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知人から駅前にあるとんかつ・カレーの老舗「たくま」が閉店したと聞いた。本当かなあと確かめに出かけた。店の外観。ツタがからむ蔵造りの店舗であって二階も客席になっている。反対方向から。隣の若大将も昔からやっている店である。窓の張り紙は何故か英語が主で日本語が従であった。そんなに外国人客が多い店だったのかなと思う。昨年秋にカツカレーを食べに行ったのが最後になってしまった。地元の老舗店がまたひとつ失われてしまった。
2017年08月18日
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厳しい残暑が続き、一連の規制が解除されたとはいえ、節電が国を挙げての使命でもある。今までが潤沢に電気を使いすぎたのかも知れない。消費電力は30年前(自分が小学生)の頃の倍にもなっているそうである。そのようなご時世に最適な電気器具がある。「キャノピースイッチ」である。まったくハイテクな電気器具ではない。レトロな感じさえする、紐で引っ張って照明器具などの電源を入切するスイッチである。(National松下電工製・キャノピースイッチ・WS52011型・@300円程度)職場の事務所の蛍光灯十数台へこのスイッチを全て取り付けた。今までは壁面にあるスイッチでON-OFFを行っていたが、複数台の蛍光灯がひとつのスイッチで点灯するので、少人数の業務時には非効率的であった。僅か300円の投資で、ひとつひとつの蛍光灯が独立して点灯/消灯出来る。身近な省エネ推進と省エネ意識の啓発にはもってこいであろう。出入りの電材店によるとこの手のキャノピスイッチは意外にも静かなブレークとなっているようで、品薄との事であった。どの企業も身近な節電を意識したのかもしれない。
2011年09月14日
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原発から環境中へ拡散した放射性物質が問題となっている。大気中への放出は、爆発が相次ぎ、原発が最も危機に瀕していた3月中旬がピークであって、現在はほとんど出ていないものと考えられる。しかし、その線量は減少傾向にあるものの未だに数値が高い場所も多い。繰り返しになるが、政府・民主党は、最も危険であった3月中旬に適切なる避難措置、ヨウ素剤の服用などの対策を取らずに座視し、今頃になって避難を呼びかけるという大失態を犯した。この間、IAIEや米国政府は日本政府が定めた避難圏より一回り広い避難圏を提唱していた訳であって、この提唱の数値が極めて適切であった事が現在になってはっきり判って来ている。この政策の大いなる誤りによって、飯舘村などの住民が結構な線量を浴びていた可能性も考えられる。現在も福島県内では表層土壌の入れ替え等独自の対策を講じている所もある。ヨウ素131は半減期8日間、セシウム137は半減期30年との事で、ヨウ素の長期毒性は低い旨言われている。しかし放射能について自分で色々と計算してみた感覚から言うと、極めて微量でも大きな数値を出すのが原子炉由来の放射性物質の怖いところである。半減期の数字だけに幻惑されないように減少量と減少傾向について自分で計算してみる事にした。最初に100あったものが、○○日後にいくつにまで減っているかは既知のデータである半減期を使って容易に計算できる。この計算式を使って、現在どのくらいまで減少したか、将来どのくらいで安心できるかをざっくり計算してみる。例によって素人のラフな計算なので有効数字や娘・孫核種の影響等は一切考慮していない。原子炉自体は3月11日にスクラム(停止)しているので、それ以降に核分裂性核種が新たに生成する事はゼロに近く、炉心内はもとより外部に漏れてしまった分についても、この日を頂点として、一貫して減少してゆく事となる。 最初に計算結果をグラフで出してみる。上がセシウム、下がヨウ素となる。本来なら同じグラフに書き込みたかったのだが、縦軸があまりにも違うので無理であった。グラフを見ると一目瞭然であるが、セシウムは1年経っても最初の97.75%にしか減っていない。さすが半減期30年である。よって時間が経っても線量が落ちない事が判る。一方ヨウ素131は3ヶ月程度でグラフ上は0になっているように見える。しかし、10億分の1程度の濃度であっても自らの存在を見せつけるかの如く高い線量を出すのが核分裂由来の放射性物質の特徴でもあるので、グラフの見かけ上だけでは安心できない。以下に計算結果の数値を出してみる。計算結果の数値を見ると、半減期8日間のヨウ素131が1gあったとして、それが拡散せずにそこに存在し続けた場合、当初は4600兆ベクレルの放射能を有しているが半年後には5.7億ベクレルとなる。半年後の値はグラフ上では0に見えるが未だに5.7億ベクレルと言う超強力な放射能を保っているのである。1年後の所を見るとやっと140ベクレル程となる。140ベクレルという数値は1箇所にまとまって存在していれば割に大きい数値である。実際は広く拡散してしまうので、此処まで数値が落ちてくれば実害は無いと思われる。計算の結果、半減期僅か8日間のヨウ素と言えども、すぐに無くなってしまう訳ではなく、高い線量の場所があれば少なくとも年内一杯くらいは充分な注意を要するものと考えられる。セシウムに至っては論外であり、16ヶ月後でも97%が残っている。セシウム137が1gまとまって存在する場所があるとすれば、当初は3.2兆ベクレルの放射能を有し、16ヶ月経ってもその値は3.1兆ベクレルとほとんど減少しない。チェルノブイリ周辺の線量が未だに高いままなのも、セシウム137やストロンチウム90など比較的半減期の長い元素由来と思われる。1日も早く、避難している方々に元の住居へ戻ってもらうためには、表土の入れ替えなど大規模で抜本的な対策が必要と思われる。
2011年05月03日
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昨日は忌まわしい二・二六事件の記事であったので今日は帝國海軍が勝利を収めたスラバヤ沖海戦について書く。太平洋戦争初期である昭和十七年の本日は蘭印攻略中の帝國海軍部隊と、聯合國の混成艦隊が戦火を交わしたスラバヤ沖海戦の開始日であった。この海戦は双方に不手際があって三日間に及んだが、結果として蘭印地区の聯合軍艦隊主力をほぼ壊滅させることが出来た。それにより緒戦期の攻略目標であった比島、馬來、蘭印方面での制海権を完膚なものにすることが出来た。この海戦では米英蘭豪の混成艦隊に第五戦隊を基幹とする我が海軍部隊が立ち向かった。戦闘の結果は我が軍にはほとんど損害が無かった(帝國駆逐艦1隻大破)が、敵に与えた損害は甲巡1隻、乙巡2隻、駆逐艦5隻轟撃沈という華々しい戦果となった。遠距離砲戦に終始したことは批判されたが、この戦で大巡妙高型からなる第五戦隊が活躍したのは疑う余地がない。写真は拾いもので恐縮であるが帝國軍艦「妙高」の雄姿。華府條約型の甲巡である。均整のとれた美しい艦型は帝國海軍きっての名デザイナーと言われた平賀譲の設計である。大本営もこの戦果を大きく発表した。大本營發表 昭和十七年二月二十八日午後0時十分 『蘭印方面所在艦隊主力ハ二十七日午後六時ジャバ海ニ於テ敵西南太平洋聯合艦隊主力ヲ捕捉シ激戦ヲ展開、敵巡洋艦一隻、駆逐艦三隻を撃沈シ、目下残敵追撃中ナリ』この海戦で活躍した大巡妙高型(4隻)は昭和十九年の秋までは全艦無事に活躍し、太平洋を縦横に暴れ回った。しかし十一月に「那智」が比島マニラ湾で失われ、昭南方面で活躍中であった「羽黒」と「足柄」も翌年の春には喪失の憂き目に遭った。終戦時残存していたのは「妙高」だけであった。
2009年02月27日
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今日は、仕事で南信方面へ行ったので、伊那市にある ソースカツ丼 「青い塔」で久し振り昼食を摂ってきた。今日は少々贅沢をして「エビヒレ丼」1500円。一番人気のロースのソ-スカツ丼は980円、ヒレで1100円である。カリッと揚がってジューシーなカツ丼はあっという間に胃袋に納まってしまった。
2012年05月17日
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松本市内の桜花はピークを過ぎ、落花が始まっているがそれでもあと数日は桜を楽しめそうである。以下は「あがたの森公園」の桜花。かつて旧制松本高校(現信州大学)のキャンパスがあったところが公園として開放されている。このところ連日の好天と高温で花見には持って来いの気候が続いている。
2019年04月19日
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松本駅前にあった老舗とんかつ店「とん亭」が3月末日を以って閉店したとのこと。経営者の高齢化にコロナ禍が重なり、惜しまれつつ閉店を決めたらしい。写真は昨年4月に食べたランチメニューの定番メンチカツ定食(650円)。店の外観。閉店を知らせる張り紙。ランチタイムメニューはメンチカツ、アジフライ、チキンカツの3定食がいずれも650円とリーズナブルでボリュームもあり美味しかった。また、名店がひとつ失われてしまった。
2020年04月19日
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