宇宙は本の箱

     宇宙は本の箱

あなたの子供はあなた自身である



人は誰でも依存と自立の間で生きているのだから、特に病的にひどくない限りそれでいいのだ。また人が極度の依存質であっても要は誰に依存するかの問題なのだと言ったことがあった。依存症がひどくなる者というのは、大抵はあまり依存してはいけない者に依存しているし、相手に多くを望むし、それは多くは身内、親だったりするのだ、と。あなたの親はあなた自身である。あなたの親はあなたの子供でもある、と。

もっともっと若き日、あの娘は私のような親に育てられたかったと言った。来世では私の子供になって産まれてくるのだと言った。親になったら私のような子供の育て方をするのだと言った。それはすべて無理なことだし、そのようになる必要もないと私は思ったが、一年くらいは私を真似て化粧もせず会社に行き、男性社員にも言いたい放題言っていたりした。
私は笑っていた。無形の三密出来ぬ者は有形の三密から。
それは悪いことではない。人は誰でも模写からはじまり、模索に模索を重ね、自分なりのものを熟成させてゆく。贋作家で終わらない為にも。
形から入っても遂にはその真髄に達するところまで到達する。しかし・・・だ。肝要のそこはもうなかなかに難しい。

自分を大切に生きる、というそこ。

私にとって自分を大切に生きるとは、今、この時、この心を決して忘れず生きていくということだった。良いことも悪いことも。喜びも悲しみも、消しゴムで消してしまいたいような時々の想いも、決して忘れず踏みしめて、噛み締めて、一生忘れず生きていくということだった。納得できずば次には行かない。だから私はぐずぐずしい子だと周囲には言われた。しかし、母はいつも言ってくれた。お前はそれでいい。お前は丁寧だからそれでいいと。自閉症だと言われても、それでいいと。おまえはつまらないことを喋らないからそれでいいと。だが、「だが」はあったがそれでいいと。だから、私はその「だが」を執拗に守った。守ったらこういう人間になった。あの娘は、またあの娘達は、その「だが」に行き着くまでにもう言葉を発していることだろう。言葉は腹からではなく、すぐそこの喉から出る。剛球の受け取り方をつい忘れ、咄嗟にはミットをすぐ前に出す。

つわりは八島教祖の弁を待つまでもなく、それは単なる身体反応ではない。お腹の子との波長異音。しかしまー、あの娘は自分の為とはいえ、よくこんなきつい私についてくる。いいよ、私には依存してもいいんだ。だけどおそらく私には依存しないんだ。だって、褒めてもらいたいからね。

私はなかなか褒めない。だけど、いつかは褒めてあげたい。
努力したことに対して。諦めなかったことに対して。
そして、本当はちゃんと生ききったことに対して。


あなたは、あなた自身を産んだ。


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