日記: クリスチャンとビジネス 0
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(まだお読みでない方は、左の「カテゴリ」の中の留学物語のパート1から9を是非お読みください。よりお分かりいただけます。)「大学卒業おめでとう!で、大学卒業の後はどうするの?」少なくてもそう100回は聞かれてると思う。「まだ分からない。神様にお任せコースやから。」そう言って、卒業後はのんびりしてた。そして、今朝。。。。。私のボックスに、一通の郵便が入っていた。いつから入っていたんだろう。気づかなかった。私はしばらく封筒に手を延ばすことが出来なかった。なぜなら、私の行くかもしれない神学校からの郵便だった。「奨学金の結果は、1月に知らせるって言ってた。 おかしい。。。早すぎる。。。落ちたか。。。」そんなことを思いながら、ただその薄い封筒を見つめていた。「これで、私の来年が決まる。人生の分かれ道やな。。。 日本完全帰国か、アメリカか。。。」そう思って、封筒にぐっと手を伸ばした。すると。。。。。。。。。。。。。。私が神学校にリクエストした通り、全学費の75%分の奨学金がいただけるということ!!「やったーーーーーーーーっ!!!!!!!」そうです、創造主なる神様は、私に神学校に行くための必要をまたまた与えてくださいました。学校がはじまるのは来年の秋。それまで働いてお金を貯めれば、学費以上の必要が満たされます。もしこれが本当に神様の御心なのであれば、来年秋より、アメリカの地で、晴れて神学生になります。喜びのあまり、便せんを手に、体中が震えました。叫びました。それに、ちょっと踊りました。友達に電話しまくりました。両親も大喜びでした。神学校が「あなたに投資します」と言ってくれた。こんなことって、いいのーーー!!主は、導かれる神です。これだけ6年間もいろいろ与えてくださったのに、まだまだ惜しまず与えてくださる主です。これからも、主に従っていきたい。主を待ち望んでいきたい。来年から大好きな聖書をいっぱい学べるのが楽しみ~~~!!今から来年の入学までに、聖書を通読目指します☆イエス様、祈りを聞いてくださりありがとうございます!!すべての栄光を、主に帰します。ハレルヤ!!
2005.12.23
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2002年、フロリダでの生活がとても辛かった頃日本に出稼ぎ帰国。日本に帰ったらすごくアメリカに戻りたくなかった。苦しい生活が待っているの分かってたし、それを生き抜く力がないことも分かってた。またボロボロになるくらいだったらあったかいこの日本にいたいよーって。だけど、私はアメリカに帰るべきだとも分かってた。だから、フロリダに帰る前にニューヨークにいる友達に会いに行って、ワンクッション置いてからフロリダへと計画した。ニューヨークで私の世界一好きな美術館メトロポリタン美術館に行った。辛い前にいっぱい楽しむぞー!って。美術館のショップでとてもステキな2枚の絵があった。私の好きなゴッホとモネの絵。一枚25ドルもする。2枚で50ドルか。。。私は自分のお金は全部神様からだ!神様のものだ!!って信じてるから、よく神様に「これ買っていい?」って聞く。その時も絵の前に立ちすくんでじっと待ってた。「この絵、買ってもいい? フロリダに帰ったとき、 この絵を見たらきっとすごく励まされると思う。」だけど、心に平安がなかった。「よしっ!」っていう思いにならなかった。私は神様がゴーサインを出していないと判断。後ろ髪をビヨ~ンって引かれながらもその2枚の絵は買わずに美術館を去った。フロリダに到着。私を心待ちにしているホストファミリーに見せた全力の笑顔。愛に答えるため、力を振り絞った。ホテルで働いていた私。その辺はプロ。ホストマザーが言った。「Norikoの部屋、模様替えしたんだ。 良かったかな?」私は悟った。ママは知ってるんだ。私がいまめちゃつらいって。「心機一転、頑張ってね!」っていう見えない声が優しさとともに響いてくる。「ありがとう。」そう言うことが精一杯だった。そして、私は新しい部屋に足を踏み入れた。その瞬間。。。私の心の闇は瞬時に消えた。オオオオオオオオ~~~~~~~~~ッ!!!新しいライトグリーンの壁。明るく差し込む光。そして、私の目の前に光る、2枚の絵。「ゴッホだ~~っ!!! モネだ~~~~~~~~っ!!!」そうです。頼みもしていないのに私の部屋にはすでに!!!ゴッホとモネの絵が飾られてありました。どうして?どうしてゴッホとモネなの?他にもたくさん画家いるでしょ??ねえママ、どうしてこの絵を選んだの?!わたしはもう何もいりませんでした。神様は、美術館で見たあの2枚の絵よりももっとステキな絵を私に与えてくださいました。「わたしはあなたが何が好きかを知り、 わたしはあなたの願いを知り、 また、わたしは最高の形で あなたに与えることのできる あなたの神、主である。」っていわれたような気がした。そして、その通りだなって思った。神様のタイミング。神様の与えてくださるもの。それらはすべて、そして、いつも、パーフェクト。今でも苦しい時その絵を見上げて私は神様を待ち望む。。。神様、ありがと。
