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2007年01月31日
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おっしゃるとおり。
口で奇麗事言ってもあれはどうなるのだと思っておりました。
鈴木邦男のこの本、私も読みましたがシャルドネ。さんの解説で深まります、感謝。
Re:男の子を産む機械(01/30) オダギリチガさん
(2007/01/30 11:31:05 AM)





今日は、ジョークから這入ろう。

先日、軽くふれたが社会主義の路線差異はいわゆる左翼論争の内部では完結しない「社会関係依存」が底流にあると喝破する論旨が次第に注目を浴びている。私などから言わせれば「女を男の子を産む機械だと見做す共同性」がスターリニズムというのだ。



猪木正道京大教授の著書を読んだ記憶からすると、ようするに名著「共産主義の系譜」の語られざる真実というものはそのあたりにあるような気がしてきた。猪木は、共産主義の問題の本質は、どれがほんとうの共産主義なのかという指摘に苦慮する、というまさしくその不分明さにあるのだという巻頭言を思い出して笑えた。

実は、親父が危篤状態になったと聞いて実家で電話番に当たっていた夜。かねてから気がかりだったスペイン映画「蝶の舌」を深夜みていた。知る人ぞ、知るという佳作で冥府へよたりながら歩みを進める親父への追悼気分にも、ふさわしい作品だったと思う。
喘息もちの8歳の少年モンチョ(マヌエル・ロサノ)が、こともあろうに魂の恩師ともいうべきグレゴリオ先生(フェルデナンド・フェルナン・ゴメス)に投石をもって遇するという不条理感が、沢木耕太郎をして「衝撃的なラストシーン」とまで呼ばしめたこの映画の迫力の中心にある。
(つづく)


一 弥陀の本願、不思議におはしませばとて、悪ををそれざるは、また本願ぼこりとて、
往生かなふべからずといふこと。
この条、本願をうたがふ、善悪の宿業をこころえざるなり。よきこころのをこるも、宿善のもよほすゆへなり。悪事のおもはれ、せらるるも、悪業のはからふゆへなり。故聖人のおほせには、「卯《う》毛《もう》羊《やう》毛《もう》のさきにいるちりばかりも、つくるつみの宿業にあらずといふことなしとしるべし」とさふらひき。
また、 あるとき、「唯円房は、わがいふことをば信ずるか」と、おほせのさふらひしあひだ、「さんさふらふ」とまうしさふらひしかば、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、かさねておほせのさふらひしあひだ、つつしんで領状まうしてさふらひしかば、「たとへば、ひとを千人ころしてんや。しからば往生は一定すべし」と、おほせさふらひしとき、「おほせにてはさふらへども、一人も、この身の器量にては、ころしつべしともおぼえずさふらふ」と、まうしてさふらひしかば、
「さては、いかに親鸞がいふことをたがふまじきとは、いふぞ」と。
「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。

わがこころのよくてころさぬにはあらず。また、害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし」と、おほせのさふらひしは、われらが、こころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて、願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることを、おほせのさふらひしなり。そのかみ邪見におちたるひとあて、悪をつくりたるものをたすけんといふ願にてましませばとて、わざとこのみて悪をつくりて、往生の業とすべきよしをいひて、やうやうにあしざまなることのきこゑさふらひしとき、御消息に、「くすりあればとて、毒をこのむべからず」とあそばされてさふらふは、かの邪執をやめんがためなり。またく、悪は往生のさはりたるべしとにはあらず。「持戒持律にてのみ本願を信ずべくば、われらいかでか生死をはなるべきや」と。かかるあさましき身も、本願にあひたてまつりてこそ、げにほこられさふらへ。
さればとて、身にそなへざらん悪業は、よもつくられさふらはじものを。
また、「うみかわに、あみをひき、つりをして、世をわたるものも、野《の》やまに、ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがらも、あきなひをもし、田畠をつくりて、すぐるひとも、ただおなじことなり」と。「さるべき業縁のもよほせば、いかなるふるまひもすべし」とこそ、聖人はおほせさふらひしに、当時は後世者ぶりして、よからんものばかり念仏まうすべきやうに、あるひは道場にはりぶみをして、「なむなむのことしたらんものをば道塲へいるべからず」なんどといふこと、ひとへに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。願にほこりてつくらんつみも、宿業のもよほすゆへなり。されば、よきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまいらすればこそ、他力にてはさふらへ。『唯信抄』にも、「弥陀いかばかりのちからましますとしりてか、罪業の身なればすくはれがたしとおもふべき」と、さふらふぞかし。本願にほこるこころのあらんにつけてこそ、他力をたのむ信心も決定しぬべきことにてさふらへ。
おほよそ、悪業煩悩を断じつくしてのち、本願を信ぜんのみぞ、願にほこるおもひもなくてよかるべきに、煩悩を断じなば、すなはち仏になり、仏のためには、五劫思惟の願、その詮なくやましまさん。本願ぼこりといましめらるるひとびとも、煩悩不浄、具足せられてこそさふらふげなれ。
それは願にほこらるるにあらずや。いかなる悪を、本願ぼこりといふ。いかなる悪か、ほこらぬにてさふらふべきぞや。かへりて、こころをさなきことか。
親鸞「歎異抄」第十三条

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最終更新日  2007年02月01日 04時56分56秒
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