宇宙は本の箱

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六次元講義(17) 心の目線


それは本当です。残念に思うことは多々あれど、少しもさみしくないのです。
先生の意志は絶ゆることなくそこにあり、それが私達のこころの向かうところであるからです。
きょうもまた日抱きの御霊鎮めの箇所を読んでいました。

私は昔、一人でいて寂しいのには耐えられるけど、二人でいて寂しいのには耐えられないとよく言いました。人が寂しいと感ずるのは、おそらくは生きかたの問題です。心の向かう先、その目が追いかけるものが違うと分かった時、そこににわかに疑問がわきあがってくるのです。だから、逆にいえばそこに目的があり、目が同じ方向を見据えている時には、それがどんな関係性であっても、私の周りにいるような者ならば、誰もたいして問題にはしないのです。見詰めるものが違うと分かった時、そこにいる自分は何で、彼らは何かが問われてくるのです。


 省略 略 略。


死んだって分からないと言われた日、私は一人になろうと決めたのです。
それで正解でしたでしょう。誰の人生をも強要しない、それは私の信念です。
人は自分の意志で動くべきもので、動かないならそれもまたその人の意志だと思うのです。
ただ私は、意識もせずなにげなく発せられた言葉の一つ一つ、その心の表出にもう悲しみたくなかったのです。老いもダメ、若きもダメ。そのような事は本当は最初から知っていたことだと、あとではそう思いました。

あそこに集まった皆の前で健造先生は言われました。そうそう長尾先生も言われました。
一つのここに来ようという意志があって、そしてあなた方は今ここにいる、と。
まさしくそうなのでした。
そして、私達をそこにかりたてたものは、先生の思い描く世界そのものへ向かいたいと思う私達の心の在り様だったと思うのです。そして、先生が先生の意志信念を生きておられるなら、どうして私達が寂しいと感じたりするでしょうか。
先生がそこにおられるような温もりがずっとそこかしこに感じられ、
笑みさえこぼれてくるのです。


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