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2007年08月27日
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元陸上自衛隊イラク先遣隊長の佐藤正久参院議員が、 派遣当時、自衛隊を警護していたオランダ軍が攻撃を受ければ、駆け付け、あえて巻き込まれて警護を行う考えだったことを明らかにした ことに対し、弁護士を中心とする市民らが二十二日、「シビリアンコントロール(文民統制)を無視するものだ」と批判する記者会見を開いた。同氏らには公開質問状を送付した。

(中略)


 発言は、 集団的自衛権を研究する政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が、活動を共にする他国軍が攻撃された場合に駆け付け応戦する「駆け付け警護」を容認する方向で一致した 、とするテレビ報道の中でのコメント。「駆け付け警護」は、憲法で禁じた海外での武力行使につながるとして認められていない。



 質問状では、意図的に巻き込まれる行為は 「正当防衛・緊急避難の要件を満たさず、自衛隊法に違反する ばかりか、憲法九条をないがしろにし、シビリアンコントロールをも無視する許し難い行為」と批判。佐藤氏と、派遣を決めた小泉純一郎前首相に回答を求め、安倍首相には議員辞職を勧告するよう求める要望書を提出した。


 佐藤正久参院議員の発言要旨  「(オランダ軍が攻撃を受ければ)情報収集の名目で現場に駆け付け、あえて巻き込まれる。巻き込まれない限りは(武器使用が可能な)正当防衛、緊急避難の状況はつくり出せない。普通に考えて手を差し伸べるべきだという時は行ったと思う。日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」

元「ひげ」隊長 佐藤議員の発言波紋 「駆け付け応戦容認」文民統制無視と批判(08/23 08:45)




予想どうりだ。こういう人物が、参議院議員に当選するだろうということも、読めていた。

彼は、昭和35年生まれの防衛大理系卒の人らしい。東京オリンピックも、まともに覚えていないぐらいの景気のいい時代の日本しか知らない世代。そんな時代の軍事オタクが大きくなればこういう風になるという典型だと思う。



物理学を専攻した秀才なのである。発言したことの波紋や展開も読みきってのことなのだろう。いわゆる確信犯のようなものだと思う。シビリアンコントロールを無視するものだ、とかなんとか、憲法9条を守れとかいっても虚しい。彼は、横紙破り隊長なのである。そういう世論喚起の目的で、参議院議員になったこと自体も、ある種のプロパガンダのようなものだったに違いない。ことは、イラク派遣でマスコミ頻出し始めたときから狙い、布石はあったのだろう。


自分らの年代では、記憶にある。



1971年7月30日、午後2時2分、高度8500メートルの岩手県雫石町上空で、千歳から羽田に向け南下中の全日空旅客機ボーイング727と自衛隊ジェット戦闘機F86Fの訓練機が空中接触して、分解、墜落するという事故があった。岐阜中津川では、フォークジャンボリーなどがあって、全国から二十代の青年が岐阜中津川に10万人規模結集するという時代。反戦平和だと大衆的規模で喧伝されていたそんな時代に、航空自衛隊はソビエト空軍の東京上空へ頻出する偵察飛行に対して軍事的最前線という様相にあり、スクランブル出動の緊迫した風景はつねに報道番組でも告知されていたことは鮮明に覚えている。彼らは、常時緊急離発着訓練を繰りかえしソビエト偵察機を領空侵犯機として牽制するという活動を行っていた。よりによってその軍事訓練に日本の全日空民間機を仮想的国のソビエト偵察機にみたてて追尾訓練を行っていたのだ。なにしろF86Fは、朝鮮戦争当時に活躍したとはいえ、最速でも音速で飛べるようなジェット戦闘機機ではない。航続距離も短く、単なる操縦訓練ならば太平洋上空でやればよいだろう。そのほうが合理的である。民間旅客機を、敵偵察機にみたててなんと教官機と訓練生の戦闘機2機で40秒も執拗に追尾し、ついには接触して墜落させた。パラシュートで脱出して逃げた航空自衛隊の隈一尉と、訓練生であった市川二曹は岩手県警に逮捕され、盛岡地検から業務上過失致死と航空法違反で起訴された。当時新聞紙面を埋め尽くす大事件であった。

なにしろ全日空機は、乗客155人、クルーら7人が死亡している。国民の生命財産を守るべき自衛隊が、国民を墜落死させるという笑うに笑えないシンボリックな事件だったのである。


この事件の渦中の人物、航空自衛隊の教官であった隈一尉の発言が当時注目された。

国防のためならば、旅客機を利用する多数国民をいちいち留意していられるかという事なのだろう。民間機のことを考えて訓練などできぬと発言して物議を醸したものだ。人殺しの訓練をしている連中に、国民の生命を守れといっても無理なものは無理だと無意識が雄弁に語っているのではないだろうか。昔も今も、人間が大きく成長して変わるとは思えない。



上田哲君 御答弁はほんとうに反省の立場に立っておりません。その意味では、これほど明白な事故に対して、いわば線路の上を走っているものにかってにぶつかっていった。まことに飛行機の高度からいっても、入り方からいっても、これは明らかに全日空機には責任がないということを明言されないことは、この点作為があるというふうに言われてもしかたがないと思います。はなはだ言い方が、御答弁のしかたが不明確であるという点を、就任早々ではあられますけれども、その点だけははっきりして国会に御答弁に立たるべきであるという点について、不満を表明しておきます。そういうふうな問題の発想の根底には、一つの例をあげるならば、 隈一尉があの事故の直後、一々ほかの民間航空機のことを考えていたのでは訓練はできぬという発言をされる、あるいは上司が、もう疲れているから報道関係に対して質問をするなということでもって言った。これは録音がとれております。全国民が聞いております。 こういうふうな状況に端的にあらわれていると思います。こういう姿をどうお考えですか。

第066回国会 内閣委員会 第1号
昭和四十六年八月二日(月曜日)
   午後一時四十分開会






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最終更新日  2007年08月27日 11時54分16秒
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