足湯でよもやま話(笑)

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『昆布茶と塩麹』

『昆布茶と塩麹』

2016.12.31
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カテゴリ: つれづれ日記
皆様こんにちは。
今年も最後の一日となりました。
1年間、フツーの主婦の拙いブログにお付き合い下さいましてありがとうございました。

来年は酉年。
飛翔の年、相撲では「手をつかない」ということで鶏は縁起ものですね。
今年は、世界的にグローバリズムの限界が見え、今一度国民のナショナリズムが復活してきた年でありました。
そして、ご高齢になられた今上天皇の譲位についての問題も出てきた年でもありました。
来年をどんな年にするか、
日本をどんな方向に向かわせるか、まさに私たち国民一人ひとりの思いにかかっているのではないでしょうか。


とても大事なことなので、一人でも多くの方に知っていただきたいと思います。
日本史研究家、ねずさんのひとりごとブログ様より転載。↓

<<四方拝のお話>>

天皇陛下は、日付の変わった元旦深夜から、「四方拝」という儀式を執り行われます。
20160828 四方拝



まだ夜が明けない早朝、天皇が特別の建物に入られ、四方の神々をお招きして、そこで祈りを捧げられる神事です。

どのような祈りかといいますと、天皇が神々をお招きされ、
「(国家国民の)ありとあらゆる厄災は、
 すべて私に先にお与えください」
と祈られるのです

日本は天皇のシラス国です。
民衆を代表して天皇が神々と繋がられらます。
そして四方拝では、天皇が、元旦の早朝に、皇居内にある特別な建物にはいられて、そこに神々をお招きします。
神社に詣でるのではなくて、天皇のもとに神々に降りてきていただくのです。
要するにこれは、まだ神社などの施設がなかった時代の「シラス」技法を、そのまま活かしたカタチになっているわけです。

このときお招きされる神々は次の通りです。
 伊勢神宮(皇大神宮・豊受大神宮)
 天神地祇
 神武天皇の陵(みささぎ)
 先帝三代の陵(明治天皇、大正天皇、昭和天皇) 
 武蔵国一宮(氷川神社)
 山城国一宮(賀茂神社)
 石清水八幡宮
 熱田神宮
 鹿島神宮
 香取神宮

▼天皇の祈り

そして次のように祈りを捧げられます。

 賊冦之中過度我身   ぞくこうしちゅうかどがしん
 毒魔之中過度我身   どくましちゅうかどがしん
 毒氣之中過度我身   どくけしちゅうかどがしん
 毀厄之中過度我身   きやくしちゅうかどがしん
 五急六害之中過度我身 ごきゅうろくがいしちゅうかどがしん
 五兵六舌之中過度我身 ごへいろくぜつしちゅうかどがしん
 厭魅之中過度我身   えんみしちゅうかどがしん
 万病除癒       まんびょうじょゆ
 所欲随心       しょよくずいしん
 急急如律令      きゅうきゅうにょりつりょう

読み下しますと次のようになります。

 賊冦の度(かなら)ず我が身中を過ぎよ
 毒魔の度ず我が身中を過ぎよ
 毒氣の度ず我が身中を過ぎよ
 毀厄の度ず我が身中を過ぎよ
 五急六害の度ず我が身中を過ぎよ
 五兵六舌の度ず我が身中を過ぎよ
 厭魅の度ず我が身中を過ぎよ
 万病除癒  万病を除き癒し
 所欲随心  心のまにまに欲するところ
 急急如律令 急急律令の如く

「中過度我身」は、
 中過 中を過ぎよ
 度  かならず
 我身 我が身を
ですから、「◯◯は、かならず我が身中を通りすぎよ」と祈られるわけです。
「中過度」を、「自らの身を通り過ぎて降りかからないように」という意味だと解釈しているものもありますが、「中過=中を過ぎよ」だけなら、そのような意味にとれますけれど、「度」が付いているわけです。

「度」は、「广+廿+又」で成り立つ字です。
「广」は、建物の中。
「廿」は、器、
「又」は、人が手を交差しているところです。

屋内で器を前に人々が手を交差して何かをしているわけです。
そこから「のり」とか「おきて」、あるいはモノサシなどで計る度量衡や尺度などを意味する言葉になりました。
従って「中過度」の「度」は、「のり」とか「おきて」として「かならず」といった意味で用いられているとわかります。

ということは「中過度我身」は、「度(かなら)ず我が身中を過ぎよ」という意味になります。
申し訳ないけれど、どこにも「降りかからないように」という意味の言葉はありません。

そして最後に
 萬病除癒(万病を取り除き癒せ)
 所欲随心(欲するところは神の御心のまにまにあり)
 急急如律令(その成就よ速まれ)
と祈られています。
そうであれば、「降りかからないこと」が「急急(はやまれ)」では、意味が通じませんし、「随心(神の御心のまにまに)」ともつながりません。

要するにあらゆる災害は、民衆がその厄災を受ける前に、まずは我が身を通してください。
そして万病を取り除いてください。
自分の心は常に神々の御心のまにまにあります。
そして「その成就よ速まれ」と祈られておいでになるのです。

陛下は、新年のはじまりにあたって、誰よりも早く起きて、
 ありとあらゆる厄災は、自分の身にこそ降りかかれ。
 そして万病が取り除かれ、民が癒やされるよう
 自分の心は神々のまにまにあるのだから
 厄災は我が身にのみ先に降りかかれ、
と祈られているわけです。

その厄災とは何かといえば、
「賊冦、毒魔、毒氣、毀厄、五急六害、五兵六舌、厭魅」です。

「賊冦」は、危害を加えようとする悪い賊です。
「毒魔」は、この世に毒を撒き散らす魔です。いまの時代ならメディアかも。
「毒氣」は、人に害を与える悪意です。
「毀厄」は、人を傷つける苦しみや災難です。

「五急」は、五が森羅万象を示す五行(木火土金水)、これが急というのですから突然発生する自然災害のことであろうと思います。
「六害」は、十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)の中の二つの支が、互いに争う害を言います。要するに先輩後輩や世代間の争いなどですから、ひとことでいえば人災のようなものを意味します。
「五兵」は、戈戟鉞楯弓矢のことで、戦禍のことを言います。
「六舌」は、二枚舌どころか六枚舌ですから、外交による害のようなものです。
「厭魅」は、「えんみ」と読みますが、人への呪いのことをいいます。

四方拝では、今上陛下が神々に、
「これらの厄災は、すべて我が身に先に振りかかるようにしてください」と祈られるわけです。

以上をまとめて毎年元旦の早朝、まだ夜が明ける前に、天皇が四方拝として祈られる言葉を、畏れ多いことですが現代語訳しますと、おおむね次のようになります。

危害を加えようとする悪い賊は、かならず我が身中を過ぎよ
 この世に毒を撒き散らす魔は、かならず我が身中を過ぎよ
 人に害を与える悪意は、かならず我が身中を過ぎよ
 人を傷つける苦しみや災難は、かならず我が身中を過ぎよ
 自然災害は、かならず我が身中を過ぎよ
 人災は、かならず我が身中を過ぎよ
 戦禍は、かならず我が身中を過ぎよ
 口害は、かならず我が身中を過ぎよ
 人への呪いは、かならず我が身中を過ぎよ
 万病を取り除き癒せ
 欲するところは神の御心のまにまにあり
 その成就よ速まれ

▼四方拝のありがたさ

要するに、年のはじめに神官のなかの大神官であられ、しかも神々の直系のお血筋にあられる天皇が、臣民を護るために、ありとあらゆる厄災は、すべて私を通してください」と神々をお招きして祈られるのが、四方拝であるわけです。

そして、この四方拝が、皇居において元旦の早朝に行われ、夜が明けると、一般の民衆(臣民)が、氏神様に初詣に行きます。
天皇がすべての厄災をお引き受けくださったあとだから、人々は安心して、神社に新年の感謝を捧げに詣でるわけです。

だから新年の参拝は、「拝み参らせる(参拝)」ではなくて、「詣でる」です。
「詣」は、言偏が魚偏に変わると「鮨」という字になりますが、「旨」は、匙(サジ)で食べ物を掬う姿の象形文字で、美味いものがあるところに行く、という意味から、神様のところに行ってお参りすることを「詣でる」というようになりました。
新年においしいものがあるということではなくて、おいしいものを食べさせていただけることへの感謝を捧げに行くから「詣でる」となるわけです。

世界中に、王や皇帝と名のつく人は、古今東西、歴史上枚挙に暇がないほど、数多くいたし、いまもいます。
けれど、それらすべての王侯貴族は、ことごとく「支配者として君臨する人」です。
これを古い日本語で「ウシハク」といいます。
「ウシ」は、主人です。
「ハク」は、大刀を腰に佩(は)くと言いますが、身につけること、つまり私物化することです。
ですから、領主や主人が下位にある領土領民を私物化し私有化することを「ウシハク」といいます。

ところが日本の天皇は、神々の御意思を臣民に知らし、神々の大御宝である臣民の豊かで安心して安全にくらしたいという思いを神々にお伝えする役割です。
つまり天皇は支配者ではなく、無私の大神官です。
その天皇を頂点とする体制を、これまた古い日本語で、「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。

ですからシラス統治のもとでは、民衆は神々の「たから」です。
神々のたからであるということは、民衆に国家として最高の尊厳が与えられているということです。
つまり究極の民主主義といえる統治が、シラス(知らす、Shirasu)です。
日本の統治の根幹は、神話の昔から、このシラスです。

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私たちに降りかかる災難を代わりに引き受けるよう祈る陛下、
世界中のどこにそんな国があるでしょうか。

私は日本に生まれたことをとても誇りに思います。









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Last updated  2016.12.31 22:05:59
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