宇宙は本の箱

     宇宙は本の箱

労働は神聖なり


皆、涙を流しました。心の中に映った情景は、それほどに美しいものでした。
先生が亡くなられた時、親しかったある方が、
「高潔なる魂よ、万歳!」と書かれていましたが、
高潔なる魂の『労働は神聖なり』を心に感じる麗しい時間がありました。
先生だけでなく誰でも、その人間の基礎が幼少期にある事が分かります。
人間の心を丸い器に例えますが、その心の器の下の方に幼少期が鎮まります。
その幼少期の上に年月を積み上げます。鎮まらせていきます。そのままではいけません。
鎮まらせられるようにまで昇華したものを鎮まらせて行きます。
上に載せられれば載せられるほど器の中の下のものは凝固します。
ずっと残り続けます。
年をとると記憶は器の上の方から消し去られ、どんどんどんどん消し去られますが、
固く沈殿した幼少期は最後まで色鮮やかに残ります。
とまれ、人間形成に幼少期は最後まで重大な意味を持ち、それは存在し続けます。
だからその基礎中の基礎を自分の中に御鎮座させねばなりません。
きちんと、洗い磨き、整理し、御鎮座させねばなりません。
先生、十四の時の作文を読む機会に恵まれました。
最後までその高潔さを失わなかった先生の美しい少年期がほうふつとされ、
しばし・・・立ち止まりました。

不思議?!      ケンゾ
学校より急ぎ帰り熊手を持って苗代田の畦反しに行った。晩方までにできるであろうかと少々心配したが、先生のお言葉や読書にて覚えた「千里の道も一歩から」という金言や「労働は神聖なり」を心の中に浮かべながら仕事に急いだ。時々一息してや又心を励まして打ち反した。
ようようのことで打ちおこしてしまった。
「ああ、嬉しや」と思って見回せば薄暗くなり田んぼに居る人は一人も居なくなっていた。こんなに晩にまでなったことは久しぶりだとつぶやいた。
家へ帰ってみると家族一同は待って居た。急いで下駄を持って川の方へ下りて行った。冷水に足を入れようと思ったがこわいようで入る気になれない。しばらく水面を見つけていたが、きわにある岩にもたれかかった。
そして頭を空に向けた。月はボーっと雲がかかって薄く光って居た。その時宇宙の不思議を感じた。霊的感応とはこの事を言った言葉なのであろう。
ああ、二千光年かかる遠い遠い星の事。又宇宙の極みの事。太陽や星の光る事等、何たる不思議さであろう。
又地球や其の他の星の自転公転の事。最後に宇宙が全部冷たくなり、暗黒となり、生物の無くなるという事を思い、その結果を想像してみた。
これに対して「物質不滅」を思い、宇宙の無くなる事のない事を思って心強くなった。月はたえず西へ走っている。谷川の水は独り淋しくさらさらと音をたてて、空には薄い雲の中よりぼんやりと光が見えている。
ああ、不思議だ。すべてが不思議だ」と、小声でつぶやいた。そして一つ大きなため息をした。
其の時、不意に母の声がした。
ハッと思って耳をそばだてると、「早く足洗って来い」と言われるのであった。
思いついて足を水の中へ入れた。急に全身が冷たいようだった。


上手な文章や美文を書く人はいくらでもいるでしょう。私の知ってる人達の中にも感嘆符を打ちたくなるような洗練された文章を書く人は何人かいます。けれど、それだけです。
自分の人生とその美文が同等のところにはないから、あって話をすれば、そこにはなにほどの言葉も残されてはいません。
先生は貧農の長男で、ろくに学校にも行かせて貰えず、あの小さな背に子供の頃から一切を背負われました。「負けてなるものか!負けてなるものか!負けてなるものか!と叫んでな~」私と、私の友人を目の前に置いて、時間も忘れて一生懸命語られた、そんな日がありました。
それでも夕刻には暮行く乗鞍を眺めながら合掌をし、一切に感謝して涙して、そんな先生の少年期なのでした。見事に昇華された心は、文章でも音声でも人の心に沁み入るのです。
先生、ミレーの晩鐘のような風景の中、
十八歳の時、六次元を発見されました。
遠くの茶摘みの音が聞こえ、念写もされました。

先生、90歳にならんとする頃、
日本の未来のために田んぼを一反増やそう!
額にタオル。鍬を持ち、石ころ拾いをされました。
私は頭を垂れます。
私、はっきり言って先生の講義が退屈でした。もうもうはやくもっと先に行ってくれないかと思いました。都会のテンポになれている者には田舎時間がかったるかったもんです。
でも、それでも、みんな先生が好きでした。
先生のまことが好きでした。
おしまい。



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