宇宙は本の箱

     宇宙は本の箱

生ききる決意のこと



私は色んな人とほとんど喋れなかったです、二十歳まで。
黙っていました。
笑っていました。
無理に迎合するような言葉を喋ったりしない為にです。
皮肉を言わない為にです。
私はある特定の人とだけは喋ったのでいじめられもしました。
でも喋れなかったです。
通じ合えないって感覚が教える・・・
分かり合える言語なんか永久にないと思いました。


ところで分かり合えるものにはナイフで心臓刺しました。
ズタズタにしました。
それが自分の心の表出であったからです。
そういうときは選ぶ人を間違えたりしませんでした。
人を見る目に間違いはなかったです。
傷つけました。
死ぬほど傷つけました。

けれど、間違えなかったのは自分ではなく、
偉かったのは自分ではなく、彼等なのでした。
その事に気付いた時、多くのものに優しくなれ、
泣いて泣いて泣きくれる自分がいたのでした。


あなたの優しさは他の人のやさしさと違うと二十歳の時、Kに言われました。
恋人も言いました。
お前はなんでそんなに優しいんや?
なんでや!
言え!

人は決して分かり合えないと知った日に優しさが始まる・・・
私は言いました。

お前は馬鹿や!おまえは馬鹿や!お前は馬鹿や!!
恋人は言いました。




二十歳過ぎていっぱい喋るようになりました。
馬鹿みたいに・・・その分かり合えない感覚を無視すべく、
たとえ瞬時でも、空白の時間を持たないようにしました。
今もずっとです。
それでいいのです。
現世をいきる、生き切るということはそういう事で、
二十歳の春、私は生きることに決めたのですから。


今、私は時に子供の頃に帰りたくなっている自分を見つけます。
分からないものには喋らない、そういう自分に帰りたがってる自分。


そういう所はとうに過ぎてしまいましたけれども、
尼僧さんのブログの好きな先輩の話など読んでいますと、また
「ばーか!」と言ってしまいそうなので、
やっぱり分かり合えないものとどのようにも本音で話すことはありません。


今?
今はいっぱい人を間違えますよ。
というか、間違えたいんですね。。。。






© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: