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ハワイには沢山ゲイの人達がいる。ワイキキビーチの少し先にあるビーチにはきわどいビキニ、もしくは何もつけない男達が寝転がっているし、クヒオ通りにはゲイのお店も沢山ある。ゲイ専用のホテルだってあるらしい。私が思うに、ゲイの男達と言うのは本当に美形が多い。ハワイに越してきてからすれ違いざまにこの人はゲイだということが見分けられるようになった。彼にはどこか垢抜けていて石鹸の匂いがただよいそうな美しい男が実に多い。昔、カレッジのお友達に、ゲイのカップルの住む家に招待された事があった。サンディエゴにヒル・クレストというレズビアンとかゲイの人達が住む街があるの。とってもおしゃれなお店やレストランが集まっていて実にゲイの人達が好きそうな町。そこに彼ら達も住んでいた。家に入ってびっくり!素敵なインテリアにも驚いたけど、沢山のカップル達がいた。そこでは私の友達と自分とだんなだけがストレート(異性を相手にする人達の事)だった。お友達のバースディパーティだったのでみんでしゃぶしゃぶをして食べました。みんな本当に優しくていい人でとても楽しかったんだけど、案の定、家のだんながもてもてになっちゃって、私なんかだんなと口を聞かせてもらう隙間も無かった。外を歩いていてもピューーッと口笛を鳴らされるのは私じゃなくてだんな。昔からゲイに狙われやすいタイプだったようで(笑)行きたくないと言うのを無理矢理連れていったんだけど結構エンジョイしてたみたい。ゲイの人達がそうして一つの町に集まるのはやっぱりアメリカで彼らは安全じゃないから。ゲイと言うだけで何の理由もなく殺されたり、襲われたりするの。だからみんながまとまって暮らして、団結するというわけ。ハワイはその点アメリカ本土と比べると安全みたい。アメリカ本土では差別意識が根強く残っていてマイノリティー(少ない部類、例えばゲイや白人以外の民族)は差別を肌で感じる事がまだまだ多い。ハワイはそういう差別もなくて老人にも子どもにもどんな民族にも差別なく気候だけでなく人々も暖かい土地だと私は思います。この写真はカピオラニ公園の横にあるゲイの人達の溜まり場になってるホテルの2階にあるバー。今日は動物園に行ったのでその時にパチリ!
2002年02月25日
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ものすごく久しぶりに更新してみました。時々プライベートメールをくださる方へとリンクをしてくださっている方への近状報告をかねて。前回の日記から順を追っていくと、まず昨年5月に無事、University of Hawaii, John A. Burns School of Medicineの大学院を卒業しました。中央が私です。それから半年ほど何もせずにぼーっとしていました。なんというか、今思い出しても何をしていたのかわからないほどぼーっとしていました。卒業する前の半年は一体どうやってあんなことが自分に出来たのか今、思い出しても想像できないくらいに忙しくて苦しかったからか、卒業したあと、脳や体がとても疲れていて何も考えずにとにかくぼーっとしていたかった。その間、今まで出来なかった人との付き合いを復活させた。週末は人の家のパーティに行き、今まで滅多に会えなかった友達と頻繁に会ったりとか。アメリカの会社で就職活動をするのは初めての経験だったのでその様子を詳しく書いてみます。大学院時代、こんな所で働けたらといいのになぁ〜と思っていたところに卒業して数ヶ月経った頃に履歴書を送ってみた。しかし1ヶ月を過ぎても何の返事もない。そこはあきらめて別のところへ履歴書を出しはじめていたころその働きたかった場所から突然連絡があった。すでに履歴書を出して3ヶ月も経っていた。”まだ、興味があれば面接に来てください”と突然の連絡。緊張して行った面接は2時間もかかった。2名の面接官から集中して聞かれたことはいろいろなシチュエーションを出してきて私がその問題をどうやって解決するかということ。例えば、私の仕事は他の医療技術系のプロフェッショナルとチームで仕事をするんだけれど、もしその人たちとセラピーの方法について意見が分かれたらどのように対処するかとか。面接官の手元のリストから沢山の同じような質問をされた。最後に大学院時代の私の論文、リサーチの内容について質問された。もっとちゃんと答えられるように練習しておくんだったと後悔。しかし、2時間もいたということは手応えありじゃないの!?とその時は思った。その翌日に面接をしてくれた方からメールがあり、リファレンスにインタビューしてから採用を決めるとのこと。