ありがとうございます ! 宇宙(そら)・人・ペット調和塾 ~作家 阿部 佐智子です。
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お恥ずかしいことですが知りませんでした。
一人で行動する機会が多い人のことを大人ボッチというのですか ?
おひとりさまとの違いは、おひとりさまは自分が納得していることに対して
大人ボッチは自分も周りの人も
その状況に対して「淋しい人」とのジャッジをしていることらしいのです。
私、結構大人ボッチかも。
ランチは一人で行くことが多いし、
それ以外にもなんだかんだ、一人での行動多いです。
家でフリーでお仕事をしているから、別にそれは自然なことだと思っていました。
まさかそれが人から「あの人、淋しい人なんじゃない ? 」と思われているとか、
自分自身も「一人っぼっちで淋しいよ~、そう視られているのも恥ずかしいよ~」と
感じているかもしれないなんて、まったく思ってもみませんでした。
でも深層心理という意味で言うのなら、
淋しい自分を感じないようにしているところもあるかもしれないから、
大人ボッチという言葉にも納得できます。
顕在意識では「いえいえ、私お一人様ですから」みたいに思っていたとしても。
少し調べてみたら興味深い考え方にぶつかりました。
一人でいること→ 淋しいと感じること。
これは誰かが足りなくて淋しいという感情。つまり欠乏感。
そして
一人でいること→ 一人あること。
これはもしかしたら一人たることでもあって、足るは満足感、
充足感に繋がるものではないかと感じました。
個人的に解釈してしまっているところもあるので
本来の意味とは少し異なるものになっているかもしれませんけど。
前者は人に依存した感覚。誰かがいないよ、誰かがいなくて淋しいよ~~。
後者は自分自身で完結した自立した感覚。私はここにいるよ、ここにあるよ。
それで十分満ち足りてるよ。
こうやってみるとおもしろいですね。
淋しいという感情と満ち足りているという感情は表裏一体。
それをどちらから視るかの違いだけ。
少し心理学チックに言うのなら、大人ボッチの人を見て
「あの人淋しい人」と感じるのは
その人自身が一人でいることの淋しさを恐ろしいと考えていて
その状態を「いけないモノ」として封印しているがための
相手に対する意識の投影だったりします。
つまり、一人でいることがその時の自分にとっての欠乏感なのか充足感なのか、
その違いを自分自身で認識していれば
欠乏感も充足感も受け容れることができて
その結果、人に対して「あの人淋しい人」という意識を
投影しなくても済むようになるということです。
私たち日本人は往々にして、人との繋がり感をすごく重視して、
一人でいることの意義を正しく見いだせないような思考回路に陥る傾向の強い
民族性があるのかもしれませんね。
みぃんな一緒だと安心できる、というような感じで。
一人でいて淋しいと感じることは恥ずかしいことではないし、
孤独という状態にもきちんと意味があるし、
孤独を知っているからこそ、人との繋がり感の温かさがわかるのかもしれないし。
それに人生の課題という意味で、今生では一人人生を楽しむ、という課題が
あるのかもしれません。
大人ボッチについてもいろいろ調べてみましたが、
大人ボッチの人が、たくさんお友達のいる人より劣っているというような
感覚は、私はいらないんじゃないかと感じました。
もちろんすごく淋しくて淋しくて、そこから脱したいという気持ちが強いのなら、
人との接点を増やすチャンスを模索する、ということもありだと思います。
でも大人ボッチの人を「淋しい人」
= 人間関係に恵まれている人より「淋しい人生を送っている人」
と一概に言えないのでは、というのが私の今の考えです。
淋しさを埋める要素を外に求めるのか内に求めるのか。
それでも行動は変わってくるはずです。
例えばお友達の数は少ないけれど
その分自分自身に向き合う時間に恵まれた人生を歩んでいる喜びを満喫するとか。
あまりにもステレオ・タイプな属性分けはそれこそが社会への依存だと
感じるので、ケース・バイ・ケース。
そもそも人は一人で生まれて来て、一人で天国に還っていきます。
その現実は基本誰でも変わりはないはず。
その現実と照らし合わせて、自分の状況を見ていけば
人がどう視ているかはあまり気にならなくなるのではないでしょうか。
私は結婚していて、お友達も多くはないけれどそれなりにはいます。
でも日常生活は「ボッチ」傾向が強いかもしれません。
主人はお友達はそこそこ多い方だけれど、ランチは完全に「ボッチ」だそうです。
お休みの日の行動も、
それが「ボッチ」かと言われればそうかも、みたいなことの多い二人です。
個人的に、深層心理で感じているかもしれない淋しさに向き合うことができたので
この言葉も嫌いではありません。
自分の中の幼い自分はもしかしたら
「一人ぼっちだよ、淋しいよ~~」と泣き続けていたのかもしれませんものね。
そのことに気づけただけでラッキー !
今までなぜ知る機会がなかったのか不思議なくらいです、「大人ボッチ」
そもそも淋しくない人なんて一人もいません。
どんなにたくさんの人に囲まれていても
どんなに人からの称賛を浴びている人でも
心の奥底に1%の淋しさもないなんてことはないんです。
私たちすべてに共通する人生のテーマに
「分離の痛みを知って統合する」ということがあるのですから。
私は大人ボッチ、気にいりました。
誰にでも淋しさはあるんだよ、
淋しいと感じることは恥ずかしいことでもいけないことでもないよ、
という事実を教えてくれる素敵な言葉だと思います。
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そういえば、私がお勤めをしていた時のこと。
同期の女性が
「私一人で食事にいけないんだ。だって友達のいない人みたいで淋しいじゃない ?」
と言っていました。
その女性は私にイジメをしていました、大人イジメというヤツ ?
私を他の女性社員と仲良くさせないように孤立するように仕向けていました。
そう考えるとわかりますね。
彼女はものすごく淋しがり屋で本当は自分はみんなに好かれない、孤立状態だ、
と感じていたんです。
しかもその感情をすごく恥ずかしいことととらえていた。
それを私に投影していただけ。
イジメってそういうことが多いんです。自分が淋しいから、自分が弱いから
その事実を受け容れるのが怖くて
自分を大きく見せようと誰かその対象を見つけて
自分自身の鏡にしているだけ。
当時はそんなことには気づけませんでしたけど、
彼女も淋しかったのね、私も淋しかったな、ということに気づけて良かったです。
たまたま私がイジメの対象になったのは。
本当は私と仲良くしたかったからなのかも。
なぁんて考えていけばどんどん心は解放されていきます。
なんでも気のもちよう。
そう、そうやってすべてを受け容れていけば
いつか淋しがり屋の自分が
自分の中でちっちゃくなっていくことがわかるのかもしれませんよね。
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