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2006年01月22日
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看板のサブ・タイトルを変更しました。昨年十月からのテーマは《ラマダン》でしたので、「日ノ出から日没まで飲マズ食ワズ*ラマダン(断食)報告*今の自分が大好き、楽しい♪」限られた行数いっぱいに、その時々の目標を上げてみます。

新年になって、私の心を捉えているのが「ガラクタ捨てれば未来がひらける」という本。そしてもう一つ、お正月テレビ番組で初めて見た「オーラの泉」。女性誌で話題の江原さんのトークを聴き、はじめてこの本を理解できる気がしました。

実は「ガラクタ捨てれば~」シリーズは二冊あり、日本では2002年に出版された「ガラクタ捨てれば自分が見える」(小学館文庫)という本が先で、10万部以上のベストセラーになったそうです。私は続編の方を先に読んだようです。

大掃除がしたくなる本かと思いきや、こちらの続編はガラクタをやっつけ大掃除した後の、プロのセラピストが行うような専門的内容でした。読んでいる間、気になっていた江原さんと出会い、あっ!コレは繋がっているんだ!って思えたのです。

それで《実践偏》として「ガラクタ捨てれば願いが叶う*スペース・クリアリング*ココを聖なる場所にする」というサプ・タイトルにしてみました。土曜休暇の晴れ日、ホカロンを腰に貼り、午後から3時間ノンストップで家事に集中しました。

玄関・窓、開け布団干す。シーツ・大型タオルなどバンバン二層式洗濯機を回す。まずはトイレの克服だ。粉ヌカ石鹸使って磨く拭く。ドアを開け放ち外の風を入れる。玄関の床拭きだ、ピカピカ丁寧に。椅子カバー布類、外でパンパンはたく。

ガガガガーっと掃除機で家中の埃をドンドン吸い込む。家中に寒気が吹き抜ける中で、小豆を入れた玄米ご飯を圧力釜でシューシュー炊く。炊けた蒸れた、まずは仏様にご飯をお供えする。チーン!チーン!チーン!思いっきり鳴らしてみました。

この《りん》を鳴らすという行為はここ数年やったことがないばかりか、《りん》をしまっていた状態だった。「ガラクタ捨てれば~」の本を読んで、初めて活用する気を起こす。この本をペラペラめくり「音で清める」という項目が目に入った。

部屋に流れる音楽BGMのことだろうかと興味がいった。音の良い《ベル》というのがしきりにでてくる。はじめに風鈴(ふうりん)が思い浮かんだ。今年の夏は風鈴を吊るしてみようかな。あっ!そうだ仏壇の《りん》を買ったのに使ってない!



母が仕事をするようになってから、そういうことが疎かになったのに気づく。それはどういうことなのか、子供ながらにこれではいけないのじゃないかと母に言う。「じゃあ、自分がやれば?」「ん、もう!」それから私の仕事になっていたのだ。

その習慣がちょっと楽しかったりもした。ちょっといいことがあったからでもあった。《コンニャク》と言われたほどに、ノロマで無口でぽかんとしていた子供だったため、苛められっ子だった。それがその習慣の後、まわりが変わってきたのだ。

それと、もう一つ。両目の下に、小さな脂肪のイボがあった。その習慣の後、しだいに消えてなくなった。そんなことから、手を合わせるのはいいことなのだと身を持って体験したのだ。で、母が仏壇に手を合わせる姿は、やはり全く記憶に無い。

けれども今にして思えば母のお蔭と感謝しようと思う。子供時代において、重大な二つの問題を自ら克服し、道を切り開いていったのだから。なんて良き習慣だったことか。ちょっと、そのコがいじらしい。初心に帰らなければ、ならないですね。

《ベル》の話から、こんな展開になろうとは。書くと、いつも気づきがおこる。書きながら、どんどん思いがけないことが解けてきたり、気づきを与えられる。最初に感じたのは小学五年、読書感想文を書いた時。書くって面白い!って思った。

《ベル》のことを心に感じていた時、こんなシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が起こった。「 わが友よ。われわれは今日も明日も困難に直面しているが、それでも私には夢があるといいたい 」黒人牧師の説教に《鐘》が頻繁に出てくる。

1963年8月28日黒人公民権運動のワシントン大行進に参加した25万の人々に向けて、リンカーン記念堂前で行なわれたルーサー・キング牧師による演説“I have a dream.”(「私には夢がある」)に自由の鐘を鳴らそうではないかと。

この場は十年前、足をのばしたことがある。自由の鐘・・虐げられた歴史の人々、魂がどこの国にもある。スペース・クリアリング(空間の浄化)・・個人の部屋から、家庭、国、世界のことを、このテーマを通して考えられたらよいと思う。

■「私には夢がある。いつの日にか、ジョージアの赤土の丘の上で、かつて奴隷であった者たちの子孫と、かつて奴隷主であった者たちの子孫が、兄弟として同じテーブルに向かい腰掛けるときがくるという夢を。私には夢がある。いつの日にか、私の4人の幼い子供たちが肌の色によってではなく、人となりそのものによって評価される国に住むときが来るという夢を。

私の父が死んだ土地で、メイフラワーの清教徒達が誇りとした土地で、すべての山やまから自由の鐘を鳴らそうではないか。もしアメリカが偉大な国であるのなら、これは実現されなければならない。ニューハンプシャーの豊穣な丘の上から、自由の鐘を鳴らそうではないか。ニューヨークの稜々たる山やまから、自由の鐘を鳴らそうではないか。

ペンシルベニアのアルゲニー高原から、自由の鐘を鳴らそうではないか。コロラドの雪を頂いたロッキー山脈から、自由の鐘を鳴らそうではないか。カリフォルニアの曲線の美しい丘から、自由の鐘を鳴らそうではないか。それらばかりではない。ジョージアの石ころだらけの山、テネシーの望楼のような山、そして、ミシシッピーの全ての丘から、自由の鐘を鳴らそうではないか!



「自由だ、ついに自由だ、全能の神よ、感謝します。ついに我々は自由になったのだ」と。














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Last updated  2006年01月22日 05時51分16秒
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