リフェレンスにインタビューというのは、過去の私の仕事ぶりを知っている人を3名あげてその方達に会社が直接電話をして、私の仕事ぶりや人間性について質問するというもの。3名の1人は大学院のクリニカル・スーパーバイザー、残りの二人はインターンでお世話になったスーパーバイザーにお願いした。ネットで調べてみると面接の後はたいてい数週間以内には連絡があるはずと書いてあったのに1ヶ月過ぎても連絡は無し。”一ヶ月も連絡がなければあきらめろ”とも書いてあった。プロフェッサーに連絡して聞いてみると確かにそこから電話があり話したと。こういう時はこちらから電話して聞くべきかそのままにするんだろうかと悩みながらも、あ〜もう駄目かなと気分が落ちた。あきらめ半分で新しい就職先を探していたら、突然内定通知が届いた。面接から一ヶ月半もたったころだった。その後の流れを簡単に書くと人事部へ出向き、給料やベネフィットが書かれた紙を渡される。それを見て合意ならサイン、合意できないのなら交渉ということなんだろうけれど想像していたよりもずっと良かったので私はその場でサインをした。私の職種は卒業後、すぐに国家資格が取れない。国家試験に受かっていても決められた時間をスーパーバイザーの指導のもと、こなさないと国家資格をもらえないようになっていてそれまでは国家資格を持っている人たちの収入の半分くらいだと聞いていた。国家資格を待つ間は半分だとしても、それでも以前働いていたころの倍額だった。年齢に比べて経験浅い新卒の私からすれば文句無し。長い間本当に辛かったけど頑張ってきて良かったと心から思えた。最初は経験させつめれば収入は関係ないと思っていたけれどその考えは間違っていたと思う。ここまで多くの時間とお金を費やして取った専門なんだからもしも相場よりもずいぶん少なければ交渉をきちんをすることも大切だと思う。給料に合意した後はバックグランドチェックをすると言われた。過去に犯罪歴がないとか、あとはツベルクリン反応とドラッグのテストもあった。それらを無事パスしてその数週間後に初出勤。ピカピカのコンピューター付きの自分のオフィスをもらえたとき、やっとまた社会人に戻れるんだと実感した。英語を母国語としない”外国人”はそこでは私一人なのですが、とても居心地がいいです。ネイティブでも難しいのに二カ国語でよく頑張ったねと優しい言葉をかけてくれる人もいる。大学院時代のインターンと確実に違うところはお金をもらって仕事をしていることだけど、学生のころとはちがってちゃんと専門職として扱ってもらえてると感じられるところ。スーパーバイザーも優しい人だし、全体の職場の雰囲気もいい。いつも書いてしまうけれどもしも子供がまだ小さくて大学へ行くことを迷っている人がいたら背中を押してあげたいです。もしこの国で自分のしたい職業に学歴が必要ならば自分の年齢とか状況につまづかないでとりあえずやってみてもいいと思う。妊娠中やまだ子供が小さい時は一科目だけしか取れないときもあった。あの頃は旦那もまだ若くて収入も少なかったので学費を払うお金も大変だったし。無理をしなくても一歩づつでも階段を上って行けばいつかは必ず理想の自分にたどり着けると思う。大変だったら途中で休んでもいいと思うんです。私の理想はもう無くなった楽天のプロフィールにも書いてあったのですが”かっこいいおばあちゃん”になること。人それぞれ違うと思うけれど私の理想の”かっこいいおばあちゃん”は年をとっても自分の好きな仕事を続けていられること。顔がシワシワになっても、背筋をピンと伸ばしておしゃれをして仕事をしていたい。人を助けてあげられるという心の満足感と安定した収入の両方を得られる自分の仕事が大好きです。若い時は楽しかったけれど、今はもう人と競争したりする仕事はしたくない。ずっと前にあった眉間の薄いしわが気がついたら消えていた。このままずっと穏やかに年をとっていきたいです。楽天を始めた頃はまだコミカレを途中で休んで仕事をしている頃であれからずいぶん長い年月が経ったけどこうしてちゃんとゴールにたどり着くことが出来た。小さかった子供も中学生になったんです。信じられないスピードです。さて、うん十年後、80歳になった私はスポーツカーを運転してお休みは旦那やお友達とヨーロッパ旅行♬そんな老後を過ごしたいです。書き出したらまた長くなっちゃったけど、また書きます!■国際結婚/恋愛人気ブログランキング参加中■人気ブログランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お気に入りリンクに登録して頂きありがとうございます。ハワイ市場はお気に入りリンクのご連絡不要です。掲示板は時々お休みしますが読んで頂いただけで嬉しいです。
2013年02月18日
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