2005.10.30
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(左のCategoryの「留学物語」へ行っていただき、 パート1から8までお読みいただければ より良くお分かりいただけます。)2002年12月、学生ローンの申請を終えた私はもう自分の人生が完全に自分の手から離れ、神様が働いてくださっていると確信していました。私はただただ、神様に祈り、神様にすべてをゆだねていました。どんな結果になっても、満足であると。そして、二週間後、結果が出ました。三十路を寸前に大丈夫かとは思いましたが、無事、200万円の学生ローンがおりました。「これで、4年制大学を卒業出来る。。。」道が開けた。4大への道が開けた。私の力は何一つなく、ただただ神様がすべてを取りなしてくださいました。道なきところに、確かな道を開いてくださいました。ただ心の引っかかりは、ローン返済です。2003年1月から毎月3万円。。。これが両親にとってどれだけ厳しいかは娘が一番良く分かっています。だけど、娘の夢を叶えるためと、両親も頑張ってくれていることに胸が熱くなりました。普通のそこら辺の娘なら結婚して子どもが出来て両親も安心だろうに、私は、「神様の道を行くんだ~~!オ~~ッ!」って、クリスチャンじゃない両親にすればわけがわかんない娘だと思うのに、それでも、応援してくれる両親。恵みがあふれてる。ローンがおりると分かった12月初旬のある日、母から一本の電話が入りました。「ちょっと、話がある。」というのです。内容はと言うと。。。母はフィットネスに通っているのですが、そこである女性に出会いました。その女性は定年退職をされたばかりの方。それで、定年退職をした会社というのが私の父が10数年前に28年勤務していた会社でした。母と彼女はなにげなく、定年基金制度の話になりました。「ご主人も、定年基金、会社からもらってるんでしょ?」「いえいえ、主人はもう10年以上前に退職してますから 関係ありませんよ。」「だけど、その基金のお金を支払ってたんじゃありません? 28年間も。調べられた方がいいんじゃないですか?」母にそう聞いた父は、昔勤めていた某会社にさっそく電話をしてみました。父が定年基金をもらうことの出来る対象か、対象外か。結果が来るのに数日かかりました。数日後。。。父は、定年基金の対象であることが判明。2003年1月から、父が死ぬまで昔勤務していた某会社から毎月3万円が支払われることになりました。覚えていますか?私の学生ローンの返済。2003年1月から、毎月3万円。同月スタートの、同額支払い!神様は、ローンを支払うお金をパーフェクトに用意してくださいました!!!!!!!!「主の山に備えあり」(旧約聖書 創世記 22:14)両親は、ローン返済しなくて良くなりました!定年基金が全額支払ってくれます!こんなことって、あるのでしょうか?!あるんです!!すごすぎませんか~~~~!!!神様のなさることは、そこではとどまりませんでした。父は当時63歳でした。ですので、3年分の基金が貯金されていたというのです。よって、ドーンとキャッシュで200万円!!が支給されました!!!!!!!!!神様は、学生ローンの返済分を払ってくださっただけでなく、ボーナスまで支給してくださいました!!そのお金で母はアメリカまで私に会いに来ることが出来、アメリカだけでなく、私と母は、カリブ海へクルージングに行き、そのあとニューヨークへも行き、私は母と一緒に日本へ一時帰国することが出来ました!!このクルージングは今現在でも、私の人生の中でもっとも幸せな瞬間でありました。主を待って良かった。主に従って良かった。自分の目や判断に従わなくて、良かった。。。神様が与えられるときって、神様に従うときって、与えられ方がド~~~ン!って感じです。惜しげなく与えられる神様です!そして、現在まで至ります。あと2ヶ月で、貧乏な私はアメリカの地で4年制大学、英文学科を卒業します。これはすべて、神様の恵み。神様の導き。神様の祝福は、私たちの期待を大きく超えます。優しい神様、祝福したい!と願っておられる神様。神様を信じ、待つか、もしくは自分の判断に従い、自分の道を行くかは、あなた次第。あなたの人生。あなたの決断。私に出来ることは、私に起こったすべてのことをあなたと分かち合うということ。すべて偶然?神様を信じていない両親だって、「神様って、いるんだね。」って言ってますよ。偶然なんてない。すべて、目的があるんです。さて、これからです。12月卒業後、私はどうなっちゃうんでしょうか。さっぱり分かりませ~ん!!大学院(神学校)への入学は認められています。ですが、また通うお金がないのです。大学院であろうと、日本への帰国であろうと、私は神様にゆだねています。どちらの道も、笑顔で歩んでいきたいです。なぜなら、「神を愛する人々、すなわち、 神のご計画に従って召された人々のためには、 神がすべてのことを働かせて 益としてくださることを、 私たちは、知っています。」(新約聖書 ローマ人への手紙 8:28)「主を尋ね求める者は、 良いものに何一つ欠けることはない。」(旧約聖書 詩篇 34:10)神様を信じる者に与えられた数多くの素晴らしい神様からの約束。その約束を信じて、神様を信じて、また神様が導いてくださると信じて。。。
2005.10.15
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(左のCategoryの「留学物語」へ行っていただき、 パート1から7までお読みいただければ より良くお分かりいただけます。)無事に日本での手術を終え、3ヶ月ぶりに8月末、アメリカに戻って来ました。勤務していたホテルにさっそく戻ってみると、もう私の名前はシフトから消されていました。私のポジションはすでに新しい人でうまっており、再び働くことはできないと言われました。このことはそれほどショックではありませんでした。他にもっと良い道があるということ。でしょ?再び仕事を探しはじめます。9月が過ぎ、10月が過ぎ、11月になりました。「ヤバい。これはヤバい。」毎日毎日神様に祈っても、仕事は与えられず、私にできることはもう、神様を待ち望むしかありませんでした。しかし、11月半ばに入った時、仕事もなく、お金も100ドルを切っていました。自分なりに頑張りました。自分なりに主を待ちました。自分は主に従いたい。主が導かれなければ、私は何も決断しない。だけど。。。もう、信仰の目でもっても、4年制大学への編入は不可能であるといわざるを得ない状況に私は追い込まれました。「待つ」という自分の限界を超えたとき、いよいよ私は、日本に住む母親に電話をしました。「あのね、今まで応援してくれてありがとう。 来月の12月、日本に引き上げることにしたから。」「大学はどうするの?もう行かなくていいの?」「行きたいけど、もうどうしようもないんだ。 短大を卒業して、ここまで来れただけでも Norikoはすごく感謝してる。満足だよ。」私は両親が私の決断を喜んでくれると思いました。なぜなら、電話をするたびに私がいないと寂しがり、「いつ帰ってくるの?いつ帰ってくるの?」と聞くからです。日本へ切り上げると聞いて、これほどまでの良いニュースは、両親にとってないはずです。ところが。。。10分ほどして母から電話が入りました。なんと、私に4大を卒業してほしいというのです。これには驚きました。「主が、両親の心に働かれている。。。 これは、何かあるかも。。。」だけど「無理だよーん。」と告げました。すると。。。母は、日本政府の出している学生ローンで何とかならないかということ。4年制大学卒業まで、学費だけで200万円いります。私はちょっと考える時間が欲しいと伝えました。もちろん、月々のローン返済は両親がすることになります。私は、それがどうしても、いやだったのです!「借金」は、私のやり方ではないんです!!絶対にイヤなんです!!!神様に言いました。「両親にローンを払ってもらうなんて絶対にイヤです。そうするくらいだったら、私は日本に帰ります。」愛する両親に負担はかけたくない。しかし、不思議なことに、日に日に私の心に、ローンに対する「平安」が心に与えられはじめました。そして、しばらくして、私は思いました。「学生ローン、自分ではどーしても納得いかないけど、主が導かれてる。どうしてもそう感じる。神様、従います。」めちゃめちゃめちゃめちゃイヤでしたが、私は母親に学生ローンの手続きをするよう頼みました。これは、納得いかないけど、神様からだ。この平安は、神様にしか私に与えることができない。主が導いておられる。主を信じよう。こういう流れで、学生ローンを申請。結果は2週間後。もう三十路を目の前に、学生ローンなんて日本国でおりるんでしょうか。自分の目には正しくないこと、だけど、主が導かれるのであれば。。。これが私の信仰をさらに引き延ばす大きな経験になるのです。従って、ほんと良かった。。。続く。
2005.10.13
