葬儀に参加された親族や、遠縁にも懐かしい顔ぶれが散見されるものの世代変わりも著しい。子供時代の記憶など遠のき、みな子持ちのおやじになっている。その子供世代では祖父、祖母の代の記憶など関心を払う余地もないという気がしてならない。
告別式後の会食で、驚いた。
52年前、妹が生まれたときに自分が父親の実家に預けられた事があって、そのときのことを記憶してくださっている父親の従弟がいた。地域に住まう人は、遠縁といっても家族のようなものだ。実は、その方は同姓ながら30年もお会いしていない。都市部ならば、完全に他人さまだろう。しかし、Kさんは覚えてくださっていた。Kさんのお父上は、おやじの小学生時代の学校長だったりする。
52年前、自分は3歳児だ。
しかし、テーブルでKさんが話題にした自分の52年前のすがたを聞きうけると驚いたことに52年前の風景が一瞬で蘇ってきた。人の脳は、どのようにできているのだろう。52年も封印されていても、見事に保存されているものらしい。
父方の祖母のつくったタドンが面白くて、いつまでも眺めていた。うららかな日差しの春のことだったと思う。いまは農産地でも、みかけることが皆無だろう。当時は、玄関先に私製のたどんが山積みになっていたものだ。
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