宇宙は本の箱

     宇宙は本の箱

大阪講義前2


早朝から家の方に理事長から電話あり、その後また店の方に電話があった。
ソファに坐っていたら背中が焼けてきて、ソファまで燃えそうになったあの日だ。
それからの日々は忙しいというほどでもなかったが、仕事の合間合間にしなければならないこと多く、やっぱりいつにもまして多忙な日々が続いたには違いなかった。なかでも人集めは難しい問題だった。
私は高木さんはじめとするセラピストの人達のように、研究所や先生の話をしたからとて頭のおかしい人だと思われたことは一回もないと自負しているが、それでも、だからといって話を聞いた人が講義に参加してくれるというものではない。また私は誰にも何も強要しない。それは私の信条だ。
研究所からかつて一度でも講義に来たことのある人に案内を送ってくれるという話はあったが、それだとて新参者にはだから来てくれるという目安にはならずだった。
またその頃はたったの一回しか精神統一に参加したことのない者が、十年二十年習った者やセラピストを差し置いて講演会を主催するということに反感を持つ者もあった。
遠くどこかから電話がかかってきて、ブッタの話をして私に諭す人もあった。超能力とうことからいえば年季など意味はない。しかし世間一般的見地からすれば年数には大いなる意味がある。そういうこともあって、また、先生を世に出したいなら、では彼らは十年も二十年も何をしていたのかという思いもあって、本当は一人で世話をするほうが気楽だったが、色々と考慮してお三方にも協力してくれなければ困ると、セラピストの参加を理事長にお願いした。
二十人くらいですか?と問う私に、理事長は二十人も来ないですよ、と大きく笑って答えられたので、十人、二十人以内ならば観音様の和室で円座を組むには十分だと思い、観音様に予約を入れた。
しかし、暮れも押し迫ったある日ふいに、頭の中に40という数が浮かんだ。
私は理事長にその予感を報告した。理事長はここでも大きく笑って「そんなに来ますかいな」と言った。

ところが蓋をあけると・・・それは本当にジャストぴったり40人で。まさか、まさか!
・・・ニ回目の講義の時、透視実験の場で、私はカードも確認できないくらい遠くに坐っていたのに、当てられて透視し損ねて、手品みたいだと疑っていた主人の変わりに当てられた時、その三枚の合計が当たったことがあった。私は自慢じゃないが主人の何分の一というほどの透視能力も持っていない。その時、向うから光がやって来て、声は頭の上から出た。普段の声の小さな私だが、知ってる人が聞いたらびっくりするような大きな声だったらしい。
私は三田光一が弘法様を念写した時の話を思い出した。
あれは、誰かが私に言わせた数字だと思った。
思わず二回目の講義の話になったが、私はその日、先生の言葉が琴線にふれて、心の奥にすーっと入ってきて、みなの後ろで泣いてばかりいた。
先生と歓談の夜、
先生 良かったですね。
そう申し上げると
「よかったー!」
先生は赤ちゃんのような顔をして、たったそれだけ言われた。
多くを語らず、ただ「良かったー!」とだけ。
その短い言葉にすべてがこめられているようで私はただ胸がいっぱいになった。

(続きはまた)



© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: