『ごまめの歯ぎしり』



登場人物表

玖我 美零(二九)女性。地方FMのDJ。

捌木 拾生(二一)男性。大学生。


参河 百恵(三二)女性。ディレクター。
陸奥 千早(二三)女性。新人DJ。

伍藤(四五)男性。ミキサー。
壱原(五〇)男性。プロデューサ―。

漆澤 萬里(?)男性。バンドヴォーカル。





●PC画面
   FMみやびのメールフォーム。
   一通の受信通知。
   一呼吸の後、堰を切ったように受信。

●FMみやび・スタジオブース・午後
   マイクに向かう眼鏡姿の美零。
美零「信号の無い横断歩道。私、苦手です。
 皆さんはどうですか。まあ、そもそも信号
 付けてよって話なんですけど、警察の方で
 厳密な設置基準が有るらしいから仕方ない。
 仕方ないで済まないのはドライバーの意識。
 私、渡るぞっていう意思表示かなり明確に
 示してるつもりなんだけど。横断歩道の上
 に一歩踏み出しているのにスピード緩める
 気配すら見せない車って何なんでしょうか。
 教習所の座学からやり直した方がいいよ。
 いっそ、軽く掠って自賠責せしめてやろう
 かと頭をよぎった事もあるけど、当たり屋
 扱いされるのは癪だし、間違って大怪我を
 負ったりしたら何のメリットも無いしね。
 かと言ってそういうドライバーって実際に
 事故らないと反省しないと思うんだ。彼ら
 を懲らしめる良い方法、何か無いですか。
 ただし、本人も含めて誰も傷つかない方法
 がいいな。たとえ空想でも、血が流れたら
 寝覚めが悪いもん」

●同・承前(翌日)
   マイクに向かう美零。
   前日より自信に満ちて。
美零「<ほぼブラジル>さんから頂きました。
 『初メールです。昨日の横断歩道の話題で
 気になったのですが、DJさんは車の運転
 されない人でしょうか。ドライバーの立場
 から言わせてもらうと、変に横断歩道前で
 減速や停止するのは逆に危険を感じます。
 後続車に追突されるかも、とか、反対車線
 の車が止まらないかも、とか。そうなった
 時に被害を被るのは歩行者ですし。それを
 避けるためにあえて止まらないドライバー、
 意外に多いと思いますけど』率直なご意見
 ありがとうございます。まず私なんですが、
 運転は一切しません。なんなら免許持って
 ません。なぜって? 絶望的にどんくさい
 から。そのうえ極端にスピード恐怖症なの。
 絶叫マシンなんか一度も乗ったことないし、
 自転車でノーブレーキ坂道下りも絶対ムリ。
 私を路上に放ったら、遅かれ早かれ自分か
 他人の人生をターミネートする自信がある。
 それなら最初から免許取らないのが世の中
 のためだと思って。そんな運転不適合者の
 立場から言うと、それ言い訳に聞こえるな。
 歩行者に優しいのって、やっぱりちゃんと
 待ってくれるドライバーさんだよ。たまに
 遭遇した時、涙が出そうになるもん。まあ、
 その時点で歩行者の感覚も鈍ってるんです
 けどね。だって、待つのが普通なんだから。
 ともあれ、これからも多様なご意見お待ち
 しています」

●同・承前
   加速する美零のトーク。
美零「こちらはSNSからのメッセージです。
 <松永ダンジョン>さん。『こんにちは。
 横断歩道問題の解決策、ズバリ怪談作戦は
 いかがですか。無意識レベルで迷信を気に
 してる日本人って案外多いと思うんですよ。
 黒猫に横切られると何となく嫌な気持ちに
 なったり、今はまだ爪を切ってもいい時間
 なのか夕方六時頃に悩んだり。そこで怪談
 の出番。信号の無い横断歩道には『何か』
 が出るって広めるんです。『何か』は事故
 の犠牲者の霊でも魑魅魍魎の類でも何でも
 いいんですけど。減速を怠ったドライバー
 はソレに呪われるってことになっちゃえば、
 少しはマナーも改善されるのでは。実際に
 目撃談があれば説得力アップですね』これ、
 実現性は別としてすごく惹かれるアイデア。
 何て言うかな、この遠回り具合が粋なの。
 人間の罪悪感って恐怖と表裏一体だと思う。
 そこに訴えかけて自然と道徳的行動を促す
 のは怪談の在り方として正解じゃないかな。
 さて、どうしたらいいだろう。幾らSNS
 全盛とはいえ、書き込みだけで噂を広める
 のは、うーん、難しいです。目撃談・・・
 そうだ、ホログラムとか! たとえばね、
 夜の横断歩道に妖怪変化の立体映像を投影
 するの。交通量の多い時間帯は本当に事故
 になっちゃうから深夜。偶然通りかかった
 ドライバーが拡散してくれたらしめたもの。
 特撮ドラマっぽくて素敵じゃない? なお、
 当然ですがこれ、都道府県の道路交通規則
 で禁止されている行為ですよ。あらためて
 このコーナー、あくまで空想の中で世直し
 を試みようという趣向だから。大丈夫と思
 うけど、実行しようなんて絶対考えないで。
 私、言ったからね。ではラストナンバー。
 皆さんに良い夕暮れを。玖我美零でした」

●モンタージュ~イメージを添えて
   『ゲットー』をBGMに。
   背筋を伸ばして歩道を行く美零。
   冬の冷たい風に抗うごとく。
   ロッカールームでの着替え。
   まるで戦支度のように粛々と。
   スタジオブース、マイクに向かって。
美零「駅前での政治家の挨拶、朝夕を問わず
 大迷惑。与党でも野党でも基本同じ。働く
 世代の味方を標榜するなら、眠たい出勤や
 疲れ切った帰宅の道を塞ぐなって言いたい。
 チラシに綺麗事を並べたって、そういう所
 に無神経だと察しちゃうよね。庶民目線と
 いう言葉の空々しさ、結局は同じ目線まで
 下りてきてやってるんだって上から目線」
   交差点で青信号を待つ美零。
   すぐ隣の派手な女が煙草に火。
   副流煙に包まれる美零の無表情。
   懐からデザートイーグルを抜く美零。
   隣に向けてノールックで引金を引く。
   銃口から吹き出した消火剤の泡。
   泡塗れの女を残して悠々と去る美零。
   車間距離を無視した車の群れ。
   横断歩道もすっかり覆い隠されて。
   躊躇いなくボンネットに飛び乗る美零。
   警笛を無視して車上を軽やかに渡る。
   スタジオブース、マイクに向かって。
美零「人間だったら誰しも隠し通したいこと
 ぐらいあるよね。私だって手に余るぐらい。
 履歴書の賞罰欄に書くレベルじゃないけど。
 脛の傷を見せびらかして生きろなんて他人
 から強制されることじゃない。でも政治家
 だけは例外だから」
   改札外通路、木人のように居並ぶ候補。
   たすき掛けで顔には貼りついた笑み。
   両側から交互に差し出される握手。
   その間を疾風のように通り過ぎる美零。
   残像を残しながら全て避けきって。
   スタジオブース、マイクに向かって。
美零「どうせなら、チラシには成果も失策も
 包み隠さず書いてほしい。声に出しづらい
 信念や政治的な過ちさえもさらけ出して、
 それでも票を入れたいと思える人がいるか
 どうかなんだよ選挙って。ネガキャン合戦
 や絵空事コンクールはもううんざり。これ
 以上有権者を冷え冷えにさせないで。清濁
 併せ吞むに十分な判断材料をちょうだい」
   局の廊下を突き進むカメラ。
   お偉方、中間管理職、下っ端の狂騒。
   飛び交う罵声と溜息、興奮と胃痛。
   掲示された番組ポスターの列。
   美零の顔には心無い落書き。
   編成部に突入するカメラ。
   デスクで子供のようにはしゃぐ壱原。
   大量のペーパーを空調に撒き散らして。
   PC画面にはSNSの賛否両論。
   ネット記事へのコメント数も青天井。
   編成部室に入ってくる参河。
   スマホの向う側にヘコヘコしながら。
   応急処置のメイクで隠しきれない隈。
   ふと自分のデスクが目に入る。
   積み上がった紙資料の僅かな間隙。
   露を吹く栄養ドリンクの瓶。

●FMみやび・休憩スペース・夕
   少し鉛がかった冬の黄昏。
   窓際の席で外を眺める参河。
   傍らの卓には未開栓の栄養ドリンク。
   入口で立ち止まった美零。
   参河の物言わぬ背中を暫く見つめて。
   やがて意を決したように歩み寄る。
   参河の隣の卓に座って窓を向く。
   三メートル置いて同じポーズの二人。
   ドリンクの瓶を手にする参河。
   藍に沈む五重塔と鴉の影を見ながら。
参河「通り沿いの映画館」
美零「・・・パチンコ屋の二階?」
参河「結局行けずじまい、最終上映」
美零「・・・無くなっちゃったね」
参河「最後に行ったの、レスリー映画祭?」
美零「うん。三、四年前」
参河「・・・良かったな、あの映画」
美零「・・・良かったね」
参河「他愛のないラブコメだったけど」
美零「だからいいの。笑えたし可愛かった」
参河「客席の雰囲気も温かかった」
美零「映画館であんなに笑い声が起きたの、
 最初で最後だよ」
参河「いま観返したらそれほど笑えんかも」
美零「でも、それが魔法じゃない? 物語と
 観客と、空間の幸福な出逢い」
参河「そういうのなんだ」
美零「え・・・」
参河「私が美零と一緒に作りたい番組」
   思い出から一気に醒まされる美零。
   目に見えて意気消沈。
美零「・・・まだ、気に入らない?」
参河「気に入ると思う?」
美零「・・・その返し方は残酷」
参河「じゃあはっきり言う。気に食わない」
美零「・・・そっか」
参河「相変わらず幼稚。なんちゃって社会派
 にすらなりきれない。自分の鬱憤を無責任
 に吐き散らしてるだけ。それも無自覚にね。
 歯ぎしり? 寝ゲロの間違いだろ」
美零「・・・さすがにオーバーキルでしょ」
   泣きそうに震える美零の声。
参河「もう折れるんかーい」
美零「・・・・・・」
参河「虚勢でもいいから顎上げてろって」
美零「・・・・・・」
参河「壱Pに認められてんのはそっち。世間
 にコミットされてんのもそっち。じゃあ、
 見る目が無いのは私なんだよ、たぶん」
美零「・・・・・・」
参河「ノレてない以上、私が番組をより良く
 することはできない。まあ、弾除けぐらい
 になら・・・なってやれんこともない」
美零「・・・ごめん」
参河「あーあ、こんな温いモンじゃHP半分
 も回復しねーわ」
   これ見よがしに瓶を振る参河。
美零「・・・ごめん」
参河「あと、企画書濡れたぞ。結露で」
美零「・・・ごめん」
参河「ま、いいけど。ボツったやつだし」
   栓を親指だけで開けようとするも失敗。
参河「くそー、JAROに言いつけてやる」
   あらためて開栓し、夕景に乾杯。
参河「いただいとく、愛情一本」
   窓に向いた二人の背中。
   それに気づき入口で躊躇う陸奥。
   腕に資料を抱えて、複雑な表情で。

●玖我家・玄関・朝
   ラフなお出かけスタイルの美零。
   足にくたびれたトレッキングシューズ。
美零「友達と約束があるから。遅くならない
 ようにするね」
   声を掛けて格子戸に手を伸ばす。
美零「食欲なくてもちゃんと食べてね」
   何かを振り切るように外へ。
   沈黙する廊下の奥の襖。

●遊歩道・午前
   前回と打って変わって大混雑の小径。
   薄暗くも静寂とは程遠い雰囲気。
   美零、足早に行き過ぎる。

●美術館・前・午前
   曇天に聳える巨大な朱鳥居。
   その足下から美術館を臨む美零。
   長蛇の入場待ちの行列が出来ている。
   溜息ひとつ、最後尾に歩き出す。

●美術館・館内・午前
   賑わいを見せる企画展会場。
   カバネルやミレーの前には黒山の人。
   じわじわ流されながら背伸びしても。
   見えるものは色とりどりの後頭部。
   一番人気の展示室を抜け出した美零。
   視線を感じたように振り向く。
   通路の奥に一瞬で消える人影。
   思わずその後を追っている美零の足。
   忘れ去られたような小展示室。
   室内に散在する僅かな人々。
   年恰好からしても探し人はいない。
   ふと、奥に掛けられた作品に惹かれて。
   吸い寄せられるように近づく。
   月光に輝く海を背景に踊る女たちの絵。

●小寺院・庭園・昼
   軒先から絶え間なく落ちる雨。
   フレームで切り取られた庭園。
   枯れ枝と緑の苔のコントラスト。
   広縁に正座して風景と対峙する美零。
   漸く安らぎを手に入れた様子。
   その平穏も長くは持たない。
   背後の畳をどやどや踏む音。
   昼飯時を過ぎて観光客の御入来。

