国盗りっ 0
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なかなか仕事復帰がままならない春小麦です。そこで気分転換にと、尾瀬に行ってまいりました。尾瀬といえばミズバショウが有名ですが、そこには一面にニッコウキスゲが咲き乱れ、その多さに圧倒されました。そう、遠くに見えている黄色い物の正体がこれです。↓さて気分転換がうまくいったのか、今週は先週より出社できました。それでもまだ完全にフルタイムで出勤できていません。ただ増えたクスリの効果が出てきたのか、週後半の方が気分も良かったです。いよいよ来週はフルタイム出勤を目指します!
2009/07/25
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今朝がたランカウイ島から帰国しました。すると息子からメールが入っていて「つりがしたい(海で)」とのこと。そもそもまともに釣りを経験していない私は道具すら持っておりません。どこか近所で竿から貸してくれて指南してくれるところはないだろうか。そう思い、ネットで検索。市原市の海づり公園がひっかかった。竿も貸してくれるし、監視員が初心者に教えてくれるらしい。場所は決まったが、息子を府中まで迎えに行き、市原まで釣りに出かけるのはかなりの長距離になってしまう。やはり朝早いほうが釣れるんだろうし・・・。どこか東京湾で竿から貸してくれる海づり公園はありませんか?
2008/09/14
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勤続10年のヨメは会社から休暇がもらえる。そして私の会社は夏休みを各自がずらして取ることになっている。そこで二人の休みを揃えた。今度の水曜からマレーシアのランカウイ島へ行ってくる。4泊5日の予定だが、4日目の夜に現地を経ち5日目の早朝に成田へ帰国するので、実質4日間の旅だ。ランカウイ島は基本的にビーチ・リゾート地だ。一番の目的は屋久島で遊んで以来、すっかり虜になったカヌー(カヤック)。マングローブの林の中をカヤックでこぎ進むというエコツアーが目玉である。ツアーは夕方から行われ、夜は家庭マレー料理をご馳走してくれる。これも楽しみのひとつ。無事帰国したら、また旅の様子をアップします。
2008/09/07
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子供達が春から府中へ引っ越してきたので、府中へ迎えに行き、アクアラインを渡って木更津まで潮干狩りに行ってきました。曇っていて、おまけに風も強かったので、少し寒い思いをしましたが、子供達は初めての潮干狩りに大興奮!↓↓↓↓こんな形の熊手を1個50円で貸してもらって、いざ干潟へ! お買得品 格安! 忍者熊手熊手の先が金属なので、貝殻にカツンと当たった感触が良く伝わり、使い心地抜群でした。以前は百円ショップでプラスチック製の熊手を持って行った経験があるけど、金属のほうがいいみたい^^アサリは一個見つかると、その辺りからゴロゴロと拾い出せます。大人2kg、子供1kgまで採っていいので、4kgまで採れるのですが、2時間ほどやって寒くなってきたし、お腹もすいてきたのでやめました。1.5kgぐらいしか採ってないので、全然モトは取れませんでした^^;でもアサリを取っているのか、泥遊びをしているのか、どちらにせよ子供達は楽しんでくれたようで良かったです。今度はもう少し暖かい日に行きたいな。
2008/04/26
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ゴールデンウィーク後半は子供達を連れて実家に行ってきた。パパ一人と子供達二人の三人旅行。行き先は大阪のおばあちゃんと呼ばれる私の母の家だ。子供達の希望で、行きは飛行機、帰りは新幹線となった。小学生と保育園児なので、JRの場合保育園児は乗車券が要らない。だけど飛行機はしっかり取られるんだよねぇ。自分は特割で予約して1.3万円位だったけど、子供運賃は正規料金の半額なので約1.1万円もする。あんまり差が無いのが悔しいじゃありませんか!でも飛行機の方がずっとラクでいいです。大阪ではなんばパークのシネコンでゲゲゲの鬼太郎を観て来た。子供二人とお年寄りを連れて、人ごみを掻き分け歩いたのでドッと疲れが出たんでしょう、映画の途中で寝てしまいました(^-^;鬼太郎が裁判にかけられて、釜茹で500年の刑という判決が出て、目玉おやじが身代わりを名乗り出たあたりで記憶が無い・・・帰りは500系のぞみに乗るために、時間を調べて新大阪へ向った。500系の車体は断面が円形に近く、さしずめ弾丸特急といった感じ。博多から東京まで走っているので、新大阪はもちろん途中駅。さすがに自由席は立ってる人も結構いたので、「いいかっ、混んでるから乗れないけど、あれが500系だぞ!」そう言い聞かせて、新大阪始発ののぞみに乗ることにした。もちろんおみやげはいつも決まって551の豚まんです。安くて、ボリュームがあって、みんなに喜ばれます。何ゆえ肉まんではなく、豚まんかと言いますと・・・。関西で「肉」と言えば普通は牛肉をさします。(関東では豚をさすことが多いのではないでしょうか)だから肉まんとは呼ばずに、豚まんなんですね(*^^*)そんなこんなで疲れて帰ってきましたが、なぜか今日は早朝覚醒!3時過ぎに起きてしまい、ポチポチとPCに向ってしまってます。
2007/05/06
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また時間が経ってしまいましたが、忘れないうちに書いておきましょう。さて、早起きつづきの屋久島の旅だったが、この日はゆったりした朝だった。朝食はバイキング形式で、窓際に座ると、そこは岩壁のような山が間近に迫っていた。モッチョム岳である。その奇妙な名前のおかげで、ガイドブックに載っていたことを思い出せた。モッチョム岳に登るコースは非常にキツイと書かれていたのだ。朝日が昇るにつれて、表情を次々に変えてゆくのも、岩盤の山だから。朝食を終え、部屋でくつろぎながら、今日の過ごし方を話していた。結局、バスで近場に出かけようという話になり、ガイドブックに載っていた平内海中温泉に行くことにした。満潮時には海水が流れ込むらしく、ホテルのロビーには干潮時間が書かれてあった。それにしてもオープンだ(^-^;混浴はまだしも、脱衣所も何もない。ヨメは入らないと言うし・・・。温泉の近くには、たくさんカニ穴があって、赤い大きな爪を持ったカニがたくさん居た。そこでカニたちを相手に遊ぶことにした。小枝をカニ穴に突っ込み、挟んできたら、綱引きをするように穴の外へ引きづり出そうとしていた。ひとしきり遊んだところで、お昼近くになった。帰りのバス停へ向う途中で、道路の側溝にいるカニを発見!手づかみでつかもうとしたら・・・・、挟まれましたっ!「痛いっ!!」☆⌒(*▽×)いてっ 思わず手を振ってしまった。カニは草むらへ放りだされたが、ツメは私の指を挟んだまま。ツメだけの状態になっても、グイグイと指を挟んでくる・・・。ううっ、ホントに痛かった。ヨメにカニのツメを開いて取ってもらった。小さいけど、侮るなかれだ。バス停でバスを待っていると、一台の軽自動車が私達の前で止まった。『どこまで行くの?乗っていきなよ。』さっきの海中温泉で会った人だった。お言葉に甘えて乗せてもらうことにした。「いわさきホテル手前に工房があるんですよ。そこで降ろしてくれませんか」屋久島では軽自動車のレンタカーがよく走っている。工房で少し買い物をして、尾之間の町まで歩くことにした。途中、雲行きが怪しいなと思っていたら、あっという間にバチバチと音を立てて大粒の雨が降ってきた。ひえー、あっという間にずぶ濡れ。近くの建物の軒先で雨宿りしたけれど、既に濡れ猫状態(^-^;小降りになるのを待って、尾之間まで歩く。この町で昼食を取ろうと歩いていると、ラーメン屋さんを発見。特製モッチョムラーメンと書かれている。大きな角煮と刻んだニラがスープに浮いている。モッチョム岳のふもとに位置する尾之間らしい一品か。味のほうは、まぁまぁ。これから行かれる人も、話のタネに食べてみてはいかがでしょう。
2006/09/17
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この連載紀行文もしばらく空いてしまっていた。何度も言うようだが、屋久島は雨が多いことで知られている。そこで旅程はかなり余裕を持って行った。ウミガメ、白谷雲水峡、そして縄文杉。これが三大目的だったので、雨が降らない限りは前倒しで観る予定だった。山に入ろうとすると、朝が早い。だから宿泊先は前半を民宿、後半をリゾートホテルと緩急付けて予約してあった。そして日ごろの行いがいい私達は、晴天に恵まれ、4日目にして三大目的を制覇してしまった。安房にある民宿「ひまわり」を後にし、その夜からはリゾートホテルの「屋久島いわさきホテル」に3連泊と贅沢をすることになっている。ただし貧乏性の二人。三日間もじっとできないだろうし、前からやりたかったカヌーと沢登りのエコツアーに申し込んでいる。ひまわりに大きな荷物を預かってもらい、路線バスで屋久杉自然館へ向った。安房から少し山側へ登ったところにある。私はお出かけをしたら、博物館とか郷土資料館とかに入ってしまう。けっこうじっくり見て、その土地の歴史や文化に触れるのが好きだ。ここ屋久杉自然館では、杉に限らず、屋久島の歴史に触れることができた。バスを降りると、朝にひと雨あったのか、自然館の前はしっとりと濡れていた。自然館の駐車場の前に降ろされた私たちは、自然館の入口につながる道を歩き始めた。すると、突然でびっくりした。ヤクシマザルが一頭、こちらに尻を向け、振り返るようにこちらを見ているではないか!思わず、足が止まった。西部林道でヤクシマザルに会った時は、クルマの中だった。子供を抱いているサルや、互いに毛づくろいをしているサルがかわいく見えたものだ。ところが、今目の前にいるサルは違う。怪訝にこちらの動きを察している。サルとにらみ合うこと15秒・・・、道を下るように小走りで去っていった。ふぅ・・・(^-^;緊張したぁ。自然館では屋久杉の特徴と他の樹木との比較、屋久島の植生や気候、地質、そして歴史が学べる。歴史と言えば、縄文杉へ向う途中、森林軌道を歩き始めて一時間足らずのところに小杉谷集落跡があった。江戸時代、薩摩藩の頃から屋久杉の伐採を始めていたが、本格的に伐採が行われたのは明治に入ってからだ。時代が進むにつれて伐採の勢いは激しくなる。森林軌道が轢かれ、チェーンソーが導入されると、伐採地に近い小杉谷には集落ができ、小中学校や商店街まであったらしい。一時はこんな山奥なのに、屋久島最大の人口を誇る集落にまでなったとか。大きな丸太を小さなトロッコに縛りつけ、その丸太にまたがり、ブレーキだけで続々と降りてくる男たち。そんな猛々しい白黒の映像が一番印象的だった。また屋久島の地質についてのパネルを見ると、島全体が花崗岩できていることが分かる。花崗岩は他の石に比べ、軽いらしい。長ーい年月を経て、地中から浮かび上がった花崗岩が、屋久島となって現在に至るとか。隣の種子島は山すらなく、ぺたーっとしているのに。この対照的なところもおもしろい。山を歩いていると誰もが気付くのが、岩にへばりつくようにある長方形の白い結晶。花崗岩の石英分が長時間かけて冷やされ、結晶が大きくなっているらしい。あまり学術的なことばかり書いてもつまらないですね(^-^;自然館を後にし、路線バスで民宿ひまわりに戻る。荷物を引き揚げて、ふたたび路線バスで今夜の宿泊地、屋久島いわさきホテルへ向う。屋久島一のリゾートホテルだ。案内された部屋は海側だった。バルコニーも付いていて、いい眺めだ。スコールのような夕立の後、現れたのが虹。しかも二重に虹がかかっていた!今夜から3連泊。贅沢にゆっくり流れる時間をむさぼりたい。すると・・・、携帯電話が鳴った。カヌーを申し込んだエコツアーの人からだった。『すいません、明日のカヌーなんですが、担当が体調を崩しまして・・・。中止にさせて戴きたいのですが・・・。』仕方がありません (_ _。)・・・シュン「明後日ならカヌーできますか?」『分かりました。また明日連絡するようにします。』だけど、どうしよう。すっかりカヌーをやる気分になっていたのに。そこでフタマタをかけることにした。別のエコツアーでカヌーを申し込んだのだ。だけど、そのツアーは安房川だ。安房川のカヌーは、自転車で大汗掻いて登った松峰大橋から見えていたやつだ。中止になりそうなツアーは栗生川で、何となくこちらのほうが水がきれいそうで行ってみたい。ひとまず明日はゆっくりとして、明後日にどちらかのカヌーをやろうということになった。
2006/08/27
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屋久島は雨が多い。「1ヶ月に35日雨が降る」と形容されるほどだ。そこで屋久島の旅は雨降りを前提に日程を組むことにした。3日目に白谷雲水峡、4日目に縄文杉コース、この二つはどうしても歩きたかったので、5日目は両者の予備日としていた。運良く(日ごろの行いが良いから)、白谷雲水峡も縄文杉コースも快晴で、予備日となった5日目は宿泊していた安房(時計で言うと3時あたり)の町探検に出かけた。安房は屋久島第2の町。役所や警察署などがある。安房川にかかる橋のそばに観光案内所があって、そこのお母さんがとても親切にしてくれた。「レンタサイクルで町を廻りたいんだけど、貸してくれるところありますか?」『はいはい、えっと、向かいのお店で貸してくれるんだけど、あるかな・・・?』そう言って、向かいのお店のガラス越しに覗き込んでくれた。『あるわ、大丈夫よ。』この夜も安房に泊まる予定だが、宮崎駿監督のお気に入り宿「水明荘」は予約がいっぱいで2泊しかできなかった。そして楽天トラベルで予約してあった別の民宿「ひまわり」に泊まることになっていた。だから観光案内所を訪れたときには、二人とも大きな荷物を持っていた。「レンタサイクルの間、荷物預かってもらえますよね。」『あそこは荷物預かりのお金を取るよ。ここ(観光案内所)で預かってあげるよ。』なんとも親切なお母さんである。借りた自転車はマウンテンバイク風。前に3段、後ろに5段の変速機が付いている。ヨメは自転車に乗るのが○年ぶりだと言っていた。まずは安房港を目指す。と言っても、ここは小さな町。5分ほどで到着。安房港にはトッピーという高速船が就航していて、鹿児島や種子島への便がある。もともと平地の少ない屋久島。いくら変速機が付いていようと、私の体力では登れません・・・。坂道は押しながら登っていました(^-^;ガイドブックで見た添加物を一切使わないパン屋さん「ヒロ・ベーカリー」まで登る。屋久島の民宿に泊まっていると、コーヒーやパンが食べたくなるのだ。ほんと、ここのパンは美味しかったですよ(*^▽^)/オススメパン屋を後にし、さらに坂を登ると、いきなり茶畑が登場!そういえば水明荘で淹れてくれたお茶は美味かった。屋久島でお茶作りとは意外でした。さらに大汗を掻きながら、登ると安房川に架かる松峰大橋に着く。風通しの良いここで、川を眺めながら休憩とする。海がすぐ近くにあるにもかかわらず、中流域のような川の風景だ。よく見るとカヌーが浮いているのが分かりますでしょうか?なんともゆったり時間が流れているようで、羨ましかった。私たちも別の地、栗生で「栗生川でカヌー&沢登り」を申し込んでいる。カヌーが楽しみだなぁ。松峰大橋を渡ると、縄文杉コースで歩いた森林軌道の廃線部分が見られる。その昔、杉の伐採で栄えた小杉谷からトロッコに乗って、安房へ買出しに出かけるなど、杉の搬出だけでなく、人々の生活をも支えていた軌道だ。使わなくなってどれくらいの年数が経ったかは知らないが、見た感じでは縄文杉コースの時にあるいた軌道と変わらないほどに保っているようだ。さて屋久島で焼酎と言えば芋焼酎の「三岳」をさすようだ。この三岳、現地の食料品店でもお一人様1本限りと書かれていた。現地でも手に入りにくいらしい。そこで安房の地図の端っこに三岳酒造と書かれていたので自転車で向うことにした。しかし猛暑と体力不足で断念・・・、途中で引き返してきた(;´д`)トホホでもとりあえず途中に寄った食料品店で、ワンカップサイズの三岳を2日間に分けて、2個ずつ買い、やっと4個を手に入れた(^-^;おみやげにするつもり。今度は坂を下って行く。登りはきつくて長いけど、くだりは気持ちよくてあっという間。春田浜という海岸に到着。(↑ヨメです)春田浜を最後に、レンタサイクルを返却。路線バスに少しだけ乗って、今夜の宿「ひまわり」に向う。楽天トラベルで予約したが、どうやらこのひまわりさんは観光協会に入っていないらしく、安房の町マップに載っていなかった。それでも今までで一番印象のいい民宿だった。屋久島の旅も日程的に折り返し地点。ここらで洗濯をしておきたいと思っていたら、洗濯機と乾燥機を自由に使っていいと書かれている。最新式の銀イオンの洗濯機に、ガス乾燥機。本当に助かった。乾燥機があるので、洗ってその日のうちにたたんでバッグに詰め込むことができた。さらに一杯ずつドリップできるコーヒーサーバーが廊下にあり、自由に使えて飲み放題だ。また庭で採れたパッションフルーツ、ブルーベリーのムースなど「良かったら食べてください」とお部屋に運んでくれる。また泊まりたいと思わせてくれた民宿「ひまわり」でした。
2006/08/19
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4日目の日記が長くなってしまい、前・後編に分けざるを得ませんでした。後編は待ちに待った縄文杉が登場です。-----------------------------------------------そして、やっとの思いで縄文杉に出会うことができた。あぁ、途中で何度引き返そうと思ったことか!でもせっかくここまで歩いたんだから、縄文杉を観ずに返れるかい!幸か不幸か、縄文杉の名は全国区となり、年間4万人が訪れる観光スポット。往復10時間の道のりにしては、異例の人数だ。登山者は同じ時間に登り始め、同じ時間に降りるので、縄文杉の前は人が多い。広場のような空中デッキが作られ、それ以上近づくことができないようにしてある。ここで登山者は観光客に変貌している。縄文杉の足元は、土の流出を防ぐため、土留めと植林を行っている。しかし、2頭のヤクシカが縄文杉の門番のように座っていて、植林された幼木を食べていた。さて、どうでしょう?写真じゃよく分からないと思いますが、縄文杉、どのように感じましたか?私には元気というか、覇気が感じられなかった。昨年、雪の重みに耐えかねて、大きな枝をひとつ落としたらしい。傷ついて、悲しい姿をしているように見えた。デッキにはたくさんの人がいるけど、本当は縄文杉もこんな姿を見られたくないと思っている、そんな気がしてくる。しかしそんな感傷に浸っているヒマはありません。レンタカーで登山口まで来ている人やガイドを付けた人はゆっくりできても、路線バスに乗る私たちは帰路を急がねばなりません。そう、帰りのバスは17時だから12時半には縄文杉を後にしたいところだ。縄文杉を後にし、途中で昼食のおにぎりを食べ、やっと森林軌道まで戻ってきた。しかしあと3時間!3時間近くかけて登ってきた森林軌道を、早足で降りる。森林軌道の半分はまくら木に板を載せて、歩きやすくなっている。でもこの森林軌道の長いこと、長いこと。歩けど、歩けど、まだ続く。8kmもあるんだもんなぁ。ずっと足元を見ながら、早足で降りていたので、もう辟易としてました。結局、2時間弱で荒川登山口に着いた。バスの時間の50分前だ。登山靴と靴下を脱いで、素足を風に当てる。あぁ、戻ってきたぁ(^-^;振り返るとぞくぞくと人が降りてきて、だんだんにぎやかになってきた。どうだろう?この縄文杉コース、もう一度行きたいか?自問自答してみる。「いや、もう結構・・・。」これが本音だ。誰かが言っていた。「一度は行ったほうがいいけど、一度行けば充分だ」と。そうかもしれない。縄文杉が観たければこのコースを歩くしかないが、屋久杉が観たいなら白谷雲水峡で充分だと思う。もののけの森まで登っても往復4時間ちょっとだから、半日で行けるし。さて、最後に屋久島クイズのこたえです。屋久島クイズ(5)「現在発見されている屋久杉の中で最長老と言われる縄文杉。さて何故に縄文という名が付いたのでしょうか?」こたえは1)縄文杉の幹には、縄文土器のような模様があるから意外でしょ。私はてっきり2番かと思っていました。ちなみに縄文杉の幹の太さから類推すると樹齢7千年らしいのですが、科学的に調べると2千数百年だそうで、はっきりしたことは分からないようです。
2006/08/12
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いよいよやってまいりました。屋久島旅行のメイン、今日は縄文杉コースです。さて、いきなりですが、ここで恒例の屋久島クイズといきましょう。屋久島クイズ(5)「現在発見されている屋久杉の中で最長老と言われる縄文杉。さて何故に縄文という名が付いたのでしょうか?」1)縄文杉の幹には、縄文土器のような模様があるから2)縄文杉の樹齢から計算すると、発芽したのが縄文時代だから3)縄文杉を発見した人物の名前にちなんで付けられたからもちろん、こたえは日記の最後に・・・。縄文杉が観たい!屋久島を訪れる人の多くが、この動機でしょう。しかし縄文杉を観るには、それなりの日程と、それなりの装備、そしてそれなりの体力が必要なのだ。縄文杉を観るには荒川登山口から山へ入る。↑ガイドブックによると、歩行時間:往復9時間半、歩行距離:往復19.5km、累積標高差:1289mとなっている。トレッキングルートの人気を二分する白谷雲水峡(3日目の日記参照)と比べて、時間は倍以上、距離は約4倍、標高差も3倍近い。荒川登山口へは安房(時計で言えば3時のあたり)から山に入る路線バスが出ている。が、しかし・・・、注意しなければならないのは、その時間と本数だ。荒川登山口に6:25に着くバスが一本あるだけ。安房から乗車しても5:37発だから、相当早起きしなければならない。泊まっていた水明荘のおかみさんに、縄文杉を観に行くと告げて、朝ごはんをおにぎりに変えてもらい、昼食のおにぎりも用意してもらった。そして遅くとも朝7時には登り始めないと帰りのバスに間に合わない。帰りのバスが17時に出発するので、この10時間で戻らないと携帯も繋がらない山中の登山口で一晩明かす羽目になる。日常生活が送れるほどに体力は回復したが、このハードな山道を標準的な歩行時間で歩けるのか心配はあった。しかしそんな事を言っていても仕方がない。スタートした以上、黙々と歩く・・・、それしかない。↑ここが縄文杉コースの出発点。荒川登山口を出発して3時間足らずは写真のような森林軌道(トロッコ)を歩くことになる。トロッコが走るくらいなので、急坂が無く、ゆっくりと続く上り坂だ。ならば歩きやすいかと言えば、これがまたくせ者だった。軌道にはまくら木があって、非常に歩きにくい。まくら木が均一に敷いてあるならともかく、結構いい加減に敷いてあって、その間隔がまちまちだから厄介である。この森林軌道は安房川に沿って、ゆっくり登っていく。屋久島の山岳部は花崗岩でできている。そのため川の中流あたりには写真のような巨石が転がっている。樹の大きさと比べると、その石の大きさが分かるだろう。↑森林軌道の脇にある三代杉。途中で、下からトロッコが登って、通り過ぎて行った。森林軌道を8km足らず歩くと、いよいよ本格的な山道、大株歩道を歩くことになる。樹木は島全体が花崗岩で出来ているため、地中深くに根を張ることができず、岩を這うように張っている。白谷雲水峡もそうだったが、岩場と根っこの道が続く。↑翁杉次に現れたのが、ウィルソン株。植物学者のウィルソン氏が発見した巨木の株である。その大きさたるや縄文杉クラスであるが、発見されたときには既に切り株となっていた。江戸時代に伐られたらしい。中は空洞になっていて、人が百人ぐらい入れそうな広さだった。中から見上げると、空が見える。急坂では木道の階段が続く。もう、階段キライッ!途中、休憩をしていたらガイドを付けた女の子達が来て、ガイドさんに説明を受けていた。遠くに見える山なみを指差して、「あの右に見えるおっぱいが宮之浦岳です。そして左にとがった岩が見えるのが翁岳です。」その説明を聞いて、パチッと一枚撮る。私達はガイドを付けなかったけど、結構ガイドを付けている人が多い。まちまちだが、縄文杉コースともなると一人1万数千円するらしい。ガイドを付けて歩くグループは多くても十名、少ないと3人くらい。私はガイドを付けて歩くことに否定的ではない。ガイドのキャラクターにもよるが、一緒に歩くグループの一体感が楽しそうで、これもいい思い出になるだろう。(ディズニーランドのジャングルクルーズ的なノリのガイドもいたけど)こまめに解説もしてくれるし、複数人で歩くので、ひとりでは見つけられない発見もあるだろう。「下を見てください。ヤクシカの親子ですね。小さいのが今年生まれた仔鹿です。」なんて声をかけてくれたりするみたい。私達はそんな声を盗み聞き(?)しながら、登ってました(^-^;↑大王杉縄文杉が発見される前までは、島内最大の屋久杉として大王の名が付いたらしい。(後編へつづく)
2006/08/12
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レンタカーをずっと借りていれば、どこへ行くにも気ままに動けるが、トレッキング中はクルマも必要ないし、この日以後は路線バスによる移動にした。屋久島は基本的に丸い海岸線に沿って集落があり、県道もバス路線も海岸線に沿っている(ただし西部林道(2日目の日記参照)はバスが無い)。また冬季は運休になる場合があるが、麓の町から人気の登山口まで路線バスが走行している。さてここで屋久島クイズ(4)。「屋久島には縄文杉に代表されるように、○○杉などの名前が付けられた杉が各地にあります。次のうち、存在するのはどれでしょう?」1)びびんと杉2)びびんこ杉3)びびんば杉こたえは日記の最後に・・・。3日目は、屋久島トレッキング第一弾と称して、白谷雲水峡に行った。白谷雲水峡は屋久島のトレッキングコースの中でも、縄文杉コースと人気を二分するほどの名所である。さて、白谷雲水峡の登山口に向うバスが宮之浦(時計で言えば1時半の場所)から山に向って走っていることから、前日は宮之浦に宿泊。大きな荷物を宿泊した「ホテル縄文」に預けて、宮之浦を8:28のバスに乗り、白谷雲水峡へは9:00に到着した。ここでは入山届は不要だが、協力金300円が必要。地図の右側、白谷雲水峡バス停より出発し、雲水歩道・原生林歩道を経由、もののけ姫の森(七本杉~辻峠間)で折り返し、楠川歩道を下り、弥生杉経由で戻るコースを取った。↑ガイドブックによると、歩行時間4時間10分、往復5.5km、累積標高差460mとなっている。そこそこの上り坂であるが、雲水歩道まではかなり整備され、歩きやすい木道となっている。しかしよく見ると、登山口へのバス中も、トレッキングしている人も、圧倒的に女性が多い。女性は汗をかくのが嫌いで、トレッキングなんて嫌がるのではと思っていたが、そうでもないらしい。森の神秘に惹きつけられているのだろうか。サンダルを履いたおばさんも、化粧の濃いオネーチャンも歩いている(^-^;ところが原生林歩道に入ると、ほとんど山道の状態で、急坂や沢を渡るところに木道があるだけだ。でもここがこの白谷雲水峡の見所でしょう。地図で見ても「○○杉」と名前が付けられている杉がいくつかあるが、無名の杉でも迫力のあるものもあって、退屈しない。↑これは二代杉。そして↑これが二代大杉。これらの二代という言葉を語るには「切り株更新」という言葉を解説しなければならない。江戸時代から明治以前までは屋久杉を手斧で切り倒していた。その頃は杉の周りに足場を作り、地上2~3mの高さで切り倒していたようだ。運び出された杉の後に残るものは切り株。やがて切り株にコケが生え、コケで覆われた切り株が誕生する。そしてそのコケに杉の種子が着生し、コケの水分により発芽する。発芽した杉は大きくなるにつれ、切り株にも根を生やし、そして地上に根を下ろすこととなる。この杉が二代目と呼ばれていて、この二代大杉は二代目が大きく育った状態となっている。↑こちらは三本足杉。なぜこのような形なったかは不明であるが、杉の根元が三つに分かれて、スタンドマイクの足のようになっている。三本に分かれた真ん中には小さな沢が流れていた。↑ヤクシカに遭遇。カメラのフラッシュをオートにしていたので、鹿の目が光ってしまった・・・。ヤクシカは結構近くまで寄っていっても逃げません。↑奉行杉↑二代くぐり杉。初代の切り株の中は空洞になっていて、見上げると二代目の杉と空が見える。↑くぐり杉歩道がアーチ状になった杉の足元をくぐるように続いていた。↑もものけ姫の森あの有名な映画にちなんで、この名前が付けられたようだ。こう命名することで、少なくとも観光客の意識に止まりやすいし、訪れる人も多くなっているだろう。しかし、ここのところの少雨で、少し乾き気味らしい。本来ならもっとムワッとしたコケ蒸しているとか。↑これは岩に木が着生している様子。着生した杉?が岩に沿って、根を下ろしているのが分かる。名の付いた○○杉も良いが、こういう着生を見ていると、生命の息吹を感じる。↑弥生杉白谷雲水峡を後にし、バスで宮之浦へ戻り、預けていた荷物をピックアップ。そして明日の縄文杉コースに便利な安房(アンボウ)へバスで移動した。安房は時計で言うと3時半ほどに位置し、屋久島でも宮之浦に次いで大きい町である。安房で宿泊したのは民宿「水明荘」。ここは宮崎駿氏のお気に入りの宿と聞いて、出発前から予約してあったところだ。白谷雲水峡の「もののけ姫の森」もそうだが、この屋久島と宮崎駿氏の関係がイマイチ理解できていなかった。ここ水明荘の囲炉裏端には宮崎駿氏が宿の子供たちに宛てたサインがたくさん飾ってあった。(ここに泊まったジブリファンのHPを見つけました)日づけを見ても、少なくとも2回は訪れているようだ。もののけ姫の構想時にここを訪れ、白谷雲水峡の奥に足を踏み入れ、もののけのイメージを確立したかどうかは不明であるが、看板などには「もののけ姫」のモデルとなった白谷雲水峡へようこそなんて書かれてあったりもしている。ここの夕食はとっても美味しかった。量も丁度いい。家庭の味っぽくて、おかみさんも温かい人でした。↑魚はトビウオの唐揚げ。さて、屋久島クイズのこたえ。「屋久島には縄文杉に代表されるように、○○杉などの名前が付けられた杉が各地にあります。次のうち、存在するのはどれでしょう?」白谷雲水峡の地図にも載っていたから、お分かりでしょうが・・・。2)びびんこ杉 が正解です。ちなみにびびんことは鹿児島弁で肩車を言うようで、切り株更新した杉が、親子で肩車しているように見えることから名付けられたようです。このネーミングは公募で決まったそうですよ。
2006/08/11
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前日、ウミガメに遭遇した一夜から明けて、時計で言えば10時の場所にある永田を出発。反時計回りに島を回ることにした。時計で言えば10時から8時くらいの間が西部林道と呼ばれているところで、世界遺産登録地域に入っている。民家も無く、路線バスも通らない、屋久島の沿岸としては秘境のようなところだ。大型車は通行不可となっているが、レンタカーで走ることが出来る。事前に読んでいた2006年版「屋久島ブック」によると、西部林道では野生動物に出会うことも珍しくないらしい。ピンボケですが、ヤクシカやヤクザルに遭遇。ヤクザルは車が近づこうがお構い無しである。「ごめーん。ちょっと通して!」ジリジリとクルマを前進させながら、サルくん達に道を開けてもらう。ヤクザルワールドに踏み込んだのは私たちなので、謙虚に通してもらうことになる。さて、ここで恒例の屋久島クイズ。屋久島クイズ(3)「西部林道を走るなかで、遭遇したヤクシカ・ヤクザルのどちらが多かったでしょう?」1)ヤクシカ2)ヤクザル3)両者互角(引き分け)答えは日記の最後に・・・。ここ屋久島では「サルにエサを与えない宣言」が採択されていて、大々的にアナウンスされている。日光や箕面など、身近にサルを見れる場所は全国各地にあるが、人間たちがエサを与えたために、人間を見るとエサ欲しさに襲ってきたり、クルマに侵入したりと被害が後を絶たない。サルを見て、恐い経験をされた方も少なくないだろう。屋久島ではこの宣言のおかげだと思うが、サルが変な意味で人間慣れしていないのだ。以前にも書いたかもしれない。私は過去に淡路島と佐渡島を一周歩いている。本当はこの屋久島も一周歩いてみたかった。でもこの西部林道をクルマで走ってみて分かった。ここは本当に野生動物の領域だ。一人で歩いていて、ヤクザルの群れに遭遇したら、本当に恐いと思う。サルに目を合わせないように歩ければ、危害は加えられないと思うが、相手が群れで居たらどうしても目が合ってしまうだろうし・・・。そんなワイルドライフな西部林道を1時間足らずで抜けると、大川(おおこ)の滝に到着。この日も抜けるような晴天で暑い一日だったが、滝のそばまで来ると涼しい。マイナスイオンたっぷり!って感じです。気持ちいいついでに、足まで漬けてみました。ひゃっこい! 気持ちいい!(本当は顔出ししたくなかったけど、これくらいならと思い、勇気を出してアップします)次に7時半の場所にある町栗生に到着。ここのタイドプールで遊ぶことにした。タイドプールとは潮の干満により、干潮時に取り残された潮溜りを言うらしい。ここの地形は岩がゴツゴツ、穴ぼこだらけなので、あちこちに取り残された海水プールができ、そこで小さな熱帯魚やハゼ、カニなどを見つけることができる。ここには珊瑚のかけらがたくさん打ち上げられていて、一見すると真っ白な砂浜に見える。クルマを借りているのはこの日だけなので、後の日程で行きにくい場所を精力的に周る。栗生のすぐ隣町、中間では屋久島フルーツガーデンにも行ってきました。そこに咲いていたハイビスカスです。ここでは500円の入場料を払うと、園内のガイドと南国のフルーツを食べさせてくれました。そしてパッションフルーツの食べ方を教わりました。小さなタネは全部飲み込んでしまうのが、食べ方だそうです(^-^;さて、明日(3日目)は白谷雲水峡にトレッキング。この日は白谷雲水峡へ行くのに便利な屋久島一番の町、宮之浦にある「ホテル縄文」に一泊です。宮之浦は時計で言うと、一時半位の場所。出発した永田から考えると、島の3/4周した格好だ。宮之浦でレンタカーを返却。ある程度の町なので、夕食は町の居酒屋さんに行くことにした。旅先ではよく赤ちょうちんのあるような、小さな居酒屋に出かけることにしている。地のものを、地の人と頂いて、安いとくれば、宿の夕食より楽しい時間が過ごせるからだ。屋久島の焼酎といえば「三岳」が定番らしい。芋焼酎の割には、すっきりクリアな感じで飲みやすい。しかし島内でも品薄なのか、酒屋では「お一人様、一本限り」なんて書かれている。今回の旅では、ワンカップ・サイズの三岳を4つ買ってきました。さて、屋久島クイズの答えです。屋久島クイズ(3)「西部林道を走るなかで、遭遇したヤクシカ・ヤクザルのどちらが多かったでしょう?」遭遇回数から言うとヤクシカの方が多いのですが、個体数では群れをつくるヤクザルの圧倒的勝利でした。正解は2)ヤクザルでした。
2006/08/08
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さて皆様お待たせいたしました。・・・何人の方がお待ち頂いているかは不明ですが(^-^;世界自然遺産の屋久島へ行ってまいりました。そのレポートを少しずつ記してまいります。早く屋久島についての情報を知りたいという方は、恐れ入りますがこのテーマ「世界遺産紀行」に屋久島レポートを書かれている方がいらっしゃいますので、そちらでご確認ください。春小麦のほうでは、マイペースで更新してまいります。えー、それでは恒例のクイズとまいりましょう。まずは簡単な問題。屋久島クイズ(1)「屋久島は鹿児島県に属しますが、鹿児島県を含めて九州地方で一番高い山は何でしょう?」1)もちろん阿蘇山(熊本県)2)いやいや雲仙普賢岳(長崎県)3)この流れからいって宮之浦岳(鹿児島県・屋久島)こたえは、日記の最後に・・・。屋久島へ向けて出発した春小麦一行(2名)はそのアクセスを飛行機に求めた。羽田から屋久島への直行便はありません。全ての地方の方が、一度鹿児島空港に降り立つことになります。もちろん空路以外にも高速船やフェリーなどのアクセス方法もあります。私たちが乗った羽田発→鹿児島行きの飛行機は何と!たまごっち便でした(*^▽^)/そして鹿児島空港から屋久島空港へはJAC(ジャパン・エア・コミュニティー)が1日7便運行しています。もちろんプロペラ機。この日に乗った飛行機はシートが3列だったので、観光バスより細いかも・・・。今回の旅はとにかく晴天に恵まれました。写真の空をご覧ください、抜けるような空でございます。屋久島は雨が多く、「1ヶ月に35日、雨が降る」と例えられるほどなのに、とてもラッキーでした。この日はレンタカーを手配していたので、レンタカー屋さんに迎えられ、配車する事務所まで送ってくれました。「今日は天気がいいですね」『いやー、まいりました。ここんところ2週間、雨が降ってないんですよ。屋久島では異常気象なみです。』出発前からレンタカーの予約をしておきました。一番小さいクラスでお願いしますと。あてがわれた車は「ニッサン・CUBE(キューブ)」。しかも北九州ナンバー。『いやー、この時期はレンタカーも屋久島に出稼ぎに来るんですよ。』余談ですが、この時期の北海道も出稼ぎのわナンバーが多いです。一度、夏の北海道で川崎ナンバーのレンタカーに乗ったことがあります(^-^;さて、この屋久島の旅を語るにつれて、いくつか地名が出てまいります。屋久島は丸い形をしていますので、時計に例えて場所を記していきますね。降り立った屋久島空港は、だいたい3時の場所。レンタカーを借りて、反時計回りに車を進めた。しばらく行くと1時半位の場所に、島内最大の町、宮之浦に到着。スルーして、10時の場所にある永田を目指す。本日の宿は永田の「牧旅館」さん。解説にもあったとおり、ボリューム満点の夕食でした。正直、食べ切れません (ノ◇≦。)屋久島特産のトビウオの唐揚げやアサヒガニのボイル、そしてトビウオの卵の煮付けも美味かった。アサヒガニは短いしっぽの付いたカニです。足は短く食べるところも少ないですが、身体を半分に割ってみると身がしっかり詰まっています。この日の宿泊先に永田を選んだのには理由があります。永田には屋久島には少ない浜(いなか浜・前浜)があり、ここは日本一のウミガメの産卵地。産卵期としては7月はもう終盤、そして羽化期の序盤にあたります。ボランティアで行われているウミガメ観察会は7月いっぱいまで。この日(7/30)はギリギリのタイミングであった。早々に、夕食を終え、いなか浜にあるウミガメ観察会の集合場所へ歩く。7時を過ぎてもまだ明るい。夕陽が海に沈む、とてもきれいなところだ。浜を歩いていると、羽化した子ガメたちが海に向ってペタペタと歩いた後を簡単に見つけられる。いよいよ陽が落ちて真っ暗になった20時、協力金700円を払って、ボランティアの大牟田さんの話が始まる。ラムサール条約に登録されていること。ここ以外にウミガメが産卵する場所として知られている所(徳島県日和佐など)はいくつかあるが、いずれも浜が広すぎて、カメの上陸を確認しにくく、まして観光客が産卵シーンを観察などできない。ここいなか浜ではそれが可能とのこと。産卵期になるとボランティアの方々が徹夜でいなか浜と前浜をライトも点けずに巡回し、上陸回数や産卵回数の統計を取っている。そして産卵後、安全な場所に卵を移動させたりもしている。この様子を聞きつけて、多くの若者がボランティアに参加して協力しているが、まだまだ手が足りない状況らしい。さて、突然ですが・・・屋久島クイズ(2)「アカウミガメ・アオウミガメ・キウミガメ」早口言葉で3回言った後、考えてください。実際に存在しないウミガメはどれでしょう?1)アカウミガメ2)アオウミガメ3)キウミガメ20時から大牟田さんの話を聞いている間に、ボランティアスタッフはいなか浜・前浜にカメの上陸を探しに、無線で連絡を取り合いながら、真っ暗な浜を歩いているようだ。観察会に集まった人々は90名近くも居る。さすがに7月30日、上陸頭数も減っていてなかなか見つからない様子。前日の29日は夜中の2時過ぎに1頭確認されたのみらしいから、今夜ウミガメに逢えるかどうかも怪しくなってくる。そしてそろそろもうタイムリミットか?という22時半。前浜のほうに一頭上陸したとの無線があったようだ。全員が各々の車で前浜の方へ移動する。私たちは牧旅館から歩いてきていたので、スタッフの軽自動車に便乗することに。そして前浜をライト無しで歩くこと10分くらいで、出会うことが出来ました。甲羅が1メートル位、百数十kgのアカウミガメだ。産卵を終え、産卵場所をカムフラージュするために砂をかけているところだった。カムフラージュを終えると、大きな前足を動かし、海へ戻っていった。いやー、感動です。よくウミガメは産卵時に涙を流すと言われますが、真偽のほどはどうなんでしょうか?答えは流します。でも産卵時だから流すのではありません。もともとウミガメは食べたものの塩分を濃縮して、目の近くから排出する機能を持っているらしいのです。もちろん遊泳時には確認しにくいのですが、産卵のように上陸したときにはそれが涙のように見えるということらしいです。しかしそれにしても人が多すぎです。90名も居るので、「静かに!」とか「フラッシュはたかないで!」とボランティアの人がいくら言っても騒いだり、パシャっとフラッシュさせたりする人も居て、だんだん気分が悪くなってきました。もう少し少人数に制限できたらいいのに、と思うのですが、スタッフとしては協力金も欲しいんでしょうね。ウミガメに出会えた感動を胸に牧旅館に戻ると、12時半でした(^-^;屋久島といえば、縄文杉に代表されるように山に目が行きがちですが、永田のウミガメも貴重な体験ができるので、シーズン中に訪れる方は、是非行程に組み込んで戴きたいと思います。さて、クイズのこたえです。屋久島クイズ(1)「屋久島は鹿児島県に属しますが、鹿児島県を含めて九州地方で一番高い山は何でしょう?」こたえは3)の宮之浦岳です。屋久島は洋上のアルプスとも呼ばれ、亜熱帯の植物から高山植物までが島内に分布する、学術的にも貴重な島になっており、最高峰の宮之浦岳は2000m足らずの山です。屋久島クイズ(2)「アカウミガメ・アオウミガメ・キウミガメ」早口言葉で3回言った後、考えてください。実際に存在しないウミガメはどれでしょう?こたえは3)キウミガメです。屋久島に産卵にやってくるウミガメは、ほとんどがアカウミガメですが、まれにアオウミガメも上陸するようです。キウミガメは存在しません。さてさて、次回は2日目、自然遺産の真っ只中の西部林道を車で走ります。
2006/08/08
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明日から旅に出ます。そう、でも今回はひとり旅ではなく、ハネムーンなのだ。ヨメと二人旅行です。行き先はテーマにもある世界遺産「屋久島」です。このテーマで詳しく屋久島旅行のレポートしてくれているブログがあって、大変役に立ちました。明日出発して、8月7日に戻ってきます。ブログ友達の皆さん、しばらく留守にしますね。また戻ってきたら、レポートします。
2006/07/29
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【春小麦・津軽を歩く】6月27日(火)弘前→津軽峠→弘前→上野前回の日記で、今日の過ごし方を迷っていたと書いた。ひとつはバスに乗って津軽峠へ行き、「マザーツリー&暗門の滝」を見る自然散策的一日とする。もうひとつはローカル線「津軽鉄道」に乗って金木町に行き、斜陽館(太宰治の生家)を見るレトロ・ロマン的一日。昨夜、寝るときは降っていなかった雨が、夜中に降ったらしく、カーテンを開けると外は雨でぬれていた。今はかろうじて降っていない。よし、ずぶ濡れ覚悟で津軽峠だ!そうと決まれば、8:50発のバスに乗るしかない。津軽峠行きのバスはこれ一本だ。まずホテルのチェックアウト、そして峠に持っていくもの以外の荷物は弘前駅のコインロッカーに入れることにした。横道にそれるが、ここのコインロッカーは変わっていた。大きさが違う3種類(大・中・小)のロッカーが設置されている。私の小さなトランクは、ロッカーの扉から推測して「中」にギリギリ入るかどうかの大きさだった。ちょっと入れてみようと思い、ロッカーに手をかけたが、扉が開かない。なんとこのロッカー、お金を入れないと開かないのだ。「中」で入らなかったら困るし、渋々「大」のロッカーに入れることにした。犯罪防止かテロ対策のつもりだろうけど、これでは不便だ。そして弘前駅で今夜の寝台特急「あけぼの」の指定を受ける。青森往復きっぷのグリーン用を持っているので、B寝台ソロ(個室)が予約できる。寝台特急の個室に乗れるなんて、嬉しい。今まではただのB寝台しか乗ったことが無い。普通のB寝台はボックス席の座席部分に二段ベッドが並んでいるような配置で、ひとつの窓を4人で共有する感じ。しかし今夜は違うぞ、何と言ってもソロだからなぁ。どんな感じなんだろう。ま、それは今夜の楽しみとして、ミスドで朝食を済ませ、弘前バスターミナルへ歩く。ちょうど、バスターミナルは弘前駅とホテルの中間に位置する。バスターミナルで津軽峠までの往復割引きっぷを買う。すると『今日は暗門の滝は見れないよ』(゜ロ゜;)エェッ!?『まだ残雪があって、通行止めだよ。』うーん、残念。しかしいまさら引き下がれない。マザーツリーだけでも拝んでこよう。そしてバスが到着。へ・・・? これってマイクロバス?通路を挟んで左が1席、右が2席という小さなバスだ。でも二人しか乗らなかったので、このバスでいいのかも。おもしろいことに、乗務員が3人居る。これは後で分かったことだが、ひとりの運転手さんが腰を悪くしていて、二人の運転手さんに道順を教えているのだった。運転席の後ろ側に張り紙がしてある。6月27日暗門の滝(第一)・・・×暗門の滝(第二)・・・×暗門の滝(第三)・・・×やっぱりダメなんだ。(_ _。)・・・シュン弘前から複数のバスが往復する「アクアグリーンビレッジANMON」という停留所までは舗装道だが、その先は未舗装の林道。ガタガタと音を立てながら峠に向ってバスは登ってゆく。途中、激しい雨にも降られたが、津軽峠に着いたときは、少し小降りになっていた。津軽峠の停留所から5分ほど林の中を歩くと、樹齢400年を数えるマザーツリーに出会える。・・・が、20分後に津軽峠を降りるバスが出るので、それまでにバスに戻らなければならない(^-^;急げや急げ・・・、これがそのマザーツリー。傘をさして写っているのは、もう一人のバスの乗客。関西弁のおじさんだ。マザーツリーを見たとき、正直言って「え?こんなもん?」たしかに大きいし、幹も太い。でも、何と言うか、神聖さや荘厳さをもっと感じるものかと思っていたが・・・。バスに戻って、関西弁のおじさんも「なんや、普通の樹やないか。ここまで見に来る価値あんのかいな。」とぼやいていた。まぁ、価値が無いとは言わないが、ここまで来ても20分しか時間が無いし、観るものはマザーツリーだけだし・・・。時間効率良く旅をしたい人には、無理して行かなくても・・・って感じですね。峠を後にしてバスは林道を下る。帰りはもう一人の運転手さんが運転している。「アクアグリーンビレッジANMON」に着いて、バスは20分ほど停車時間がある。そこから何人かの登山客が乗り込んできた。「あの~、暗門の滝まで行かれたんですか?」『第三までなら、みんな行ってるよ』(゜ー゜☆キラッよし!おらも行ってみるべ!!ということで、「運転手さん、ここで降りて暗門の滝に行ってきます。」『おぉ、そうかい。気をつけてな。』暗門の滝は三つの滝から成り、下流側から第三、第二、第一と名前がつけられている。登るほどにその落差は大きくなるらしい。私は雨具を持っていない。少々の雨なら、ウインドブレーカーでしのぐつもりでいた。そして雨の中を歩き始める。子供の頃からボーイスカウトでならしていたので、ハイキングなんてお手の物だ。そうして私はちょっとなめていたかも知れない。ANMONの停留所を出て、少し歩くと一番手前の滝に会えるものだと思っていた。川に沿って登っていくのだが、歩いても歩いても滝は見えない。そのうちどしゃ降りの雨が襲ってくる。(ひー、こりゃシャツにまで滲みてくるな)そうは言っても、引き返すわけに行かない。もう少し行けば滝が見れるはず。ある意味、もう開き直って、ボトボトに濡れながら上流へと歩いていく。途中、滝を見て帰ってきたであろう人たちと、何人もすれ違う。きちんと雨がっぱを着て、片手に杖を持っている人ばかりだ。(あはは・・・、こんな軽装で登るのは俺だけかい!)そのうち川幅が狭くなり、大きな岩の間をゴォーッと音を立てながら水が流れてゆく。雪解け水に加え、雨降りだから水量も増しているのかもしれない。もう歩き始めた時のように、道も広くない。岩に打ち付けたロープをつかみ、単管足場で掛け渡した即席の橋を渡り、いかにも滝が近い感じになってきた。歩き始めて30分は経っていた。すると看板が出てきた。《暗門の滝まで あと1キロ》(゜ロ゜;)エェッ!?まだ、あるんだ・・・。途中は本当に危険なところがある。残雪だが、既に氷状になっている大きな塊が川に向ってずり落ちている。そのすぐ脇を通り抜ける。雨も降っているし、今この雪が滑り出したら間違いなく死ぬな・・。そうした氷塊がいくつもあったから、恐いではないか。なるほど、これでバスターミナルのおじさんが言っていたことが分かったぞ。雪の上をなでるように、白い煙が湧いている。これは冷たい雪にあたった空気が冷やされて、雲のようになってゆっくり川に下りているのだ。本当に危険です(-_-;)雨の中を歩くこと40~50分、ようやく第三の滝に出会えました。滝つぼに舞い上がる水しぶきと、残雪から湧いている雲とが一緒になって、辺り一面は真っ白。まるで雲の中に居るようで、神秘的だった。そこから先の第二の滝へ登る道はトラロープでしっかりとふさがれ、通行禁止となっていた。という訳で、写真も撮らずにそそくさと来た道を戻ることにした。下りはじめてすぐに、外人さんのカップルがビニール傘をさしながら登ってきた。「あとちょっとで滝ですよ」『アリガトウ』しかし、この外人のお姉さんはサンダルっぽい普段の靴で登って来たのか!?自分よりうわての軽装が居た(^-^;雨は一向にやむ気配も無く、激しく降ったり、小降りになったりを繰り返していた。停留所のアクアグリーンビレッジANMONにはおみやげ物や軽い食事ができる大きなロッジ風の建物が建っている。まずはそこに駆け込み、雨に濡れない入り口脇の軒先で荷物を下ろした。こりゃパンツまでびしょ濡れです。おみやげ物屋でTシャツを買い、それに着替えることにした。「すいません、雨に濡れちゃって、着替えるTシャツが欲しいんですけど。」『はいはい、えっと、これとこれかな。』背中に「白神」と筆字で書かれたTシャツの白地と黒地の2種類、そしてもうひとつは「又鬼」と書かれた2種類の4種類あった。外人さんが日本みやげに買うような大きな筆字が背中に書かれたTシャツである。「あの、この又鬼って何ですか?」『これはね、熊を撃って生活している人のことをマタギと言うのよ。』『熊を撃つ瞬間は、心を鬼にしているからよ。』と、両手を胸に当てて説明してくれた。で、少し悪い気がしたけど、「白神」の黒地を買いました(^-^;シャツを着替えても、さすがにジーンズは着替えられない。ホットコーヒーで温まりながら、バスを待つ。帰りのバスはほとんど寝てました。弘前駅でロッカーから荷物を取り出し、早速ズボンを履き替える。でも暗門の滝を見てきて良かった。マザーツリーだけじゃ、一日かけるにはもったいなかったもんな。ずぶ濡れになったけど、これもいい思い出になるはずだ。寝台特急「あけぼの」の時間まで、2時間近くをミスドで過ごす。ホットコーヒーのおかわり自由だから丁度いい。この旅もいよいよこれでお終いだ。十二湖といい、不老ふ死温泉といい、天気に恵まれていい旅が出来たと思う。おかげできれいな写真が撮れたし、ヨメやブログのみんなにいいお土産話ができそうだ。そして、弘前駅にあけぼのが入線してきた。さぁ、期待のB寝台ソロだ。きっぷには8号車とある。ブルートレインの列車には、白や銀、金の帯があって、寝台の種類をあらわしている。8号車は金の1本帯だった。オオーw(*゜o゜*)w 金帯だ!8号車は真ん中に通路があり、左右に個室がある。しかしよく見ると、その個室は下段と上段に分かれていた。自分の寝台は上段だった。はしご並みの狭くて急勾配の階段を上って、ドアを開けるとそこが個室・・・、って言うかカプセルホテルのカプセルのようなところだった。狭くて嫌だという人も多いでしょうけど、私はおもしろかった。窓も大きくて、星空が見えるし(^-^;寝台特急「あけぼの」は春小麦を乗せて、上野までカタンカタンと走っていきました。 <終>
2006/07/08
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【春小麦・津軽を歩く】6月26日(月)白神サンタランド→不老ふ死温泉→弘前サンタランドでログハウスに宿泊していた。その日の朝は快晴。真っ青な空が、一日の始まりを彩っていた。JR十二湖駅まではサンタランドのスタッフが送ってくれた。9:11 普通列車に乗るつもり。快速「リゾートしらかみ号」でここへ来たとき、乗客はほとんど観光客だった。今度は地元の人が使う普通電車に乗りたい。きっとこれが本来の五能線の姿だと思ったから。ホームのやや前方に「深浦方面、ワンマン乗車口」と案内が書かれてあったので、その付近で列車を待つ。ほどなくして女の子2人組がホームに入ってきたが、ホームの後方へ歩き、荷物を肩から下ろした。そろそろ列車が入ってくる時間だ。私は二人を手招きで呼び寄せた。「深浦方面に行くんでしょ」『はい』「だったらここから乗るらしいよ」どこから来たのかと尋ねられ、千葉と答えると、彼女たちは神奈川と答えた。『なぁんだ、同じ関東じゃん』「・・・(^-^;」普通列車が到着し、乗り込む。彼女たちは海側のボックス席に陣取った。私はその隣のボックス席にひとり、海を眺めていた。本当に今日は快晴で、気持ちいい。海がきれいに見える。まもなくして車掌さんが十二湖駅で乗った私たち三人のところへ来て、乗車券を発行する。彼女たちが『艫作(へなし)まで』と答えていた。(;゜ロ゜)ハッ 私も艫作へ行くところだ。「俺も艫作なんだけど、もしかして温泉狙い?」『そう』艫作の温泉と言えば不老ふ死温泉で、たしかそこは混浴のはず!キャー " "(/*^^*)/ハズカシ気が動転していたのか、私も車掌に「艫作まで」と言って乗車券を買ってしまった。そう、五能線パスがあったら、それを見せれば済んだことなのに。240円の無駄な出費だ(^-^;艫作(もちろん無人駅)で、下車したのも私たち三人だった。客待ちのタクシーもいなかった。駅前には不老ふ死温泉の大きな看板があって、「電話すれば10分ほどで送迎いたします」と書かれている。気持ちいい天気だし、歩いても15分くらいだろうから、歩くことにした。彼女たちは付いてこない。きっと電話して送迎してもらうのだろう。ゆっくり歩いていても、強い陽射しに汗ばんできた。温泉につかるんだから、これくらいの汗をかかないと。そうこうするうち、道は五能線の踏切を渡り、海が見えてきた。ちょうどその頃、一台のマイクロバスが駅方面に走って行く。案の定、不老ふ死温泉と書かれていた。しばらくするとマイクロバスが戻ってきて、私の横でスピードを緩めてきた。中から彼女たちが『乗っていきなよ』と手招きしている。私も意地っ張りで、「いいです。行っちゃって下さい。」と運転手に告げる。海につづく坂道を下りていると、温泉宿が見えてきた。フロントで日帰り入浴券を買っていると、一足先に着いていた彼女たちがタオルを片手に軽く会釈をしながら私の横を通り過ぎて行った。まずい、今行くと彼女たちの脱衣にぶつかってしまう。すこしゆっくりして、時間をずらすように温泉に向った。何のことは無い、入り口が二つあって左が「混浴」、右が「女性」と書かれてあるじゃないか。安心したけど、残念でした(^-^;混浴の湯ぶねで何を話そうかと考えていたのに・・・。混浴の方へ足を踏み込むと、胸までバスタオルでくるんだ女性と目が合った。Σ(^∇^;)えええええ~家族連れが揃って入浴しているようだ。じぃちゃん、孫、そして夫婦の4人だった。でも何が恥ずかしいって、入浴中より脱衣ですね。波打ち際にあるこの露天風呂。空は真っ青、風は爽やか、目の前は磯に打ち寄せる日本海。いやー、心の洗濯って感じで、気に入りました。漬かっては、湯ぶねの脇に座り、漬かっては座り・・・。もしかしたら30分くらい居たと思う。フロントに戻って、次の列車に合わせて、バスで送ってもらうことにした。でもまだ1時間半もある・・・。そうだ!湯ぶねから見えた、岬の黄色い花(ニッコウキスゲ)を撮りに行こう。岬の草を掻き分けて、撮ってきたのがこの写真。それでも時間があったので、岬の上の灯台まで行ってきました。磯でカニを捕まえて遊んだりしながら時間をつぶし、次の行き先を迷っていた。バスで送ってくれるのは、快速「リゾートしらかみ号(青池編成)」が停まるウェスパ椿山駅(艫作駅の隣の駅)だったが、これは五能線を弘前方面に戻る道のりだった。弘前から反時計回りでここまで来て、今度は時計回りで戻るのはつまらない。その30分後に普通列車に乗れば、五能線のつづきが乗れて、五能線制覇が出来る。マイクロバスでウェスパ椿山駅へ送ってもらったのは、私とおばさんたち三人組だった。3種類あるリゾートしらかみ号のうち、一番乗ってみたかったのが爽やかな色合いの青池編成だった。でも今回はそれに乗らずに、五能線のつづきを乗って奥羽本線で弘前に戻ることにした。青池編成が到着近くになると、どこからともなく艫作で降りた彼女たちに会った。(@゜Д゜@;)あら・・・?「リゾートしらかみ(13:21発)に乗るの?」『はい』「で、どこまで行くの?」『弘前です』 ・・・・(^-^;「それはよかった。俺も弘前に行くけど、この後の普通列車(13:56発)で反対回りで行くよ。」丸一日、旅程が同じだとお互い疲れそうだし、丁度いいと思った。そうこうするうち、青池編成のご到着~。気をつけて旅行を楽しんでね、「Have a nice Trip」である。次に到着した普通列車に乗り込んだ私は、当たり前のように海側の席に座った。・・・が、温泉に入っていたし、晴天で肌は焼けていたしで、列車の揺れに誘われるままに眠ってしまった。目が覚めたときには、終点の東能代近くで、もう海は見えない(^-^;東能代からはV字の形で、奥羽本線に乗り換え弘前へ向う。ところが接続が悪く、東能代駅で1時間待ち。お昼も食べてなかったので、待合室の売店で菓子パンと水を買って、遅い昼食とした。1時間後、ようやく東能代から奥羽本線を下る列車に乗ったが、弘前手前の大館行き。またもや大館駅で40分待ち。弘前駅に着いたのは18時半過ぎになっていた。ホテルまで15分歩くのも疲れて、少し贅沢だけどタクシーに乗った。日暮れ時にホテルに着いて、カーテンを開けると、夕焼けのシルエットに浮かび上がる岩木山が見えた。夕食をどうしようか迷っていたけど、昼食も遅かったし、さほどおなかも空いていない。近所のコンビニでおにぎりと菓子パンを調達して部屋で食べた。そして明日はどちらに行こうか迷っていた。ひとつはバスに乗って津軽峠へ行き、「マザーツリー&暗門の滝」を見る自然散策的一日とする。もうひとつはローカル線「津軽鉄道」に乗って金木町に行き、斜陽館(太宰治の生家)を見るレトロ・ロマン的一日。天気予報によると、今夜遅くから雨が降り、明日も一日ぐずついた天気になるとの事。うーん、どっちにしようかな。いずれにしても、明日の夜の寝台列車「あけぼの」に乗り、家に戻ろうという気になっていた。旅に出たときから、きちんと旅程を組んでいなかったし、現地で思うままに動くつもりで居た。だからきっぷの有効期限いっぱい、7日間放浪すると思っていた。でも思ったより心がリフレッシュしたからだろうか、懸案の「いつ会社に復職するか、あるいは別の生き方を探るか」という事に、答えを見出していていた。答えは「とにかく、会社と連絡を取ろう」ということだった。そう、素直に思えたので、旅の目的は達成したように思えた。とにかく、明日、どちらかで旅を楽しんで、寝台列車で帰ることに決めて、眠りについた。さぁ、4日目はどっちに行ったと思います?
