読書日和 ~Topo di biblioteca~

読書日和 ~Topo di biblioteca~

2005年10月~12月に観た映画


2005年10月~12月に観た映画

 スクラップ・ヘブン
 シン・シティ
 ティム・バートンのコープスブライド
 春の雪
 ブラザーズ・グリム
 ALWAYS 三丁目の夕日
 エリザベスタウン
 ハリー・ポッターと炎のゴブレット
 Mr.&Mrs.Smith
 ハリー・ポッターと炎のゴブレット<二回目>
 SAYURI
 KING KONG





スクラップ・ヘヴン

自分自身に対する膨大な不満とやり場のない憤り…
理想を掲げてそれらを突き抜けようとしても、
結局は「現実」という壁にぶちあたって玉砕してしまう~のかな?

 *「スクラップ・ヘヴン」公式HPは→ こちら

「世の中、想像力がたんねえんだよ」…てな具合に
作品中、「想像力」という言葉が何度もキーワードのように出てくるけれど、
登場人物たちはこの言葉を駆使しているように見えて、
実はその重さに自らに溺れちゃってるような気がします。

…というのも柊が思う「想像力」と、彼らの取る行動が
かけ離れたものだったからかもしれません☆

突飛な行動を取ればそれは「想像」的かというと…なんか違うような気がする。

小説中の一文を読んだとき、何小節かのメロディーを聴いたとき、
美しい風景を見た時なんかに、どうしようもなく自分の内側から
何かが溢れてくるようなそんな感覚を味わうときがあります。(稀だけど)
感化されるというのか。それとも触媒効果なのか。
「想像力」なんてものは、そんな小さなきっかけに過ぎない気がする。
それに伴う結果がどんなものであろうと、一切責任は持ちません、みたいな
野蛮なきっかけ。

想像力云々、世のなかがどうこう、…色々言葉を尽くすけれども
自分の中に溜まっている不満を回りに散らしたり、自信を傷つけることで
解消しようとする限り、結局のところ「幼い」気がするんだよね…。
それは若さ故だから、なんて納得させようとするのは少し乱暴な気がするんです。
(主人公たちが10代ならまだ通用するかもしれないけど、一応社会人でしょう??)
言ってることは彼ら以上に乱暴だったけど、柄本さん演じる刑事の台詞に一番共感してしまったかもしれないです。

なんだろう、この割り切れなさは。
「想像力」と言ってるわりには、自分たちの行動が周りにどんな影響を
もたらすのか、或いは自分の未来像をもっと想像できなかったのか!?
…なんて思ったり。

皆、ゲームが深みに嵌っていった時点で自分の未来を傷つけるかもしれない、と
危機感を覚えたはず。(つまり想像したはず)
なのに衝動を止められなかったのは、自分の欲しくない未来図に対しては
目を閉じてしまったからではないですか。
想像することをやめ、ただ流れに身を任せてしまったのでは…?

いかん…。こういう映画を観てこんなふうに考え込んじゃうのはどうしたって
映画をつまらなくさせてしまう。
「こういうのもありだよねー。わはは。」くらいに割り切って観れなきゃ面白くない。

この世のなかで一番汚い公衆トイレとはこんな感じ!?というのを
嫌というほど見せてもらいましたhiku

栗山千明さんはそんな映像の最中にあって唯一清涼剤的役割を
感じさせてくれました。
なのに出番が少ないよ…っ。がーん

自由奔放、かつ精神的に危うそうな役柄をオダギリジョーさんが演じてました。
はまり役といえばはまり役…なんだけど、どんな演技が繰り出されるのか
予見できてしまうのが惜しまれる…。
(この感じは「あずみ」での美女丸~

うーん、消化不良気味かもしれません。
観終わったあと、文句なしに「面白かったっ!!」と思える映画が観たいよー。

↑こんな感想書いちゃってますが、高評価の感想を聞くと
途端に自分の映画を見る目を疑ってしまう柊です…。
ああ、優柔不断でごめんなさい☆
(何故、私にはそんなふうにせつなく見えてこないんだろう…!?自己嫌悪)



シン・シティ

酷評を目にすればする程、劇場に足を運んでみたくなる天邪鬼な柊です
偶には素直に人の意見を聞き入れましょう(爆)

うーん、うーん、うーん。
これは一体何が言いたいんだとか考えてはいけないのよね。
確かに描写がやたら残酷な上に気持ちが悪くてしょーがない。
でも出演者がやたらと豪華
つまり「何故、こんなところにあなたが~!」と問いたくなる方が何人か(笑)