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(左のCategoryの「留学物語」へ行っていただき、 パート1から6までお読みいただければ より良くお分かりいただけます。)まさかと誰もが思っていたフロリダの短大を無事、奇跡的に卒業することが出来ました。そして卒業後の新たな目標は4年制大学への編入。残金は100ドルくらいだったと思います。でもどうやって?神さま、今度はどう働かれるのかな~。卒業してすぐ、私は一年間アメリカで働く許可をもらうことが出来、フロリダにてホテルで働き始めました。実は日本でもこのアメリカ外資系ホテルで3年半働いていましたので、懐かしい感じがしました。勤務はフロント。ここではアメリカ人の友達や、世界各国から来て働いている人々と共に仕事が出来、国際的な大変恵まれた環境で働くことが出来ました。フル・タイムで働きながら、そのお給料でもって私は1つづつ、4年大学で授業を取り始めました。この大学は、とっても綺麗なキャンパスを持っており、そこで学べることは、私にとってはありえないほどの祝福でした。アメリカに来た時、日本人の友達がこの学校に通い、校内の寮に住んでいました。一度車で迎えに来たとき、このキャンパスがあまりにも眩しくて、輝いて見えて、「こんな大学に通えるなんて、うらやましいなー。」と内心思っていました。友達は社長息子。余裕で通っていたので、「私とは違う世界だわん!」と、考えていたのです。ですが実際に私がこの学校に通い始めた時、3年半前にふと思ったそんなことを思い出しました。「神様に、不可能ってほんとにないんだ。。。 なんだって、できるんだ。。。」まだパートタイムの学生だったにせよ、夢の大学に通い始めることができたことは、神様の不思議な導き。神様の用意してくださった道はとっても力強く、私の期待を大きく超えました。ホテルでも私は自分の仕事を愛していました。朝5時起きの日もあれば、深夜1時帰宅の日もありましたが、一日も、「仕事に行きたくない」と思った日はありませんでした。上司に恵まれ、仲間に恵まれ、陽気なケセラセラ系の素晴らしい人たちに囲まれ、アメリカでの貴重な体験を楽しんでいました。そして、仕事を終えてある日ホテルを車で出ようとした時、ホテルの最上階に輝くホテルのロゴがふと私の目に入って来ました。すると、私の目から涙がドバ~っと溢れてきました。私がとっくの昔に忘れていた、自分の祈った祈りが心に返ってきたのです。「神様、アメリカに行って働きたい。掃除でも何でもいいから、アメリカのホテルで働きたい。神様、自分の〇〇ホテルのアメリカのどこかに私をトランスファーしてください。」10年前に祈った祈り。日本で働きながら、毎日祈っていた祈り。その時は「どうして神様は祈りに答えてくれないんだ!!」と怒ってた。夢がかなえられず、すごく悲しかった日々。そんな自分すら忘れていた祈りでさえ、神様は覚えていてくださいました。神様は、私の夢、小さな祈りをも忘れられないんだと、知りました。そして、ベストな時に、最善の形でかなえてくださるのだと知り、神様の愛を深く感じて、車の中で泣いて、賛美して、その夜は帰路につきました。しかしそんな幸せの中、私の喉に異変が起こります。ホテルでフルタイムで働き、大学でも学んでいた夢のような生活を3ヶ月してすぐの頃、手術のため、日本に緊急帰国することになります。もうこのホテルで働けないかもしれない。働けないから、もう大学にも行けないかもしれない。それでも私の心は守られていました。「神様がいれば、大丈夫だ。これも必ず、益となる。」そう信じて、私はまた一人、日本へと旅立ったのです。神を信じる人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神はすべてのことを働かせて、益としてくださることを、私たちは知っています。新約聖書 ローマ人への手紙 8章28節
2005.09.29
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いよいよ短大卒業まで残りあと1学期まで迫りました。ここまで来れただけでも奇跡です。最後の学期の学費がなかったにもかかわらず、この時にはもうお金の心配はしなくなっていました。「神様がなんとかしてくれるだろう。すべては益となる。」そう信じ、学業に集中し、仕事を楽しんでいました。そんな、またある日のこと。。。"Noriko?"私の大好きなカウンセラーが、私のオフィスに来ました。「どうしたの~?元気~?」「Noriko、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」「いいよ。Come on in!!」「あのね、突然なんだけど、 Norikoは短大を卒業出来るお金を持ってるの?」