新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

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2008年09月09日
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40年近く前、学生叛乱期の渦中で知った都留重人の言説は衝撃的だった。


当時、教壇も世相でも「左まき」のノータリンが無意味な気炎をはき続けていた時代。
都留重人は、戦前の旧制高校時代にすでに反帝闘争を経験してハーバード大学講師を経験するという特異な経歴。木戸幸一の娘婿として、外務省嘱託などという際どい体験を踏まえて、「資本主義の多国籍展開」を誰よりもいち早く読み解きしていた。


あの知られざる名著「第一回経済白書」いわゆる「経済実相報告書」は、われわれ日本人の原点である。われわれの原点は、けして日本国憲法ではないと思い知るべきだ。そう思った。








略歴
熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を経て第八高等学校(現・名古屋大学)に入学したが、 反帝同盟事件で除籍される。その後、アメリカのハーバード大学に留学し、1935年に卒業。1940年同大大学院で博士号 (Ph.D.) を取得

1940年、ハーバード大学講師となる。1942年、第二次世界大戦勃発(日米開戦)を受けて辞職して交換船で帰国後、 義理の伯父(妻の父)である木戸幸一が重光葵に頼み、外務省嘱託として就職。1944年6月、東條英機により、意見が対立していた木戸に圧力を掛ける目的で、解雇された上、召集令状が出されて陸軍に徴兵された 。しかし、木戸が東條の秘書官であった赤松貞雄(東條退陣の後の1944(昭和19)年7月から1945(昭和20)年2月まで、彼が軍務課長だった)に頼み込んだので、赤松は木戸の依頼に応え、外務省から都留のために「余人をもって替えがたし」という申し入れを陸軍に出させるように取り計らい、3ヶ月で除隊となった。

1947年、片山内閣の下で経済安定本部総合調整委員会副委員長に就任、第1回経済白書「経済実相報告書」を執筆した。

1948年、東京商科大学(現・一橋大学)教授に就任。その後、冷戦下の赤狩り(マッカーシズム)の中でアメリカ留学当時共産主義者であったことを告白する。








この稿もふくめて、以下の7月18日からの連続エッセーです。
内容の理解のために以下の記事から読み返しくださることを
強く推奨します。


2008/07/18
吉本隆明と「関係の絶対性」







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最終更新日  2008年09月09日 21時43分20秒
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