新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

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2005年08月09日
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脳という神経の塊はそれ自体で「心」を紡いでいるわけではない。
脳は胎内にいた頃から外界や自己内部(例えばその人に固有の記憶)
の刺激に反応し続けている臓器で、その反応群の集積の中から、
その脳を持つ人にとって最も効率の良い現実把握の仕方が紡ぎ出さ
れる。これが「心」と呼ばれるものだから、それは錯覚の上に築か
れた幻想に過ぎない。ところが内外の刺激の一部は、このパターン
化された現実把握法の規定からはみだすので、辻褄合わせの錯覚や
幻想が絶えず必要になる。

時には辻褄の合わせようがない事態にも出会うわけで、不安とは、
こうした際に生じる警告音のようなものである。私たちの日常は
辻褄合わせの失敗やその予測に満ちているので不安は尽きないが、
それは内外の現実との相互交流を絶やさないという点で健康のシルシ
とでも思えばいい。しかし不安が強烈すぎて辻褄の合わせようもない
という場合もあるわけで、そうなるとパニック発作のような全身全霊
を動員した無駄な空騒ぎが起こる



精神科医、斎藤学氏のエセーに眼がとまる。氏の論考は、パニック障害に
ついて言及したものだが、その語り口にはふるい昔読みふけった心理学書
などの中に横溢していたおぼつかなげな手探り感触の枚挙と大差ない姿勢
から少し人間の心の現在に踏み込めてきているように印象しないでもない。
しかし、その理由の大半はかつての心理学とは比較にならない規模の社会
病理がわれわれの身辺で表面化し、心理学の周縁にある人間生理の諸学が
一斉に人とその振る舞いを科学する必要が生じたためなのかもしれない。

いずれにせよ、私に面白いなと思われたのは人それぞれに備えられた臓器
である脳が「最も効率の良い現実把握の仕方」とやらを紡ぎ出しながら、

斉藤学氏の、レトリックである。

かつてフッサールは、意識とは「なにものかへの意識」であるとして志向性
と呼ばれる意識の姿を述べた。意識は必ず何かに向かうとし、この性質を
志向性と呼んだ者は、フッサール以前に起源があり中世ヨーロッパの修道院
などにキリスト教教義問答としての集約にながれたスコラ哲学に起源がある。
初期スコラ哲学のテキストを提供した、ペトルス・ロンバルドゥスは志向性
を外界に向けられる第一志向と、志向する意識そのものに志向された第二志向
に分類した。フッサール現象学は、この伝統でいえば「第二志向」を踏襲した
ものということになるのだろうか。ブレンターノは、志向性こそが人間の精神
の明確な特徴であるとしている。

われわれの心の日常には、つねに「はみだす」内外の刺激に満ち満ちているが

刺激が避け難く訪れるという宿命がわれわれの「明確な特徴」なのだと。

おかしいのは、実は心療課題とはこの「パニック障害の治療とは、不安恐慌発作
を起こす以前に持っていた現実把握のパターンを、より適応的に組み換えること
である」という指摘である。これを治療行為と呼べるのは、医師である。ひらの
市民にとり、「妥協」と呼ばれる諦観が大多数を占めているのは体験的に知って


スコラ哲学とは、別名煩瑣哲学ともいう。簡単なことを煩瑣に語って飯が食える。
そんな職業を多産するというのが、まさしく現代社会の「明確な特徴」なのかも
しれない。








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最終更新日  2005年08月11日 19時18分05秒
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