🤷‍♂️橋蔵に関する記事からの風評やよもやま話等


記事の中には、橋蔵さんの結婚問題が取沙汰され始めたころからのものがありますね。

2023.10.8
(1)・・・●大川橋蔵の結婚説 (1961年8月読切倶楽部から)
この画像は、livedoorの ブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
大川橋蔵の結婚説
話は昨年11月、錦之助が有馬稲子との婚約の事実をすっぱ抜かれた頃にさかのぼる。東映京都撮影所---それも女優たちの間でこのニュースは大騒ぎになった。
『錦兄が結婚?ちょっと寂しいけど、時々は新居に遊びに行くわ』さりげなくこういう感想を語る丘さとみあたりも 心の動揺は隠せなかった。相手が有馬稲子だったことに意外な表情のものが多かった。自分でなかったことに失望する女優もかなり多かったはずだ。錦之助は『結婚しようか』などと、半分からかい気味によく口にする方法だった。何しろ天下の人気スター、駆け出しの女優など、それだけで胸がときめき、あるいはと密かな期待を持っていたものが多かったのである。ところで、こうした空気の中で、『そーお、有馬さんが羨ましいわ』と、一人だけいやにとりすまし、意味深なことを口ごもりながらため息をついた女優があった。大川恵子である。もともと、おとなしすぎる性格で、よく女優を辞めたいと口にする方なので、その時は別段気にも留めないものが多かったが、大川の胸の中には、橋蔵との結婚のことが、この時強く浮かび上がったようだ。
女優を辞めたい。そして有馬さんのように早く結婚生活に入りたいという気持ちに一緒に駆り立てられた。二人は東映に入ったのが同じ31年、いわば同期生だ。
大川社長から同じく苗字をもらったのも何かの因縁としか思われない。なんとなく共演するうちに気心が通じ合った。共演した『旅笠道中』(m.wのひとりごと・・・この作品ではなく「緋ぼたん肌」あたりではないかしら?) あたりからぐんぐんお互い引かれていった。こうした交際が5年も続けば、どこかで第三者に感づかれるものだ。
大川が控えめでおとなしく、我慢強い性格だったから、二人の中がなかなか表面に出なかったが、 それも限界に来ていたというわけだ。
『『そういえば、あの時、彼女は嫌に落ち着いていたわよ 。というより、何か考え込んで深刻な表情をしてたわ『』大部屋女優たちはポンと膝を叩いて、その悩みのタネが 橋蔵との結婚という説に思い当たるフシがあると口を揃えて言うのである 。彼女らの推測はまだ続く、橋蔵が共演にどうしたわけか大川恵子選びたがらないというのだ。 『逆心理というのかしら・・・。おかしいわよ』と、そのうるさいこと。
橋蔵は、東映では市川右太衛門と並んで相手女優を決めるときうるさい注文をつけることで有名だ 。シェイクスピアの『 ハムレット』の翻訳もの『炎の城』が撮影に入る時、オフェリアに当たる雪姫役の 女優に橋蔵は注文を付けた。色々揉めた末、東京撮影所から当時現代劇で売り出しの三田佳子に決まった。
『炎の城』撮影前後に橋蔵と三田の仲がゴシップ風に 書かれたのもその頃だが、これは少しも的を射ていなかったわけだ。それのみか、橋蔵は三田に割合冷たかった。演技上のことでは親切に指導してくれたが、撮影が終わると橋蔵はさっさと先に 帰って行った。橋蔵の心の中にも女性は大川恵子一人だったのだと言われるひとつのゆえんもここにある。
だが、東映がドル箱スターのこの両人の結婚をおいそれと許すはずはない。それだけに大川が錦之助と有馬の婚約をうらやましがったのは当然とも言える。
橋蔵の方でも気持ちは同じらしい。年齢も32歳といえばもう結婚しなければいけない。 『これまでは、会社のいうことをよく聞いてきたつもりです。 でも、そろそろ自分の将来ということも考えなければねえ。これからはこうしと信じたことはできるだけ強く主張するつもりです』と、戒種の決心をほのめかしている。
祇園の芸者まり子との仲もきれいになり、橋蔵の結婚体勢は今や万全だ。ライバル錦之助が 婚約を発表した今、 彼がなお独身を続ける理由もない。
『今度、あることを会社に相談し、 容れられなかったらしばらく外国旅行にでも行って来るつもりです』
橋蔵が何かを考えていることはこのセリフの中からもうかがえる。結婚のことかどうか 、それは断言はできない。 ただ、残るのは橋蔵の決断如何。いずれにしても大川恵子との結婚が実を結べば、錦之助、有馬稲子のコンビニ劣らない似合いの夫婦として映画界にセンセーションを巻き起こすことは間違いない。
しかも実は熟しているのだ。

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