新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

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2008年02月19日
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自分がテレビなど見ないというと、乱暴で野蛮なことのように思われる人も多いと思う。

しかし、自分は古くは2歳の時代から膨大な規模の映像と加えて国内外を歩き回った体験というものがある。さらに日常でインターネットを経由した、映像資料にも通じている。いまどき日本のテレビ番組でほんとうに見落としていけないようなものといえばNHKが紹介している海外制作のドキュメンタリー程度のものだと思う。それすらも、今やYoutubeやGoogle動画のお陰で、貴重なものほど優先してみれるようになってきた。本来ならばNHKなどが、まっさきに実行しなければならないアーカイブスや過去の番組の記録保存も、NHKにまかせておけば、ほとんど市中に弾力的な供給がなされない。

しかし、皆さんは自分などよりも遥かに若いためにどうしても見聞きしていない映像証言が多数あるように思う。投票行動ですら、電子投票制度で平気で捻じ曲げて政権政党に都合の良い当選が演出されているこの時代に、本来社会教養として踏まえられていなければならないドキュメンタリー映像に接する機会はむしろ払底しているのではなかろうか。いうまでもないが意図的に、ヒラの市民にリリースされないのだ。

そう、「見ざる言わざる聞かざる」・・・万年キレイ事をいうリベラルな連中ほど穴熊のようになにもなさずにかたまってしまっている。だが、見ることも立派な社会参加である。




いかに、日本がアメリカの「属国」となるに際しての貴重な歴史ドキュメントがある。週末にでも、ぜひ一気にごらんになられることをお奨めする。





↓リンクかけています。
この機会をのがして貴方がほかに見る機会があればいいのですが。


小林正樹作品「東京裁判」






北海道小樽市に会社員の息子として生まれる。大女優田中絹代の従弟に当たる。早稲田大学文学部哲学科で会津八一に東洋美術を学ぶ。

1941年、松竹大船撮影所助監督部に入社する。入社試験に際しては、親しい間柄であった田中絹代に紹介を頼んだが、「映画界は実力がなければ通用しない」と諭され、田中の縁者であることを隠し通したという。まもなく応召するが、1946年復員。木下恵介監督につく。1952年、『息子の青春』で監督デビューする。以降、松竹で庶民の生活を叙情豊かに描いた作品を撮る。

1959年から3年間かけて、五味川純平の長編『人間の條件』を映画化し、6部作、9時間38分の超大作に仕上げた。この作品は、戦争が個人を圧殺していく不条理を描いて評判となり、毎日芸術賞、ベネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞とイタリア批評家賞、毎日映画コンクール日本映画賞などを受賞する。









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最終更新日  2008年02月19日 08時39分03秒
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