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January 31, 2006
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カテゴリ: 日々のこと
ここ1~2年で、意識するようになった<死>ということ。

いつかは、この肉体と離れる時は必ず来ます。

魂は永遠~と頭ではわかっていても、
やはり、まだ、意識はそうは思っていないような感じです。

人は、自分が亡くなる時、その<死>を、受け入れる事が出きるのでしょうか?


<神からのギフト><生きがいの創造>などを読んでから、また、
様々な人のブログを読んで、想うこと。。。

<死ぬ事を考えるということは、生きることを考える>ってことだ。

確かに、<死>について考えるようになった私は、




映画<ラスト・サムライ>で、
サムライ・勝本の死を知った明治天皇が、トムクルーズ演じるオールグレイン大尉に、
<勝本の死に様は、どうであったか>
と、問うシーン。

オールグレイン大尉は、
<彼の、死に様、ではなく、生き様、を話して差し上げましょう>
と言うのです。


このシーンが、大好きです。


そうだ、そうだ、人間は
<死に方、ではない、生き方>、なんだ。と、
後から後から、涙が出て、止まりませんでした。






そして、

いつか、書きたいと思っていた、<忘れられない死>があります。




義父は、3世帯同居が始まってから、1年もしないうちに、
亡くなりました。


亡くなる4ヶ月前に、末期がんとわかりましたが、

家族で看病しました。


その時、私は、妊娠がわかって、つわりがひどすぎて、実家に帰っていたり、
自宅に戻っても、体調がまだ良くならなくて、何も、手伝えませんでした。

義兄夫婦には、初めての赤ちゃんが誕生したばかりで、
義姉も、その赤ちゃんにつきっきりでしたので、

実際に、看病したのは、
義父の本当の家族(=義母、義兄、主人)でした。

義父はすごく、気を遣う方でしたので、
そんな状態の、嫁たちにまで、看病してもらうのは、きっと、義父もしんどいだろう、との、義母や主人たちの意見もあり、
私は、義父を囲む、もともとの家族模様を、外から見ている感じでした。

何よりも、義父の意思を最後まで尊重し、
義母はじめ、義兄、主人が、力を合わせて、看病している姿は、

<私だったら、ここまで、できるのだろうか?>

と思いました。

一度、危篤状態になった時、
<もう、自分達の手では、何もできない>と、家族は挫折しかけました。

救急車で、大病院へ運ばれた、義父。

<もう、帰ってこないんだ>と、わあわあ、泣きながら、救急車をみおくった私です。

言葉も発する事ができない義父でしたが、
病院のベッドで、

<ポロポロ、ポロポロ・・・>と、
涙をこぼしているそうなのです。

付き添っていった、家族は、
<一番、していけないことをしてしまった>と、痛感し、連れて帰る事を決意。

病院側からは、<何があっても、知りませんよ>と言われました。

でも、加えて、先生からは、

<末期のすい臓がんは、壮絶で、場合によっては、目を覆うような事もあり、素人には、つらすぎる現状も起こり得ます。

 でも、ここまで、自宅で看れた、あなたがたご家族なら、最後まで、
出きると、思います>

と言われて、帰宅してきたのです。


(私だったら、そんな現実に直面したら、自信ないし、きっと、病院にお願いしてしまうだろうな、と思いました。)

その状況でも、<とにかく、自宅から、離れたくない。人生の最後の瞬間まで、自宅に居たい>
という、義父の意思を最後まで尊重できた主人たち。


亡くなる前日。

衰弱した義父が、なんと、自分の携帯電話を、持って来い、と息子に依頼。

自力で起き上がる事もできない状態なのに、

義父自身で、今まで、お世話になった友人たちに、お礼の電話をし始めたそうです。

<自分は、もう、死にますから、今まで、本当に、お世話になり、ありがとうございました>
と、ハッキリとした口調で、何人にも。

電話をもらった人は、ビックリして、次々に、家に飛んできました。。。


この、亡くなる前日まで、
管にぐるぐるまきにされることも無く、
ベットに、くくりつけられることも無く、
酸素吸入も無く、
なんと、自力で、(介助付きで)、トイレにも、いっていました。


