実は、妹と2時間近く話をしたのは30年ぶりぐらいだ。親父の葬式以前には皆無で、わが家がいわゆる家庭としてはかなり奇怪なものだという「共通感覚」が疎通できるのは、唯一兄妹二人だけしかないという現実が、妹をして数十年ぶりの長電話を余儀なくしたものだと思う。
妹は鋭敏で、もう十代から相当家について構えていたように思う。自分は、その点昼行灯みたいや奴なので、最近ようやくその所在なげな我が家の特異性について言及ができるようになった。その証左が、この楽天ブログの基調にある。勘のいい読者は、もしかしたら私の迷走するログの底流にあるその部分を多少は察知されているかもしれない。
妹は言う。父親が、やはり普通の人ではなかったし、母親がまた歩く超常現象みたいな人だという風に描写している。逐一もっともだと思う。自分が、父や母を描写するよりも彼女の方がまんべんなくその持ち味を見通しているような気もする。実は、彼女の方が自分よりも遥かにロジカルだ。なるほどと、彼女の枚挙する判断の根拠に、たじろぎながら耳を傾けている。ああ、なるほどそうだったのかという気づきも多い。彼女の話を聞いていると、どうも自分の関係認識がつねに皮相であるような気がしてきた。
生物としては、わが親父の方が遥かに尋常な個体だったような気がする。
良い悪いは別にして、生得的な人間の感度にはストレート。良い意味でも悪い意味でもナイーブだった。一方わが母親は、あの幼少時の三島由紀夫のように実母がいるにもかかわらず大勢の姉妹の中から隔離されて祖母に育てられた。彼女は、そんな我侭放題の祖母の後ろ盾で、猛烈な自己中心主義に自分自身を最適化するというような面があるというのだ。なるほど、悪意はないし、猛烈に親切な人なのだけれども、どこか押し付けがましいという点がある。これに親父は皆目馴染めなかった。性格の不一致という以前、もともと近づいてはいけない男女が不幸なことに、婚姻関係にあった。しかもその婚姻は、当初から破綻しているにもかかわらず60年続いた。間違っても結婚してはいけなかった男女が離婚もせずに戸籍上の婚姻関係を維持し続けたために、滑稽なことが沢山生じた。
妹は、実に明快だ。わが両親は、少なくとも80年代以前に離婚するべきだった。親父は、不思議な見栄体裁と実利のために、母親は、これまた固有の機会主義のためについに離婚の機会を逸した。これが、思えば両親それぞれにとっての不幸だというのである。当時、双方離婚について相当考えを巡らせるチャンスが何度かあった。結果、主に母親の優柔不断と父親の楽観からかついに離婚することがなかったが、終生相互に憎しみあっていた。これもよくよく考えれば不幸なことだ。自分らは、当時三十代で、両親の離婚選択がむしろ正解だったと思っていた。いま考えてみても、人間の晩年として、もう少しまともげな演じかたも可能だったのかもしれないと思う。ただし当事者の問題である以上、最終的には子供がなんとも口の差し挟みようがない。
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