その筆頭がイライジャ・ウッド。
ううう、脱フロド宣言??
「エターナル・サンシャイン」でも、どーしてまたこういう役を?…と
思いましたが更に輪をかけてすごい。
台詞一つないのに、その不気味な存在感は人一倍。
「ううううう、カムバック、フロドーっ!」とは私の心の叫びです。
(あまりのギャップが面白いといえば面白い…けどあんまりだ

お次はベニチオ・デル・トロ。
映画中、柊が最も面白いと感じたのは彼とクライヴ・オーウェン二人の
車中での会話シーン。
えらくシュールなシチュエーションにも拘らず、この二人が真面目に
演技している姿が最高でした。
監督に(或いは原作に?)オモチャにされてるとしか思えん役どころなのに
最期の瞬間まで演じきった姿に涙涙涙…かなぁ?

逆にこういう映画でも美味しい役どころを貰えたね、と思ったのは
ブルース・ウィリス、クライヴ・オーウェンでしょうか。
良かったねえ…なんて思わず言いたくなる(笑)

どんだけ痛い目にあってもしぶとく生き返る?不気味な男優陣に比べ、
女優陣の存在とその生き様は鮮やか。
その容姿、姿態は同性から見てもゴージャスでした。
デヴォン・青木演じるミホが日本刀を操る様は「KillBill」のユマ・サーマンを
どうしたって思い出してしまうんですが…女が強いシーンは許せる(笑)
「彼女たちの登場シーンだけは見応えある」と書かれた感想を
見かけましたが、納得。

タランティーノが制作に参加している、というので食指が動いた柊ですが
監督はロバート・ロドリゲスという人。
「レジェンド・オブ・メキシコ」でげろろんとさせられたのを後から思い出すhiku
(既に手遅れだ)
タランティーノが全てのシーンを監督してくれてたらこんなに後味
悪すぎなかったんじゃないか、なんてチラと思ってみたり。

怖ろしいことに!?「シン・シティ2」の制作が決まっているらしい。
柊はもういいです…(←とか何とか言ってて俳優次第では観に行きそう)

途中退席する人が多いと聞いていたけれど…
二時間しっかと観てしまった自分の忍耐力を今は誉めたい気分。
(忍耐より時間を大事にしろよ、とは突っ込まないでくださいね。ははは)

 …脱力。

 *「シン・シティ」公式HPは→ こちら



ティム・バートンのコープスブライド

「わずか6秒の映像を作り出すのに一週間を要する」
(1、2秒の映像を撮影するのに12時間を要することもある、とはHP談)

少しずつ人形たちを動かし、撮影することで動きを生むその映像の
美しさといったら…55

瞬きする間も惜しいです。ホントに。
ジョニー・デップの声聴きたさに字幕を選んだ柊だけど、
「この映像を隅々まで味わうには吹替えにするべきだったか…!?」と
一瞬 、思ってしまったくらい。
この映像は下手な実写映画を観るより、ずっとずっと観る価値あります。

映像を楽しむ為には吹替えがお薦め…なんだろうけど
物語の展開と声の演技を楽しむならやっぱ字幕なんだよなあ(笑)

ミュージカル仕立てになっていて、
キャラクターたちが各場面で心情を吐露する歌が何といっても聴きどころだし、
牧師役のクリストファー・リーの威圧的かつユーモラスにも聴こえてくる
あの独特の声がとにかく絶品なのです~。

内気で気弱なビクターを演じたジョニー・デップですが
こんなふうにしどろもどろになっちゃってる役柄・雰囲気ってこれまで
あんまりなかったのでは…?
怯えっぷりも、そこから醸し出されるコミカルさも
思わず57と笑っちゃう。

でもなんといっても一番の見どころはコープスブライドその人。
声を演じたのはヘレナ・ボナム・カーター。

ホラー映画ばりの登場シーンにはじまって、死後の世界の描写など
ブラックユーモア満載なんだけど…次第次第に彼女の不気味な
外見よりもその一途で純粋そのものの内面に惹かれずには
いられなくなること、間違いなし。

花婿一人に、花嫁が二人…ああ、この三角関係のじれったさっ!
みんなみんな、幸せになってもらいたい~っ!!

