永寺の中心堂宇として建立されたお堂で、日本天台宗の祖師 傳教大師最澄上人の御自刻と伝えられる薬師瑠璃光如来像をご本尊とし、左右に日光・月光の両菩薩をお祀りしています。(三尊ともに国指定重要文化財)寛永寺の御朱印中央に押された印は、お薬師さまをあらわします。「ベイ」の梵字だそうです。また、墨書きされた「瑠璃殿」とは、東方浄瑠璃浄土の教主であるお薬師さまをご本尊とする伽藍(僧侶が集まり修行する清浄な場所)をあらわしています。現在、お堂の正面に掲げられている「瑠璃殿」の※勅額は、根本中堂が落慶した際に賜った東山天皇の御家筆です。※勅額とは、皇帝・天皇などの為政者が国内の寺院に特に与える直筆の書で記された寺社額徳川家家紋 三つ葉葵「水戸黄門」で黄門様が印籠を手に「この紋どころが目に入らぬか!」というシーンで有名な家紋ですよね。この葵紋の由来は京都にある「加茂神社」にある神紋。「二葉葵/双葉葵」という紋です。加茂神社と深い由来があることから、「加茂紋」と呼ばれることもあるそうです。
2018.08.18
ランチをした鶏はなから徒歩すぐの根津神社へ。白山神社で絵馬が品切れだったので、ここも危険かもと思いつつ北口より入りました。御祭神須佐之男命・大山咋命・誉田別命 ○相殿 大国主命・菅原道真公こちらは「つつじ」が有名ですね。境内にある約2000坪のつつじ苑には、約100種3000株のツツジが咲くそうです。今年のつつじ祭りは平成30年4月7日~5月6日と終わっており、白山神社は早すぎて紫陽花見られずで時期的にはとっても中途半端、ある意味何もない時期に来てしまいました。そんなわけで空いてはいましたけどね(笑)まぁ、私は以前つつじ祭りに偶然遭遇して見たことがあるのでいいですが。まずは社務所へ。案の定、絵馬は品切れとのこと。男性が一人で対応していたのですが、とっても対応が感じ悪かったのでご朱印を貰う気にもなれず、参拝する気にもなれず。友人はご朱印をもらっていましたが、スタンプでしたよ。再訪しなくちゃいけないからもらわなくてもいいやという気持ちもありましたが、スタンプと分かってしまい次回ももらうかどうかはわかりません。でもこの日の対応の人は、今までにいろいろな神社へ行きましたが本当に最悪な対応でしたよ。あんな人もいるんだ、って感じ。結局十社めぐりの目的は1つも達成できず、ただ単に親子丼だけ食べに来た感じで終わってしまいました。御社殿宝永二年五代将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。(HPより)友人は参拝していましたが、先ほど書いたように私は参拝する気になれなかったので遠くから見てました。参拝が終わり、せかっく来たので境内を散策。乙女稲荷神社倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)をご祭神とし、千本鳥居の結界に守られた乙女稲荷神社。この千本鳥居は身長の高い私は中腰で移動。ちょっと辛い・・・社殿の奥には風穴があり、それが女性の象徴とされているところから乙女という名前がついたとされます。また女性が参拝に訪れてきたことが、現在は縁結びのご利益が期待できるとされているようです。楼門逆流して表参道口より出ました。今回の十社巡りの目的は達成できず、ただ、根津まで親子丼を食べに来ただけツアーになってしまいました。今度行くときは、絵札が来ているかどうか確認してから計画を建てることにします。
2018.05.19
十社巡り4箇所目は白山神社へ。御祭神菊理姫命(くくりひめのみこと)伊弉諾命(いざなぎのみこと)伊弉冊命(いざなみのみこと)御由緒 天暦二年(948年)に加賀一の宮白山神社を武蔵国豊島郡本郷元町に奉勧請したのが始まりで、将軍家の信仰が厚く、明治期には准勅祭社に命ぜられました。縁結びの神として崇められた神様でもあります。白山神社は紫陽花でも有名ですが、今年は咲くのが例年より早いとは言われていましたが、見頃とは言えませんでした。でも少しだけ咲いているものがあったので、楽しむことができました。お参りをしてから十社巡りの絵馬と御朱印をもらいにいったのですが、絵馬がまさかの品切れ中とのこと。なんでも絵馬を作っていたところが倒産してしまったそうで。発注をかけているけど6月には来ると思うけど、いつになるかはわからないとのことでした。なんだよーーーーとショックを隠しきれず。でもないものは仕方ない。また来るしかないのね・・・そしてご朱印は書いてあるものしかないということでそれをいただきました。台紙に入れてくれて、カラーの輪ゴムで十字にしてくれました。こんな丁寧に書かれたご朱印をいただいたのは初めてです。カラーの輪ゴムがなんとも可愛らしい。こういう心遣い、嬉しい。小さなことかもしれないけど本当に嬉しかったなぁ。第34回 文京あじさいまつりは平成30年6月9日(土曜日)~17日(日曜日)だそうです。