●繁華街・歩道・夕
   人ごみから弾き出される美零。
   アーケードの柱に背を預けて休憩。
   左右に行き交う顔のない群れ。
   ざわめきと雨音が眠気を誘う。
   人酔いした目でぼんやり眺めて。
   すぐ横でわざとらしい咳払い。
   顔を向けるがその主は見当たらず。
   閉じたシャッター前に場違いな銅像。
   『笛を吹く少年』を模した等身大。
   じっと見つめる美零に銅像がウィンク。
美零「ヒッ!」
拾生「やった、今日は大成功」
美零「・・・拾生くん?」
拾生「ご名答」
美零「マネの真似?」
拾生「そんなところです」
美零「何の遊びよ」
拾生「失礼だなあ。ちゃんとした仕事ですよ。
 臨時バイトですけど」
美零「スタチューパフォーマー、てやつ?」
拾生「の、代役」
美零「代役っていう概念のある業界なんだ」
拾生「どの世界にだって有りますよ、代役。
 僕、そういうのよく頼まれて」
美零「そっか。ともあれ休日までご苦労さん、
 勤労学生くん」
拾生「美零さんは充実した休日を?」
美零「うーん。まあ要所要所では」
   その間も二人の傍を通り過ぎる通行人。
   怪訝な目でチラチラ美零を見る人も。
美零「でも大変だね。少しでも動いちゃダメ
 なんでしょ。心身共につらくない?」
拾生「案外平気。趣味と実益を兼ねてるから」
美零「趣味?」
拾生「観察」
美零「実益は?」
拾生「観察の成果としての、解体」
美零「・・・何を?」
拾生「この世界」
   思わず吹き出す美零。
拾生「・・・笑うんだ」
美零「あ、ごめん。余りにも壮大すぎた」
   表情を読めない暗緑色の顔を窺って。
美零「分析、的なことだよね。社会論とか」
拾生「もう話さない」
美零「拗ねないでよ」
拾生「いやだ」
   我儘な子供を慈しむような表情の美零。
美零「だんだんキミのことが解らなくなって
 きたよ。そもそも何を知ってたんだか」
拾生「そんなに興味もないくせに」
美零「あるってば。そうだな・・・たとえば
 キミが学校で研究していること、とか」
拾生「・・・中世日本における言霊信仰」
美零「へー、意外とお堅い分野。なぜ興味を
 持ったの」
拾生「僕の名前にも関係が有って」
美零「そういえば、拾生(ひろう)ってさ」
拾生「ケッタイな名前でしょ」
美零「ウウン。変わってはいるけど不思議な
 響きがして好きだよ。ちゃんとした由来も
 ありそうだし」
拾生「姉がいたんです。いや、『いたはず』
 って表現の方が正確か」
美零「・・・・・・」
拾生「三ヶ月にならないうちに流産。だから
 厳密には姉かどうかも」
美零「・・・・・・」
拾生「でも、何となく姉のような気がする」
美零「・・・・・・」
拾生「その後、五年以上経ってから授かった
 子供だから。どんな危難に遭っても『生を
 拾う』ようにって」
美零「そう・・・。愛だね」
拾生「愛の言霊」
美零「ふふ、サザンかよ」
拾生「まあ、あれですけどね。姉が無事に生
 を受けていたら恐らく存在しないのが僕で」
美零「それは・・・そうだろうけど」
拾生「そういえば美零さんは話しませんね。
 何か無いんですか」
美零「何がさ」
拾生「家族の話」
   美零の脳内フラッシュバック。
   病室のベッドに横たわる女性の上半身。
   その手が差し出した編みぐるみ。
   暗く澱んだ廊下の奥。
   襖前に置いた盆の上の大量の薬剤包装。
   美零、映像を押し流すように笑顔。
美零「特に。何もないかな」
   その時、急に雨の勢いが増す。
   膜がかかったような光景に気を取られ。
美零「拾生くん?」
   再び目を遣った時には、ただの銅像が。
   正確には銅像風のマネキン。
   首にはカフェの宣伝プラカード。

●ある会社員の家・玄関・朝
   新築間もない玄関に満ちる陽光。
   靴を履くパパ、見送るママと女児。
ママ「今日は早く帰ってきてね」
パパ「わかってるよ。可愛いヒマリの誕生日
 だもんな」
女児「たんじょーび!」
   パパ、扉を開ける瞬間にはポッケに手。
   煙草の箱とライターを掴んで。
パパ「行ってきます」
   扉を押し開いた瞬間。
   吸殻の山が雪崩を打って屋内に。
パパ「うわー!」
ママ「きゃー!」
女児「えーん!」
   大惨事に被さるシットコムの笑い声。

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