 …というわけで、 ラストシーンは是非劇場で

   *「ティム・バートンのコープスブライド」公式HPは→ こちら



春の雪

原作を読んだとき、二人の結ばれない運命が哀しいのではない…と
思いました。

松枝清顕は決して恋のために死んだのではない。
言い換えれば聡子のために死んだのではない、と思ったから。
清顕自身にはどこか迷いがある。これが恋なのかどうか。
けれど、禁忌に触れたことで、あえて運命に抗おうとする道を選んでゆく。
手に入らないと知れば知るほど欲しくなる…その刹那に身を焼かれるようにして。

一方聡子は、自分の一途な思いが清顕のかたくなさを溶かしたのではなく、
自分が彼にとって禁忌の、不可能な存在になったからこそ
求められたことを知っている…。

そんなふうに、両者思いあっているようでいて、実は決定的にすれ違っている
ことこそがが哀しい…と思っていたのです。

その解釈は自分の中で今も変わらないけれど…
映画のラストシーンを観ていたら、やっぱり無性に寂しくなりました。
この気持ちは、言葉にしようと思っても出来ないものです。
原作「春の雪」を読み終えたときに感じた、
自分を丸ごと持っていかれてしまうような、圧倒される力を思い出します。

原作の何に一番惹かれたかといえば、その言葉の美しさ、です。

けれど映画、映像というのは乱暴な言い方をすれば言葉による説明を
必要としない表現だと思うのです。
場面場面の設定を、登場人物の複雑な心理を、言葉で説明してしまえば
(台詞で喋らせることは)とても野暮ったい、そういう世界。

言葉そのものを映像化するのは不可能といっていいと思います。
(これは三島由紀夫の「春の雪」に限ったことではありませんが。)
では、あらすじを追えばそれで映像化したことになるのか、といえば
それもまた否、なのです。…だから、難しい。

では、どうすれば「春の雪」を映像化することに意味を持たせられるだろう?
「春の雪」とは何か…?その「核」にあるのは何なのか…?
一体、「春の雪」の何に、こんなにまで惹かれるんだろうかとか、
そんなことを一心に考えてしまいました。

きっとこの映画制作に携わった人は皆、そんな壁に突き当たって
自問自答を繰り返したのだろうな、と想像します。

原作と違う箇所、ここは原作に従って欲しかったと思う箇所…多分、
数え上げたらきりがありません。

でも…二時間三十分という上映時間を柊はとてもあっという間に感じました。
むしろ、「え、もう?」と思うくらい短く感じました。
それがすべて、です。

映像が素晴らしかった。
撮影監督に、台湾から李屏賓という方を起用されたようですが、
その甲斐ありましたね!と言いたいです。
むしろ言葉を必要としない…そんな映像世界をちゃんと感じさせてくれました。
「原作と映画は別物、それでも全然かまわない」…そう思わせてくれる映像を。

映画の配役を知ってから原作を読んだこともあって
役者さんにもそれほど違和感は感じませんでした。

もちろん、難をあえてあげるなら
清顕の、原作中の台詞を実際に音として聞くと、まだ「肉声」にはなってないような
気がしたし、聡子はもっともっと女としての恐い一面を覗かせてくれても
良かったように思うのですが…。
(一途さが可愛いと思えることもあれば、恐いとも思えるような…ね。)

一番役にしっくりきていたのは月修時門跡を演じた若尾文子さん。
この物語ののち、本多が幾度も回想する場面としてふさわしい
ラストシーンを見せてくれた様に思っています。
(とはいえ続く「奔馬」の映画化はなさそうです。
“飯沼”の存在がばっさり割愛されていたのはちょっとびっくりでした。)

柊は「春の雪」が、何年か何十年かのちに再び配役を変えて、
映像化されないだろうか、挑戦してみてくれないだろうかと思っています。
これが「完成形」ではなく、次のたたき台になることを望んでいます。

何故だろう。
妻夫木さん演じる清顕も、竹内さん演じる聡子も、
それぞれに良かったと思えるのだけれど、
いつかもっともっと清顕や聡子を演じるに最もふさわしい役者が
現れるのではないかと期待してしまうのです。

三島由紀夫その人が、この映画を観たならばどんな感想を抱くのだろう、
そんな想像せずにはいられないなぁ…。

   *「春の雪」公式HPは→ こちら

春の雪 奔馬 暁の寺 天人五衰



ブラザーズ・グリム

「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」「赤ずきん」etc…
誰もが知ってるこれらの童話はどんな風にして描かれていったのか…?
それを知りたいと思っている人は、まっすぐ図書館に行ってグリム兄弟の
正しい伝記を読んだ方がいいかも、です(笑)

そういった童話製作の過程を期待して観に行くと、×××かもしれない。
(柊はこの映画、夫と一緒に観に行ったのですが、
夫は見事にそのへんの期待を裏切られた~!!と言っていたので。)

コメディ…? グリム童話のパロディ…??
なかなか一口にジャンル分けできない映画です(笑)

柊はこの映画、結構楽しんできたけどなあ
皮肉っぽいというか、おちょくってるのか!というようなところが
むしろGoodでした♪

やっぱり、一番の見所はモニカ・ベルッチ演じる悪い女王様でしょう!
彼女があの台詞、「鏡よ、鏡…世界で一番美しいのは誰?」を唱えるシーン。
鏡じゃなくたって
「それはあなたです」って誰もが答えるに決まってるじゃないですか~!!と
拍手喝采、地団駄まで踏みたくなっちゃいましたよ~。

「こういう役柄、よく出演OKしたなあ。
意外とユーモアのある人なのかもしれないっ!」なんて
柊の中で好感度UPですうなづく

マット・デイモンがグリム兄弟のお兄さんの方、というのも意外でした。
「オーシャンズ11」の影響で、弟分という印象が強いからかな。

童話には教訓めいた部分もあれば、残酷な裏話も隠されてたりします。
その隠されているところに「秘密」や「真実」があるような気がしてしまう。
表に見えている部分よりも、裏の隠された部分の方により魅力を感じて
しまうのは何故??

そういったくすぐりがこの映画にももっとたくさん盛り込まれていると
良かったのになあ、なんて思いました。

   *「ブラザーズグリム」公式HPは→ こちら



ALWAYS 三丁目の夕日

「ううう、ここまで泣かさなくたっていいじゃないか~!」というくらい
ぼろぼろ泣いてしまいました。
隣に夫が居なければ、我慢せずにもっと心置きなく泣けたのに…
必死で涙を堪えようとしたためなのか、今でも目の奥がじんじんします。

昭和30年代…って柊の生まれる前の世界、知らない時代の物語。
それなのにどうしてこんなに懐かしいような胸苦しいような気持ちに
なっちゃうのかなあ…。

今では公園の片隅に、遺物のように置かれている蒸気機関車だけど
この時代にはちゃんと動いて働いていたんたんだよね、なんて感慨深く思ったり。

今だからこそ「古めかしく」感じる車のかたち。
冷蔵庫、テレビ、自転車、商店の店先・・・アスファルトの敷かれていない道。

進歩することは決して悪いことんじゃないだろうけど、
(それをしっかり享受している自分が言える台詞じゃないけど)
何か大切なものをこの時代に置き忘れてきてしまったんじゃないか…なんて
思ってしまいます。

一つ一つのシーンが、出演者の一人一人がとても輝いて見えました。
思わずくすくす笑っちゃうところ、とても丁寧に撮られているなあって感じました。
役者さんたちの息の合った呼吸がこちらに聞こえてくるみたいです。

駄菓子屋さん兼売れない小説家を演じた吉岡さん…
よれよれでくたっりした格好に無精髭、なのにぴかぴか光って見えました。
ひよんなことから一緒に生活することになった淳之介君に対して
「お前なんか、赤の他人なんだから」って繰り返してた彼だけど、その言葉は
次第次第に淳之介に対してではなく、自分に言い聞かせる為の言葉に
変わっていった気がします。

他にも鈴木オートの堤さん、その奥さんの薬師丸さん、小雪さん…
みんなみんな、これも適材適所というのでしょうか。
すっごく、素敵だったなあ…

原作の漫画はかなーり昔に何冊か読んだことがあります。
でも、この映画が原作に忠実かどうかなんて全然覚えてない(笑)
原作漫画を愛読していた夫曰く
「原作を読んでいないとわからない小道具がいっぱいあった。
でも物語りは映画独自のものかなあ。」…らしいです。

柊はこの映画、好きです~。
泣きたい気持ちになったとき、あったかい気持ちになりたくなったとき、
繰り返し観たくなりそう…って思いました。

こんなふうに素敵な映画がもっともっといっぱい作られるといいなって
心から願います。

大勢で一つのテレビを囲んで一喜一憂していたシーンのように
皆で観て、一緒に笑って泣いて、幸せな気持ちで映画館を出れるような、
そんな映画が、もっと、たくさん。

今よりももっと先の、未来の夕日もまた綺麗に輝いているに違いない…!
それを信じさせてくれる映画が、たくさん。

  *「ALWAYS 三丁目の夕日」公式HPは→ こちら



エリザベスタウン

「いっそ死んでしまいたい」と思ったことがあります。
眠ることが出来なくて、夜中一人で起き出した洗面所で
泣きながらカミソリ握り締めて…でも、そこから先は覚えていません。
(未遂にすら到ってません…念のため

平穏無事に生きている今、振り返ってみるに多分本気じゃなかったのでしょう。
もしかしたら“生”と“死”を自分の中で天秤にかけている状態を
楽しんでいたのかもしれないし、(不謹慎と怒らないでね。)
自分の死体を想像して、「みっともない」「格好悪い」となけなしのプライドを
働かしていたのかもしれない。