2018.05.19
布多天神社へ行ったあと、やっとお茶することができ、時間が思いのほか早かったので「どうしようか?」と相談タイム。友人が高幡不動尊が近いからいってみようか?と言うのでせっかくだから行ってみよう!と行動開始。そもそも京王線じたい普段乗りませんし、こういう機会でもないと来ないだろうから。どうやらこちらは節分の豆まきでTVに出ていて有名らしいのですが、私は豆まきといえば成田山しか知らず、今回初めて知った次第です。京王線高幡不動下車 徒歩2~3分。改札には行き先看板表示が出ているので迷わずたどり着きました。外に出るとすぐ参道があるし、とってもわかりやすい。仁王門 ※重要文化財(室町時代)仁王門は当初楼門として計画されましたが、途中で計画変更され上層の主要部を覆うような形で屋根がかけられ近年まで外観は単層でした。昭和34年解体復原修理の際楼門として復原され屋根も銅板葺きに変えられました。仁王尊は室町時代の作、楼上の扁額「高幡山」は江戸時代初期の運敞僧正「号泊如」の筆(HPより)広いけどちょうどいい感じの混み方。歩きやすいし、ゆったり歩けたのが良かったな。入ってすぐ目を引いたのが五重塔。色鮮やかで晴天の青空に赤色が映えてました。とっても綺麗な塔です。横目で見ながら、まずはご朱印をいただきに。先にご朱印帳を預け30分後くらいに取りに来てくださいとのことでしたので、散策開始。大日堂(高幡山の総本堂)・大玄関→聖天堂→大師堂を見て歩き、五重塔へ。満5年の歳月をかけて竣工した五重塔は、塔高39.8m、総高45m、和様、三手先出組、青銅瓦葺、平安初期の様式を模した美しい塔。(HPより)五重塔の周りは椅子などが置かれていてちょっとした休憩ができます。そこから境内を見るとそれはそれでいい。とにかく緑が多いなという印象。ここらへんで30分くらい経っていたので社務所にご朱印を取りに行きました。やっぱり手書きはいいですね~力強い感じがいい!素敵なご朱印を見るたびに習字を習おう!と思う私です。仁王門の近くには土方歳三さんの像があります。菩提寺ということもここへきて初めて知りました。そして2018年5月12日(土)13日(日)は新撰組まつりが行われるみたいですね。
2018.05.04
バスを降りると天神通り商店街の看板が。鬼太郎がのってる~♪曲がると鬼太郎と目玉のおやじ鬼太郎の手の上にいます。入口と出口で目玉のおやじの位置が違います。ねずみ男こういうイメージありますね。ねこ娘と一反もめん鬼太郎と目玉のおやじ目玉のおやじは今度は鬼太郎の頭の上に。何か鬼太郎にちなんだ食べ物や飲み物があるかしら?と期待していたのですが、いたって普通の商店街。しかもお茶する場所もなかった・・・コロラドはあったけど、この日はお休みでした。商店街を抜けると布多天神社です。緑が沢山あって、なんだかホッとしました。天神様には牛の像がありますよね。調べていたらこんな記事をみつけました。天神様とは切っても切れない牛の話。 天満宮、いわゆる天神様は、学問の神様として知られる菅原道真を祀った神社です。 平安時代の学者であり政治家でもあった道真は、藤原氏に疎まれて無実の罪を着せられ、九州は太宰府に流されました。 道真が亡くなった後、都で次々と異変が起きたため、道真の祟りと考えた朝廷がその霊を鎮めようと社殿に祀ったのが天満宮の始まりだそうです。 現在では、道真と特に縁が深いとされる京都の北野天満宮、山口の防府天満宮、そして福岡の太宰府天満宮をはじめ、全国各地に天満宮が設けられ信仰を集めています。 この天神様の境内にかならず置かれているのが、地に伏せた牛の像です。 その由来はといいますと、道真は承和十二年、乙丑(きのとうし)の生まれということもあって、牛を特別可愛がっていたとか、道真が亡くなった際に、その遺体を牛車にのせてゆく途中で、牛車を曳いていた牛が地面に伏せて動かなくなり、その場所に墓を築くことになった、などの道真と牛にまつわる数々の言い伝えがあり、牛は天神の使いとされているのです。 通称「撫で牛」と呼ばれているこの像は、撫でてから願掛けをするとそれがかなうとか、自分の体で痛みのある部分と同じところを撫でると快方に向かうといわれています。なるほど畜産情報よりだからどこの牛も鼻の上とかピカピカだったりするんですね。いつもなんで牛がいるんだろう?と思っていたので、調べてスッキリ。ご朱印、こちらも500円でした。受け取るときに御朱印帳にお祓いをしてくれました。なんだか一段と有り難みが増します。
2018.05.04
深大寺へは20年くらい前に一度だけ行ったことがあります。が、当時はもちろん鬼太郎茶屋はありませんでした。都内で一番歴史の深い寺院と言ったら浅草ですが、二番目がここ深大寺だそうです。湧水でお蕎麦を食べたあと深大寺水車館の前を通過し深大寺へ。水車があり、水の音で癒されます。深大寺には脇から入ってしまい、自分たちがどこにいるのかさえも最初わからなかったほど。看板を頼りに深大寺へ向かいますが、人が多いこと。参拝してご朱印をいただきに行きました。3種類あって悩んだのですが、また来るかどうか分からなかったのでここは全部もらうことに。札を渡され20~30分後に来てくださいと言われました。この札を見せると白鳳仏拝観が無料になるとのことで待っている間を利用して見ることにしました。国宝白鳳仏については大正2年に本像は旧国宝指定になりました。その後、昭和25年の文化財保護法施行で重要文化財へ。平成29年3月 国宝指定を受け、関東所在の仏像としては神奈川県高徳院銅造阿弥陀如来坐像、東京都大倉文化財団普賢菩薩騎象像に次ぐ指定となり、寺院伝来の仏像としては都内唯一の国宝仏誕生となりました。一通り見てご朱印帳を受け取りに。(1)無量寿 ~阿弥陀如来の別名が無量寿如来だから~本堂に祀られている宝冠阿弥陀如来像の御朱印です。「無量」という言葉は、直訳すると「量ることができない」という意味になりますが、これは、「限りがない」という意味だそうです。「寿」という言葉は、「寿命」という言葉があるように、「いのち」という意味です。ですから、「無量寿」というのは、直訳すると「限りない命」ということになります。(2)国宝白鳳仏釈迦如来倚像(白鳳仏)の御朱印です。東日本最古の釈迦如来像として国宝に指定されています。(3)元三大師元三大師は、比叡山延暦寺中興の祖です。(元三大師=天台宗中興の祖と称せられる良源のこと)初穂料は各500円です。さて、ご朱印もいただいたので鬼太郎茶屋に向かいます。人が多いこと。外も中も凄くて外から見て終わり。去年、みずきロードに行っているのでグッズも似たようなものが多いだろうと思って諦めました。屋根には鬼太郎のゲタがあったり。お店の前にはねずみ男と鬼太郎がお出迎え。ふっと左の木を見上げたら、鬼太郎のベストがかかってる!!と思って右を見たら小さな小屋の中には鬼太郎と目玉のおやじ!!可愛いーなんて下を見たら屋根の上には妖怪「おとろし」が。こわっ!!この日は暑くて喉が乾いてお茶したかったのですが、どこもかしこも混んでおり、バスで調布へ出てお茶することにしました。もう少し人が少なくて暑くなければ、いいお散歩ができたと思います。まぁ、GW中ですから仕方ないですけど。平日とかだったらいいかもしれませんね。けど、自宅からだと非常に交通が面倒くさいのでなかなか行くことはないでしょうが・・・しかし緑いっぱい。リフレッシュになりました。
2018.05.04
深川不動尊の隣にあるのが江戸最大の八幡様である富岡八幡宮。東京10社めぐりのつです。あの事件があって以来、空いていると聞いたのですが実際行ってみたけど本当に空いていてびっくり。ご本堂ご本堂から永代通りを撮影したもの。ご本堂の脇にご朱印をもらう場所があります。こちらも手書きでした。やっぱり手書きの方が嬉しいです。しかし、500円。本堂の絵葉書がついてきました。正直、おまけはいらないので300円でいいんですけどって感じです。スロープを降りたところにお守りなど売っているところで10社巡りの絵馬をGET。東京十社の起こり 慶応3年(1867) 10月、大政奉還により250数年に及ぶ江戸時代に終止符が打たれました。これを受けて明治天皇様は同年12月、江戸を東京と改め江戸城を皇居と定められました。ここに新しい首都、東京が誕生したのです。 東京十社とは明治天皇様が明治元年11月8日、准勅祭神社として幣帛を捧げられ、東京の鎮護と万民の平安を祈願されたお社のことです。勅祭とは天皇様の特使である勅使が派遣されるお祭りで、これに准ずる東京十社は大変に格式のある神社といえます。 東京十社巡り 昭和50年、昭和天皇様のご即位50年を奉祝して、元准勅祭神社である東京十社を巡拝する十社巡りが企画されました。皆さまも週未には東京の名社十社巡りをされてみてはいかがでしょう。ちなみに10月10日は、十社巡りの日です。(富岡八幡宮のHPより)大鳥居入って左側にある大関力士碑歴代の大関力士を顕彰するもの。富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地としても有名なんですね。手形と足形の石碑もありました。名前まではこの距離だとちょっとわからないかもしれません。脇道から入ってしまったので大鳥居をくぐって出ました。順路が逆になってしまった。
2018.05.01
トミーノ ラ カーザ ノストラでランチしたあとご朱印をもらいに深川不動尊へ。旧本堂平成23年4月までの本堂。本堂この壁には圧巻。深川不動堂は真言宗の寺院。護摩修行で僧侶が繰り返しお唱えする、ご本尊不動明王の真言をそのまま具現化したものが建物外観の真言梵字壁。祈りの言葉で包まれた祈りの空間。「のーまくさんまんだーばーざらだんぜんだーまーかーろしゃーだーそわたやうんたらたーかんまん」と唱えるようです。HPを見ると写経や写仏なども体験できるようです。一度はやってみたいと思っているので機会をみつけてやってみたいです。いただいたご朱印は手書きで力強くて良かったです。
2018.05.01
先日行った群馬の食材を食べられるこのむの並びにありました(笑)その時は夜で暗かったのでまったく気づきませんでしたが。ビルの間にある神社でした。都内に最近多いですよね、ビルの間に建っている神社。風情を感じないけど土地柄仕方ないのかなって感じですね。《祭神》■素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお) 嵐/暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神■櫛稲田姫命/奇稲田姫命(くしなだひめ) 稲田の女神 ※スサノオ神の妻/オオクニヌシの母 =一組みの夫婦神:縁結び■日本武尊/倭健命(やまとたける) 難局打開、武運/武徳長久の神《ご利益》恋愛成就、良縁祈願、開運厄除、身体健康、厄除、除災招福、家内安全、商売繁盛、病気平癒、交通安全、武運長久、難局打開 他こんなにご利益があったとは。難局打開・・・ちょっと気になるご利益だ。何かあった時には神頼みしにこようかな。《由来》日本武尊が東征の折に大宮氷川神社を遥拝した当地に、白鳳時代に創建されたと伝えられている。江戸時代中期の明和9年(1772年)明和の大火により焼亡し、江戸後期に社殿が再建された。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)空襲によって江戸後期の社殿が焼亡した。現在の社殿は昭和33年(1958年)に竣工したものである。(ウィキペディア)境内社は二社鎮座します。こちらは建武神社。後醍醐天皇・護良親王・楠木正成などを祀っているそうです。修繕中でした。お目当ての御朱印は300円。残念ながら日付以外はスタンプでした。
2018.04.14
氷川神社へ行ったあと、近くにある日枝神社へ。都内のど真ん中にこんな大きな神社があるなんて。右側にはエレベーターまで完備されており、これなら足の悪い方でもお年寄りでも上まで登れます。ビルの中にある神社。ある意味都会ならではですね。こちらには弟のお宮参りで来たことがあるみたいですが、なにせ小さかったので記憶にはありませんが写真が残ってました。偶然にもこの写真と同じアングルで。今年の桜は開花が早かったですが、この日は花見には最高となりました。どちらの神社でも神前式が行われていました。参拝する人が多かったので、お辞儀だけして後日ということに。御祭神大山咋神(おほやまくひのかみ)相殿に鎮まります神々国常立神(くにのとこたちのかみ)伊弉冉神(いざなみのかみ)足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)ご利益縁結びや恋愛成就、子授け祈願、安産祈願、子育て理由は、主祭神の大山咋神様が、玉依比売命の間に子供ができたという言い伝えから、良縁・子授けの神様として崇敬されていること。また、相殿神のイザナミ神が縁結びの神様として信仰されていること。ご朱印は手書きで緑の二葉の葵の印が押されています。最近はスタンプが多かったりしますが、やはり手書きだと感動もひとしお。お守りとしおりがついてきて¥500。2つめの十社絵馬も購入。ご朱印帳を入れる巾着に見猿・言わ猿・聞か猿のイラストが書いてあり、とっても可愛かったので母親にお土産で購入。しおりにもこの猿のイラストが書いてありとても可愛いので早速使ってます。