「持ってないよ~!あとちょっとってとこで、足りないの。 どうして分かったの?」(私は誰にも言ってなかったのです。)「で、卒業にはいくら、足りないの?」「ホニャララドルほど足りないの。」すると、彼女は私のオフィスの扉を閉めました。そして、真剣な顔で私を見つめています。「Noriko、そのお金のことは、心配しないで。 私が、集めるから。 Norikoは、勉強に集中しなさい。 私はあなたにはここを卒業してほしいの。 心配しないで、ちゃんと勉強するのよ、分かった?」やられた。また神様にやられた。彼女は私に口止めしました。カウンセラーはすべての学生を平等にしなくてはいけない。だから、誰にも言わないでと。「私、本当にここで愛されてたんだ。。。」そして、私は彼女から紹介された大学の偉いさんのところにあいさつに行きました。そして、数週間後、奨学金と、特別なこの奨学金を含め、無事、最後の学費をすべて、払い終えることができました。神様のすごさに胸がいっぱいでした。そして、2003年12月、私はアメリカの短大を卒業することができました。この時の達成感は、忘れられません。次なる道は、4年制大学。「神様はどのように与えてくださるんだろう。 本当に、行けるのかな。。。」これが本当に、行けるのです。。。
2005.09.15
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話は留学して2年目の時に戻ります。住む家、仕事は今までお話しした通り、与えられました。どちらもこの上ないほどのものです。しかし、車が5000ドル、予想外の語学学校への1年分の学費など、かなりの出費が重なり、いよいよ私の財布のお金は底をつきようとしていました。短大卒業までまだ1年あります。しかし、次の学期の学費を払うお金がなくなってしまったのです。大きな決断に迫られました。短大卒業をあきらめ、1年間大学で学びましたという修了証だけで帰国するか、それとも、、、といっても、それ以外に道はありませんでした。私はどうすればいいんだ。。。私は神様に祈りました。祈るだけでなく、神様が導いてくださるまで何日も待ちました。なぜなら、聖書にはこう書かれてあるからです。「主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」(新約聖書 詩篇 37章4b、5、7a)私にはもう無理だ。何も出来ない。だけど、私には、神様がついてる。神様が、成し遂げてくださるんだ。神様は、どんなことでもできる。お金をくれることくらい、神様には軽いこと。私は神様をただ待つのではなく、待ち望みはじめました。そうこうしているうちに、私の心に一筋の光がさしかかりました。それは、新しい夢、目標でした。心にふと思いがよぎりました。4年制大学に、私は行きたい。「短大も今のままでは卒業できないというのに、4年制大学に行きたいって、何がどうなってるの?お金はどうするの?」と、さすがのホストファミリーもこの時ばかりは驚いています。私は自分の両親に日本で言った言葉をホストファミリーに伝えました。「神様が必ず導いてくださる。だめならだめで、かまわない。でも私は、やるだけ、やりたい。」余談になりますが、私は、自分の目に見えるものによって、人生の決断を下しません。なぜなら、自分の目ほど、当てにならないものはないと、私は知っているからです。もっと当てにならないものは、自分の感情です。だから、目に見えるもの、そして、毎日移り変わりする感情からは、人生の大事な決断はしません。クリスチャンでない人には理解が難しいかもしれませんが、私は、すべてを知り、すべてのことが可能な神様が、絶対なる力でもって、私をベストな道へと導いてくださると信じています。ですから、心の願いをかなえてくださるとおっしゃる神様が、私の目には今は不可能に写っても、主が成し遂げてくださるのだという信仰をもって、私は決断しました。"We live by faith, not by sight." (2 Corinthians 5:7)「4年制大学への、編入準備に入ります。」周りはかなりびっくりしていました。(実は自分もまさかそうなるとは思ってなかったのでびっくりしました。冒険の人生は最高です!エンジョイ、アドベンチャー!)次の学期のお金もないのに、2年制の学位から4年制編入の学位へと変えました。同僚のカウンセラーもびっくりでした。ですが、また私だけはルンルンでした。神様がどう働いてくださるのか、見るのが楽しみだったのです。それがたとえ日本に帰国する結果になったとしても、です。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(新約聖書 ローマ人への手紙 8章28節)少しだけ残されたお金と、信じる決心とをもって、私は待ち望み続けました。