人間死にたいと思っても、早々簡単に死ねるものじゃないんだな…って
それ以来ずっと思ってました。

でも、去年の冬、知人は自殺してしまいました。

あれから一年が経とうとしていて、
「何だかんだ言ってみてもこうして普通に生活を送れるのだな」なんて
思ってみたりもしたけれど、再び同じ季節が巡ってくると
自分の中で何かが変になってきているのを感じます。
「死」を近くに感じるような、その境界があいまいになるような。

そのとき、生と死を分けるものは悩みの深さなんかじゃなくて、
その瞬間何を思い浮かべたかとか、耳にしたかとか、
せめてあれを食べてからにしようとか、
ホントにちょっとしたきっかけなんじゃないかって柊は思っています。

何でもいい。何でもいいのです。

この映画「エリザベスタウン」の主人公ドリューは、仕事で“大”失敗をし、
会社を解雇され、恋人に別れを告げられ、失意のどん底。
自殺を決意した瞬間、携帯のベルが鳴り続け、あきらめて出てみれば
それは父の死を告げる電話で…。

いったん自殺を取りやめ、父親の葬儀に向かうことになった彼は
行きの飛行機の中で不思議な魅力を持った女性クレアに出会います。

ほら・・・、一本の電話が彼の目を「死」から逸らしたでしょ。

そんな都合のいい話…と思わないでね。
映画だからと、思わないでね。

一度「それ」をみて、そこから顔を上げられたら、そこから先は
ただ、立ち直っていくだけなんだから。

クレアという女性はホントに不思議な人。
初対面の人に、普通そんなふうにぽんぽん物を言えたりしないよなあ、
なんて思いつつ自分にはないオーラにどんどん惹かれていってしまう。

彼女の言葉もまた不思議。
落ち込んでる人に励ましの言葉なんてなかなかかけられないと
思うんだけど…。
でも、それでも「言って欲しい、聞かせて欲しい」言葉なんだよね。

主人公が落ち込んで、落ち込んでどんより…した映画なのかと思ってたけど
観れば不思議なくらい優しくて、あったかい光を感じる映画でした。

(父親の葬儀にしても、あんなに賑やかで愛情に溢れたお葬式って…!)

そんな映画の雰囲気作りに一役も二役も買っていたのは音楽55
ほとんど全編にわたって流れているといっていい音楽の数々、選曲が
素敵だったなあ~♪
映画館を出たその足で、サウンドトラック盤を買いに行きたくなったくらい!

そう、気持ちを高揚させるのに音楽の力を借りるのもいい…。

キャメロン・クロウ監督の「あの頃、ペニーレインと」って未見なのですが
近いうちに観てみたいです。

オーランド・ブルーム×キルスティン・ダンストの顔合わせも新鮮でした。
スーザン・サランドン…好きだわ

「大作」ではないかもしれないけど、気持ちを楽にしてくれる映画でした。

  *「エリザベスタウン」公式HPは→ こちら



ハリー・ポッターと炎のゴブレット

エンドロール終了後に場内が明るくなった瞬間…
或いは薄暗い映画館から一歩、明るい空の下に足を踏み出したとき。
それって魔法が解けてしまったときに感じる悲しい気持ちによく似てます。
「終わってしまった…」って感じたときのせつなさは幾つになっても
慣れることが出来ません

面白い本や映画を観たあとは、「ああ、面白かった!」って
すっきり気持ちを現実に切り替えられるのが柊の理想です。
物語の余韻に浸る…というのとはまた違うのです。
気持ちが物語の世界からなかなか抜け出せずにいることは
(柊にとっては)かなり危ないことのように感じるのです。
(↑というのもはっきり家事労働などに影響をきたすからですhiku

  心ここにあらず。うーん、うーん…。まずい。

新しい登場人物たち、主筋とはまた違う趣を持って散りばめられている
エピソードの数々を映画に全~部詰め込んで欲しい…!というのは
やっぱり原作ファンの「欲」なんだろうなあ(笑)

(これだけ原作のエピソードを削っても約2時間40分の上映時間なのだから!)

