新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

2005年07月12日
XML
あの鹿砦社の松岡利康氏が逮捕された。「噂の真相」の廃刊以後、その存在自体が
岡留安則氏 の後継者的存在として唯一の印象される人物、というあたりで大方の一致をみると
いうものだろう。沈黙する反権力スキャンダリズム支持者は、どんな衝撃を受けたものか。
実に、興味深い。

数年前、松岡利康氏と電話で話をする機会があったが、持ちかけた話題がデカ過ぎると
断られて某大手週刊誌記者を紹介された。その時の対応は、誠実味があって好感できたが
まさしく断りの理由が今回逮捕の遠因となった「巨大な圧力」のせいなのだろう。

いかなダビデとて、いちどきに相手ができるゴリアテはひとりだという事らしい。

もともと逮捕されることも覚悟の上の「紙の爆弾」創刊だったのだろう。

以後その戦法などに変化が生じるのは予想できることかと思う。






岡留 私の党派は「プロ学同」という弱小党派で、新左翼系八派の中では一番
    最後に結成された団体で、もともとは関西系の民学同、それから共産党
    ソ連派という流れから来ていて、その頃は法政が拠点校だった。民学同
    左派からプロ学同をつくろうということで、当時のブントやいわゆる三派
     系の影響をかなり受けて、引っ張られた形で出来た党派なんです。本来は
     構造改革派だから、穏やかな革命主義者だったんだけど、七〇年安保を
     目前とする当時の時代状況にやっぱり引きづられる形で、六人年に結成
     された。親分がいいだももで、当時の幹部メンバーでいえば、作家の笠井潔
     なんかがいたわけだね。
松岡 当時のペンネームは黒木龍思。
岡留 そう、黒木龍思。作家の亀和田武なんかもプロ学同だった。
松岡 今の管理職ユニオンの設楽清嗣さんなんかもそうでしょう。
岡留 あの人は「共労党」 のほうじゃないの。
松岡 共労党とプロ学同は違うんですか?
岡留 共労党の学生下部組織がプロ学同、そして市民運動がべ平連。いちおう一丁前
   の前衛党組織なんだ、形としてはね。
松岡 べ平連はそういう戟略のもとに、みなさんやってたわけだ。
岡留 共労党のマヌーバー戦略。リーダークラスには党員が何人か入ってたでしょう。
   べ平連が共労党だと思われるとまずいから秘密党員(笑)。べ平連というのは
   大衆カンパニア闘争という一番過激な市民運動ではあったんだけど、武装闘争は
   しないという組織。小田実とか小中陽太郎、いわゆる文化人を表に立ててたけど、
   裏的には共労党戦略みたいなものがあった。
松岡 その他の党派も、べ平連にどんどん入っていったでしょう。
岡留 草刈場みたいなもの。例が悪いかもしれないけど、今の社民党みたいに赤軍が
   もぐりこんだりしてたわけだ。革マルだって革マル派って形を取らないでサークル
   や大衆組織としてやることもある。原理研もそうでしょう。統一教会、オウムも
   そうだものね。組織の必然というか、加入戦術というのは組織の論理としてあるん
   だよな。……




岡留安則氏と松岡利康氏の対談の話題になっている空気は、自分なりによく分かる面がある。

なにしろ、1969年に大阪府立高校の高校生だったのである。右翼と勘違いされるタイプ
の日常であった自分が、極左から民青、べ平連、はては生長の家にいたるまでありとあらゆる
活動家から自派へと勧誘された。そんな嘘のような時代である。

東京大学へ小田実氏が行った時代と違い、その後歴代の軟弱な先輩らの御蔭で到底進学校とは
呼び難い零落府立高校だったのだ。それでも卒業生に小田実がいるというだけで、当時の時代
背景から学内には100人前後の新左翼シンパがいたのだろうか。高校の自治会の会長が平気
で赤軍派のヘルメットをかぶって演説をかます、などと言うような面白い時代だった。

自分自身は、すでに何度も言及したとうり近衛師団に入営しそこねた伯父が南方で戦死して
いるような経緯で分かるように、ゴリゴリの精神家であった母親が存在していた。その影響も

毎日通っている府立高校。よりによって今では想像できないような紛争校。1ヶ月ものバリケード
封鎖される始末。「新左翼」の牙城のような新聞報道が連日されるに至って、母親なども心底仰天を
したものだった。校門には、いつも大阪府警のパトカーが常駐する。時代というものである。

「ヤマザキ天皇を撃て!」と石鹸と 2005/05/05
↑クリックでジャンプします。


当時、新左翼の威勢のよい時代。その時代相から考えれば民学同など「屁たれ」のような言われ方


輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョやトンボも鳥のうち

そんな軽口が親の世代にはあったらしい。武器輸送の輜重科の自衛官が聞いたら仰天するかも
しれないが戦前ではその華々しさから軍人の中でも、脚光を浴びるのは自ずと決まっていた。
この呼吸は、まさしく新左翼でも同じことだったのだろう。

中核や赤軍派が、生意気な高校生の憧れだった時代には民学同やプロ学同などは到底新左翼
などとはおこがましい、という言われ方だった。ましてはべ平連など、自校卒業のOBで
あった小田実がリーダーにいたという事での敬意はあったとしても、威勢のいい赤色高校生らの
あいだではいたってその評判は芳しいものではなかった。つまり、彼ら極左暴力革命派の憧れの
からすれば軟弱だと映ったのだ。

いまや、そんな「構造改革三派」(つまり、軟弱だといわれていた民学同、プロ学同、べ平連ら)
の残党らしき松岡利康氏が逮捕されるという時代になったものか。世の中が変われば変わるもの
である。当時の街頭で派手に暴れていた学生たちは、ものの見事に企業社会になだれをうって
潜り込み、派手さのなかった岡留氏や松岡氏らがこの時代にも反権力の志で身命を賭しているの
が感慨深い。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年07月13日 03時14分13秒
コメント(2) | コメントを書く
[お山に雨が降りまして] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:松岡利康氏逮捕の「衝撃度」(07/12)  
作家2507  さん
小田実は旧制中学で入学し、新制高校で卒業しました。
旧制から新制に切り替わる時に男女共学になりました。旧制中学と旧制女学校の生徒をそれぞれの学校に割り振りしたわけです。
小田の卒業した高校は元旧制女学校でした。 (2005年07月13日 05時05分11秒)

Re[1]:松岡利康氏逮捕の「衝撃度」(07/12)  
作家2507さん
>小田実は旧制中学で入学し、新制高校で卒業しました。
-----


よくご存知ですね。
(もっとも調べればすぐに分かりますが、、、)

まったく近寄っていない学校ですが、ロングスカート
が差し支えないように階段のステップがやけに長く
段差が少ないもので逆に躓きやすかったです。(笑)

大阪府も実質で、財政再建団体級だから早晩で独立
行政法人か、なんぞになるのでしょう。

あの時代に戻りたいという気持ちは、まったく生じ
ません。
(2005年07月13日 19時54分44秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: