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『昆布茶と塩麹』

『昆布茶と塩麹』

2025.09.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
​​​​​​​​​​​​​​​皆様こんにちは。
もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。

この休み、リビングの片づけをしていました。
スクラップ記事を再選別して、半分近く処分しました。
スクラップ自体は、主に2020年以降のものが大半です。

全部捨ててもよかったのですが、
将来、孫ができた時、コロナでどんなパニックが発生し、
国や政府がどんな手を用いて国民を騙し、圧力をかけ、恐怖を煽ったか(今もやってますけど)
記録になるだろうと思うので、当面置いておこうと思います。


例えば、私が持っているP社の副作用事例集はA4で29ページになりますし、
初期の厚労省のワクチンの会議などの議事録やワクチンの特例承認報告書もあります。

あの時、コロナで、マスクやワクチンを打ってない人が、組織や地域社会から
旅行できないとか、旅館に泊まれないなどの仕打ちを受けたり、
会社や学校の集団接種で、組織的に圧力をかけられたことが少なくありませんでした。
やったほうは「仕方なかったんだよ」「みんなに協力するべきでは?」と言い訳するかもしれませんが、やられた方は忘れません。
いじめと同じです。
加害者は忘れても、被害者は忘れない。
そのうち、色々つまびらかになった時、相応の報いがあるでしょう。

さて、余談は置いといて、
コロナの前後、世の中は第2次安倍政権から菅政権、岸田政権までの社会の移り変わりを

その中に、令和4年9月の新聞に出ていた、曹洞宗の住職の話を取り上げます。
当時、安倍総理が奈良で演説中に銃撃を受け、亡くなってから2ヶ月余たった時でした。


令和4年 9.22 読売新聞
「信じても 頼ってはダメ」
     曹洞宗 禅僧 南直哉さん

元首相が銃撃されて死亡した事件後、漠然と考えていたのは政治と宗教の本質的な近さだ。

 政治は人々の暴力的な情動を管理し、権力を正当化するために教育をする。
民衆に浸透させる点では、ある教えや価値観を信じさせようとする宗教にも通じている。
理想とする社会を作ろうとする志向が強まると、宗教は政治的な動きを始め、過去には暴力を用いた歴史もある。政治も宗教も、自身の正当性を担保し、理想の社会を実現するため、力を利用することもある。
潜在的に相互依存しやすい。
(略)
高度経済成長期には、日本社会の中に「成長」という一定の方向性があった。
だが、長期停滞の時代に入り、経済不安の中で人間が貧困や病に襲われたとき、
なぜ こんな思いをして生きなければならないのか。と思うこともあるだろう。
​豊かな生活をしていても、老いなどの不安を抱えている人もいる。
不安や貧困の中でむき出しになった人間の心にカルト教団はつけこんでくる。
信じることは、「賭け」だ。
捨て金になるかもしれないが、気持ちのために祈る。
超越者と人間の等価交換ではない。
カネをかけると、神様、仏様から相応のものが返ってくると考えるのは「取引」だ。

これが行き着く先は、「このままだと地獄に落ちる」「先祖がたたっている」と、

人間の生と死の理由なんてわからないのに、そこに理由を与えて根柢の不安を拡大させてくる。

宗教は物事を解決するものだと捉えない方がいい と、私は考えている。
信じるのは構わないが頼ってはダメだ。
​どんな教えも真に受けてはならない​ と、自分の説教では言っている。
苦しくても、生きられるようにするのが宗教の役割。「問題は解決しないけど大丈夫だ」と。
宗教は杖にはなってもおんぶはしてくれないものなのだ。
教えを丸呑みすれば楽になると思ってはいけない。
問題の解を全て相手に任せるのは仏教的ではない。仏教もまた諸行無常なのだから。

 宗教を信じるならば人を見るのではなく、教えを見る。
信仰には、手間がかかる。キリスト教でも仏教でも、聖書なり経典なり、まず 原典を読む。
安易に考えたら取引になってしまう。 「真に受けるな」とは言ったが、腹に落ちる言葉だけ信じれば間違いは少ないだろう。
 社会から厳しい目を向けられている宗教者は、自分の足元と原典を見直すのが先だ。
信仰の基となるものを確かめて出直すべきだ。
 苦しみは病気と一緒だから、かかりつけの宗教者を探すことを勧めたい。
名医と同じでそれほど多くはいないし、必ずしも宗教者である必要もない。
でも、生きる意味や価値を考えるとき、宗教が与える示唆はとても大きい。
宗教を信じるときに大切なのは、神や仏が真理を与えると思わないこと。
切なく苦しい私に、どのように生きるのか、どうするのかを我々に問いかけていると思ったほうがいい。



前も書きました。
「信者」と書いて、「儲ける」となる ことを。

何かを買えば・・・、寄付をすれば、救われるのであれば、それは宗教ビジネスです。
「地獄の沙汰も金次第」と言いますが、
たくさんお金を積めば極楽に行けるのなら、
この世は金持ちだけしか極楽に行けなくなってしまう。
それを救ったのが親鸞聖人であり、法然上人であったのでは?
庶民でも、貧乏でも、寄付しなくても、果ては罪人でも
「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽へ行けると説き、絶大な支持を得たではありませんか。
お金は大事ですが、お金があっても心が救われなければ
お金はないのと同じ事です。
役に立たないのですから。
コロナの時、お金で買えないものの大切さを、学んだのではありませんでしたか?
お金はあっても困らない。
でもお金がすべてじゃない。
目に見える者だけがすべてじゃない。
目に見えないものが、目に見える世界に作用している。
ということも知ったほうがいいと思います。「心」なんてその最たるものですよね。


ま、個人的意見ですが、
お金次第で変わる神様なら、
私は「やっすいなー」と思います。
結局、自分の欲望に忠実で、賄賂で動く神様ってことの証明ですからwww。

その教えを聞いて、
その経典や法話を読んで「心が救われたかどうか」
「前むいてガンバロ」って思えるかどうか。・・・それが一番大事なんじゃないですかね???

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Last updated  2025.09.07 19:46:53
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