上巻だけ再読して観に行ったのだけど、結果としてそれはとても良かったです。
原作の記憶がはっきりしていると展開の細部はよくわかるものの
削られてしまったシーンが気になって(もったいなくて)仕方ない(笑)

逆にうろ覚えになっている部分に入ってくると、先の展開がわからずに楽しい
「そういう展開だったっけ~!?」なんて新鮮な気持ちで楽しめました。
(あああ、私の記憶力って一体…)

主役三人の成長振りも著しい…55

それを寂しいと思うむきもあるけれど、柊はむしろ頼もしく感じてます。

自分の子供たちに感じる願いと一緒です。
ずっと小さくて、可愛いままでいて欲しい。
辛いこと、悲しいこと、嫌な出来事になんか出会わずにいて欲しい…
そう思う一方で、
いつか「そのとき」が来ても、ちゃんと自分で判断して立ち向かっていける力を
つけてもらわなくちゃ困るぞ、と。
(ああ、なんて勝手な願いなんでしょう~)

でも、それには子供のままじゃ駄目なのです…多分。

自分の中に芽生えつつある、大人への変化。
その予感をしっかり自分の中で肯定できる強さを最後に見せてもらった気がして
柊はすごく嬉しかったです。


  *「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」公式HPは→ こちら




Mr.&Mrs.Smith

笑うに笑えない!?壮絶、夫婦喧嘩でした~

それぞれが別の組織に所属する殺し屋…という設定は非日常の極地だけど
そこに「夫婦」或いは「日常生活」などの要素が加味されてくると
途端に身近な、ユーモアめいた話になっちゃうのは何故なんでしょう~(笑)
…とはいえ、かなりブラックよりかも…??

柊は予告編を観るたび期待を高めつつ、ある別の映画を思い出していました。

それはM・ダグラス&K・ターナー主演の「ローズ家の戦争」という映画。

オープニングセール価格! 12/7(水)まで♪DVD ローズ家の戦争

こちらは離婚と財産分与を巡って、夫婦間で壮絶な争いが繰り広げられる話。
予告編を観て「面白そう」と思ったんですが…。
実際観てみると展開がブラック過ぎて、だんだん笑いも冷えてきて…
救いようのないラストが待ち受けていたのでした。
「愛情」が「憎しみ」に一瞬にしてすりかわり、果ては何が争いの原因だったのか
わからなくなるほどに感情がエスカレートしていく…というそれは怖ろしい映画です。
(ブラック・コメディという謳い文句ですが、騙されてはいけません。
「危険な情事」より「ローズ家…」の方がよっぽど怖い、と
柊は思ってます。hiku

柊はブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリーの組み合わせにワクワクしつつも
この「ローズ家の戦争」みたいな展開が待ち受けていたら嫌だなあと
心底、危惧してました。

この二人を戦わせるのはいいけれど、どう結末をもってくるつもりなのか、と。
男VS女、というテーマに双方が納得のいく結論なんて導けるのか、と。

それで、どういう結末になったかというと…それは観てのお楽しみです。

ただ「ローズ家…」を観たあとのような後味の悪さはない…と思います。(多分)

興味のある方はどうぞ「ローズ家の戦争」と「Mr.&Mrs.Smith」、
比較して観てくださいな。

但し、観る時は一人で、或いは同性同士がお薦めです。
(特に「ローズ家…」の方は!!)
夫婦或いは恋人同士で観るのは避けたほうが無難かもしれません。
観終えたあと、夫側か、妻側かで喧嘩になったとしても
その結末までは保障しかねますのでご注意を…うなづく

それにしても、ブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリーの組み合わせは
非常に魅力的です

物語の詰めに甘い部分が残されていたとしても、
ブラッド・ピッドのお茶目さとアンジェリーナのゴージャスさの前にあっては
採点が甘くなっても仕方ないかもしれない…なんて(笑)

二人の壮絶バトルは一番の見どころ55

「いっぺん、これくらいド派手に喧嘩してみるのも悪くない…」なんて
思ったのは柊だけでしょうか~
(しかし、それには体を鍛えておかなければ…!!)

喧嘩することがいいことかわるいことかは、いったん横に置いておいて、
「結婚って何?」「夫婦って何?」ってたまに真剣に考えてみるのも
悪くないかも、です。

*「Mr.&Mrs.Smith」公式HPは→ こちら




ハリー・ポッターと炎のゴブレット

観に行きました。二回目(笑)
初めて観たときより、二回目の方が充実感を感じるのは何故かしら~??

≪お願い≫
ここより先は原作未読の方&映画未見の方は読まないで下さい。
何故ならどちらの内容にも触れているから55

 *ちなみに初見のときの感想は こちら です。

 *「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」公式HPは→ こちら



一応、伏字にしますけど。 ホントに忠告しましたよ!



