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2007年07月06日
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金曜日の深夜、寝ようと思っていたらテレビで往年の「ジャッカルの日」を流していた。
記憶を辿って眺めていたら、ついにエンドまでつきあってしまった。


この映画は、今では知られていないかもしれないが大ヒットした小説「ジャッカルの日」の映画版だ。当時この小説が、ヒットした理由を今上手に説明することが少々難しくなっているという気がする。「面白いから読んでみたまえ」と、推薦するのも躊躇する。いま、この小説を読み通すのには多少の我慢とタフさが必要な気がするからだ。自分が読んだのは、二十代で「たかが小説ごとき」を読んだだけで異様に興奮できるという最後に近い貴重な体験だった。鮮明に覚えている。サスペンス小説は、この原作者フレデリック・フォーサイス登場以前と以後に分断されるのではないか、と思われるほど、その作風は画期的だった。彼の作品が次々と角川書店で発売されるや恒例のようにヒットし、満を持して書店から羽が生えて売れるというような雰囲気はちょっと当時も類例を感じさせる事例はなかった。





簡単にいえば、失敗したドゴール暗殺事件なのである。日本の馬鹿な小説家が、プロットだけをいただいて、失敗したスターリン暗殺などを小説にすることを試みたことがあるが馬鹿馬鹿しくて情けなくなった。当時、フランス大統領のドゴールの存在感が、今では想像できないという事もあろうかと思う。


この小説では、さまざまなことを学んだ。


作品の中では、主人公である暗殺者も一切内面の描写をされない。いや、正確にいえばただの一箇所を除いて。それは、小説を通して読まれて見つけ出して貰いたいと思うが、見事なまでの冷徹なプロのテロリストの行為描写に徹底している作風なのである。その描写が徹底している。そのためにあらかじめ読者らに、中途半端な感情移入を峻厳に拒否しているという面があるのだ。この小説のリメイク版がハリウッド映画で「ジャッカル」として、よりによってブルース・ウィルスという俳優で試みられている。いまどき、アメリカ大統領などに当時のドゴールが備えていたカリスマ的な「時代精神の体現」というような神話を背負わせることは不可能だろう。レジスタンスのフランス解放という壮大な大嘘の構築が前提にあって、当時は戦後の気分として圧倒的多数の矜持を託する存在だった反ナチス祖国防衛戦争の英雄のひとりとして祀り上げられていた生き神さまとでも言うべき、ドゴールに対して弓引く無名のテロリストという存在。この衝迫力は、とてもとても今から追体験することは難しい。それは、言ってみればシャーリーズ・セロンがいくら美人であっても、マリリン・モンローにはなり代われないのと同じことなのだ。



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そして、この映画のもうひとつの隠れた主役は暗殺者が用いる工芸作品のような狙撃銃と特注製作された六発の炸薬弾だろう。


原作は、この銃器に関連して相当丁寧に描写している。映画では、この描写を視覚化することにかならずしも成功していない。だから、原作を読んだ読者たちと、映画だけをみた者とでは暗殺実行の現場での粟立つような興奮の度合いが違うと思う。それは決定的に違う。


また、暗殺者を追いかけて未然にテロ実行を阻止できなかったフランス警察の敏腕警視の描写と、その権力内部の複雑な構造についての言及は、日本の読書人を違った意味で唸らせたと私は思っている。






ドゴール大統領とは、つまりは戦後約定された見えざる利権の頂上に据えられた風鎮のような存在だったのではないだろうか。






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最終更新日  2007年07月08日 16時55分12秒
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