新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

2007年08月13日
XML
無題.JPG








誰が言い出したのか知らないが、「お金の使い方には4つしかない」という面白い指摘がある。WEBで調べると福島の地方議会でこの話題が取り上げられているのが見つかった。


「他人の金を、他人のために使う」ということが基調となった通貨の消費形式(交換)。それが大手をふって投網をかけるように広域、グローバル経済の巨大な様相があり、すでに国家独占金融資本のさらに上層に暗雲のように垂れ込んでいる。われわれに等しくのしかかっている怪物の正体だという風に考えられるかもしれない。


お金が、とんでもなくピッカピカな存在なのは幼稚園児でも知っている。みな恋焦がれてやまない。亭主女房よりも、恋人よりも大事にする男性、女性も多い。金がないのは、命がないのと同じ。首がないよりもひどい事態だとされている。その理由はなんだろう。


あなたが魚屋さんで、わたしが八百屋さんだとする。トマトと秋刀魚を交換したいと思っても、秋刀魚が好きなわたしはうれしいがトマトの嫌いな魚屋さんだと塩をまかれるかもしれない。そんな魚屋からわたしが秋刀魚を取り上げるためには、トマトよりもお金を持っているほうが強い。どうしても秋刀魚が食べたい私は、トマトよりもお金を大切にする。トマトも大切だが、それはお金と交換できるかぎりでの範囲でトマトが大切なのだと考えるようになる。これが現代社会だ。古代や超歴史的な世界では、かならずしもそんな事はなかった。幸運なのか不幸なのかは分からないが、とりあえず自分たちは、現代社会に生まれて育った。われわれはトマトよりもお金を大切に思うココロを抱いた八百屋さんなのである。常にそのように育てられてきた。


ただ自分が子供の頃には、お金よりも強力な交換があると実感できた。


何度も死に掛けていると、お金も秋刀魚もトマトもありがたくない。とりあえず死なずにすむことが最優先だった。爆撃でできた廃墟がそこらへんに一杯残っていた時代をみている自分らは、お金などよりも「へっ、それよりコップ一杯の水が欲しい」といえる人がいくらでもいたことを体験的に知っている。死に掛けている人は、ダイヤモンドよりもコップ一杯の水を思い切り飲んで死にたいものらしい。


ところが、四十代以下の経営者やサラリーマンは体感でそういう突飛な話には反応しない。ズバリ、お金だ。思いきり刷り込まれている。個人差はあるかもしれないが、基調でそのように思われる。


国家運営の主力も、すでに四十代以下が中心になっているのは間違いない。


この連中が、「他人の金を他人のために使い」節約と効率を考えなくなると怖ろしい。儲かるという話に反応する速度も、もともと速い。だが元手が「他人の金」となると一層早くなる。悪いことに、グローバリズムとやらで海外での儲け話に、「他人の金」を預かっている奴が群がって飛び込むということが日常になっている。飛びつく早さで、ボーナスを決められているのだから、なおさらである。





いま証券市場で起こっている「信用収縮」とは、そういうことだろう。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年08月13日 20時03分19秒
コメント(1) | コメントを書く
[お山に雨が降りまして] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: