5000年前に埋葬された若い男女の遺骨は、近代都市にあって多少魂を病んでいながら暮らすことを余儀なくされていてさえ、なお我々が辛くも「健常」でありさえすればおそらくさまざまなファンタジーを脳裏に惹起させるものがある。
皆さんは、今から5000年前というイメージで、どんなことを思い浮かべるだろう。
自分は、5000年という時間についてあまり悠遠な隔たりという月並みな感覚を生じない。すでに往時エジプトではピラミッドが熱心に建設されていた頃だし、チグリス、ユーフラテス川に挟まれて生活したその時代のシュメール人は、大麦・ヒヨコマメ・ヒラマメ・雑穀・ナツメヤシ・タマネギ・ニンニク・レタス・ニラ・辛子を栽培していたらしい。家畜として、すでにウシ・ヒツジ・ヤギ・ブタを飼育された。 生活の近隣には、雄牛を飼い、農耕に土木に活用した。これは自分が小学生ごろに父母の実家に出向いた頃の風景と大差ない。つまり、五十代の我々の幼少期は江戸時代と地続きな風景を間違いなく見聞きしてきた。
5000年前の社会は、すでに我々が体験したあの中世の起源ぐらいの近さなのである。、
主要な輸送用動物としてロバを使役した。なんだロバかと思われるかもしれないが、都市の生活に輸送手段を確保していたことの意義は、大きい。ロバがトヨタのカローラになろうとその行く先にバザールがあるのか、ジャスコがあるのかだけの差異ではないか。また、シュメール人は魚や家禽を狩った。彼らの脳裏にある意識活動が現代人のそれと同じだとは言わぬが、都市を形成し始めた人類の文化的錬度は、どうしても類人猿らのそれよりも、遥かに現代人の我々に近いとわたしは思う。
埋葬された男女については、個人的にさまざまな推量、ロマンチックな投射もできるがそれについては多少の含羞もあり、わざわざ披瀝することもいらないだろうと思う。しかしここで注目すべきは、むしろ埋葬に際し関与したこの男女の周囲の近親者の思いのほうだろう。なんと優しい。この若い男女へのいたわりの気持ちだったのだろうか。いや、そうではなく何か他の社会関係のもたらしたものがが自ずとこのような埋葬スタイルを結果したのだろうか。実は、その二系統でさまざまに思い巡らせた。
A 生前この若い男女は、傍目にも麗しい心の疎通の行き届いた相愛のカップルだった。それを周囲が認知し、なんらかの事情や疫病で夭逝した際に近親者が「あの世」での愛の成就を祈念して埋葬に心遣いをした。
B ある都市の貴人、もしくは富裕な分限者の子弟だった男子にはいつもつきそう同年代の卑女がいた。身分は違うが、幼馴染であるこのカップルは兄妹のように育った。身分が違いすぎるために婚姻は遂げられないものの、双方はもっとも心を許せる主人と従者という風に村では見做されていた。もしかしたら男子は一人っ子だったかもしれない。ところが、男子は長じて体の健康を崩し病床に伏せた。女は、だれよりも男子の快癒を願い看護に世話に昼夜かいがいしく立ち働く。不幸にも男子はその若さにもかかわらず息をひきとり、卑女は疲労困憊し世を儚み男子と同じ墓に埋葬されることを懇願した。卑女は生前婚姻は遂げられなかったが、近親者は埋葬に際してはその願いを満たすことにした。
まあ、ざっと思いつくことを2系統ぐらい昨晩からイメージした。多少の可能性はあるイメージかもしれない。いずれにせよ、都市生活が社会規範や個人の願望に喰いこんで次第に類人猿のオスメス式のようには立ち居振る舞いがナイーブには参らぬ時代が、すでに5000年前に始まっていたのではないだろうか。
かつて所有=非所有の発生についてこのブログで取り上げたことがある。ご関心があれば、そちらを通読いただきたい。
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