宇宙は本の箱

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いい子ってなどんな子?


「お母さん、いい子ってどんな子のこと?」
小学校三年の時か四年の時か、上の子が沈んだ面持ちで学校から帰ってくるなり聞いてきたことがあった。

「いい子か~、それは難しいね」
「親の言うことよく聞く子がいい子?先生の言うことよく聞く子がいい子?」
「それはいい子には違いないけど、それは親にとってのいい子だね。そういう子が本当にいい子はどうかは上辺では分からない。うん、例えば、この間のお手伝いの話でも、お金あげてお手伝いさせてるって話があったけど、お金もらえるからお手伝いしてるのか、そうじゃなくてもお手伝いしようと思ってたのか、そういうことって本人にしかわからへんやん。それに人の言うことを全部なんでも聞くっていうなら、それはいい子っていうよりは親のロボットと同じことやし、ね」
「じゃー、どんなのがいい子?」
「うん、いい子っていうのは自分で分かるんや。人がいくらいい子って言っても、本当には自分で自分をいい子って思うてなかったら喜びはあまりないもんや。反対に人がほめてくれへんかっても、自分で自分をいい子やって思う時があって、それはほんまにいい子の時や。いい子かいい子でないかは自分がちゃんと分かるってお母さんは思う。自分で自分がいい子や思うた時がほんまにいいこや。そんでそんな時は、自分で自分がものすごく好きな筈や。そう思えへんか?」
「うん、そう思う」

うまく思い出せないけれど、いい子の基準は自分の中にあって、人間一人一人の基軸は自分の中にある。なかったら自分で作っていかなあかん、そういう話をした。

息子は小四の時一番の親友を失った。親が夜逃げしたのだ。
そして小五の時、次の親友を失った。親が部落開放にうんざりして引っ越したのだ。
それから小六の時、その時一番の親友だった子を失った。一家で九州に帰って行ったのだ。
息子はそういう運命だと悟ったのか、小六の時は見送りにも行かなかった。
先生に覇気がないと言われた。
出る杭は打たれたから、杭が出ないようにしていた。
一番に回答を書いても十番目に提出した。
それらのことをあとで知らされて、あの子の小学校時代の悲しみを今になって理解する馬鹿な親。

しかし、あの子にはいつも図を描いて色々話したことはきっと良かったと思う。

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