学部も一般教養に変え、大学編入の準備はととのいました。あとは、残りの学費だけです。時は一週間、二週間と過ぎて行きます。すると、ある日、一通の郵便を私は受け取ります。今まで1年半落選し続けていた奨学金の会社からでした。もうお分かりですね。1年半落ち続けてやっと、奨学金をいただけることになりました。私の持っているお金とその奨学金とを合わせて、私は次の学期の学費を無事、支払う事が出来ました。「与えられた。。。」短大卒業までに支払わなければならないのは、あと1学期。私は今与えられた今学期の学びのチャンスを大切にしようと勉強に集中しました。あとの事は全部、神様にゆだねて。。。
2005.09.09
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よく私の友達や、周りの人は当たり前のように違法でキャンパスの外で働いていました。日本料理のレストランがメインです。それも一つの道。だけど、私は絶対に違法はしないと決めていました。「いい子ちゃん」でいたいというわけではなく、正しい生き方をして、それでも神様は本当に私の必要を満たしてくださるのか、知りたかったからです。そして、神様の道を選ぶことが正しいことだと、実感したかったからです。「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」 (新約聖書 ピリピ人への手紙 4章19節)さておき、やっと、キャンパス内に求人を見つけました。1年契約で時給6ドル。Student GovernmentのWelcome Teamと呼ばれるポジションです。新しい学生にキャンパスの情報を与える仕事です。はじめてのアメリカでの面接。「わけが分からなくても、堂々としていよう」そう心に決めて部屋に入ると、面接官6人。「ちょっとオーバーちゃうの!?」第一印象です。そして、今までの経験や、やる気などを聞かれました。自信満々で部屋を後にしました。「この仕事、いただいたぜ。。。」しかし、結果は、落選。「神様、どうするの?」すると次の日、一本の電話が入りました。「あなたにもう一度会って話がしたい」というのです。飛んで行きました。すると。。。「えっ?!ここ、カウンセリング・オフィス。。。」そうです!私がすごくすご~く働きたかったオフィスではありませんか!中に入ると、昨日の面接官の一人であったサリーがいました。「私、あなたをすごく気に入ったから雇いたいの。私のために、ここで働いてくれると嬉しいわ。」やられた。また神様にやられた。「どうぞ、私のボスの部屋へ。」黒人の渋い男性が座っています。優しい笑顔で立ち上がり、握手を求めてきます。「あっ、あの。。。ここで、いつまで働けるんですか。」「もちろん、きみが卒業するまでだよ。よろしくね。」そこで、契約書にサインをします。夢のようでした。なぜなら、私が昨日落ちた仕事よりも数百倍条件が良かったからです。職場が私の大好きなカウンセリングオフィスというだけでなく、なんと異例なのですが、学生の私に、自分のオフィスと机と電話とコンピュータが与えられたのです。私のタイトルはPeer Advisor。新しい学生さんの記録をコンピュータで管理したり、オリエンテーションを手伝ったり。責任もあり、また仲間に恵まれ、やりがいのある、楽しくしあわせな3年間を過ごすことが出来ました。ビックリなのですが、私が3年そこで働いた後、それ以来、再びカウンセリングオフィスが学生を雇うことは今までありません。神様が、私のために特別に用意してくださった仕事だったんだと実感しました。しかし、この仕事は卒業までの授業料を払えるだけの仕事ではありませんでした。まだまだ短大卒業にはお金が足りません。それなのに、留学して1年後、私は自分でも驚くべく決断に出たのです。
2005.09.05
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人生良いことばかりではないことは、私たちは知っています。そうです。私にもここでまったく予定外のことが起こります。短大での初日のことです。突然訳も分からず、英語のテストを受けさせられました。「どうして?トーフルパスしてるのに。」とりあえず言われるままにテストを受けました。すると、その結果。。。「大学の授業を受けるには、1年間の語学学校を必要とする」ドッヒャ~!なななんで?!一年分のお金しかないのにそれじゃ短大を卒業どころか、短大すら行けないじゃん!!慌てて交渉に行きます。トーフルのスコアを見せ、懸命に抗議します。しかし、短大といえども、ビジネスです。努力はむなしく、短大に通うには、1年間英語を勉強する他に方法はないと分かりました。