毎回、休まずに参加する顔ぶれというのはむしろ貴重で周囲のボランティアからもうらやましがられる。ボランティア活動も、相手に恵まれなければ維持できない。無償といっても、成立するにはあちら側の士気も大いに関係する。一方的な指導の垂れ流しはありえないのである。義務教育とは訳が違う。
それで、ずっこけひっこけしながらなんとかかんとかテキストが読める程度のひらがな、カタカナの習得が終わったところで、大手重機メーカーのエンジニアがやってきた。こちらは、同年輩の男性なのだけれど、さすがに日本語がまったくできないと仕事が退屈だろうし、さしせまって困ることも多いのだろう。教室にはめずらしくエリートの登場だ。英語でも、多少は疎通ができる。多少は、というのはこちらの力量の問題でボランティアでも大学の先生レベルとは、英語でかなり事情がわかりあえる。
しかし、日本語の習得には自分のようにいっさい母国語を理解してあげない不親切なオヤジのほうが良い場合もある。そのエンジニアは、ボランティア側の大学の先生が休んじまったので、こちらのブラジル移民の兄ちゃん、おばさんに混じって自分のグループへ振り分けられてきた。うちとけにくそうに緊張していたのだが、そんな躊躇させているような自分ではない。ガンガン訓練モードで、二時間ぶっとおしで対話練習をいれる。
かなり焦っていたようだが、ブラジル人側もエンジニアも相当緊張して必死で練習についてくる。
実は、エンジニアがグループにはいってくるまでは結構だらけてダルい雰囲気になることも多かった。ゆっくりと話してあげなければ、スネルし、分からないというので停滞することも多かった。それなのに、エンジニアがグループにきたとたんに、私の方で用意していた教材で、ばんばん飛ばして発音練習、ロールプレィングを嵌めこんだ。焦っているのは、眼に見えるようだ。なのに面白いもので、ダルい雰囲気が皆無である。
これは、ブラジル移民とアメリカ人エンジニアの相互の緊張感からくるものなのだろう。どちらも、負けてたまるかモードなのである。
それほど難しい、キーエクスプレッションをやっているわけではないのだけれども、少なくともそれまでの週の学習内容や進行からすれば、明らかに猛烈なスパートを要求している。なんどもつまづいて、発音を間違えるのだけれど、まったくスネている気配がない。
これは面白い。南米移民たちも、テーブルにアメリカ人エンジニアがいるだけで鋭敏に学習のメニューに食いついてくるし、エンジニアも恥かしいとか飲み込めないなどといって背中をみせる気配はない。むしろ、メニューのジャンプの程度は移民労働者たちよりエンジニアの方が高いぐらいだ。ちょっと、進み過ぎだとクレームもつけたいぐらいなのだけれども、殊勝にくらいついてくる。
こういう雰囲気であれば、90分などあっというまに過ぎてしまう。
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