宇宙は本の箱

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六次元講義(31) 安倍文殊院



安倍文殊院


桜にはまだ少々早いけれど思い立って寄ってみた。
安倍文殊院は今更解説する必要なしというくらいの有名所だが、私は実は何も知らないのだ。
だからと言って社寺をこと細かく見て歩く者でもない。朱塗りの派手派手しいのは私の性にはあまり合わないから、こういう所はざっと、本当に大雑把に通り過ぎておしまい。


しかし、摩訶不思議には出くわした。
弁財天前の西古墳―――阿倍倉梯麻呂の墓ではないかとされる日本随一の精巧な造りの横穴式石室に入ってのこと、よくは説明を読まなかったが、その石室の中の仏像は弘法様作と伝えられている事を知って、ならば写真でも撮っておこうと、また入りなおしたが、シャッターが下りない。
おかしいと思ってカメラを見ると<電池残量がありません>。
まだ買ったばかりの電池が切れる?・・・ンな馬鹿な!
しかし、シャッターは下りない。諦めて外に出た。

帰ろうとして、くうらくさんが禁足の深夜の鞍馬の魔王尊の前でどうしてもシャッターが下りなかった事を思い出し、ついで、ユウメイ上人がどうしても写真に写らなかった話、写っても透明に透けてしまった話などを思い出し、はたと引き返して弁財天を撮ってみた。
!!撮れるではないか!
ついでに入り口を撮ってみた。
撮れるではないか!


弁財天


西古墳


カメラがおかしいか、エネルギー変換が行われているのか、試しにもう一度入ろうとしたら、またもや愛猫が攻撃的な耳をして爪で引っかいて茂みに入ろうとするのでやめた。
次に入ったら撮れたような気がするのだが・・・不思議は不思議のままの方が楽しくもあるから・・・ま、いいか・・・と。
しかし、摩訶不思議ではあった。
先生聞かれたら喜ばれる弘法様の不思議。

門を出て振り返りながら、先生が光線につつまれていた写真の数々を思い出した。
あれを見た日、Sちゃんの撮った四葉のクローバー摘む私の写真も、光線が二本差し込んでいた。
摩訶不思議。






ついで・・・ながら思うことがあった。
あの荒城は実はアラーキで、おそらくその昔はアラハバキ信仰だったのだ。
5000年昔と言われたその事が本当なら、山形にお二方が帰られたのは自然な事だったと思う。
私はあの日、なぜですか?と質問し、理事長からは5000年と100年1000年では比べ物にならないとのお答えを頂いたが、その声のした石が5000年で、そこがやがてアラハバキ社となったのなら、それは得心したような気分だった。
もやもや一つ氷解。







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