「1年分の滞在費しかないのに。。。これじゃ、短大卒業に3年はかかる。やっぱり、短大卒業は無理か。。。」しかし、ここは、クリスチャンの強み。大丈夫。私には神様がついている!!聖書にはこう書いてあります。『また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富を持って、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。』(新約聖書 ピリピ人への手紙 4章19節)神様は、私の必要をすべて満たしてくださる。これは、神様から私たちへの約束。もし短大卒業が私にとって益なのであれば、神様は私のすべての必要を与えてくださる。だから、目に見えることは良くなくても私は安心していました。そうこうしていると、学生ビザを持っている私はキャンパス内であればアルバイトできることが判明。とりあえず、仕事を探そう。周りの学生たちは、なかなか仕事がないと言いますが私はキャンパス内をウロウロし、仕事の募集がないかを調べ始めました。「うわ~、私ここで働きたいな~」カウンセリング・オフィスです。しかし、そこでは学生を雇っていません。「必要ならば、神様は仕事をきっと与えてくれる。」神様にすがることができるということは、なんという喜び、安らぎでしょう。そして、2ヶ月という月日がそのまま何事もなく、ただ静かに流れて行きました。「これからいったいどうなるのかな~。楽しみだな~。」そんなことを思いながら私は教室の窓からボーッときれいな空を見上げていました。運命の出会いがすぐそこに用意されていることを知らずに。。。
2005.09.02
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ホストファミリーとの出会いの興奮が冷めやまぬうちにいよいよおうちに到着しました。(8月24日と25日のブログに家と私の部屋の写真を載せてます。意味が分からないと思いますので、まだお読みでない方は、パート1をご参照ください。)そして、ホストファミリーが心配していた私の大学のキャンパス。アメリカは広いので、一つの街の中でも遠すぎて通えない場所があるのです。ですが、ほんとに感激したのですが、私のキャンパスまで家から車でたったの10分。この家は神様からに間違いない、神様ってやっぱりいるんだ!と実感した瞬間でした。そして、3日後。。。ホストマザーが私の部屋に来ました。「Noriko、あなたは大人だから自分で決めなさい。自分でアパートを探して一人暮らしをしてもいいし、私たちとここで暮らしてもいい。どちらがいい?」私は即答出来ませんでした。ほんとうにお世話になっていいのだろうか?厚かましくないだろうか。こんなすてきなおうちで。日本人特有の心配が心にわんさか湧いてきます。私は祈りました。心静めて待ちました。「神様、どうすればいいですか。私には、どちらがベストの道ですか。世間体じゃなく、私にとって良い道を教えてください。」こればっかりは、ものすごく悩みました。ホストファミリーに迷惑をかけるのではないか。。。だけど、私は思いました。「この家も、この家族も、神様が与えてくださった場所。その祝福に感謝して、楽しもう!」そして、その決心を伝え、毎月いくら払えばいいか、交渉しようとしました。すると、ホストファミリーは1円もいらないと言います。「ここは、Norikoの家。ここにある冷蔵庫の中のもの、事務所のもの、ここにある、すべてのものはあなたのもの。だから、お金はいらない。それと、ここにウオークイン・クローゼットがあるから私の服、好きな時にいつでも着ていいからね。」私は耳を疑いました。そんなことって、あるのでしょうか?!貧乏な私は、あまりの大きな恵みに涙を流してしまいました。「短大を、卒業出来るかもしれない。。。」それから今日まで、5年以上もの間、お部屋代、食事代、光熱費などなど、生活費はすべて無料で過ごさせていただいてます。アメリカに6年も留学出来た、ひとつの大きな奇跡です。だけど、「みらくる」はこれが終わりではなく、まだまだほんのはじまりでありました。。。
2005.09.01
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渡米する前、具体的に言うと200万円しか持ち合わせがありませんでした。これは、車を買ってしまうと、アメリカでは1年分の生活&留学費に相当します。それでも私は、アメリカで短大を卒業するんだもーん!と思っていたのです。でも、どうやって?当時勤務していた人事部長など、いろいろな人にはじめは反対されました。「1年分のお金しかないんだったら、短大も卒業出来ないじゃないか!中途半端になるから、アメリカ行きはやめにしなさい!ノイローゼになって帰ってくる人だってたくさんいるんだぞ!」お金が足りないことは分かってる。ノイローゼになる人も知ってる。だけど、私には神様がついてる。「主の山に備えあり。」絶対大丈夫や。でも、住む所どうしよう。そんなとき、両親が、「Noriko、アメリカに行く前に、向こうで住む家と、空港まで迎えに来てくれる人が見つからなかったら行かせないわよ。」ひとり娘、プリンセスな私。私にも子供がいたらそう言うだろう。「お父さん、お母さん。私には神様がついてる。(両親はまだクリスチャンではありません。)神様がどう働かれるか、今から私に起こることを、ちゃんと見ていて。必ず、家は見つかるから。」といっても、インターネットで調べても、学校に問い合わせても、実際私が行かないことには成り立たない。時間は過ぎ、出発まであと3週間になってしまいました。家はまだなく。。。私は神様が絶対に!住むところを与えてくださると信じていたので、あたふたしたのは私ではなく、私の周りの人たちでした。「どうするんや!どうするんや!」「しっかり見ててよ!何が起こるのか。」余裕の私。そんな、ある日のこと。私の職場にあったある雑誌に私の目がふととまりました。それは、外国人観光客向けの、ローカル雑誌でした。今までずっとそこにあったのに、一度も手にしたことのないその雑誌。すべて英語で、パラパラとめくっていくと、最後の方に近辺にある教会の情報が載っていました。そして、その中に、アメリカ人の牧師先生の名前とEメールアドレスも載っていたのです。私はひらめいた。「私はフロリダには友達もいないし、誰も知らない。しかし!!このチャールズ先生は、フロリダに友達がいるかもしれない!!」お~~~~~~~~~~~~っ!!!自分のアイデアに興奮した私は、さっそく会社からメールを出します。「チャールズ先生、はじめまして。どこどこで働いているだれだれと申します。あと2週間でフロリダのどこどこに行くのですが、空港に迎えに来てくれる人と、私のアパートが見つかるまで家に住ませてくれる助け人をしりませんか?」メールしたのは夜の9時くらいだったと思います。そして、翌朝。。。「ユーガットメール!」まさか、チャールズ先生からはまだ返事来ないよなー。えーっ、来てるじゃん!!開けてみる。「Dear Noriko, You've got your host family now.Come to see me soon.」早っ!!もうホストファミリーが見つかったって?一日もかかっていない。。。さっそく、会いに行ってみる。チャールズ先生はとってもやさしそうで、なにより、ケンタッキーのおじいちゃんじゃん!そのまんまじゃん!っていう感じの人で、すぐに好きになりました。そして、私に一枚の紙を渡してくれました。「きみのホストファミリーからだよ」「チャールズ先生、私はだれだれです。このヤングレイデイーをうちに是非連れて来てください。今までなんども我が家はホストファミリーもしています。ただ、彼女のキャンパスはどこにあるのでしょうか。通えない場所かもしれませんので。ですが、到着の飛行機の便を教えてください。彼女を迎えに行きます。それと、彼女に伝えてください。彼女はアメリカにいる間ずっと私たちと住むことが出来ると。」注意:私はチャールズ先生もこの家族も知りません。なにより、向こうも私を知らないのです。なんという奇跡だ。これは絶対神様からだ!!間違いない!(言っちゃった!キャハ!)しかし、航空便名をメールしても相手の家族からはコンファームのメールが来ません。「あのメールはうそかもしれない。」一瞬頭をよぎりました。「話が出来過ぎている。」でも、私は神様を信じていました。「彼らは、必ず来る。」ホストファミリーからその後何の連絡も来ないまま私はスーツケース1つという少なすぎる荷物とチャールズ先生から受け取った1枚の紙とを握りしめ、アメリカへとひとり旅立ちます。よりによって、こんな大事な時に限って、飛行機って遅れるものです。3時間の到着遅れです。もう深夜12時を回りました。ホストファミリーの携帯の番号も、家の番号も知りません。ですが、希望に燃える私の心は、「なんとかなる!」という気持ちでいっぱいで、ワクワクしていました。やっと目的地の空港に着きました。深夜1時に近かったです。すると。。。"Miss. Noriko"とってもとっても優しそうな夫婦が私の名前が書かれたサインを持って笑顔で立っていました。見ず知らずのわたしを、彼らは温かく抱きしめ、"Welcome to America!"と言ってくれました。これが、これから6年間に渡って起こる奇跡のはじまりの瞬間でした。
2005.08.30
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