初めて観たときには気づかなかった仕掛けを発見~!
(いやはや後半は物語を追うのに必死だったから~と言い訳してみる)

一つ目はマッド-アイ・ムーディとバーティ・クラウチJrに共通の癖があったこと!
これは原作にはない、映像だからこそ仕掛けられるもの。
途中でこれに気づいていたら、ラストシーンが違ったものに観えたかもしれません。

二つ目はこの作品で初めて姿を現すヴォルデモート卿を誰が演じてるのか。

(特殊メイクが施されているけど…この顔は何処かで観たことが~。
 でも、初見ではわからなかった☆)

あああ!レイフ・ファインズだ~!(←気づくの遅過ぎ

「シンドラーのリスト」でみせたナチス将校の冷酷さは今でも記憶に残っているし、
「レッド・ドラゴン」ではレクター博士に負けず劣らず気味の悪い殺人鬼を
演じてた役者さん。

気づいてみれば、何とも納得の配役ではないかしら~。
(うわわ。今頃身震いが~)

今後はハリー達三人の成長や活躍が楽しみなのはもちろんのこと、
シリウス・ブラック(=ゲイリー・オールドマン)、スネイプ先生(=アラン・リックマン)
などなど俳優の演技対決も見所だわ~!とわくわくしてきている柊です。


それにしても上下二冊に及ぶ原作を上手く纏めたなあ…と改めて思います。

ドビーら屋敷しもべ妖精たちのエピソードがすっぱりカットされてしまって
残念に思っている人もいるかもしれないけれど…☆
(柊もその一人です。もちろんうなづく

でも、柊が一番削って欲しくなかったのは、
ハリーが対抗試合で手にした賞金を、フレッド&ジョージの双子の兄弟に
手渡すシーン。

賞金を、彼らの計画している悪戯専門店の資金にして欲しいと
手渡すハリーの台詞は削られたくなかったなあ…なんて思ってます。
 (原作本P571~572あたり)

映画の、ハーマイオニーの問いかけにハリーが「yes,」と答えるシーンも
大好きだけど…ね。




観終えた途端、また観たくなる…映画の不思議さ。
ああ、誰か映画の世界にのめりこみそうになる私を止めてくだされー。

DVDになったときにはもちろん買っちゃうと思うのですが。
それは映画館の大画面とは比べるべくもなく…

もしも柊が死んじゃって幽霊になれるものなら、映画館に住みつく幽霊に
なりたいです。
(図書館も捨てがたいですが、自分で本のページがめくれないと思うのよ)

「オペラ座の怪人」みたいに、指定席を持ってたりして。
その席に断りもなく座ろうとする人がいたら…ふふふ。なんてね。

はああ~… (溜息)




SAYURI

「芸者は娼婦ではない。」といわれても、それが本当に観ている人に
伝わったかなあ…と思うとちょっと疑問が。

貧しさゆえに置屋に売られ、借金を返す為に働かねばならないこと。
“水揚げ”のしきたりで、値段が競られること。
そういったシーンの数々を見ていると…うーん。
そういう偏見を完全に払拭できてるとは思えないんですけど…。

(戦中、戦後にそういった“身売り”が実際にあったという時代背景を
描きたかったのだとしても、…ね。)

芸者さんにとって「芸」とは何か、「芸術」とは何か。
何のために厳しい修行を積んでいくのか。
そして、お座敷には実際どんな気持ちで挑んでいるのか。
そういったところをもっと前面に押し出して欲しかったなーと思います。

自分も女であることを意識して見てしまうと、この映画は辛いです。
自分の値段を他人が決める、こんな屈辱あるかしら。

こういう世界で生き抜いていくには「意地」と「プライド」が必要では。
周りから偏見や色眼鏡で見られてもそれを跳ね返せる位の「意地」が。
それは虚勢かもしれないけれど…

「意地」を持たねば内側から崩壊してしまいそうです。

そういった女優陣の「意地」の張り合いがこの映画の見所なのですが
柊が一番好きなのはコン・リー演じる初桃です。
チャン・ツィイー演じるさゆりの清純さを際立たせるような役どころだけど
一番、綺麗だなあ…と思いました。
人の目につかぬところで、この人ほど泣いて泣いて苦しさから
這い上がっていった芸者はいないのではないか…と思わせる演技。
シーン以外の場面さえ彷彿とさせてくれる…
こういう役者さん、好きです~。

対照的に一番“品”を感じさせてくれたのは豆葉を演じるミッシェル・ヨー。
こういうたおやかさを感じさせてくれる女優さん、日本人でもなかなか
いなさそうー。

主演女優を日本人が演じられなかったのは残念だけど、
では、どの女優さんならチャン・ツィイーに代わってさゆりを演じられたかな~と
記憶を検索するとちょっと思い当たらない…(笑)

桃井かおりさん、健闘してます

女優陣の華やかさに比べると男優さんたちの役柄はちと
薄っぺらい扱われ方…(と、思うのは柊だけ?)
もう少し人間味があってもいいのに~と思うけど、
所詮、芸者を囲うような男ではないか、という偏見が
私の中にあるのかしら。
(つ、つい妻の立場を思い出してしまって…☆)


以前、芸者さんが書かれた本を読んだことがあります。
それはビジネス書でした。(タイトルは失念)
接客の心構え…みたいな本だったけど、
とにかくお客さんへの気配りの細かさ、プロ根性に驚かされたんですよね。
以来、柊にとって芸者さんのイメージは“接客のプロ”なんです。

この映画を観ていると、芸者という仕事の大部分が
男性の気を惹くことに重点が置かれてるみたいだけど~

女性監督が撮っていたら、また違った雰囲気だったんじゃないかなー。


  *「SAYURI」公式HPは→ こちら




KING KONG

リメイクを作る際に必要なのは、「オリジナルを超えてやろう!」なんて
意気込みじゃなくて、その作品に対する愛情、そして深い敬意だなあ…
なんてしみじみ感じさせて貰いました。

映像の進歩は凄まじく、迫力あるシーンを作り出すことにかけては
オリジナルをはるかに凌駕していると思う…それはむしろ当たり前のこと。
でも、それでも初めてオリジナルを観たときの鮮烈な印象を
超えることは決して出来ないから。

それをわかっているか否かは結構大事な部分じゃないかと思います。
(これは夏に公開された「宇宙戦争」しかり)

パンフによれば、リメイク自体ははこれが二度目なんですね。
オリジナルが33年。一回目のリメイクが73年。
柊には子供の頃にテレビで観た「キングコング」のラストシーンが
おぼろげながら記憶に残っているのですが、あれはオリジナルだったのか
それともリメイク作品だったのか…??はてな。

異種生物間における意思の伝達、コミュニケーションというのは
もっともファンタジックな体験だよなあ…なんて思います。
そこに「恋」なんて要素が加わってくれば尚更です。

ずっと昔に観た「キングコング」はまさしく主演の女優さんに恋をしているように
見えたけれど、ピーター・ジャクソン版の「キングコング」は
新しいおもちゃを手にして喜ぶ、無邪気な子供のようにも感じました。
恋は恋でも、まだまだ淡い初恋のような純粋さがあったりしてね。

けれどやはり彼は獣(怪物?)。
次の瞬間にはどんな行動を取るか、予測不可能な怖さがあります。

船が島へ到着してからの、息を呑むシーンの数々は圧巻です~!

「これを劇場で観ずして、どうするよ~っ!!」 (ジタバタ)

島に到着するまでの時間が長い…と感じる人もいるかもしれませんが。
これはもう、そこから一気に疾走するために必要な助走と割り切りましょう(笑)

そこからラストまではもう、一気!ですね。
三時間を超える上映時間を「長い」なんて全然思わなかったもの!!

一番印象深いシーンはやっぱり美女と野獣が見つめあうところかな
アン・ダロウを演じたナオミ・ワッツ、美しかったなあ~。
コングが惚れてしまうのもわかるような気がするわ。うなづく

執拗に映画を撮ることに執念を燃やす映画監督カール・デナムを演じるのは
ジャック・ブラックという俳優さん。
コミカルだったり、映画への執着に次第にいやらしさを感じさせたり…
全編通して飽きさせない人でした。
出演作「スクール・オブ・ロック」を見逃してるので観てみたいなあ。

脚本家ジャック・ドリスコルを演じたエイドリアン・ブロディ。
キングコングよりも実は彼が観たかった柊です(笑)ほほほ♪

映画「リトルダンサー」に主演していたジェイミー・ベルも船員役で出演。
どこかで観た顔…と思いつつパンフを見てはじめて気づく。
大きくなったなあ~っ!!

「LOR」三部作でゴラムを演じたアンディ・サーキスがキング・コング、そして
船員の一人として出演してます。
ピーター・ジャクソン監督が作り出すこういう映画になくてはならない存在に
なったのかな(笑)

柊がこの映画について言えるのは
「劇場の大画面で観てみて!」 ってことだけです。
どうぞ機会が許すのなら…。

「これこそ映画!」という迫力あるシーンと、監督の映画にかける愛情を
たっぷり感じて欲しい映画です。

*「KING KONG」公式HPは→ こちら

2005年に映画館で観る映画はもしかしてこれが最後かもしれません。
それでいいかな…と、思える満足できる映画でした。



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