宇宙は本の箱

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恋愛小説ーある十年の物語(6)

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一年経っていたのだったか、二年経っていたのだったか。
もう永久に会うこともないと思っていた正月からはそのくらいの日にちが経っていた。
クリスマス前日のこと、会社に電話がかかって来た。

私は某氏から逃げ出したくて、折角の仕事だったのに別の会社に移っていた。
私達は最初のごく短い期間をのぞいて、互いの生活のことはほんんど知らなかった。
ましてや二十歳以降の私の人生にしんちゃんの登場は最早ありえないことだったが、
それでも生きて元気にやってるということくらいは伝えるべきかと思った。
デート気分で出て来ただろうあの正月は、長い間借りていたちょっとしたお金と一緒に、お礼の菓子箱を渡しただけで、五分も経たないうちに私は帰ってしまったのだったから。

あの頃はすべての身辺整理をしていた頃だったから、しんちゃんにはそうと伝えるべきかもしれなかったが、そんな話をしだしたら、簡単には帰れそうもなく、また自分を本当に思ってくれた人に対して、そのさよならは伝えるに忍びなかったのだ。
一年経ち、二年経ち、色んな意味で少しは心が落ち着いていたのか、
私から葉書を送ったのだ。


思い返してみれば、私達はクリスマスの頃によく会った。
私は、友達になった夏のあの眩い明るい太陽を思い出したくなかったからか。
しんちゃんは幸せだったあの冬が、また甦ると思ったからか。

葉書を見て電話してきた口調はいつもと同じだった。

 俺?俺変わったよ。

 そういう言い方嫌い。

 俺、今 ふるえてんねん。分かるか?

 ううん。

 手も、声も ふるえてんねん。
 俺、自分がこんな気弱かったって知らんかった。。。

どうでもいいことだが、人はある日突然、自分の気の弱さに気付くものだ。
私もそうだった時があるし、あいつもいつだったか、俺は案外気が弱いかもしれん。手も足も出ん。そう言ったことがあった。後年仲良かったボンさんも、ああ最後だと分かった日、顔を見るなり言ったことがあった。
俺、今の今まで、自分がこんなに気が弱かったって知らんかたです。と。


待ち合わせた街はクリスマス一色で、店はどこもかしこもいっぱいで、私達は待ち合わせの場所から何十分か歩いて、ミナミのはずれの、以前に雑誌に紹介されていた若者向けの店にようやく入らせてもらった。

何を話したか。おそらくは仕事のこと。家のこと。幾度かのお見合いのこと。少しは付き合った女性達のこと。二年も会わなければ話すことは沢山あったのだろう。今ではそこで聞いたことか、別の時に聞いたことか、すっかり記憶の彼方だ。覚えているのは最後に正月にあった時のことを、「水臭い思うた」と言ったことくらいだ。あの時はいつもの気まずい別れとは違って、自分がそこに取り残され、ただ行ってしまったという想いだけが残ったらしい。
それはそうだったろう。

朝の四時になってそこを追い出されるまで私達はそこにいた。
店の外に出ても道はまだ暗かった。始発があるのかないのか、駅まで歩いて別れた。
家に帰るのか、そのまま会社に行くのか、またな。そう言った。
私は川べりの道を会社まで歩くことにした。

しんちゃんはなぜ変わらずにいられるのだろうと思った。
そう思うとひどくかなしかった。
私は吉本をしきりと思い出した。

 君はその腕に 屈辱に満ちた風景を抱きしめることが出来るか?

 君はその腕に かなしいひとりの女をではなく

 全世界を抱きしめることが出来るか?


空を見上げ、また空を見上げながら、或いは立ち止まりながら、
沈んだ空気のその中を、なぜしんちゃんは変わらずにいられるのか、
そのことを考えつ考えつ歩いて会社に行った、
私はその朝を忘れない。






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