宇宙は本の箱

     宇宙は本の箱

慈光さんの日記転載

 関東に托鉢に行ってまいりました。

 久しぶりに高校時代の恩師にお会いしましたが、先生は、90歳というご高齢にも関わらず、お元気そうでした。

 さて、高校はキリスト教でありましたので、もちろん先生もクリスチャンです。ただその育たれた家庭環境の影響でしょうか、他の宗教にも寛容で、仏教に詳しいお友達もいらっしゃるご様子。楽しい一時となりました。

 先生の中で、大いなるもの、それを神と呼んだり仏と呼んだりいたしますが、またWILLという名で、それを言い表されておりました。

 私が出家いたしましたときに
「私たちの力が足りなかったから、キリスト教に導くことが出来なかったです。」
と嘆かれた方がいらっしゃるお話も、後に耳にしたことがありました。
 そんな中でも、先生には表現活動を通じてのびのびと育てていただいたような気がいたします。



 先生はお嫁さんにいらっしゃる前、裕福な環境で育ってこられました。それが結婚とともに開拓生活に入られて、荷物を捨て、さまざまなものを捨てられて、小屋のようなところに住まわれました。その苦労されたときのお話は、里の創世期と重なるところがあり、大変有難く聞かせていただきました。
 お姑さんもお荷物をたくさんリヤカーに乗せてひいてこられましたが、実際にいらしてみると荷物の置く場所さえなく、次の日まで何枚のも風呂敷に包んで外に出しておられたそうです。ところが、なんとそれをすべて泥棒に盗まれてしまいました。

 しかし、お姑さんは一言も不満をもらさずに
「これでいいんです。」
と仰ったそうです。
「私は皆を戦争に取られたときに、この有り余る物と引き換えにしても彼らの命を助けて欲しいと願っておりました。お陰でみな元気に帰ってまいりました。神様は聞き届けてくださったのですから。」
そんなお話でした。

 本当に働き者のお姑さんで、朝はみんなが起きる前にトイレのお掃除をすべて終えられて、何もなかったように働いておられたそうです。そしてだんな様は開拓者精神で、ぼろを着て働いておられる…そんな中先生は一人体調を崩して休まれたりしながら、暮らしてこられました。
 ようやく少しずつ、お姑さんと仲が良くなってこられたのも何年か経ってからのことだそうです。(上のお写真は100歳くらいまで現役で書道の先生をなされたお姑さんの字です。)
 晩年、本当の親子のように暮らされたお二人。お姑さんが90歳近く、先生も70歳は過ぎていらっしゃる頃、介護をされておりました。
 お姑さんの体重が軽くなられたとはいえ、先生にとってトイレの介助は一仕事でありました。あるとき、思わずバランスを崩しておまるに座れず、二人で絨毯に転がってしまいました。するとお姑さんが
「いもむしゴーロゴロ。」
と急に歌われたそうです。すると先生も音楽の先生でいらっしゃいますから、一緒になって唄ってしまったそうです。するとお姑さん
「私はトイレがしたい。」
と。大笑いしながらも、二人で起き上がる努力をなさったそうでした。



 ほのぼのとした時間を頂いてまいりました。
「その昔の苦労があったから、私はここまでやって来れましたよ。」
 その一言を胸に、私はまた次の場所へ移動いたしました。












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