宇宙は本の箱

     宇宙は本の箱

細き道を歩むべし



人にはインナーボイスだと話すことがあるけれども、あれはそうではない。声は頭上から聞こえた。
子供の頃から私の胸の中のどこかにひそかに棲み続けているあの存在ではない。その存在に声はない。
時折清涼な風が吹きぬけ、時折声もなく微笑むだけ。
ああ、だけど母が死んだ時には内臓がまんまるにくりぬかれたようになくなってしまったし、そのくりぬかれてなくなった穴から悲しみがあふれ出して来て、幼い子をかかえて私は円形剥げにもなったから、その存在は確かに私と一体のものだけど、あれは違った。



「もしおまえがそんなに可哀想な者なら、皆、お前と同じ可哀想な者なのだ」


私はこの世が平等などとは思ったこともなかった。神なんてもののことも考えたことはなかった。この世は不公平で不平等で、欺瞞に満ち満ちていて、私は生まれて二十年喧嘩なんかしたこともなく、ヒステリックでもなかったが、もしこの世を創ったものにお目にかかったら、その時はこの身が無茶無茶傷ついて倒れるまで闘ってもいいとさえ思っていた。


「神は人間を平等に創りたもうた」


声はまた言った。


それを聞いた途端、私の両の目から涙があふれ出た。
私は一瞬にしてその言葉を理解し、なき続けた。
私はただ泣きながら並木道を一時間は歩き続けた。



しかし、人は生まれた時すでに、生まれる以前からでももうすべてを持たされてあったと、失っても失っても、失うものとてはないのだということを知るまでにはまた二十年もかかってしまった。



なにかの本に 

「生きるとはもののあわれを知ること」

だと書いてあった。


数年前の夏、長野にあのこを訪ねた日、
暑いのに、その暑さの中で寒い寒いと言って毛布まで着こんで寝ていたあのこの体温のない手をとった。自分が寒いからと一歳の子供にまで冬服を着せて、幸せを装っていたその心が哀れで、手を握って話を聞きながら精神統一をしてみた。
その時、私の体内を駆け巡っていたものが一筋の流れとなって、指先から流れ出てあのこの掌から体にめぐって行く様を見た(ようなきがした)。
あのこは「暑い!暑い!」と言って布団をはねのけて起き、私を自分の書斎に連れていった。抜け出した布団の中にはぬいぐるみがあって、彼女がそれを抱いて寝ていたことが知られた。


私はその時、はじめて宇宙に充満している気のようなものが人の体を通して流れるということを、書の上でなく身をもって知ったような気になり、使いはしないけれどもヒーラーの資格を取りにいってみた。
能力という言葉は適切ではないが、そういう能力も時に必要なのだということを、あの時痛感した。
瞬時にそこに到達する者からは遥かに遠い。しかし、そこに行くまでの慈悲心。
私は何を慈しみ、何を悲しんでいるのか。。。


ボスが死んだ時、またチビが病気で逝かんとした時、
それは大いに役立ったが、慈悲心は足りない。


私は自分で描いて壁に貼っていた宇宙図の上に

「慈悲心 菩提心 神通力」  と書き加えた。


そして下の方の余白には


「力を尽くして 狭き門より入れ」

「細き道を歩くべし
太き道往くもの 末必ず 滅びることあらん」


と書き加えた。



細き道を 歩くべし。





© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: