『ごまめの歯ぎしり』



登場人物表

玖我 美零(二九)女性。地方FMのDJ。

捌木 拾生(二一)男性。大学生。


参河 百恵(三二)女性。ディレクター。
陸奥 千早(二三)女性。新人DJ。

伍藤(四五)男性。ミキサー。
壱原(五〇)男性。プロデューサ―。

漆澤 萬里(?)男性。バンドヴォーカル。





●玖我家・玄関・朝
   通常の通勤スタイルの美零。
   上がり框に腰を下ろして。
   スニーカーの紐を日頃より丁寧に結ぶ。
美零「行ってくる」
   声を掛けて格子戸から外へ。
   廊下の奥の襖が少しだけ開く。

●住宅街・朝
   いつもの道をゆっくり歩む美零。
   欠伸する猫の前で立ち止まる。
   屈み込んで触ろうとして威嚇されて。
美零「バイバイ」
   寂しそうに微笑んで小さく手を振る。

●最寄駅・入口・朝
   地下への階段の前で立ち止まる美零。
   避けて通る人々の不審&迷惑な顔。
   美零、踵を返して歩道を歩み去る。

●遊歩道・午前
   疎水沿いに続く石畳の道。
   桜並木はすっかり葉を散らして。
   うらうらと暖かい小春日和。
   観光客の姿は見えない。
   ベンチに独り腰かけた美零。
   陽光躍る水の流れを見つめて。
拾生「普段は眼鏡なんですね」
   美零の背後に立っている拾生。
美零「そうよ。意外だった?」
   振り向かず独り言のように。
拾生「実はそうじゃないかって。コンパの時、
 鼻の横に痕が有ったから」
美零「よく見てるなあ。キミは思考機械か」
拾生「あえてホームズじゃないんだ」
美零「文学部だったら知ってるかと思って」
拾生「作者がタイタニック号と共に大西洋に
 沈んでることくらいは」
美零「奥さんをボートに乗せて自分は運命を
 天に委ねたんだって」
拾生「映画みたいな話」
美零「嫌だな、私はそんな最期」
拾生「ハッピーエンド派? 眼鏡よりそっち
 が意外です」
美零「某隕石映画のラストなんだけど」
拾生「はあ」
美零「娘の結婚式にしれっと帰って来る方が
 あの親父らしくない?」
拾生「嘘臭くないですか」
美零「嘘臭くていいじゃん。元々嘘臭い映画
 なんだし」
拾生「今も<歯ぎしりモード>かな」
美零「かもね。うーん」
   美零、大きく伸びをして空気を吐く。
美零「座りっぱも疲れる。ちょっと歩こう」

●同・承前
   石畳を愛しげに踏みしめる美零の足。
   拾生、音もなく寄り添う。
拾生「あの時はコンタクトだったんですか」
美零「裸眼ラガン。何かロボっぽいな」
拾生「不便だったでしょ」
美零「全然。日常行動に支障がないレベルの
 視力だし。人の顔がぼんやりする程度」
拾生「それ、不便って言わない?」
美零「狙いなんだよ。緊張しそうな状況では
 わざとそうしてるの。ラジオの本番中も」
拾生「ずっとですか」
美零「番組開始時からずっと。視界がクリア
 だとたぶんマトモに喋れない。昨日だって
 ミーさんがどんな顔して怒ってたか見えて
 なかった。失礼な話だよ」
拾生「ふーん・・・」
   拾生、少し俯き加減に。
拾生「僕と話してる時も、のっぺらぼう状態
 だったんだ・・・」
   心なしか拗ねたような響き。
美零「・・・不思議だけど」
   顔を上げた拾生、美零と目が合う。
美零「キミの顔だけはクッキリ見えた」
   拾生の眉に漂う憂鬱の影が消えて。

●同・承前
   遊歩道を抜けた二人。
   眼下に古い家並を臨む下り坂。
美零「一人になりたい時、よくここを歩いて
 たんだ。キミくらいの年だったかな。まだ
 観光客もそれほどいなかった頃の話」
拾生「すみません、孤独の邪魔をして」
美零「空気男はノーカンだよ」
   薄雲がかった空の下、坂を下る。
美零「ま、私も空気だったんだけどね。大学
 サボってブラブラしてても誰にも気にされ
 なかったし」
拾生「結構、不良だったんですね」
美零「居場所がなくてさ。図書館とか映画館
 の方がよっぽど居心地が良かった」
拾生「さすがに今は探されてると思います」
美零「それはない」
拾生「でもこんな時間だし」
美零「自宅待機」
拾生「あ・・・」
美零「大丈夫。チクショー唆された、なんて
 思ってない」
   坂を下る足、次第に弾み出して。
   終いには軽やかな駆け足に。
拾生「どこ行くんですか」
美零「さあ」

●禅寺・昼
   聳え立つ赤煉瓦の水道橋。
   下から見上げる美零と拾生。
   ここにも他の人影は見られない。
美零「今でこそお寺と切っても切れない名所
 だけどさ、造られた当初は景観損なうって
 ブーイングの嵐だったんだって」
拾生「今は馴染んでますね」
美零「無機物が羨ましい。風雨に耐えてれば
 なし崩しに馴染んじゃう」
   美零、上方に続く石段を指す。
美零「上行こうよ。有名なのはこのアングル
 だけど私は上からが好き」

●同・承前
   木々の間を流れる細い水路。
   その先は煉瓦造りの隧道に消えて。
美零「下がどれだけ混んでても、ここだけは
 いつも静かなんだ」
拾生「また美零さん好みな」
美零「今日は珍しく下も静かだったね」
   美零、流れの畔に屈み込む。
美零「水の音、匂い。頭の中の腫れが退いて
 いくみたい・・・」
   膝を抱いて目を閉じる美零。
美零「昨日ね、放送が終わって気づいたこと
 が一つあるの」
拾生「・・・・・・」
美零「自分がこんなに嫌な人間だったなんて
 思わなかった」
拾生「気持ちよくなかった?」
美零「気持ちよかったよ、その時だけは」
拾生「快楽ってそういうものだから」
美零「嫌いなもの。腹立つこと。何を話そう
 かって考えてるうちに止まらなくなって。
 プカリプカリ、どぶに湧く汚い泡みたい」
   立ち上がり、水路沿いに歩を進める。
美零「キミといる時だけは、好きなものの話
 がしたい」
   枯れ敷いた落葉が乾いた音を立てて。
拾生「じゃあ教えてください。そうだなあ、
 好きな匂いとか。美零さんって匂いフェチ
 でしょ」
美零「それも観察と推理の結果?」
拾生「さあ」
   美零、手をお尻の辺りで組んで。
   流れに沿って行ったり来たり。
美零「金木犀、夜の風、ココナッツオイル、
 お寺の木材に染み込んだお線香、床屋さん
 のヘアトニック・・・」
拾生「ヘアトニック?」
美零「オヤジ臭好きの変態とか思ってない?
 少し距離置いて適量だとこれが最高なんだ。
 店の開いた扉から漂ってくるのがちょうど
 イイ匙加減」
拾生「かなりディープ」
美零「あとね、夕方よその家から漂ってくる
 炒め物のごま油。食べ物だったらラーメン
 茹でる匂いも好きだな」
拾生「胸焼けしません?」
美零「しないよ。するの?」
拾生「・・・調子悪い時、たまに」
美零「ふふ」
拾生「何ですか」
美零「いや、その、ね。意外と人間くさいん
 だなって」
拾生「人間ですけど」
美零「ほんと?」
   和やかな空気に水を差すバイブ音。
   美零、スマホを取り出して曇り顔。
美零「・・・ミーさんだ」
拾生「ほらね」
美零「ちょっと待っててね。・・・おはよう
 ございます。そう、指示通り自宅」
   拾生に悪戯っぽく流し目。
美零「今から? あー、どうかなあ。一時間
 はかかると思う。え、いいの?」
   拾生、美零の視界からフレームアウト。

●FMみやび・玄関~階段~廊下・午後
   走り去るタクシー。
   セキュリティの前で手間取る美零。
   参河、中から解除して引っ張り込む。
美零「通行証忘れて・・・」
参河「いいから。足を動かせ」
   エレベーターを待ちきれず階段へ。
   美零の手をグイグイ引く参河。
   足が縺れそうになりながら従う美零。
美零「・・・昨日はゴメン」
参河「最後のコーナーだけ出て」
美零「でも・・・」
参河「放送、聴いてないの?」
美零「・・・うん」
参河「むっちゃんが頑張ってくれてる。でも、
 正直まだまだ。若いから許されてる段階」
   防火扉から廊下へ。
参河「けどあの子は、モラトリアムの只中で
 ちゃんと足掻いてる。昔のウチらとは違う」
   スタジオに向かって突き進む二人。
   美零の視界に参河の後ろ髪のハネ。
美零「・・・まだ時間ある?」
参河「どうせ台本無視だろ。打ち合わせ不要
 だし、十分なら」
美零「ちゃんと支度させて。中途半端な覚悟
 じゃできない」
   参河の手から離れる美零の手。
   ロッカールームに向かう美零。
   その背中を見送る参河のやつれ顔。

●同・編成部・回想
   参河、散らかったデスクの前で針の筵。
   デスクの主、壱原。
   文字でびっしり埋まった紙を両手に。
参河「玖我の処分の件ですが」
壱原「うん・・・」
   手元の紙から目を離さずに。
参河「一ヶ月ほど休ませてはどうでしょうか。
 あの暴走も恐らく蓄積ストレスのなせる業
 だと思います。ああ見えて非常に内向的な
 人間でして長い付き合いの私にも言えない
 ことが相当有ったんでしょう」
   いつになく畏まった参河の口調。
参河「本人の気持ちが落ち着いたら、今後の
 処遇も含めて・・・」
壱原「これ見ろ、これを」
   参河を遮る興奮気味の壱原。
   メールをプリントした紙束を振って。
壱原「<臍曲署ボス>、<家庭人8823>、
 <どこ吹く風>、<アーメンソーメン>、
 苦情を入れてきたのは見事に古参ばかり。
 全体で見ても精々半数がいいところだ」
   渡された紙束を流し読む参河。
参河「苦情というよりは玖我に対する心配の
 ように見えますが・・・」
壱原「残り半数は圧倒的支持票、しかも新規
 が多い。<松永ダンジョン>、<さそりの
 射手>、<レクス・タリオニス>、これも、
 これも」
  参河の手に次々と重なる紙束。
参河「気のせいか物騒なラジオネームが多い
 ですね。それにお便りの内容も・・・」
壱原「ヤバそうな奴は君の判断で弾いていい。
 大事なのは新陳代謝」
   剃刀のような眼光で参河を見据えて。
壱原「玖我の番組は長期安定しているように
 見えて慢性病に冒されている。マンネリと
 いう病だ。こいつは難儀な業病だぞ。常連
 リスナーの存在ですら毒素に変わる。第一、
 こいつらはもういい年だろ。いつ消えるか
 分かったもんじゃない」
   参河の手の中で紙束が歪む。
壱原「ウチの平日昼番組がこれだけ跳ねたの、
 いつぶりだと思う。俺は忘れた。しかも、
 わずか十分のコーナーでだ。構わん、明日
 からも続けろ」
   参河、唖然と壱原を見る。
参河「お言葉ですが、今の時代・・・」
壱原「改めて昼の放送を聴いたんだがね」
   徹底的に最後まで言わせない。
壱原「流石は玖我だ、放送倫理に抵触しかね
 ないフレーズは巧みに避けていた。彼女に
 任せておけば我々が自家中毒に陥ることは
 無いだろう」
参河「では、番組全体の方向性を・・・」
壱原「あくまで最後のコーナーだけだ。それ
 以外はこれまで通りにやれ。落差を最大限
 に利用しろ」
参河「各曜日のスポンサーは・・・」
壱原「もう打診した。難色を示す会社は二三
 有ったが代わりは見つけてある」
   大渦巻に飲まれたような顔の参河。
参河「世間がどう思うか・・・」
壱原「悪名は無名に勝る、と言うじゃないか」

●同・ロッカールーム・午後
   カーディガンを陣羽織の如く纏う美零。
   扉裏の鏡で顔と髪を確認。
   髪に付いた落葉の欠片を取り除く。
   胸ポッケに眼鏡を入れる美零。
   先客の編みぐるみに指が触れて。
   一旦取り出そうとするが思い直す。

●同・副調整室・午後
   ミキサー卓の前に伍藤。
   硝子の向うのスタジオに陸奥。
   小さな体を元気に動かして放送中。
   その様子を見守る参河と美零。
参河「今までと同じスタンスは期待しないで」
   美零、参河の厳しい顔を窺う。
参河「これだけは言っとくな」
   参河、美零の視線を受け止めて。
参河「私は好きくないから、ああいうの」
美零「・・・・・・」
参河「露骨に批判するだけじゃ芸が無いんだ。
 映画だってお笑いだってそうでしょ」
美零「・・・言ってることは解るよ」
参河「じゃあ、もっと面白くしろ」
   HIPHOPが流れ始める。
   こちらを見る陸奥に合図する参河。
   ヘッドフォンを外して席を立つ陸奥。
   スタジオとの境の扉が開く。
   台本を抱えた陸奥の上気した顔。
伍藤「あんまり動くな。衣擦れが入る」
陸奥「あ・・・すみません・・・」
伍藤「それ以外は、良かった」
   一旦曇った陸奥の表情が少し晴れる。
陸奥「ありがとうございました!」
   美零の横を通り過ぎる陸奥。
   黙って会釈するが視線を合わせない。
   陸奥の台本、付箋や書き込みで一杯。
美零「むっちゃん、ごめんね。ありがとう」
陸奥「・・・いえ」
美零「私、ちゃんと戦うから」
   顔を上げた陸奥の目に美零の後ろ姿。
   背筋が伸びて、少しだけ大きく見える。

●同・スタジオブース・午後
   マイクの前にスタンバイする美零。
   胸ポケットから眼鏡を取り出す。
   装着すると同時に参河のキュー。
美零「皆さん、午後をいかがお過ごしですか。
 ここまでの時間は頼れるピンチヒッター・
 むっちゃんが番組をお送りしてきました。
 あらためましてこんにちは、玖我美零です」
   常と変わらぬ落ち着いた調子。
美零「今日は個人的事情で番組をお休みして
 しまいました。いつも聴いて下さっている
 皆さんに深くお詫びします」
   一拍置いて、眼鏡の奥の瞳に覚悟。
美零「せめて自分で始めた新コーナーだけは
 責任を持って務めたいと思います。今日の
 <ごまめの歯ぎしり>!」
   真新しいジングルとBGM。
美零「さすがウチのスタッフ、仕事が韋駄天。
 それにリスナーの皆さんもすごい順応力。
 早速たくさんのメールを頂きました。勿論、
 お叱りも山ほど。頂いたご意見は一つ一つ
 真摯に受け止め、今後の放送に活かしたい
 と思います。さて、いくつかご紹介します。
 まずは<ガスマスク>さんからのお便り。
 『美零さん、初めてメールします。ごまめ
 のコーナー、よくぞ言ってくれたって感じ
 です。喘息持ちの私にとって、歩き煙草は
 命の危険さえ感じる脅威。でも怖くて直接
 注意したことは無いんです。美零さんのご
 発言が喫煙者の方の意識を変えるきっかけ
 になってくれたらと願います。これからも
 ズバズバ物申してください!』ありがとう。
 喘息お大事に。ガスマスクさんに比べたら
 大した事情じゃないんだけど私、実は慢性
 鼻炎でして。なるべく好きな香りだけを鼻
 に嗅がせて労わってあげたいな、と。これ
 もある意味自分勝手な願望ではありますが。
 もう一通行きましょう。<戸部>さんから
 のお便り。『美零さんこんにちは。ご主張
 には概ね賛同します。でもまだまだ甘い!
 嫌われ者の喫煙者なんて悉くSHCに見舞
 われちゃえばいいと思います』わー、これ
 は過激です。SHCか。人体自然発火ね。
 確かにアレって寝煙草が原因の大半って説
 が有るけど・・・。うーん、死んじゃえと
 までは思わないな私は。それに喫煙者全員
 に怒ってるわけでもないし。あくまで一部
 のマナー違反の方々が対象ね。私としては
 昨日話した<天に唾>の刑が一番しっくり
 くるかな。全部自分に還って来るってやつ。
 殺伐とした罰より、ユーモアあるお仕置き
 路線でいきたいと思います」
   美零、タイマーを一瞥。
美零「何てことでしょう。お便り紹介だけで
 時間切れみたい。明日こそ新しい怒りネタ
 を投下しますね。引き続きお便りもお待ち
 しています。今日は紹介できなかったけど、
 ご批判もきちんと読ませていただくつもり。
 では最後の曲です。今日は私、ノータッチ
 だから何が流れるか楽しみ。それでは良い
 夕暮れを。玖我美零でした!」
   BGMとクロスフェードするイントロ。
   任侠スターの味のある語り。
   美零の頬が緩む。
美零「・・・馬鹿と阿呆の絡み合い、か」
   硝子の向うのサブ。
   背中を向けている参河。

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