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2006年05月02日
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司馬遼太郎の「龍馬がゆく」が、60年代に登場した時。

やはり、驚きがあったと思う。時代の気分として、勤皇の志士というのは
映画館の眩いスクリーンに、いつも奔走しているそそっかしい正義派で、
新撰組に斬り殺されかねない修羅場をくぐって世の中が変わる礎になって
果てた人達だという程度の印象は抱いていたが、断片的な描写ばかりで
ヒーローとしてはともかくその息遣いはもうひとつ納得が行く気がしなかった。

のちに司馬自身が、どこかのエセーで書いていたがソビエト連邦が東欧に
軍事介入していた時期、日本に相当多くの学生反体制活動家が逃げ隠れ
していたらしい。戦後の動乱期、司馬は彼ら若き反体制派の留学生やらと
龍馬のモデルは、実のところ歴史の中に登場してくる
あの勤皇の志士たちというよりは、そんな青い眼の青年たちから司馬が
受けた啓示のようなものがかたちになり著されたもののようだ。
司馬自身が
それとなく独白している。それは、額面どうりなのかもしれない。


高校時代、「龍馬がゆく」を読んでいて確かに鼓舞されるものはあった。

ただ、その中で なにか腑に落ちない不明瞭な関係性が縦横に張り巡らされて
いるのではないか、という気分
が同時に自分に湧いた。ひとつには、すでに
述べたように自分自身の幼い頃、密偵というものがそもそも何を背負っている
のか。子供の目線ながら、久保などとの身近な接触から感じた皮膚感覚のような
ものが働いていたという気がする。

幕末の動乱期とはいえ、(いや、それ故になお)龍馬の伸びやかさは謎めいて
いた。その謎を、ひとつづつ加治将一はつぶしてゆく。そのつぶし方が、
それぞれ愉快だ。とりわけ、わたしにとって。





決定的な手がかりは、残った手紙が示している。暗号文が存在するばかりではなく、
その数の異常さだ。
現存する手紙の数は、一二八通。
ほんとうは、もっとたくさんある。
交流の深かった中岡慎太郎、西郷隆盛にもかなりの手紙を出しているはずだが、
それらはすべて消滅してしまって、今現在目にすることはできない。
それらを含めると、おそらく三〇〇通はくだらなかった、と言う歴史学者もいる。
手紙は、飛脚が運んだ。
飛脚料は江戸-大阪間で、だいたい七両から銀三分である。
料金の違いは配達日数。三日で着く特急料金もあれば、のんびりと一〇日くらい
かける便まであって、料金体系はこまかくわかれていた。
(中略)
ならば一通、七両から銀三分。手紙の送料合計を、平均一両としてざっと見積もれば、
しめて一〇三両。
現在の価値に見直すのは、はなはだ困難だ。
前にも述べたが、一両、四〇万円から、たった六、七千円だったという極端な学者も
いる。ものすごいインフレが進行していて、換算は不可能だという史家もいるくらいだ。
それでも米価や手間賃から一〇万円説をとる。すると龍馬の飛脚料は、およそ
一三○○万円になる。これは最低の概算であり、失われた手紙の量を考えると、
二〇〇〇万円は超えていたのではないだろうか。
                338P 加治将一「あやつられた龍馬」祥伝社








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最終更新日  2006年05月02日 09時39分43秒
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