一方、滋賀の実家側では父親は相当立派な人になっており、里帰りのたびに持ち帰る金や「家族付き合い」(父親にとっては、家族とは実家との交流のことだったのである。われわれ大阪の一親統は、ようするに分家ぐらいの気分だったに違いない。いま私も、気づいた。父親の実家が、分家に対する処遇の冷淡さを重ね合わせるとよく理解できる。)の手厚さから、家長となっている叔父には手放しで絶賛されている。まあ、麗しい兄弟愛なのだから、ご自由にということなのだけれどこれまで生涯において家族旅行ひとつ実行したことのない父親に、滋賀の実家(父親の実家も母親の実家もともども、野洲市内にある)側が大阪にいる父親の家族を誹謗中傷し続けてまで、守るほどの名誉がわが父親にあるのかといえばおおいに疑問である。葬儀の式中、火葬場の往還に際しても繰りかえし「親らしい扱いをしていなかった」と、われわれ家族の父親に対する態度をとがめだてて演説してくれる叔父(三男)がいる。父親(長男)になりかわり、父方の家督を継いでいる男だ。いつも大阪のわれわれに対して、ことごとく空威張りで気色ばんでつまらない挑発をしかけてくる。ばかばかしくて相手にしていられるものではない。そもそも家族をまったくないがしろして、父親という役務が成り立つものだろうか。民主党が予算委員会で審議拒否しているようなのとは、訳が違う。家族を、まったく忌避して近づかなかった。四十代以降は、次第に酷くなり。五十代以降父親が、妻子に対して夫婦だ、親子だのという実態がどこにも無いのである。どうせ、実家に愚痴をこぼしに行った父親のわれわれ家族に対する誹謗中傷を額面どうりに受け止めているにせよ、贔屓の引き倒しというものである。父親の名誉をもっぱら維持しているのはわれわれ家族の方である。父親の名誉を傷つけるつもりならば、いくらでもその気があれば立派に放蕩の履歴を示すことが可能だ。まあ、そんな野暮なことをするような残ったわれわれでないから、父親はさも世間に通った人格者でいられるのである。父親が、生まれ育った実家にわれわれを誹謗中傷しに帰省している理由は、分かっている。なりふりかまわず自分の主張を通して、実家にデタラメを語りに帰っている姿は、まるで小学生並みである。
昨日も、母親といろいろ打ち合わせていたらまたまたオハコの「お前ら(兄妹)を産むつもりはなかった」が飛び出してきた。最近、年をとって口走っているものではなく、自分が小学生時代から延々言い続けていたので、こちらも慣れっこで笑うしかない。親父の放蕩癖と狼藉は、結婚以前からだというのだ。当然こういう親父に子供は、滅相もない。断固避妊あるのみ、と懸命に避妊策を実行していたのだという。
妹も、自分もあまりまじめに取り合っていない。避妊の失敗で、生まれた兄妹だと言われても妹ともども無視黙殺である。なにせ「鈍感力」を誇る自分である。実のところ、いまだに母親が何を言っているのかよく分からない。望まれず生まれた子供だと言われた幼い時代から、やはり鈍かったのだろう。妹の方はどうだか分からないが、自分にとっては孤立無援の孤独な心象は、両親の不仲から生じたものではないと思っていた。まのあたりにする社会の現実が、およそ「弥陀の本願の広大なる智慧」と縁もゆかりもない空おそろしい諸相を眺めての存在論的な不安のほうが遥かに深刻な問題だと思われた。だから自分は、一度も、自殺を考えたり父母の不仲で悩んだことは見事にない。些事に鈍いというのは、こういう境遇のわが身にとってはいたって重宝である。
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。
いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと云々。
『歎異抄』(5)
私《親鸞》は、亡くなった父母への供養のために念仏したことは、いまだかつて一度もない。その理由(わけ)は、いま現に生きとし生けるものは、あらゆるいのちとつながりあって生きる父母兄弟のような存在だからである。
どのような存在であろうとも、やがて仏の位に到ったときには、だれをも救済することができるのである。もし念仏が自分の努力でおこなえる善行であるのならば、念仏を振り向けて父母をたすけることもできよう。しかし、自分の努力でなんでもでき、ひとを愛せると思っている心に絶望して、すみやかに弥陀の本願の広大なる智慧をいただくならば、その智慧のはたらきによって、どのような苦悩多い境遇に埋没している存在であっても救われるのである。

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