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2008年09月08日
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国家社会主義の存在を知るという体験は、通常はわれわれの時代では映画ということになっているかと思う。つまり、世界を知識として体験したかのように思うあの擬似的なものを指していると理解してきた。たとえば、同時代を過ごしたわけではない、ナチスの勃興と衰退の「物語」の叙事詩としてである。その多くがハリウッド映画だったりする。


それは、「国家社会主義」についてのカギカッコつきの理解でわれわれが以後看過している大きな理由のひとつだと思われる。われわれの「現にここにある権力」が、かりそめにも国家社会主義で駆動されているなどというような想念は抱かない。ついつい国家社会主義は、暴虐の悪政と人種差別、そして強制収用所にイメージされる大量虐殺の併走で維持されていたなどという典型的な誤解のようなもので染め上げられているように思う次第だ。



では、「国家社会主義」について「国家主義」と「社会主義」との違いはどこにあるのだろうか。これらは、すべて政治権力の現実のありかたの機能性を表現しようとする試みであるから、政治権力の内部で生きているヒラの国民についてはさほど明快に理解されることがないとしても不思議ではない。権力の概念は、その権力が起動する瞬間に意味があるからだ。国家権力の起動する瞬間を、それほど常時意識するという体験を国民がすることは意外に少ないものと思われる。なぜならば、平素国民は、歴史的社会、経済的社会の内部で生活を行っているために、その高次な統合形式をみずからの耳目でつねに体験するとは限らないからである。



わたしが、そうした消息の中で「国家社会主義」の現在を示唆されたという経験は記憶の中で最古のものとしていえば18歳のときに手ほどきをされた都留重人の一連の著述だったように記憶する。私見ながら、「社会主義権力」および「国家社会主義権力」は、いずれも『超国家主義権力』として、「社会主義国家」や「国家社会主義国家」を地上に存在するそれぞれの「歴史的な国家」そのものがおのおのの活動と存続を目指す動機を強く制約するという志向と目的を持ち合わせているものと理解している。







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最終更新日  2008年09月09日 21時51分43秒
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