新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

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2007年09月29日
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「女体盛り」などというパフォーマンスを耳にしたのは何時ごろの話だろう。

ごく最近、ニューヨークタイムスでこれが取り上げられたという。ニューヨークタイムスで取り上げられたから、良くて日本の三流週刊誌が取り上げているのは良くないというわけではないが、これはアメリカでも衝撃が強かったらしい。たぶん意表を突いているからだ。


たしかに初めて週刊誌のグラビアで、こういう趣向があるのをみかけたときに思考停止になった記憶がある。善悪を越えた結構なインパクトがあって、いわゆる俗説的な意味あいでいうセクハラとか、女性差別だとかいう発想を凌駕していると思った。どこかの料亭やら、クラブやらで悪ふざけでやっているとしても、平素見かける人は少ないだろうし、実際に女体盛りの現場にいあわせた経験のある人も、滅多にいないように思う。言葉として流布しているけれども、このパフォーマンスの存在自体が一種の都市伝説のようなものだ。ニューヨークでは、これを寿司屋が、余興という意味よりも一種の反響広告のような意味合いでぶちあげた宣伝としてだろうと思うが、日本円で14万円ほどで提供すると言い出したらしい。これは実行されたとしても、維持するのが難しい。儲かる儲からないという問題ではなく、採算は到底とれない実現してもきわめてニッチなビジネスに止まるだろう。所詮は、都市部の大規模な大衆の願望世界を出版流通の都合で画像にしただけのものに過ぎないと推量する。まにうけたアメリカが取り込んだだけのことだろうと読む。


ただ、そういう背景やいきさつを越えてこの余興、趣向はインパクトがある。


かなりなスケベイおやじですら、このような座興で歓待されたとか接待されたという経験はないはずだ。つまり冒頭から、伝説の悪ふざけ。幻の余興だとわかっていても、なおこのような秩序紊乱な発想で視覚的な具体化を試みたヤカラがいるのが面白い。しかも、この余興はかならず寿司とワンセットのようだ。ステーキや、インド料理ではこうはゆかない。食文化の中でも、和食の中でも寿司のみがパフォーマンスとして成立可能だというきわどさだ。


つまり女性は人類にとってついに究極の食器として存在することが、その本質だったのかと。瞬時、立ち止まらせるほどに意表を突かれた。はじめてみたときには悪ふざけとみえたが、よくよく考えると判断停止。有無を言わさぬ説得力に、悪趣味であることを認めつつもたじろぐわけだ。モデル女には、ご苦労さまというしかないが、一種の思考訓練のようなものだと思う。われわれの脳のどこかを抉ってみせている。



聞けば、脳の辺縁系で性欲に関与する組織と食欲に関与するそれとは、わずか3ミリほどの距離間隙しかないそうだ。食の中枢と隣接する究極の執着を具現化すると、とうとう最後には女性に食器になってもらうしかないのだろうか。モラルを越えてわれらの願望をまんまと掴みだしてくれているものらしい。アメリカ人も、これを英字でNYOTAIMORI と綴るらしい。












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最終更新日  2007年10月03日 18時47分51秒
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