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2006年11月26日
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宅間守の事件があったとき、この事件はどのように少数であっても内面で宅間を喝采する連中が社会に存在するだろうという予感がした。予感は、的中してマスコミの連日の激しい騒動ぶりにもかかわらず、宅間と獄中結婚したいと申し出る女性たちまで続々登場するという倒錯した現代人の内臓を露出せんまでのありさまだ。

それどころか、しばらくわれわれは唖然としながら宅間守を踏襲したかのような犯行まで報道が垂れ流されるのをみている情けなさだったではないか。

宅間は、刑法の秩序の元で死刑に処せられているが、これで片付く問題ではないことは自明だろうと思う。被害者の家族の痛み。それと殺された幼い子供たちの遺恨については、我々の社会は、いまだに清算されてはいない。しかし、現実には、見事に社会はそれらについての記憶を薄れさせている。あの事件で、何人の幼い命が奪われたなど、他府県で憶えている人すらいないだろう。

大阪教育大学附属池田小学校に侵入した当時37歳の宅間守が、殺傷した児童は8名だった。1年生1名、2年生7名が殺害され、ほかに児童13名・教諭2名に傷害を負わせた。


これほど、残忍非道極まりない事件も、社会は死刑判決とその執行で清算されたかのように皆平然と忘れてしまう。忘れていない人がいるなどと嘘を言っても虚しい。テレビなどがときおり気まぐれに取り上げるなど、憶えているうちに入らない。被害者の肉親は、いまだに立ち直れないほど酷い打撃を被っているにもかかわらずだ。


なぜ「仇討ち」が禁じられているのか。
むしろ、このほうが野蛮だろう。




人ヲ殺スハ、国家ノ大禁(たいきん)ニシテ、人ヲ殺ス者ヲ罰スルハ、政府ノ公権ニ候処、古来ヨリ父兄ノ為ニ、讐(あだ)ヲ復スルヲ以テ、子弟ノ義務トナスノ古習アリ。右ハ至情不(レ)得(レ)止ニ出ルト雖(いえ)モ、畢竟(ひっきょう)私憤ヲ以テ、大禁ヲ破リ、私儀ヲ以テ、公権ヲ犯ス者ニシテ、固(もとより)擅殺(せんさつ)ノ罪ヲ免レズ。加之(しかのみならず)、甚シキニ至リテハ、其事ノ故誤ヲ問ハズ、其ノ理ノ当否ヲ顧ミズ、復讐ノ名義ヲ挟(はさ)ミ、濫リニ相殺害スルノ弊往往有(レ)之、甚ダ以テ相不(レ)済事ニ候。依(レ)之復讐厳禁仰出サレ侯。今後不幸至親ヲ害セラルル者有(レ)之ニ於テハ、事実ヲ詳(つまびらか)ニシ、速ニ其筋へ訴へ出ヅ可ク侯。若シ其儀無ク、旧習ニ泥(なず)ミ擅殺スルニ於テハ相当ノ罪科ニ処ス可ク候条、心得違ヒ之レ無キ様致スベキ事。             

復讐禁止令(太政官布告第37号 明治13年)


↑クリックから
「仇討禁止令」青空文庫
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宅間守に到っては、被害者の7名の家族には仇討ちの相手を国に取り上げられて永久に遺恨を晴らすこともできなくなっている。この仕組みがある以上、園や学校から「いじめ」が無くなることはないと思う。

とはいえ、現代に仇討ちの復活は不可能。

アメリカの属国同然のこの国に、ましてや仇討ちという伝統を蛇蝎のように忌み嫌ったアメリカの日本に向けたネキリ Brainwashing の壮絶さは、祖母の体験などでみてとれる。赤穂浪士の名跡につながるというだけで、貧乏寡婦にGHQが行った笑うしかないような恫喝を考えれば、日本の戦後には私的な制裁や復讐が貫逐できるのは、それだけでなにがしかの特権的な地位を暗示させさえするほどだ。先祖の浪士の庶子がいるというだけの、貧乏母子家庭ならぬ、子沢山農家にまで鉄槌を打ち込むアメリカのその妄念が、我々に復讐のDNAを奪い去ったという理解で間違いあるまい。

さらに、仇討ちという制度を維持させていた濃密な人間関係も社会関係もいまは存在しない。また仇討ち制度があった時代にすら、それがまっとうできた事例はきわめて稀だったのだ。さもなければこれほど、赤穂浪士の「義挙」が喧伝され、歌舞に取り上げられるまでの事態には立ち行かない。


近松行重の形見の小袖、帷子を手にした経験からあの浪士の装束そのものがとんでもない虚構だというのは、幼いころに痛烈に思い知った。

滅多に実行されず、実行されたことそのものが事件であるような仇討ち。その程度のものすら日本の社会の法規範の上部に位置した、心の姿勢。コモンローとして伝承も認知も機能することもできなくなった今日のわれわれの精神的な漂流はどこまでも行方定めぬ情けなさだ。



勘六には甚三郎という家僕がおり、浪人となった勘六は暇を出そうとしたが、甚三郎はあくまでも参仕するよう願った。勘六の行くところに常に従っている。討ち入り前夜には大石内蔵助に命じられて、瑤泉院に「金銀請払帳」その他の書類を届けている。討ち入り当夜は門外で周辺を警備し、赤穂浪士一行が泉岳寺へ引き揚げる際、甚三郎は祝意を表しながら浪士たちに蜜柑や餅を手渡して回った。後世、義僕と呼ばれた。


家祖甚三郎が仕えたとされる近松行重







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最終更新日  2006年11月26日 15時10分42秒
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