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今週も実家に帰ってきた。 6月の半ばから毎週帰ってきている。こういう生活があと何ヶ月続くのだろうか。正直言って疲れてきた。 今の父の状態、これからの父の状態、父のその日が来たときのこと、その後の母のこと、・・・考えれば考えるほど混乱してくる。つらい。 今日の父との会話も嘘に満ちていた。 病院では、患者のために毎週土曜日に図書の貸し出しをしている。 父は藤沢周平の小説が好きで、先週も藤沢周平作品をすべて借りてきていた。今日はその小説の返却とともに新たな本を借りるために仮図書館に出かけていった。 どういう本が置かれているいるのか少し気になっていたため、僕も父とともに行ってみた。 ん~少ない。あまりにも少ない。まぁ、仕方ないか?と思っていたとき、父が言った。「これ読んでみようかな?」 その本はよりによって「癌」について書かれている本だった。しかも、「告知」のあり方について書かれている本だった。最新の癌治療についても書かれている。 置かれている本はあまりにも少ない。にもかかわらず、読んで欲しくない本はあまりに多い。・・・そんな気がした。 癌について書かれている本は数冊、さらに読んで欲しくない小説の極めつけは重松清「その日の前に」。まだまだあった。 『初月、よくドラマで癌の告知のシーンがあるよな。「あと半年です」とか「余命一年です」とか。俺は告知されていないから大丈夫なんだよな?』 そう言う父に対して僕はまたしても嘘をついた。 『言われてないなら大丈夫じゃないの?少なくとも俺は何も聞いてないよ。ドラマじゃ、本人に言う前に家族に言うじゃん。俺は聞いてないから大丈夫なんじゃないの』 嘘ばっかりです。『一般的にあと半年です』『抗がん剤が効いても年単位では生きられません』・・・こういうこと、もう何週間も前に言われています。聞かされています。 父の『その日の前に』僕は心の準備をしています。今は、父さんごめん・・・としか言いようがありません。 嘘をつき続けること、悲しいばかりです。
2007.07.21
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6月16日土曜日 父の現状とこれからの短い将来について、脳外科の先生から説明をうけ、今後の治療方針が示された。 『こんなにあちこちに癌があるのでは、脳腫瘍の手術は無駄』…という内容のことを、優しく、易しく、遠まわしに言われ、結局、脳腫瘍に関しては、開頭手術をするのではなく、ガンマーナイフ(?)とかいう放射線を使った腫瘍を焼く方法がいいのではないかということになった。この術は、わかりやすく言えば、子供の頃によく遊んだ「太陽光を虫眼鏡で集めて紙を焼く」のと同じような理屈で脳腫瘍を焼きとる…のだそうです。 脳腫瘍に関しては、父親本人もわかっていることだから、難はない。問題は、体中に散っている癌について、どこまで本人に伝えるかということだった。 『肺にもあるよ。』『腰骨にもあるよ。』『股関節にもあるよ。』『副腎にもあるよ。』…これを言われたらどうなるだろうか。父の気持ちを思うとあまりにも、切なく、辛く、悲しい気持ちにしかならなかった。 どう切り出すか、どう説明するか、…僕は先生は言いました。『父は、何を根拠に言っているかわかりませんが、「今の医学だったら99%大丈夫だ」と言っています。そんな父に向かって、これだけのこと、これだけの癌があることを言える筈がありません。…僕は、どうしたらいいかわかりません』と。 優しい先生だと思いました。もしかしたら、脳外科の医師にしてみれば、この程度のことは数多くある事例のたった一つだけのことなのかもしれません。だけど、やっぱりいい先生だと思いました。 『今日、お話をすると本人に伝えていましたが、内臓に関しては内科かからの写真が届かないって理由で、もうちょっと待ってくれるように私から伝えます』と先生は言ってくれました。 …ここから、本格的な家族全員の嘘の始まりだったのだと思います。 父は、前日に僕に言っていました。『初月、よくドラマなんかであるよな。家族だけが知っていて本人が何も知らないってこと。自分もそうなんじゃないかなって思ったりもするんだよな』って。その時点で僕に伝えられていたことは、「あまり良くない」「手術前に家族全員集まれ」ということだけ。僕は父に言いました。『ドラマではそうだよな。ドラマだけの話だよ』って。 そんなドラマの世界に僕も加わることになりました。ここから、少しずつ、少しずつ、本人が悟っていくように、小出しに、小出しに、事実が伝えられていきます。ここでいう『事実』とは、病状についての事実ではなく、死が間近に迫っているという現実のことです。 今頃、父が一人寂しく、惨めで、悲しい気持ちでいるんだろうなぁ…って思うと、目頭が熱くなってしまいます。
2007.07.12
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6月14日土曜日 この日を境に、家族全員で父にウソをつき続ける日が始まった。 たまに言う父の言葉…『今の医学だったら99%大丈夫だ』…この言葉が辛かった。非常にきつかった。僕の頭の中では…『一般的にあと半年』…この言葉がこだましていた。 父親…70歳。この歳で、いきなり脳腫瘍ができることはあまりないらしく、…おそらくどこからかの転移であろう…ということを病院でも疑ったみたい。案の定、肺に大きな癌が見つかり、腫瘍マーカーを見てみるとほぼ間違いなく肺からの転移とのこと。 腰の痛み、股関節の痛みは、脳にできた腫瘍が神経を圧迫して起こっているものでなく、がん細胞が骨に転移してのものであろうという説明を受けた。 この話を聞いていたとき、僕は全身から汗を流し続けていることに気がつかなかった。ただ全身がふるえ、目頭が熱くなっていくだけだったと思う。…あまりにも悲惨。まったく言葉が出てこなかった。これからの治療方針を聞いても、どんな話を聞いても、ありとあらゆることが最悪の選択肢、究極の選択肢でしかないような気がした。混乱し、動揺し、頭の中が錯乱していることがわかった。 痛い痛いと言い続ける父を見ていただけに、僕は先生に言った。この発言が正しいのか、間違っているのか、落ち着きかけている今もわかりません。 『僕は、もう父親がいつ死ぬか、いつ逝ってしまうかはどうでもいいことです。ここまで見せられて、素人の僕でも助かるなんて思いません。僕にとって、父がいつ死ぬかということより、どう死ぬかが大切です。とにかく痛くないようにしてください。そのためだったら、どんなに強烈な薬を使ってくれてもかまいません。麻酔を使ってくれてもかまいません。癌がとれないなら、せめて痛みだけはとってやってください。』 この日から、父親にはモルヒネが使われています。もちろん、戦争映画に出てくるような注射を打っているわけではありませんが、…それでも、モルヒネです。 痛くても、少しでもホンの一瞬でも長生きさせるべきなのか、短くても、痛みを少しでも和らげてあげるべきなのか。…わかりません。
2007.07.05
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6月16日土曜日…非常に気になっていた医師からの説明のある日。 金曜日の夜に帰るはずだった兄とも金曜日の夕方には再会。4年ぶりだろうか。 家族4人揃うこと自体、4年ぶり。僕の4年ぶりの帰省が、家族4人揃う機会になった。…この再会は、決して喜ばしいものではなく、今後家族全員に圧し掛かる悲しみと苦悩の始まりになってしまうことは想像に難くなかった。 土曜日の午前中、10時に来るように言われていたため、約束の時間より早めに病院に行き、父の病室から遠く離れた待合室で、母と兄そして僕の3人で、医師が来るのを待ち続けた。時間になっても先生は来ない。そんな時、兄が言った。「脳腫瘍と言っても死ぬと決まったわけじゃないし、多くの選択肢を与えてもらって、そこからより良い方法を見つけ出せばいいよ」と。…正直言って、イラついた。…この人は、目の前に迫りくる緊迫感を感じ取ることをしていない。せいぜい、「手術をしても半身に麻痺が残る」とか「術中の事故についての説明」とか、その程度のことで終わると思っている…そのとき僕はそう思った。30分以上待たされただろうか。ようやく先生が来て、カンファレンスルームというところに入れられた。大きな袋から取り出したものは、父の全身をCTにかけたときの写真(という言い方が正しいかわからない)とMRI検査の写真だった。脳腫瘍と診察され、脳外科に入院し、脳外科の先生から受けた説明は、父の両肺に見える『白い影』と父の身体全体に散らばる『白い点』についてだった。父を蝕んでいたのは、脳にできた腫瘍だけじゃなかった。肺にある白い影、肺に散りばめられた白い点、副腎に見られる白い点、腰骨や股関節に引っ付いている白い点。僕の父の身体全体に癌があると伝えられた。…先生は『一般的にあと半年です』と僕たちに言いました。6月16日土曜日…忘れられません。
2007.07.04
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