2006/07/07
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【春小麦・津軽を歩く】6月25日(日)弘前→十二湖→白神サンタランド朝食を弘前駅近くのミ○タードーナツで摂り、8:44発の快速「リゾートしらかみ2号」に乗車する。きっぷは五能線パスと呼ばれるフリーきっぷで、2日間有効のもの。リゾートしらかみ号は、現在3種類の車両で運転されていて、私が乗車した「ぶな編成」の他に「青池編成」、「くまげら編成」がある。車両の窓は大きく作られていて、車掌さんが観光バスのガイドさんのような簡単な解説を付けながら走ってゆく。途中五所川原駅から津軽三味線の演奏が先頭車両で行われた。列車は日本海側に出て、海沿いを進んでゆく。これが五能線の売りになっていて、乗車した日は雨も降らず、よい景色に逢えた。11:19 JR十二湖駅で降りる。すると今夜の宿泊地の「サンタランド白神」のバスがお出迎えしてくれていた。一旦、荷物を預けて十二湖散策に出たいと言うと、運転手さんが大きな荷物を引き取ってくれて、まもなく来る路線バスに乗りなさいと言ってくれた。荷物は部屋に入れておくとのことで、ありがたいことだった。路線バスの運転手さんはおもしろい人だった。女性の声のテープで、ひとしきりの観光案内があった後、運転手さんがマイクを使ってゆっくりと長々と話し始める。「えー、一通りの案内があったから運転手は話さなくてもよいという意見もありますが、地元の私が話せることをお話します。別に会社からそうしろと言われている訳でもありません。聞きたくなかったら、流してもらって結構です。でもこれが私のできるサービスと考えています。仲間の運転手たちもこんな話をしていないと思います。これは私が良かれと思ってやっていることで、聞き流して忘れてもらっても結構です。」・・・と、ながーい前置きの後、東北なまりのゆっくりした声で、十二湖の歴史や、日本キャニオンのことを話す。このかなりくどい前置きを、話の途中で2、3度繰り返すのにはまいったが、憎めない運転手さんでした。十二湖にはブナの原生林の中に大小さまざまな湖(池)が点在していて、それらを散策できる遊歩道がある。実際には三十数個の池があるが、ある山から見下ろした際に12個あるように見えたので、この地一体は十二湖と呼ばれているらしい。中でも「青池」と呼ばれる池はJRのポスターなどにもなっていて、十二個で一番人気の池だ。路線バスの終点もこの青池近くにある。青池とは、名前のとおり青く見える池で、使い古された表現だけど、青いインクを垂らしたような青だった。↑どこが水面だか、分かりますか?鏡映しのようになってますね。小一時間で回れる自然道は、訪れる人もよく通るらしく、ウッドチップを敷き詰めて歩きやすくなっていた。私はもう少し欲張っていろんな池が見れるコースに挑戦した。さすがに通る人も少ないので、道が草で覆いかぶさっていたりしている。それでもどんどん進んでゆく。人影も無く鳥の声だけが聞こえる原生林は、一人で歩く自分には少し心細いほどだった。しかしいくつかの池に訪れると、カメラを池の端に置き、迷彩色の布をかぶって息を殺している人に出会う。カメラには大きな望遠レンズを付け、三脚を立てている。「何が撮れるんですか?」「鳥だよ、アカショウビン」2時間ほど歩いただろうか、そろそろバス通りの方へ戻ろう。途中でモリアオガエルの泡を発見。この泡の中に産卵し、おたまじゃくしはこの泡の中を泳ぐ。ある程度の大きさになると、泡からポチャンと下の池に落ちるので、そういう場所に産卵するのだが、ここの場合、泡の下は水たまりだったけど(^-^;しばらく歩いていると、バス通りが近いのだろう、道が歩きやすくなっていた。バスの停留所があるビジターセンターまで戻ってきた。バスの時刻表を見るが、ほんの5分ほど前にバスが行ったばかりだ。次のバスまで2時間もある(^-^;ビジターセンターをちょっと覗いて、宿泊地であるサンタランド白神まで歩くことにした。5kmくらいだから、1時間ちょっとで歩けそうだ。そうしてバス通りを歩き始める。通り沿いに王池という少し大きい池があり、池を一周する遊歩道の入口の看板が立てられていた。ええい、ついでだ!もうやけくそで王池も一周歩く。さらにバス通りを離れ、サンタランド白神へ向っていたら、バスの運転手さんが話していた日本キャニオンが拝めた。アメリカのグランドキャニオンのような岩山だから、日本キャニオンと言うらしい。天気が良かったのは、この写真でも分かってもらえそう。さて歩くこと1時間半、サンタランド白神に到着。ここはリゾート施設って感じで、1年中クリスマスのようなところだ。なんと外人さんのサンタさんも常駐している。サンタランドのある岩崎村(現深浦町)は、フィンランドのどこかの町と姉妹都市の提携をしたらしく、このような施設があるらしい。そう、サンタさんの故郷はフィンランドなのだ。宿泊はログハウスで、私一人でログハウスに泊まってきた。なんと小屋裏2階建で、ベッドが6つもあった(^-^;夕食後、夕陽が見える展望台があるというので、少し歩いてみた。ここでは夕陽が売りにもなっているようで、「今日の日没時刻」がフロントに記されていた。日本海に沈む夕陽が見たかったけど、この日は遠くの岬へ沈む夕陽だった。明日の計画を立てようと、夕食後にログハウスのソファで横になっていると、いつのまにか寝てしまったらしい。起きたら夜の12時近く・・・、手近にあったベッドに潜り込む。Zzz…(*´~`*)。o○ ムニャムニャつづく
2006/07/06
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昨日、鋸山(のこぎりやま)へハイキングに行った。ヨメの社休日でもあり、二人で出掛けた。以前に買った本「千葉のさわやか散歩」に載っていたコースだ。この本に載っていたのは、鋸山の北側から山頂まで一気にロープウェイで上り、向こうの南側に歩いて下るコースだったが、山道の下りばかりは膝に負担がかかると思い、敢えてこのコースの逆にたどることにした。JR内房線の保田駅を下車、日本寺の山門に向けて線路沿いを千葉方面へ戻る。石段を登ること10分ほどで日本寺の事務所が現れる。すでにTシャツは汗で身体に貼り付いている。「げ!入山料を取るのかい?」その通りでした。大人600円×2人=1,200円・・・。(^-^;「まったく、こんなに汗をかかせて、金まで取るとはけしからん」こんな冗談を言ってられたのも、このあたりまでだった。この山は見る限り堆積した砂岩で出来ているようだ。そしてロープウェイの北側は石切り場として、切り取られ、屏風岩のような地形を残したようである。さて、この地図にある日本寺側(南側)はと言うと、階段が無ければ登れないくらいの急斜面で、長い年月のため風化した砂岩の模様がおもしろい。その砂岩のがけを掘り込んで○○地蔵や○○如来のような仏像が納められている。バーミヤン遺跡のように崖一面に大きな彫刻をしたものも、散見された。仏教の事はよく分からないが、こんな急坂に石段を作り、そして彫刻を施した昔の人の労が偲ばれる。・・・で、ウォーキングはと言うと、緩んだ私の身体には相当きつかった。ほぼ全路と言っていいほどの石段、階段、階段・・・。(>_o
2006/06/14
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先週の土曜に毛越寺の挙式があり、その翌日、今度は手賀沼へウォーキングしてきた。JR常磐線の我孫子駅を降り、南へゆるい坂を下ると手賀沼に面した手賀沼公園にぶち当たる。この日は相当天気も良く、涼しい風が顔をなでるような気持ち良さだったけど、なにぶんこの時期だから紫外線も強そうだ。今回はヨメを連れてのウォーキングなので、紫外線対策に途中のスーパーマーケット内にある百均ショップでチューリップ帽を調達した。そういえばこれまで湖や池には行ったことあるけど、沼と呼ばれるところに行ったこと無い気がする。沼と言うと葦が生い茂り、どこから水面なのか判別がつかず、不用意に足を踏み入れるとズブズブと沈んでしまうんじゃないかという印象がある。しかし手賀沼の公園部分は写真のようにきちんと整備され、水辺と公園が隣接していて、葦などの植物は無い。私的な印象では、このあたりに限っては湖か池って感じ。しかし遊歩道を進むにつれ、葦が生い茂り手賀沼の水面も良く見えなくなってきた。葦は人の背丈より高く伸びているからだ。足元をよく見ると、水際には小さなコンクリートブロックのようなもので、陸と水面を分けてある。ちょっと水面を覗き込む。深さ、およそ10cm。横倒しになった枯れた葦につかまるようにして、居る居る!アメリカザリガニがそこにも、ここにも、あっちにも!!いやー、懐かしい。子供の頃はよく取りに行ったよ。さらに遊歩道は桜並木となっていて、すっかり葉桜の状態。桜ってすごく虫が付くんだよなぁ、なんて見ると・・・。(゜ロ゜;)エェッ!?小指ほどの長さと太さでカスタード色の芋虫くんがいる、そこにも、あ!あっちにもヽ(__ __ヽ)コケッ!!お、恐ろしいもの見てしまった。しかしあんなに大きい芋虫くんは大人になったら何になるんだろう?手賀沼畔を遊歩道で堪能し、次は鳥の博物館に向った。入ろうとすると、「本日は入館無料」とある。ラッキー!!(*^▽^)/ と中に入ると、職員が「今日は3階でコンサートをやっているので、見れるのは2階部分だけになります。」というわけで2階を見学させて頂いた。実はバードウォッチングには以前から興味があるんだけど、鳥の名前を覚えられないし、メガネをかけての双眼鏡はしっかり見れないし、でしたことが無い。何かの漫画に描いてあった、「もし宇宙人が地球に現れて、地球上の生物を紹介する際、自信をもって一番美しい生き物だと紹介できるのは、鳥たちだ」と。うん、私もそう思う。色といい、動く様といい、形といい、実に美しいではないか。そんなことを思い出しながら、鳥の博物館を後にした。次は志賀直哉記念公園に立ち寄る。石段を数段上がると、小さな神社かと思わせるほどの敷地にポツっと建っていた。茶室風の書斎を移築してるらしい。いやー、実にシンプル。もちろん平屋だし、家の周りを一周すれば中の間取りまで分かるほど小さい。余談だけど、私の本名に「哉」という字がある。電話などで名前の漢字を説明する際、以前は「志賀直哉の哉です」と言っていた。が、大概は分かってもらえず、「武者小路実篤の『仲良きことは 美しき哉』の哉です」なんて説明すると相手は無言になってしまう・・・。説明された側に、国文学の教養を必要とする厄介な漢字だった。最近はキムタクこと木村拓哉氏が有名なので、漢字の説明に使わせてもらっています。みなさんの中にも自分の名前を説明しにくい人、いませんかぁ?最後はウォーキングと関係なくなってしまった(^-^;
2006/05/23
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先日、会社の同期の結婚式・披露宴にお呼ばれし、東北新幹線で向った。場所は岩手県の平泉。日本歴史に疎い私でも日本地理は得意なので、平泉と言えば「中尊寺金色堂」という方程式は頭に浮かぶ。しかし今回、結婚式を挙げた「毛越寺」は不覚にも知らなかった。読み方も難しい、「もうつうじ」と読むそうだ。この毛越寺には大きな池の庭園があり、見事なまでの樹の茂りよう。本堂は昭和に再建されたらしいが、時代を感じさせるのは境内にある松の木だ。あれほどの太さにまでなるのかと感心させられる。そして見上げるように高く、雄々しい。何よりこの樹が長い時を経てきた証(あかし)だと思う。お寺の結婚式というのも、初めて参列した。本堂に鎮座しているのは薬師如来だそうだが、私には判別がつかない(^-^;仏式の挙式ということで、あの大きな木魚を叩くのかと思いきや、木魚の出番はなかった。お経を読みながら、合いの手のように叩いて金属音を鳴らす。最後にリングの交換まであったが、これは現代風のアレンジだろう。挙式はだいたい30分くらいで終わったが、参列した私たちは終始、座布団に正座だったので、足の神経がやられてしまい、しばらく立ち上がれない羽目に・・・(^-^;新婦さんは平泉の役場に勤め、中尊寺や毛越寺を世界遺産にしようという仕事だったらしい。とてもやりがいのある仕事だと思う。この辺りは建築する際の多くで、遺跡の発掘調査があるそうだ。そういう事も仕事でやっていたみたい。ご結婚に際し上京するようで、私たちは世界遺産登録までの大事な人材を失ったことになる。さて、今回はウツになって一番ハードな遠出をしたことになる。もっと疲れるかと思いきや、肉体面では平気だった。けれど精神的には凹みました・・・。同期の結婚式なので、会社の人と顔を合わすことになるだろう。良く考えれば、それくらい「想定の範囲内」のはずが、そんな心の準備も無く、会社の人がいることに面喰った。同期だけじゃない、後輩たちまで居てびっくり。休職する前に居たグループの後輩まで居て、最後のアッパーを撃たれたようだった。ここでノックアウト・・・・(_ _。)さらに私を慌てさせたのは「大丈夫なんですか?具合はどうですか?」と聞かれているのに、相手の名前が思い出せない。相手の名前が分からないまま会話を続けるのは、本当に辛い・・・。「だいぶん、元気になってきたよ(^-^;」と手短かに答えて窓際に逃げる。そして席次表を開いて名前を思い出し、他に誰が来ているのか確かめる。彼らには何の罪も無いけれど、私はすごーく嫌ぁ~な気持ちに包まれた。「うぁ、まだ会社に行けないな。でもそんなに会社が嫌いなのか、おれ?」自分に問いかける。・・・、どうやら会社に行きたくないらしい。今ののんびり生活にしがみついて、それで会社に行きたくないのか?ウツと診断されたことをいいことに、仕事もせずフラフラしていたいからなのか?あるいは違う会社(または部署)なら、働けるのか?どうなんだろう・・・。
2006/05/22
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しとしとと降り続く雨の中、今日も「駅からハイキング」に参加した。今回で4回目となり、『新緑の碓氷峠アプトの道旧線ハイキング』というタイトルが付いている。恐らく皆さんは「アプト」って何?って感じでしょう。これを説明するには、少し歴史を遡らねばなりません。国鉄の信越本線は群馬県の高崎~横川~軽井沢~小諸~上田~長野と続いていた。ところがこの横川~軽井沢間(通称・碓氷線)は、かなりの急勾配。蒸気機関車の時代は機関車を2台繋げたりして、運行してたようです。しかしあまりの急勾配のため、車輪とレールがスリップすることもあったとか。蒸気機関車にスリップを起こさないようにするため、右側車輪と左側車輪の中心に歯車を設け、レールとレールの中心にはその歯車が噛みあうようにして敷設されたのがアプト式と呼ばれている。外国の高山列車とかでは使われていた技法です。この「アプト式」により、上り勾配での登坂力と、下りでの制動力を確保することが可能になった。しかし、アプト式はすべてに人手によるところが多く、運用、維持、管理には並々ならぬ労力を要した。さらにこの区間はトンネルが多く、蒸気機関車の煙のため窓も開けられなかった。そんな背景からこの碓氷線は日本で一番最初に電化された。電化されたことで、粘着式といわれる電気機関車が登場し、このアプト式は役目を終えた。さらに現在は長野新幹線が開通したことにより、横川~軽井沢間の在来線(碓氷線)も役目を終え、廃線となっており、JRバスによる運行となっている。さて、予習はここまで。私は上野駅を早朝に出発する臨時快速列車「碓氷」に乗り、うとうとと眠っている間に横川に着いていた(^-^;横川駅と言えば「峠の釜めし」が有名だよね。今ではもっぱら駅ではなく、国道沿いのドライブインでたくさん売り上げているようだけど。今日のコースはおよそ次の通り。出発点は横川駅→旧丸山変電所→碓氷湖(湖畔を一周)→第三橋梁(めがね橋)めがね橋が折り返し地点となり、あとはもと来た道を下って横川駅が終着地点となる。横川から先にある旧線は、ハイキングコースのように砂石を敷き詰められ、とても歩きやすい所です。ご覧の通り、右側はレールを残して歩道化し、左側は先にある温泉施設へとつながる観光トロッコ列車の線路となっている。 途中に旧丸山変電所というレンガ造りの建物を発見。無表情になりがちな施設の建物だが、このレンガ造りはちょっとした装飾がされていた。また屋根はきれいな色の瓦で葺かれていたので、最近補修されたものと思われる。 この辺りは猿が生息するのか・・・(^-^; 後ろからトロッコ列車がやってきた。 トロッコ列車が登り側の線路を使用していたが、温泉施設までの営業で、その先はアプトの道が登り側線路に移る。写真はアプトの道が左側の旧線に移る場所。 この辺りからいくつものトンネルを抜けることになる。入り口のアーチ部分だけレンガを使用し、奥はコンクリートだろうとタカをくくってら、大間違い。奥も全部、レンガを積んで作られていた。 しかし中を歩くと結構レンガが抜け落ちていたり、水がしみだしている。ところどころでコンクリートのよる補修がされていた。写真は鉄骨とコンクリートを用いて、大掛かりな補強を行った部分。 トンネルを二つ抜けると、眼下に碓氷湖が広がる。少し霧がかかっているようだ。 このアプトの道の脇にあるので、碓氷湖は帰りに寄ることとし、まだ登り続ける。トンネルが続く道を登った。 さて、折り返し地点のめがね橋に到着。旧国道18号線から見上げるような角度でめがね橋が見れるので、ドライブで近くを通ったとか、写真などをご覧になっている方も多いでしょう。そのめがね橋の上に、いま私は居るんだ・・・、と思うと嬉しい。めがね橋の大きなアーチを見下ろすと新緑の木々に邪魔されて、うまく撮れませんでした。そこで仕方ない、このめがね橋から下の旧国道18号線に下る階段があったので、行って撮ってきました。 めがね橋をあとにし、来た道を戻る。来るときは上り坂を急だとは思わなかったが、下るときは結構な勾配が付いているように感じる。登っている時の視線は少し前の路面を見て歩く。下っていく時は登りの時より、遠くに視線を置くからそのように感じられるのだろうか?そして帰りに寄ろうと決めていた碓氷湖の湖畔に降りていった。温かいお茶のサービスを受けて、ひとやすみ。ここの小さな小屋が雨をしのいでくれる。そして湖畔の一周に出掛ける。思ったより随分整備されていて、非常に歩きやすい。 霧雨より少し雨粒が大きい天気だったが、幸いずぶ濡れにはならずに終着地の横川駅までたどり着いた。今日のハイキングは全長11kmだそうです。横川駅に入るとアプト式の模型が置いてあった。
2006/05/13
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月曜の夜、夜行バスで名古屋に向けて出発した。会社帰りにそのまま出発することになるヨメ(姫、改めヨメ)は、夕食を摂る時間が無かろうと思い、主夫の私がお弁当を作ることにした。いやー、これが結構大変。毎日、お弁当を作られている方、本当にご苦労様です。さて、私たちが名古屋へ向ったのは、ブライダルセンターの人との打ち合わせがあったためです。突然ですが来る6月4日、愛知県犬山市にある『明治村』にて挙式・披露宴を行います。ご存知の方も多いと思いますが、古い建築物を取り壊す際に、名鉄の創始者の方が犬山の山中に移築し、明治村として一般に公開しているところです。挙式は京都に建っていた「聖ザビエル天主堂」にて、披露宴はあの巨匠ライトの作品「帝国ホテル」にて行います。昨年、明治村にヨメと一緒に行って「こんなところで挙式が出来たら素敵だね」を実現することに。名古屋に到着した日は、衣装決めとメイク・ヘアのリハーサル、そして挙式の段取りを打ち合わせた。翌日は披露宴の段取りを司会してくださる方と打ち合わせ。とてもハードな2日間でしたが、式や宴のイメージがつかめてきて、楽しみになってきました。この日記をお読みの方で、名古屋近辺の方がいらっしゃいましたら、6月4日11時に明治村内の聖ザビエル天主堂にて挙式を行いますので、足を運んで下さいませ。
2006/05/11
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テーマに「GWの予定は・・・」なんて選んでみる。『アホッ、お前は毎日がGWだろーがっ!』あはは、その通り。ウツっ子、休職中の私にはGWも関係ない?いやいや、関係ある。何というか、このGWのぬる~い空気にウツっ子の私も遊びに出掛けたい!という欲求がふつふつと湧いてくるのだ。そして昨日は子供たちと遊ぶ日。子供たちがポケモンセンターに行きたいと言うので行って来た。ポケモンセンターTOKYOは地下鉄日本橋駅に近い。驚いたのは地下鉄の出口表示に「B3出口:ポケモンセンター」と書かれていることだ。おお!そんなにメジャーなのか!?そして11時頃、ポケモンセンターに到着すると・・・入場制限!? オオーw(*゜o゜*)w家族連れで長蛇の列ができているではないか!足元も見えないくらいの人でごった返した店内。背の低い子供たちには陳列してある商品よりも、大人たちのおしりばかり見せられてる様子(^-^;ひとしきりポケモンセンターで買い物を終え、今度は上野動物園に向う。ここも入場券を買うのに長蛇の列・・・。 ヾ(- -;)ぉぃぉぃどこもかしこも人で一杯だ。動物園に入る前から子供たちに「パンダのしっぽは何色でしょう?」とクイズを投げかけておいて、入場する動機づけをしておいてよかったよ、おとなしく列に並んでくれた。結局、パンダの寝転がっている向きから、しっぽは見えず。この難題は次回に持ち越されることになった。みなさんは知ってますか、パンダのしっぽの色?次の目当ては小動物とふれあえる仲よし広場。ウサギを抱くんだとかモルちゃん(モルモット)を抱くんだと意気込んでいたが・・・。ヾ(--;)この仲よし広場も人だらけ。ウサギやモルちゃんを放すと踏んづけられてしまう状況だ(^-^;というわけで、放されていたのはヤギだけ・・・。それでもヤギの背中をなでて「かわいい」と言ってたので、ひとまずはOKか。歩き疲れて子供たちも愚図り始める。もう限界か・・・、と最後にパンダを見に行くと、しっぽが見えました。はい、答えは白です。でも便が付着しているので、子供らは茶色と言って納得してたけど、白ですよ。一日中歩いて、-2kgのシェイプができた。さてさて、GWが終わり、ぬるい空気が消えた頃、私も仕事したくなるのかなぁ。
2006/05/04
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本日もJR東日本が開催する「駅からハイキング」に行ってきた。正式には「神崎の森なんじゃもんじゃハイキング」と言う。場所は千葉県の神崎町。千葉市方面から行くと成田の奥側にあたり、茨城県との境になっている利根川を有する町だ。今回で「駅からハイキング」は三度目であったが、今日はとてもいい思いをして戻ってきた。それは他とは違い、多くの地元の人たちがボランティアでこのイベントを盛り上げ、支えていたからだ。まず下総神崎駅を出発すること15分くらいでおかべ観音に到着。ここではなんと野草のてんぷらを無料でふるまってくれた。私はヨモギとスカンポのてんぷらを塩でいただいた。アクも無く、爽やかな感じ。当然、気に入ってくれた人には、野草を路地で販売していた。しかしウォーキングは始まったばかり、ここで買い物をして荷物を増やしたくない。そんな人のために、ここでは番号札を渡し、下総神崎駅に到着したら、その番号札と交換するようになっていた。いやー、気の利いたサービスではないか (*^-^)ここでは焼き芋も売っていて、1本百円!軽自動車で売りに来る焼き芋だったら5百円はしそうなものだ。あとで昼食代わりに食べようと、一つ購入した。山道の道中で発見した看板。神崎町が竹山オーナーを募集しているようだ。みなさん、いかがです? ここから少し山道を歩き、ひと山越え、線路を渡ると神宮寺というお寺がある。石段が長く続く、神社のようなお寺だった。そこで、また地元の人たちのご好意によりタケノコご飯のおにぎりと、黒豆で作った豆乳を試食・試飲させていただいた。おにぎりをくれたおばあちゃんが、朝5時から1500個作ったおにぎりがもう無くなったよと苦笑い。私がおにぎりにありつけた時には、後10個ほどしか残ってなかった。おにぎりは見た目より味は控えめで、具も小さく刻んでいたので、どれがタケノコやら・・・(^-^;でも黒豆豆乳は美味かった!おにぎりが在庫切れでも豆乳は次々に温かいポットに入れて出してくれた。さて次のポイントはこうざき天の川公園。ここは頂いたマップにも「おにぎり1個サービス」と書かれていたところだ。塩だけで握った、シンプルなおにぎりだったが、さっきのおにぎりより美味しかった。塩だけというのが米の味を引き立たせるのかも。神崎町で採れたコシヒカリだそうな。また、ここでは最初に渡されたマップに記載されている抽選番号の当選発表をしていた。私はハズレだったが、賞品コシヒカリ5kgが一番近い番号だった。それにしても (^-^;5kgは重いよなぁ。次に大きな利根川沿いに歩いて、神崎大橋を半分まで渡って戻ってきた。そして今回のメインとなる神崎神社だが、その少し手前でお蕎麦をふるまってくれた。味噌汁ほどの椀に冷たい蕎麦とネギを刻んでつゆがかかっている。これも非常に美味かった。おかわり!なんて出来ないのだが、蕎麦湯を持ってきてくれたので、残ったつゆを蕎麦湯で薄めていただいた。これまた絶品でした。さていよいよ神崎神社。長い石段を息を切らせながら坦々と登っていく。目的の「なんじゃもんじゃの樹」は大きな本堂の脇にあった。あまりの大きさに下から上へ見上げていくと、ひっくり返りそうになる。自分の頭上を、樹が覆うような格好で枝を拡げているからだ。ちなみにこのなんじゃもんじゃの樹はクスノキである。水戸光圀公が参詣の折、この大木を見て「この木は何というもんじゃろうか」と自問して感嘆されたので、その風変わりな名称で呼ばれるようになったとか。ここでもおもてなしがあって冷たい甘酒をいただいた。あまり得意ではない甘酒だったが、冷えている分酒臭さも控えめで、疲れた身体に甘いものが美味しい。あと奈良漬も試食してくれと言われたが、これは苦手なのでパスさせてもらった。さて、あちこちで口に入れたので、焼き芋の出番も無く帰路についてしまった。今にも泣き出しそうな空だったけど、結局雨にも降られずにハイキングを終えられたことに感謝(^人^)感謝♪約10kmの道のりでした。
2006/04/29
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我が家の観葉植物もぐんぐんと新芽を伸ばし、勇気付けられたのか、お天気のいい日にお出掛けしたくなってきた。そこでJR東日本が主催する駅からハイキングに申し込み、今日歩いてきた。毎週土日にどこかで「駅からハイキング」が行われているようで、今日4月1日は中央線武蔵小金井からの「名勝小金井桜と玉川上水散策」と、私が参加した「元荒川さくらまつりと蓮田の自然散策」がありました。webでエントリーしてからの参加であるが、9時~11時に受付を行い、各自勝手にスタートするもの。このお手軽、お気楽さ加減が性に合っている(^-^;さらに参加するとポイントが付与される点も性に合ってます(^^;;気持ちいい春風が頬をなでて行く。行程は次の通り。JR蓮田駅 → 1)真浄寺 → 2)黒浜沼 → 3)環境学習館 → 4)西城沼公園 → 5)商工祭さくらまつり会場 → JR蓮田駅駅から歩くこと20~30分、元荒川に架かるなかよし橋を渡る。さすが蓮田という地名だけあって、沼が今でも残っている。最初に訪れた黒浜沼は枯れススキや葦に囲まれた沼のイメージそのもの。土曜日とあってかおじさんたちが数人釣り糸を垂れていた。ん~、のんびりだなぁ(*^-^) 時間がゆっくり流れているようだ。環境学習館でトイレを借りる。その玄関では大きなナマズが3匹、水槽で飼われていた。よく見ると沼に沈んでいた粗大ごみを回収したところ、その中から出てきたとある。粗大ゴミもナマズの住みかになるんだね(^^;;私も子供の頃、田んぼに捨てられた空き缶を拾って、ひっくり返して中の泥を出すと、一緒にドジョウが出てくるのが楽しくて、空き缶回収に協力したものだ。次の西城沼公園は公園化がされていて、周囲は芝山と桜が植えられていた。ただ黒浜沼と同じなのは釣り糸を垂れるおじさんたち(^-^;何が釣れるんだろう。そこからは元荒川沿いに続く桜並木道。ハイキングの人たちも桜のたもとでおにぎりを頬張っている。さらに進んでJRの鉄橋をくぐると、さらに多くの人が集まっていた。ブルーシートを広げて20人くらいで飲み食いしている人や、家族で来ていてパパが一生懸命に炭に火を点けようとしていたり・・・。露店が立ち並び、どうやら商工祭の会場に足を踏み入れたよう。全行程で約11kmを2時間半で歩いてきました。プーさんのようなお腹になっていたので、腹筋に軽く力を入れた状態で歩いていると、しっとりと気持ちのいい汗がかけました。来週は「城下町佐倉お花見ハイキング」に行ってきます。
2006/04/01
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土曜の夜から「明日の日曜は暖かくなる」とラヂオで言っていた。そう聞くと、むくむくとお出かけしたくなって、どこへ行こうかあれこれと頭を巡らせて布団に入る。翌朝、どこへ出掛けたのかというと『上野動物園』。府中に住んでいたころは頻繁に『多摩動物公園』に行ってました。多摩の看板は何といってもコアラ、そして上野の看板は言わずと知れたパンダですね。そのパンダ舎の手前にはキジが見れるところがあって、その中でクジャクが大きく羽を拡げていました。そして時折、その羽を身震いさせるのですが、震えると何かの眼を思わせる模様が手前に飛び出してくるような錯覚を起こさせるんですね。いや~、ビックリでした。さて、動物園を巡っているうちにふと疑問が浮かびました。たとえばカバ、英語ではhippopotamusですね。そのほかサイ、英語ではrhinocerosと言うそうです。もちろんカバもサイも日本にいませんよね。英語圏のアメリカやイギリスにもいませんね。ここで何が疑問かと言うと、日本語でカバとかサイという言葉を誰が考案したんでしょう?海外から言葉が入ってきたのなら、英語に近い名前がつけられるはず。もとは英語じゃないのかな?鎖国していた頃のポルトガル語とか・・・。あぁ、これを考えると眠れなくなりそう・・・(^-^;
2006/03/06
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去年は長女の「保育園の生活発表会」続いて、今年も『ながめ余興場』で開かれた、長男の生活発表会に行ってきた。ながめ余興場のように、古い余興場で現存するのは3つしかない・・・らしい。(間違ってても見逃して)去年もやはりこの時期に来ていた。子供たちの成長は、ほんとうに目をみはる。合奏ありぃの、寸劇ありぃの、楽しませてくれました。本当に当たり前だけど、群馬は昼でも寒かったです。クリスマスの衣装を着た人が居たり、街はすっかりクリスマス一色です。ところが自分の感覚ではそろそろ夏に向うころなんです。これは5月に医者にかかり、薬をもらうようになった日から、空白の一日を何回も続けてきたからなんでしょう。だからこんな時期なのに、梅雨明けはいつだ?なんてことを思ってしまうのです。 ↓↓↓写真は昨年のものです↓↓↓↓
2005/12/25
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すこし軌道に乗りかかったところに、研修の講師をやらねばなりません。それでドクターに「ろれつが廻りません、口が乾きます」すると昨日にも書いた、それらの薬を戴いてきました。効き目は? ・・・まだよく分かりません。さて、今日は娘の「ピアノ発表会」でした。こじんまりしているが、いいホールでした。ウチの娘の番は、まだ習って数ヶ月だし、小学校1年生だからでしょう。なんと2番目やるらしい。少し緊張の趣がうかがい知れたが、ピアノの演奏に集中したみたいで、まぁ良かったです。さて発表会場について演奏を始める時間までのこと。小さな寄せ植えが置いてあったのを見て、娘に「このパンジーの小さい花はビオラって言うんだっけ?」娘が答えます。「違うよ、ちぃーさなパンジー、・・・チンパンジーだよ」う、不覚にも笑ってしまった(^-^;娘よ、そのネタは受けるぞ
2005/12/11
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姫と明治村に行ってまいりました。個人的には三度目だけど、姫が初めてということで。私が初めて行った時、明治村を代表する建物の『帝国ホテル正面玄関』を目にするなり、動けなくなりました。あまりの衝撃!それは足を止めるほどのものでした。ようやく身体が反応して歩き始めて、その玄関が近づいてきたときも、もしかしたら口を開けたままだったかもしれません。この繊細でいて、堂々とした建物を設計したのが、F.L.ライトです。世界の三大建築家とも呼ばれるライトの作品は、大学の授業で聞いていました。どちらかというと不真面目な学生だったので、映されたスライドを見ても、心に訴えるものではありませんでした。それでも近代建築というか古い建物が好きだったので、帝国ホテルがライトの設計だってことぐらいは知ってました。この帝国ホテルには逸話があって、ライトは設計をした後、本国へ帰ってしまったので、弟子たちが建物を完成させたようです。完成して、ホテルの開業初日が、皮肉にも関東大震災でした。しかし建物には大きな損傷もなく、ライトは無事であることを手紙で知ったそうです。さて、これくらいの予備知識でホテル玄関に近づいていくと、大谷石とテラコッタがウェハースのようにふわっと重ねられていて、その隙間から木漏れ日のような光が射しこんできます。材質が石なので重厚な印象になりがちのものを、軽く魅せるワザ。一歩一歩、足を踏み入れると、壁のあちこちから光が迎えてくれました。段数にして4~5段の階段を巧みに操り、スキップさせるなんて並みの建築家ではありません。CAD(製図をコンピュータで行うもの)の無かった時代に、こんな空間を思い描き、それを紙とペンで図面として表現するなんて、もう超人と言ってもいいでしょう。とまぁ、とにかくすごくヨカッタと姫に話すと「行ってみたい」ということになり、今回の明治村ツアーが敢行されました。さて、まだ明治村を訪れていない方に、少々手ほどきを。明治村には建物だけでなく、建物にちなんだ展示物もたくさんあります。全ての建物群を観たいのなら、開園時間早々に歩き出さないと最後に走ることになりかねません。この日も開園早々に建物巡りをしたんだけれど、最後は少々駆け足になってしまいました。万歩計を付けて明治村に行きましょう。私は2万歩を超えました。少しは痩せられたかな?
2005/11/26
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息子(4)の運動会へ足を運んだ。会場は群馬県のとある町。自宅の千葉から3時間余りだけど、開会の入場行進に間に合った。リズムに合わせて身体を動かしたり、障害物競走に出たり、すずわり(玉入れのように、玉を投げて、吊り下げられた大きな鈴を割る)に出たり・・・。あいにくのどんより天気であったが、なんとか持ちこたえ、閉会式のころにポツポツと降ってきた。その間、小学一年生のお姉ちゃんは独占してパパに甘えられるのに、少し照れが入るのか、思ったよりベッタリではなかった。先々週のお姉ちゃんの運動会では、保育園児の息子はパパにベッタリだったのに。閉会して解散となると、一目散に息子が「パパーッ」,,,,,,,,,,,,(((( *≧∇)ノノノ と走ってくる。抱きかかえて、高い高いでくるりと廻ってみせる。大喜びの息子、おまえのほうが甘え上手だ(^^;)次回は七五三の頃に会う約束をして帰ってきた。
2005/10/08
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昨日、娘(小学一年生)の運動会に行ってきた。普段は3~4週に一回、娘と息子の住んでいる群馬県に行ってたが、ウツのせいで遅れて約2ヶ月半ぶりの再会となった。天候が心配されたが、決行が決まったのは朝の7時ごろ。その頃には当然、家を出て電車で群馬に向っている時間だ。9時から始まる演目に、私が着いたのは9時45分くらいになってしまった。息子の方は保育園の年中さんで、運動会当日はママとじぃじ、ばぁばの三人にあやされながらの観戦。私を見つけるなり、息子が走り出して胸に飛び込んでくる。嬉しい、幸せの瞬間だ。娘のほうは運動会に参加しているので、閉会まで私とも話せずにいる。今日は息子がパパに甘える日だ。しょぼしょぼと霧のような雨が降るなかでの運動会。早く閉会するためにPTA参加のプログラムや、近隣幼稚園の遊戯発表などが取り消され、午後の部まで一気にやってしまうという強行策。お昼の時間が遅くなったが、プログラムは無事終了。次回は再来週、今度は保育園の運動会。その日は娘がパパに甘える日となりそうだ。
2005/09/25
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今日は先週大騒ぎして手に入れたたまごっち(アロハれっど)を、子供たちの住む群馬県へ届ける日でした。パパが来るのが楽しみなのか、たまごっちが来るのが楽しみなのか・・・(^。^;; ともかく、歓迎されました。 二人でひとつなので「けんかするとパパが持って帰るぞ」と脅しをしておきました。午前中は近くの小学校で、自転車の練習。ランチはバーミヤンでチャーハン。自宅に戻って昼寝。夕方から夕食のお好み焼きを作って食べて帰ってきました。 うつのせいか本当にくたびれました。明日はとても出社する元気が無いなぁ(^。^;; 早く寝ようっと!
2005/06/26
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そりでわ、トイザらスへたまごっちの「アロハれっど」を買いに、並んできます!いってきまーす。。。。チャリチャリ・・・。
2005/06/18
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昨日、秩父鉄道の広瀬川原車庫において蒸気機関車や電気機関車の展示会が催されました。雨との予報でしたが何とか持ちこたえたという空模様の下で、鉄道グッズやジュース、お弁当が売られ、家族連れで大賑わいでした。もちろんメインは蒸気機関車。子供たちは運転台に乗せてもらったり、石炭をくべたりの体験をさせてもらえました。これはママちんがはがきで応募して獲得した参加証のおかげです。応募総数五百数十に対して、40組が選ばれたようです。先月に秩父鉄道の蒸気機関車(パレオエクスプレス)に乗って熊谷から長瀞へ出かけてきましたが、きっとその時の蒸気機関車だと思います。そしてイベント当日はパレオエクスプレスが引いていた客車が、お弁当を持ち込んで食べる休憩所になっていました。パレオエクスプレスは毎週のように走っているので、小さなお子様に見せてあげると喜びますよ。詳しくはこちら・・・http://www.chichibu-railway.co.jp/sl/sl_top.htmさて、蒸気機関車に乗ったならば、なるべく後ろの車両に席を取りましょう。そうするとカーブの時に蒸気機関車の走っている姿が良く見えます。それにしても「うつ」のパンフレットには「気晴らし旅行は有害、疲れます」と書いてあったように、帰宅してすぐに寝てしまいました(^_^;
2005/06/05
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13日の日曜のことですが、ひとりで所沢まで電車を乗り継ぎバウハウス展に行ってまいりました。知る人ぞ知る『バウハウス』ですが建築系の方、美術系の方ならもうご存知でしょう(o´ω`)b十年ほど前に川崎市立美術館で見たときと比べて、展示物は少なかったかな・・・と感じましたが、十年ぶりに再会する旧友に会う気分でした。ひとつひとつのデザインがいいとか、イマイチとか、感じ方は人それぞれでいいと思うのですが、現代の工業デザインの礎を築いたことは誰もが認めるところでしょう。バウハウスが開校してからナチスによって閉められるまでの歴史や、バウハウスの学生達の生活ぶりなどを写した写真もあったりで、作品もさることながら、バウハウスという学校が歴史的にどのように翻弄され、講師陣・学生達がどのような思いで作品に情熱を傾けたかを、熱く知ることができました。当時の作品が今でも一般の製品として残っているものも展示してあり、クロス(壁紙)やカーペットタイルなどまであるのに驚かされました。どうしてもバウハウスというと椅子や茶器などのステンレス作品をイメージしてしまいます。 こんなやつ⇒ 残念ながら、既にバウハウスの展示は終わってしまいました。来週は埼玉県立近代美術館でやっている椅子展でも行って、目を肥やして来ようっと!
2005/03/13
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午前中は暖かかったので、子供達といちご狩りに出かけました。(o´ω`)b年に一度の家族行事?さて今回は群馬県の赤城村にある陽一郎農園。摘み取って食べたのは「あきひめ(章姫)」という品種。 「色は薄めで少し早いかな・・・くらいの色でも充分美味しくいただける」と説明も受けて、いざ出陣!とハウスに入っていくと見慣れぬ光景。。。そうです、ここは腰をかがめずに摘み取れるという農園で、ヘソの高さくらいに宙に浮いていちごが植わっているのです。散水用のパイプがいちごの苗の土中に仕込んであるらしい。(-_-;)しゃがまないのはラクですが、食べ頃いちごを探すには子供の目の高さが一番いいようで、結局おじいさんのように腰を曲げてながら歩いて食べていました。あきひめは酸味が少なくて私好み(´ー`)でした。一通り食して事務所へ戻ると目にしたのは「自家製いちごジェラート(\260)」。午後になって少し冷えてきていましたが、もちろん挑戦しました。「とちおとめ」、「とよのか」の2種があったので、とよのかのジェラートにしました。美味いです!!甘さもしつこくなくて自然ないちごの香りもするし。
2005/03/13
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昨日の話ですが、自転車でご近所探検に出かけて、稲○海岸駅前のマリン○アの前で桜の花を見つけました。いやー、ご近所探検で小さな発見をしたいと思っていましたが、思わぬデカイ発見をした気分です。まだ3月の初めですよ!千葉って暖かいんだねぇ(´ー`)ついでに稲○海岸まで行ってきました。久しぶりに波が砂浜を洗う音を聞いて、癒されました^^この大きな空と波音・・・、伝わるかなぁ。
2005/03/06
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今回の富山出張は冬の北陸には珍しく、太陽が顔をのぞかせていて暖かい日ざしが心地よかったです。羽田を出るときから晴天で日本地図の上を飛んでいるような気分になるくらい、地上が良く見えました。 羽田空港を出て東京湾上空で旋回、多摩川に沿って北西へ進んでいくと、奥多摩湖が見えてきます。そして白雪で覆われた山に黒く斑点のように木々が立つ山々を越えると甲府盆地、さらに少し雪の多いひと山越えると松本盆地。そしてそして・・・このあたりまで来ると黒く見えていた木々も雪で埋もれたのか、全体が真っ白な山を越えるとそこは富山平野と富山湾が見えてきました。富山湾上空で再び旋回し着陸。機内誌「翼の王国」には日本地図に書かれた営業路線図があるのですが、地図と比べ合わせたくなるくらい見えた通りに飛んでおりました。天気のいい日に飛行機に乗るとすこぶる気分がいいですね。 年に何回か足を運んでいる富山ですが、もしや今回が最後となるかもしれません。あんなに富山へ出かけていたのに、一回も市電に乗らず仕舞いでした。・・・残念!
2005/01/24
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