宇宙は本の箱

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幸福ということ



「僕は自由が欲しい!」
小学校三年の時だったでしょうか、上の子が言いました。
その自由について、子供と少し話しました。
その話した自由ではなく、真の自由はお母さんにもまだ分からない、
私はそう言ったのですが、その頃の私は幸福で、
幸福についても不幸についても最早考えたことなく、
仕事に家事に趣味に、二十四時間フルに生きていたわけですが、
おそらく息子はどこかしらどこかに不幸を感じていたのでしょう。
私が自転車で空を飛ぼうとしたあの時代と同じ。
翼が欲しかったでしょう。

二十歳の春、「翼だ!翼がある!少年だ!」
私を見るなり、というか、その人はその日が初出勤の日で、
見知らぬ女性が、そんな声を上げたのです。
それ以降、何かにつけその人は私にくっついてきたのですが、
特に変わった人だというよりは、私とは違うものに興味を持っていた人で、
本人曰くは、あなたは人生を生きているが、
私は人生を生きていない、人なのでした。
とまれ、気がついてみれば、それまでと違い、
私は彼女のような人たちに囲まれ、
私のまるで興味のなかった異端というものの中に身をおいていて、
それが結構心地よかったりしたのでした。
その頃の私は、赤ちゃん時代からやり直したかったので、
そういう配置がなされたのでしょう、後から思えばですが。

私は今、この世の幸や不幸には相当に不感症だと思う時があります。
来年は阪神淡路大震災から二十年ですが、
二十年前、大震災やサリン事件で、何かが目覚めたのでした。
私は先生に逢い、至福を知り、舞い込んできたヨガナンダジの書で、
幸福や至福の意味を教えられ、それを納得したのでした。

あれからの日々を生きてみて、
一度至福を知ったものは、
もう不幸といえるほどの不幸はこの世のどこにもないのだと思えます。

【人生の目的は神をみつけることである】

内なる神、外なる神を見つけたら、人生の何十%かは完成でしょう。



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