そこにいるのは、<生きる人間>の姿でした。


亡くなる日。

親代わりでもあった、義父の実姉家族も看病に加わり、夜中から、総勢7人が、泊まり込み体勢で、明け方、最後を看取ったのです。(早朝だったので、私は、そこには、居ません)

こんこんと、眠りつづけていた、義父が、パッ眼を開けたそうです。

7人は、ベッドを、囲むようにしていました。

義父は、一人一人に、いわゆる、遺言のようなものを残して言ったそうです。

最後に、義母に向かい、

<お前と一緒の人生で、本当に、良かった。
 楽しい人生だった、ありがとう、>

そういうと、皆を見回して、にこっと、微笑み、眼を閉じたそうです。

義母には、その後、すぐに、義父から光が出て、飛んでいくのがわかったそうです。

<今、逝ったのね>と。


主人が私を呼びに来て(でも、早朝なのに、その時間帯に、既に目が覚めていました)、義父母宅にかけ付けた時、義姉も、私と同じく、入り口で、ただ、泣いていました。

7人は、打ちひしがれて、泣き喚く、ということもなく、
テキパキと、<死に仕度>(?でいいのでしょうか?)を、していました。

7人の表情は、晴れ晴れとして、清々しささえ、感じました。

自分達ができる、最大限のことをしてあげれた、という達成感に似たものを感じました。





7年経っても、今でも、思い出します。

義父は、還暦少し前でしたが、いつまでも、純粋な、汚れの無い、心の綺麗な方でした。

<あの人は、やりたいことを、全部やっちゃって、人生を楽しんで、さっさと、逝っちゃったのよね。。。>

と、義母がこぼしていました。


家族たちは、当時、義父の死は、<なかなか受け入れがたい>ことだけれども、
<死に方>を見て、改めて、この人の凄さを、思い知らされた。

と、言っていました。


なんだか、
その人の、<死に方>を、見て、
その人の、<人生がわかる>気がします。

義父の最後は、<こんなに、潔い人がいるのか>、と思ったほどです。

(私なら、最後まで、<生>に、執着しそうですし、逆に、潔く亡くなった方、は今まで、聞いた事が無いくらいです。)

義父とのお付き合いは、短かったですが、
最後に、良いお勉強もさせて頂きました。

当時、私のお腹の初めての子は、夫婦して、女児希望だったにもかかわらず、男児とわかって、
がっくりきていた、私でしたが(長男よ、ごめんなさい!)、

・義父のことで、力を合わせている、兄弟。
・か細く、倒れそうになっている母を、支え合う、兄弟。
・喪主は義兄で、葬儀も、兄弟で、頑張っていました。

私は、そんな姿を
<男の兄弟って、素晴らしい。捨てたものじゃないなあ>
と、感慨深く、見ていました。

すると、葬儀の最中、どこからともなく、
義父のあの、特徴ある声で、

<ハハハ。comyuriちゃん、男の兄弟も、なかなか、いいだろう~?>

と、聞こえた気がしました。

私は、最後に、本当に、大切な事をおそわったような気がして、
心から、義父に感謝しましたし、お礼がどうしてもいいたくて、義父の棺に、
手紙を書いて、いれた程です。


人の数だけ、様々な、死があるなかで、
義父のような<死>を迎えられることって、
実はあまり、できない事かもしれません。


義父は、生前も、素敵な方でした。

そして、

亡くなってからも、更に皆に、尊敬され続ける・・・


そんな、義父と出会えた事に、
心から、感謝です。。。

<お義父さん、出会ってくださり、ありがとうございます>






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Last updated  February 2, 2006 05:28:32 PM
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