2018.03.24
ランチを食べたあと、お店のすぐ近所にある氷川神社へ。この一角だけ別の地域に来たみたいな場所。樹木が多く、ここが赤坂であるということを忘れそう。御由緒 天暦五年創祀以来、地域の信仰篤く、忠臣蔵浅野内匠頭夫人遙泉院実家だった現地に、享保十五年将軍吉宗公により遷座。江戸七氷川、元准勅祭東京十社の一。八代より十四代まで将軍朱印状・神馬額絵等文化財多数あり。氏子勝海舟翁参拝の四合稲荷が境内に鎮座。御祭神素盞嗚尊(すさのおのみこと)奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)大己貴命 (おおなむぢのみこと)御神徳厄除・良縁・家内安全・商売繁盛ご朱印を貰いに行く途中で東京十社めぐりがあることを知りました。そんなわけで氷川神社からスタートすることにしました。残念なことにスタンプでしたが、日付など手書きがあったのでまだ良かったかな。境内には天然記念物の大銀杏(樹齢400年)があり、勝海舟が名付けた「四合稲荷」も境内に祀られています。
2018.03.24
定期的な食事会の前にまずは大好きなかりんとうを買いに「花月」へ。そのあと湯島天満宮に御朱印をもらいに行きました。こちらに来るのは高校受験の時以来です。鉛筆を買った記憶が・・・学業の神様なので学生が多かったですね。午前中でしたのが思いのほか混雑しており、御朱印を頂くのにちょっと待ちました。細いですが綺麗な字で感動。こういうのを見ると習字を再び習いたいなぁと思ってしまうんですよね。まれにえっ?と思うようなものをもらっちゃうことがあるのですが、そのときは300円払ってまで・・・と思ってしまいます。あと、もう二度といけないんじゃないか?っていうところなら仕方なく頂きますが、スタンプは基本的にもらいませんね。あれこそお金払ってまで。。。って思っちゃうんで。ありがたみも全くありませんし。
2018.01.20
丸香→さぼうる2の後に歩いて靖国神社へ。あんだけ食べたら少しは運動しないと。桜の季節、みたままつりの時期には行くのですがご朱印をもらうのは今回が初めて。東京五社のうちの1つで、先日東京大神宮のも頂いたので残り明治神宮、日枝神社、大國魂神社の三社。東京五社は格付け制度の神社版です。東京都内に存在する、実に2000社近くの神社の中のトップファイブと言えます。こちらにご朱印袋が売っていました。ピンク地で桜の刺繍がしてあり可愛らしいのと靖国神社っぽいので思わず買ってしまいました。
2017.02.01
ランチまで時間があるので、周辺のご朱印をいただきに。まずは東京大神宮。10時半くらいだったのと、初詣の時期からずれていたせいか並ばずにご朱印をもらうことができました。伊勢神宮のご分霊をおまつりする「東京大神宮」は明治13年(1880)、明治天皇のご聖断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として創建されました。以来、「東京のお伊勢さま」と言われるようになりました。「幸福が訪れる」という花言葉を持つ鈴蘭の純白の花をかたどった鈴蘭お守り。可愛かったので購入。そして赤城神社へ。ここは日中でも陽があまり当たらないようで、この日は風があって寒かった・・・近代的な神社です。こちらには神楽坂に来るたびに結構お邪魔していたのですがご朱印をもらうのは初めて。ランチの後に寄ったのが毘沙門天 善國寺。こちらには七福神巡りをしている方たちも居て番号札をもらい少しだけ待ってもらうことができました。そして新橋まで出て烏森神社へ。新橋なんて数え切れないほど来ているのに参拝するのは初めて。こんな駅前にあったなんて!!こちらも近代的な神社でした。こちらのご朱印はカラフルで珍しいものなのでずっと欲しかったんですよね。字体も味わいがあって好き。ただ、こちらのご朱印。幸飴とお守りがもれなくついてきて¥500なんです。そこがちょっと微妙ですねぇ。でも欲しかった1つだったので大満足な一日となりました。
2017.01.15
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